第11話:銀の針は愛を紡ぎ、呪いをドレスコードに変える
ホテル『シルク・パレス』の最上階、ロイヤルスイートルーム。
本来ならば新婚夫婦が甘い夜を過ごすはずのその部屋は、今や工房という名の戦場と化していた。
「――温度固定、摂氏一二〇〇度! 魔力供給、安定!」
『う、うむ! 了解した! 茶葉の抽出も完璧だ!』
部屋の中央には、わざわざ持ち込んだ携帯用の錬金釜が設置され、ごうごうと青白い魔導火を上げている。
リリエは長い髪を後ろで一つに束ね、腕まくりをした本気モード。
そして助手役のアビス公爵(仮ボディ・左腕補修済み)は、釜の温度管理と、リリエの水分補給係を甲斐甲斐しくこなしていた。
二人が挑んでいるのは、先日路地裏で手に入れた超レア素材――『古竜のヒゲ』の加工だ。
「……くっ、やっぱり硬いですね。普通の魔力じゃ、針が弾かれます」
リリエが特製のピンセットで摘まみ上げたのは、泥を落として洗浄され、本来の輝きを取り戻したプラチナ色の繊維だ。
髪の毛ほどの細さだが、その強度はダイヤモンド以上。しかも、生きていた頃の竜のプライドと魔力が残留しており、半端な覚悟で触れようとする者をバチバチと拒絶する。
「でも、これを使えば……公爵様の強大すぎる魔力にも耐えられて、かつ激しい動きにも筋肉のように追従する『最強のフレーム』が作れます」
『私のために……すまない、リリエ。本来なら私が手伝うべきなのだが、私の魔力を直接流すと素材が消滅してしまう』
公爵が悔しそうに肩を落とす。
継ぎ接ぎだらけの仮ボディが、ギシ、と悲しげな音を立てた。
彼の「深淵」の力は破壊と捕食に特化しすぎており、繊細な創造には向かない。彼はいつだって、リリエの隣で「守られる側」になる自分に歯痒さを感じていた。
「いいえ、謝らないでください。公爵様には一番重要な仕事があります」
『一番重要な仕事?』
「はい。『私のそばにいて、格好いいところを見せてくれること』です」
リリエは悪戯っぽく微笑み、そして真剣な眼差しで暴れる繊維に向き直った。
「あなたのことを見ていると、創作意欲が無限に湧いてくるんです。あなたは私のミューズ(芸術の神)なんですから、そこで堂々としていてください」
『ミューズ……。むう、なんだか照れるな』
公爵の首の継ぎ目から、プシュッと控えめにピンク色の蒸気が漏れた。
リリエは目を閉じ、深呼吸をした。
意識を集中させる。
彼女の指先から、蛍のような優しい光の粒子が溢れ出す。それは「解体」や「破壊」の魔力ではなく、「調和」と「結合」をもたらす『仕立て屋の魔力』だ。
「――縫製、開始」
リリエの手が目にも止まらぬ速さで動いた。
暴れる竜のヒゲを魔力でなだめ、編み込み、結び目を作る。
ただ力でねじ伏せるのではない。「あなたを最高の一着にするわ」という愛で包み込むのだ。
プラチナ色の光が部屋中を舞い、美しい幾何学模様を描いていく。
それはまるで、光のハープを奏でているような幻想的な光景だった。
『……美しい』
公爵は息を呑んだ。
完成しつつあるスーツのことではない。
汗を煌めかせ、魂を削って針を振るう、妻の横顔に見惚れていたのだ。
***
作業が深夜に及んだ頃。
コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「ルームサービスか?」
公爵が重い足取りで扉を開けると、そこには誰もいなかった。
代わりに、廊下の床に豪奢な黒い箱が置かれている。
箱の表面には、銀色の蜘蛛の巣の紋章――マダム・アラーニェの印が刻まれていた。
『む……。あの女からか』
「嫌な予感がしますね。罠かもしれません、慎重に開けてみましょう」
リリエがハサミを構えながら箱を開けると、中には艶やかな漆黒の生地が一枚、入っていた。
一見すると最高級のブラックシルクだ。
だが、リリエが手をかざした瞬間、生地から「キィィィィィ……」という、女性の悲鳴のような耳障りな音が響いた。
『なっ!? なんだこの不快な音は! 頭が割れそうだ!』
「これは……『バンシー・シルク(泣き女の絹)』ですね」
リリエは眉をひそめた。
それは、死者の怨念を吸って育つ呪われた蚕から作られる、魔界でも禁断の素材だ。
身につけた者の精神を蝕み、魔力を吸い尽くし、最終的には発狂させて魂を喰らうという、いわば「着る呪い」。
箱の底には、香水の匂いがきつい一枚のカードが添えられていた。
――『素材集めにご苦労されているようですから、おすそ分けよ。明日のショーで使うといいわ。あなたの破滅的な旦那様にお似合いよ』
「……ハッ。随分と舐められたものですね」
リリエは鼻で笑った。
これは挑発だ。「お前にまともな素材は手に入らないだろうから、この呪いの布でも使って自滅しろ」というメッセージだ。
マダム・アラーニェは知っているのだ。リリエたちが店を回っても素材を買えなかったことを。
『リリエ、捨てよう。こんな穢らわしいもの、君の手が汚れる』
公爵が激昂し、黒い霧を出して箱ごと消滅させようとする。
だが、リリエはそれを制した。
「待ってください。……これ、使えます」
『は? しかし、それは呪いの……触れるだけで精神汚染を受ける危険物だぞ!?』
「ええ。着用者の魔力を根こそぎ吸い取る『強力な魔力吸収性』を持っています。……ということは?」
リリエの職人としての瞳が、怪しく、そして鋭く光った。
パズルの最後のピースが、カチリと嵌まる音がした。
「これを裏地に使えば、公爵様の溢れ出る余剰魔力を、この布が勝手に吸い取ってくれるってことです」
『なっ……!?』
「毒を以て毒を制す。これなら、どんなに興奮しても(ピンク発光しても)外には漏れませんよ」
リリエは躊躇なく「バンシー・シルク」を鷲掴みにした。
キィィィィ!!
布が抵抗して悲鳴を上げる。リリエの精神に「絶望」や「恐怖」の幻影を見せようと攻撃してくる。
だが、リリエは微笑んだまま、裁ち鋏をチャキリと鳴らした。
「うるさいわね。……私を誰だと思ってるの?」
リリエから放たれたのは、数多の修羅場を潜り抜けてきた職人の気迫(殺気)。
「素材ごときが、仕立て屋に逆らうな」という絶対的な圧力に、布の悲鳴が「ヒェッ……」と小さくなった。
「マダム・アラーニェ。最高の『断熱材』をありがとう。……遠慮なく、利用させてもらいますね」
リリエは不敵に笑い、呪いの布を裁断台に広げた。
公爵は戦慄した。
自分の妻が、時々自分よりも「魔王」らしく見えるのは気のせいだろうか。
いや、愛するものを守るための彼女は、いつだって最強なのだ。
***
そして、夜明け前。
アラクネ・シティの空が白み始めた頃、ついに「それ」は完成した。
「……公爵様。試着の時間です」
リリエの声に、仮眠をとっていた公爵が飛び起きる。
作業台の上のトルソーに飾られていたのは、以前の「爽やか王子様系」とは一線を画す、夜の支配者にふさわしいスーツだった。
ベースは、古竜のヒゲで編み上げたプラチナ色の「骨格」。それは生物の筋肉のようにしなやかで強靭だ。
その上に、呪いのバンシー・シルクをリリエの魔力で浄化・屈服させて作った、濡れたような黒の「皮膚」が被せられている。
光の加減で、黒の中に銀色の龍脈が走る、妖艶かつ攻撃的なデザイン。
襟元には雷鳥の羽毛があしらわれ、静電気のような青い火花が散っている。
『こ、これは……』
「名付けて『ナイト・バロン(夜の男爵)・モード』です。さあ、そのツギハギの仮ボディを脱いで、中に入ってください」
公爵は深く頷き、ここまで旅を共にしてきたトロール皮の仮ボディを脱ぎ捨てた。
本来の姿――不定形の影に戻る。
そして、リリエが開いたスーツの背中の裂け目へと、滑り込んでいく。
シュゥゥゥ……。
影が満ちる音。
だが、以前のような窮屈さは微塵もなかった。
古竜のヒゲが、公爵の魔力に合わせて伸縮し、まるで最初から自分の一部だったかのように馴染む。
そして、裏地のバンシー・シルクが、公爵の強大すぎる魔力を「餌」として貪欲に吸い取り、心地よい安定感をもたらしていた。
カッ!
サファイアの義眼が嵌め込まれ、知性ある光が灯る。
『……すごい』
そこに立っていたのは、闇夜の化身のような美丈夫だった。
黒髪をオールバックにし、切れ長の瞳は冷酷なほどに美しい。
以前よりも筋肉質で、野性味溢れるシルエット。
動くたびに、全身から放たれるオーラ(覇気)が、黒い火花となって散る。
公爵は自分の手を見つめ、握りしめた。
力が漲る。
これなら、全力で魔力を放出しても壊れない。マダム・アラーニェの洗脳糸など、指先一つで引きちぎれるだろう。
『リリエ。……体が、軽い。まるで羽が生えたようだ』
「ふふ、気に入っていただけましたか?」
『ああ。最高だ。……だが』
公爵はリリエに近づき、そっと抱き寄せた。
以前なら「割れる!」「漏れる!」と焦った距離だが、今のスーツは微動だにしない。
裏地がシュウシュウと魔力を吸う音がするだけで、表面はクールなままだ。
『一番最高なのは、この服を作ってくれた君だ』
公爵の顔が近づく。
整った唇が、リリエの耳元で甘く、低く囁いた。
『このショーが終わったら……この機能的なスーツの性能を、ベッドの上でも試させてくれるか?』
ドキン。
リリエの顔が一瞬で沸騰した。
そ、そんなセリフ、どこで覚えてきたの!?
見れば、公爵の耳元がほんのりと赤くなっている。言った本人も恥ずかしいらしい。
そしてスーツの裏地からは、「ごくっ、ごくっ」と魔力を飲み込む音が聞こえる。どうやら彼の中身は、今まさにピンク色に爆発寸前のようだが、呪いの布が必死に抑え込んでいるようだ。
(か、可愛い……じゃなくて、性能テスト大成功ね!)
リリエはコホンと咳払いをして、公爵のネクタイを直した。
「そ、その件は前向きに検討します。……さあ、行きましょう公爵様」
窓の外、アラクネ・シティの中心にある「大蜘蛛劇場」から、開演を告げる鐘が鳴り響く。
「あのマダムに教えてあげるんです。本当の『美しさ』とは、支配ではなく、愛から生まれるのだと」
『ああ。……行こう、私の誇り高きクチュリエール』
朝日が昇る。
二人は手を繋ぎ、決戦の舞台へと歩き出した。
その背中は、どんな王族よりも気高く、輝いて見えた。
(第11話 完)




