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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第二章 蜜月(ハネムーン)は、硝子の靴より歩きやすい靴で
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第11話:銀の針は愛を紡ぎ、呪いをドレスコードに変える

 ホテル『シルク・パレス』の最上階、ロイヤルスイートルーム。

 本来ならば新婚夫婦が甘い夜を過ごすはずのその部屋は、今や工房アトリエという名の戦場と化していた。

「――温度固定、摂氏一二〇〇度! 魔力供給、安定!」

『う、うむ! 了解した! 茶葉の抽出も完璧だ!』

 部屋の中央には、わざわざ持ち込んだ携帯用の錬金釜が設置され、ごうごうと青白い魔導火を上げている。

 リリエは長い髪を後ろで一つに束ね、腕まくりをした本気モード。

 そして助手役のアビス公爵(仮ボディ・左腕補修済み)は、釜の温度管理と、リリエの水分補給係を甲斐甲斐しくこなしていた。

 二人が挑んでいるのは、先日路地裏で手に入れた超レア素材――『古竜エンシェント・ドラゴンのヒゲ』の加工だ。

「……くっ、やっぱり硬いですね。普通の魔力じゃ、針が弾かれます」

 リリエが特製のピンセットで摘まみ上げたのは、泥を落として洗浄され、本来の輝きを取り戻したプラチナ色の繊維だ。

 髪の毛ほどの細さだが、その強度はダイヤモンド以上。しかも、生きていた頃の竜のプライドと魔力が残留しており、半端な覚悟で触れようとする者をバチバチと拒絶する。

「でも、これを使えば……公爵様の強大すぎる魔力にも耐えられて、かつ激しい動きにも筋肉のように追従する『最強のフレーム』が作れます」

『私のために……すまない、リリエ。本来なら私が手伝うべきなのだが、私の魔力を直接流すと素材が消滅してしまう』

 公爵が悔しそうに肩を落とす。

 継ぎ接ぎだらけの仮ボディが、ギシ、と悲しげな音を立てた。

 彼の「深淵」の力は破壊と捕食に特化しすぎており、繊細な創造には向かない。彼はいつだって、リリエの隣で「守られる側」になる自分に歯痒さを感じていた。

「いいえ、謝らないでください。公爵様には一番重要な仕事があります」

『一番重要な仕事?』

「はい。『私のそばにいて、格好いいところを見せてくれること』です」

 リリエは悪戯っぽく微笑み、そして真剣な眼差しで暴れる繊維に向き直った。

「あなたのことを見ていると、創作意欲インスピレーションが無限に湧いてくるんです。あなたは私のミューズ(芸術の神)なんですから、そこで堂々としていてください」

『ミューズ……。むう、なんだか照れるな』

 公爵の首の継ぎ目から、プシュッと控えめにピンク色の蒸気が漏れた。

 リリエは目を閉じ、深呼吸をした。

 意識を集中させる。

 彼女の指先から、蛍のような優しい光の粒子が溢れ出す。それは「解体」や「破壊」の魔力ではなく、「調和」と「結合」をもたらす『仕立て屋の魔力』だ。

「――縫製クチュール、開始」

 リリエの手が目にも止まらぬ速さで動いた。

 暴れる竜のヒゲを魔力でなだめ、編み込み、結び目を作る。

 ただ力でねじ伏せるのではない。「あなたを最高の一着にするわ」という愛で包み込むのだ。

 プラチナ色の光が部屋中を舞い、美しい幾何学模様を描いていく。

 それはまるで、光のハープを奏でているような幻想的な光景だった。

『……美しい』

 公爵は息を呑んだ。

 完成しつつあるスーツのことではない。

 汗を煌めかせ、魂を削って針を振るう、妻の横顔に見惚れていたのだ。

 ***

 作業が深夜に及んだ頃。

 コンコン、と部屋のドアがノックされた。

「ルームサービスか?」

 公爵が重い足取りで扉を開けると、そこには誰もいなかった。

 代わりに、廊下の床に豪奢な黒い箱が置かれている。

 箱の表面には、銀色の蜘蛛の巣の紋章――マダム・アラーニェの印が刻まれていた。

『む……。あの女からか』

「嫌な予感がしますね。罠かもしれません、慎重に開けてみましょう」

 リリエがハサミを構えながら箱を開けると、中には艶やかな漆黒の生地が一枚、入っていた。

 一見すると最高級のブラックシルクだ。

 だが、リリエが手をかざした瞬間、生地から「キィィィィィ……」という、女性の悲鳴のような耳障りな音が響いた。

『なっ!? なんだこの不快な音は! 頭が割れそうだ!』

「これは……『バンシー・シルク(泣き女の絹)』ですね」

 リリエは眉をひそめた。

 それは、死者の怨念を吸って育つ呪われた蚕から作られる、魔界でも禁断の素材だ。

 身につけた者の精神を蝕み、魔力を吸い尽くし、最終的には発狂させて魂を喰らうという、いわば「着る呪い」。

 箱の底には、香水の匂いがきつい一枚のカードが添えられていた。

 ――『素材集めにご苦労されているようですから、おすそ分けよ。明日のショーで使うといいわ。あなたの破滅的な旦那様にお似合いよ』

「……ハッ。随分と舐められたものですね」

 リリエは鼻で笑った。

 これは挑発だ。「お前にまともな素材は手に入らないだろうから、この呪いの布でも使って自滅しろ」というメッセージだ。

 マダム・アラーニェは知っているのだ。リリエたちが店を回っても素材を買えなかったことを。

『リリエ、捨てよう。こんな穢らわしいもの、君の手が汚れる』

 公爵が激昂し、黒い霧を出して箱ごと消滅させようとする。

 だが、リリエはそれを制した。

「待ってください。……これ、使えます」

『は? しかし、それは呪いの……触れるだけで精神汚染を受ける危険物だぞ!?』

「ええ。着用者の魔力を根こそぎ吸い取る『強力な魔力吸収性』を持っています。……ということは?」

 リリエの職人としての瞳が、怪しく、そして鋭く光った。

 パズルの最後のピースが、カチリと嵌まる音がした。

「これを裏地に使えば、公爵様の溢れ出る余剰魔力を、この布が勝手に吸い取ってくれるってことです」

『なっ……!?』

「毒を以て毒を制す。これなら、どんなに興奮しても(ピンク発光しても)外には漏れませんよ」

 リリエは躊躇なく「バンシー・シルク」を鷲掴みにした。

 キィィィィ!!

 布が抵抗して悲鳴を上げる。リリエの精神に「絶望」や「恐怖」の幻影を見せようと攻撃してくる。

 だが、リリエは微笑んだまま、裁ち鋏をチャキリと鳴らした。

「うるさいわね。……私を誰だと思ってるの?」

 リリエから放たれたのは、数多の修羅場を潜り抜けてきた職人の気迫(殺気)。

 「素材ごときが、仕立て屋に逆らうな」という絶対的な圧力に、布の悲鳴が「ヒェッ……」と小さくなった。

「マダム・アラーニェ。最高の『断熱材』をありがとう。……遠慮なく、利用させてもらいますね」

 リリエは不敵に笑い、呪いの布を裁断台に広げた。

 公爵は戦慄した。

 自分の妻が、時々自分よりも「魔王」らしく見えるのは気のせいだろうか。

 いや、愛するものを守るための彼女は、いつだって最強なのだ。

 ***

 そして、夜明け前。

 アラクネ・シティの空が白み始めた頃、ついに「それ」は完成した。

「……公爵様。試着の時間です」

 リリエの声に、仮眠をとっていた公爵が飛び起きる。

 作業台の上のトルソーに飾られていたのは、以前の「爽やか王子様系」とは一線を画す、夜の支配者にふさわしいスーツだった。

 ベースは、古竜のヒゲで編み上げたプラチナ色の「骨格フレーム」。それは生物の筋肉のようにしなやかで強靭だ。

 その上に、呪いのバンシー・シルクをリリエの魔力で浄化・屈服させて作った、濡れたような黒の「皮膚アウタースキン」が被せられている。

 光の加減で、黒の中に銀色の龍脈が走る、妖艶かつ攻撃的なデザイン。

 襟元には雷鳥の羽毛があしらわれ、静電気のような青い火花が散っている。

『こ、これは……』

「名付けて『ナイト・バロン(夜の男爵)・モード』です。さあ、そのツギハギの仮ボディを脱いで、中に入ってください」

 公爵は深く頷き、ここまで旅を共にしてきたトロール皮の仮ボディを脱ぎ捨てた。

 本来の姿――不定形の影に戻る。

 そして、リリエが開いたスーツの背中の裂け目へと、滑り込んでいく。

 シュゥゥゥ……。

 影が満ちる音。

 だが、以前のような窮屈さは微塵もなかった。

 古竜のヒゲが、公爵の魔力に合わせて伸縮し、まるで最初から自分の一部だったかのように馴染む。

 そして、裏地のバンシー・シルクが、公爵の強大すぎる魔力を「餌」として貪欲に吸い取り、心地よい安定感をもたらしていた。

 カッ!

 サファイアの義眼が嵌め込まれ、知性ある光が灯る。

『……すごい』

 そこに立っていたのは、闇夜の化身のような美丈夫だった。

 黒髪をオールバックにし、切れ長の瞳は冷酷なほどに美しい。

 以前よりも筋肉質で、野性味溢れるシルエット。

 動くたびに、全身から放たれるオーラ(覇気)が、黒い火花となって散る。

 公爵は自分の手を見つめ、握りしめた。

 力が漲る。

 これなら、全力で魔力を放出しても壊れない。マダム・アラーニェの洗脳糸など、指先一つで引きちぎれるだろう。

『リリエ。……体が、軽い。まるで羽が生えたようだ』

「ふふ、気に入っていただけましたか?」

『ああ。最高だ。……だが』

 公爵はリリエに近づき、そっと抱き寄せた。

 以前なら「割れる!」「漏れる!」と焦った距離だが、今のスーツは微動だにしない。

 裏地がシュウシュウと魔力を吸う音がするだけで、表面はクールなままだ。

『一番最高なのは、この服を作ってくれた君だ』

 公爵の顔が近づく。

 整った唇が、リリエの耳元で甘く、低く囁いた。

『このショーが終わったら……この機能的なスーツの性能を、ベッドの上でも試させてくれるか?』

 ドキン。

 リリエの顔が一瞬で沸騰した。

 そ、そんなセリフ、どこで覚えてきたの!?

 見れば、公爵の耳元がほんのりと赤くなっている。言った本人も恥ずかしいらしい。

 そしてスーツの裏地からは、「ごくっ、ごくっ」と魔力を飲み込む音が聞こえる。どうやら彼の中身は、今まさにピンク色に爆発寸前のようだが、呪いの布が必死に抑え込んでいるようだ。

(か、可愛い……じゃなくて、性能テスト大成功ね!)

 リリエはコホンと咳払いをして、公爵のネクタイを直した。

「そ、その件は前向きに検討します。……さあ、行きましょう公爵様」

 窓の外、アラクネ・シティの中心にある「大蜘蛛劇場グランド・スパイダー・シアター」から、開演を告げる鐘が鳴り響く。

「あのマダムに教えてあげるんです。本当の『美しさ』とは、支配ではなく、愛から生まれるのだと」

『ああ。……行こう、私の誇り高きクチュリエール』

 朝日が昇る。

 二人は手を繋ぎ、決戦の舞台へと歩き出した。

 その背中は、どんな王族よりも気高く、輝いて見えた。


(第11話 完)


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