第10話:路地裏の宝石と、ポロリと落ちた左腕
織物の都、アラクネ・シティの朝は早い。
無数の吊り橋で構成された空中回廊には、朝霧と共に極彩色の露店がひしめき合い、活気ある呼び込みの声が響き渡っている。
「いらっしゃい! サラマンダーの革が入ったよ! 耐熱性抜群!」
「こっちは深海人魚の鱗だ! 見る角度で色が変わる偏光素材だよ!」
「マンドラゴラの根っこ繊維はいかが? 悲鳴を上げるほど丈夫だよ!」
世界中から集められた希少素材の山。
極彩色の布地が虹のように通りを彩り、漂う魔力の香りが鼻孔をくすぐる。
仕立て屋であるリリエにとって、ここはまさに宝の山、地上の楽園だった。
「わぁ……っ! すごい、すごいです公爵様!」
リリエは瞳をキラキラさせながら、あっちの店、こっちの店と目移りしている。
その背後を、トロール皮のツギハギ大男(仮ボディの公爵)が、ピンク色の蒸気を漏らしながらズシン、ズシンと付いていく。
彼の歩くたびに地面が揺れ、周囲の客がギョッとして道を空けるが、リリエは気にも留めない。
『リリエ、あまり離れないでくれ。この街は迷路のようだ』
「大丈夫ですよ。それより見てください、この『雷鳥の羽毛』! これを襟元に使えば、静電気防止どころか電撃耐性がつきますよ!」
『ほほう。それは便利だな』
公爵はリリエの楽しそうな横顔を見て、仮ボディの中で目を細めた。
ハネムーンと言いながら、彼女は完全に「仕事モード」だ。けれど、職人として目を輝かせている彼女を見るのが、公爵は何よりも好きだった。
「よし、まずはメインの生地を探しましょう。公爵様の強大な魔力に耐え、かつ伸縮性と耐久性を兼ね備えた『形状記憶・魔獣ゴム』が必要なんです」
リリエは意気揚々と、大手問屋『黄金の繭』の暖簾をくぐった。
店内には高級そうな生地がずらりと並んでいる。
しかし。
「――お引き取りください」
店主である恰幅の良い蜘蛛男は、リリエたちの顔を見るなり、冷たく言い放った。
「え?」
「アビス公爵、およびその連れの方には、糸一本たりとも売るなと……マダム・アラーニェから通達が来ておりましてね」
店主は申し訳なさそうにするどころか、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべている。
マダムのご機嫌取りをして、あわよくば自分の店を王室御用達に取り立ててもらおうという魂胆が見え見えだ。
「そんな……! 商売に私情を挟むなんて!」
「嫌ならマダムに土下座でもすることですね。さあ、帰った帰った!」
バタン!
目の前で扉が閉ざされた。
その後も、二軒目、三軒目……どこの店に行っても門前払い。
ショーウィンドウの向こうには素晴らしい素材があるのに、指一本触れさせてもらえない。
街全体が、マダム・アラーニェという巨大な蜘蛛の巣に囚われているようだった。
『……リリエ。もういい』
十軒目を断られたところで、公爵が低く唸った。
ツギハギだらけの拳が、ギリギリと握りしめられている。
『君にこんな恥をかかせてまで、服を作ってもらう必要はない。……あのマダムの城へ行って、直接「交渉(物理)」してこよう』
公爵の背後から、どす黒い殺気が立ち上る。
仮ボディの縫い目がミシミシと悲鳴を上げている。
「だ、ダメです! ハネムーン中に戦争を起こさないでください!」
リリエは慌てて公爵の腕を掴んで止めた。
その拍子に、ブチッ、という嫌な音がして、公爵の脇の下の糸が一本切れた気がしたが、今は気にしている場合ではない。
「表通りがダメなら、裏へ行きましょう。……いい素材っていうのは、案外、光の当たらない場所に埋もれているものですから」
リリエは不敵に笑い、公爵の手を引いて、華やかな大通りから外れた薄暗い路地裏へと足を踏み入れた。
***
アラクネ・シティの最下層。
そこは「廃棄区画」と呼ばれ、染色に失敗した布や、質の悪いクズ糸が捨てられるゴミ捨て場のような場所だった。
上層からの汚水が垂れ、鼻を突く薬品の臭いが漂う。
薄汚れた露店がポツポツと並んでいるが、売っているのはボロボロの端切ればかりだ。
『……リリエ。さすがにここには、君の求める素材はないのではないか?』
「いいえ。職人の目は誤魔化せません」
リリエはある一軒の露店の前で足を止めた。
店主は老いぼれたアラクネの老婆で、やる気なさそうに紫煙の上がるパイプをふかしている。
店の軒先には、泥だらけで絡まり合った、巨大な「毛玉」のようなものが無造作に転がされていた。
誰が見ても、ただのゴミだ。
だが、リリエはそのゴミの前で屈み込み、手袋を外して直接触れた。
(……やっぱり)
指先に伝わる、微かな脈動。
泥にまみれて硬化しているが、その奥には凄まじい生命力が眠っている。
まるで心臓のようにドクンドクンと波打つ魔力の残滓。
「おばあさん。この『ゴミ』、いくらですか?」
「ああん? ……持ってきな。金なんかいらないよ。それは十年前に死んだ『古竜』のヒゲさ。硬すぎて加工できなくて、誰も買い取らないんだ」
古竜のヒゲ。
それは伝説級の素材だ。魔力を通すと筋肉のように伸縮し、鋼鉄以上の強度を誇る。
しかし、加工が極めて難しく、一度絡まるとダイヤモンド製の鋏でも切れないため、裁縫素材としては「不良品」扱いされていたのだ。
「ありがとうございます。じゃあ、これ(金貨一枚)で譲ってください」
「! ……物好きな娘だねぇ」
老婆は驚いて金貨を受け取った。
リリエがその巨大な毛玉を持ち上げようとした時だった。
「おっと。その汚いゴミ、我々が没収しよう」
キザな声と共に、路地裏の出口が塞がれた。
現れたのは、お揃いの派手なジャケットを着た三人の男たち。
胸元にはマダム・アラーニェの私兵団であることを示す、銀の蜘蛛のバッジが光っている。
いわゆる「ファッション警察」だ。
「マダムからの命令でね。『アビス公爵が手にするものは、たとえゴミでも全て奪え』とさ」
「嫌がらせもここまでくると感心しますね……」
リリエは呆れてため息をついた。
「さあ、怪我をしたくなければそれを渡せ!」
男の一人が、鋭利な「鋼糸」を鞭のように振るった。
ヒュンッ!
空気を切り裂く音。
目に見えない糸の鞭がリリエの頬を掠めようとした――その瞬間。
『……死にたいようだな、貴様ら』
ズゥゥゥン……!
凄まじい殺気が路地裏を満たした。
リリエの前に、ツギハギの大男が立ちはだかっていた。
公爵だ。
彼はリリエを守るため、咄嗟に右腕を振り上げ、飛んできた糸の鞭を素手で掴み取った。
バヂィッ!!
火花が散る。
「なっ!? アラクネ族の鋼糸を素手で!?」
『私の妻に、その汚い糸を向けるな』
公爵が腕に力を込める。
ブチブチブチィッ!!
鋼鉄をも切断する糸が、公爵の握力であっけなく引きちぎられた。
男たちが悲鳴を上げて後ずさる。
「ひぃっ! ば、バケモノめ!」
『消えろ。さもなくば、貴様らをこの路地のシミにしてやる』
公爵が一歩踏み出し、さらに追い打ちをかけようと左腕を大きく振り上げた、その時。
ボロッ。
乾いた音がした。
公爵の左腕が、肩から外れて、地面に落ちた。
「「「…………え?」」」
その場の全員の時間が止まった。
公爵(仮ボディ)の肩口からは、血ではなく、ピンク色の綿と蒸気がプシューーッと勢いよく噴き出している。
『あ』
「こ、公爵様ぁぁぁーーッ!!?」
リリエの絶叫が響く。
無理もなかった。先ほどの「糸を引きちぎる」動作で出力全開にしたため、ツギハギだらけの仮ボディの脆い縫合糸が耐えきれず、自壊してしまったのだ。
「ぶ、ぶはははは! なんだそりゃ! 腕が落ちたぞ!」
「見掛け倒しのポンコツ人形かよ!」
呆気にとられていた私兵団たちが、一転して爆笑し始めた。
公爵は顔を真っ赤(というかピンク発光)にして、落ちた自分の腕を拾おうとオロオロしている。
最強の魔王の威厳が、音を立てて崩れ去っていく。
『くっ、おのれ……! この体が脆すぎたか……! リリエ、逃げろ!』
「へへっ、チャンスだ! 今のうちにその女と素材を確保しろ!」
男たちが一斉に襲いかかってくる。
公爵は片腕ではリリエを庇いきれない。
絶体絶命――かと思われた。
ジャキッ。
冷たい金属音が響いた。
先頭にいた男の前髪が、ハラリと切り落とされた。
「……え?」
男が足を止める。
目の前には、身の丈ほどある巨大な裁ち鋏を構えたリリエが立っていた。
その瞳は、先ほどの公爵以上に冷たく、そして鋭く凪いでいた。
職人だけが持つ、不純物を許さない「選別」の目だ。
「笑いましたね? 今」
リリエは鋏をチャキリと鳴らした。
「私の旦那様の大切な体を。そして、私が作った仮縫いのボディのことを、ポンコツと笑いましたね?」
「な、なんだこの女……? ただの仕立て屋じゃないのか?」
「よくお聞きなさい。それはポンコツではありません。『ダメージ加工』です」
リリエは一瞬で間合いを詰めた。
彼女はただの仕立て屋ではない。暴れる魔獣を押さえ込んで採寸し、硬いドラゴンの皮を裁断してきた、魔界一の「肉体労働派」職人だ。
「そして、これが私の『修正技術』です!」
シュババババッ!!
リリエの鋏が光の軌跡を描いた。
男たちのジャケットの縫い目が、一瞬にして全て切断される。
バサァッ!
服が分解され、男たちはパンツ一丁の無様な姿になった。
パンツには可愛らしいクマさんの柄が入っている。
「ひ、ひえぇぇっ!?」
「私の服が! 一瞬でバラバラに!?」
リリエは冷ややかに見下ろした。
「あなたたちの服、縫製が甘すぎます。……糸のテンションもバラバラだし、裏地の処理も雑。出直してきなさい」
パンツ一丁の男たちは、恥ずかしさと恐怖で顔を真っ赤にし、「お、覚えてろよー!」と捨て台詞を吐いて逃走した。
***
静けさが戻った路地裏。
リリエは鋏をしまうと、落ちていた公爵の左腕を拾い上げた。
『……すまない、リリエ。情けない姿を晒した』
公爵が肩を落とす。
しかし、リリエは優しく微笑んだ。
「いいえ。私を守ろうとしてくれた名誉の負傷です。……さあ、直しますよ」
リリエは拾ったばかりの「古竜のヒゲ(泥だらけの毛玉)」を取り出した。
鋏で先端を切り出し、魔力を通す。
すると、泥が弾け飛び、中からプラチナ色に輝く、美しく強靭な繊維が現れた。
「やっぱり。最高級の『生体ワイヤー』ですね。これを使えば……」
リリエはその場で針を取り出し、公爵の肩と腕を縫い合わせた。
古竜のヒゲは、強靭なだけでなく、魔力を通すと筋肉のように収縮する性質がある。
縫い合わされた左腕は、以前よりもスムーズに、そして力強く動いた。
『おお……! 軽い! まるで本物の肉体のようだ!』
公爵が腕をブンブンと回す。
ピンク色の蒸気漏れもピタリと止まっている。
「これが今回の戦利品です。この素材があれば、マダム・アラーニェのドレスなんて目じゃない、最強の『ハネムーン・スーツ』が作れますよ」
リリエは輝く糸の束を掲げた。
それは、薄暗い路地裏で、希望の星のように煌めいていた。
『……君は、本当にすごいな』
公爵は、治ったばかりの左手で、リリエの手をそっと握った。
その感触は、先ほどまでのトロール皮のゴツゴツしたものではなく、しなやかで力強い「男性の手」に近づいていた。
『私の自慢の妻だ。……愛している』
「ふふ、知っています。……さあ、ホテルに戻って、本番の仕立てに入りましょう!」
素材は手に入れた。邪魔者も撃退した。
だが、これはまだ前哨戦。
マダム・アラーニェが本気で動き出すのは、ファッションショー当日だ。
リリエと公爵の、愛とプライドをかけた「最高の服作り」は、ここからが正念場である。
(第10話 完)




