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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第一章 身代わりの皮と、剥き出しの純愛(オートクチュール)
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第1話:奈落の採寸、あるいは魔王のシルエット

 その男は、私の人生の中で最も「最悪な着こなし」をしていた。

 王都から北へ、馬車で三日。霧に包まれた「廃都グレイヴ」の最奥に鎮座する、通称「奈落の館」。生きて帰った者はいないと言われるその漆黒の玉座に座る魔王アビス・カトレイユを初めて見たとき、私は死の恐怖よりも先に、抑えがたい職業的な憤りを感じてしまったのだ。

「……何よ、そのサイズ感。肩幅に対してマントの重量が勝ちすぎているわ。首元にそんな重い毛皮を置いたら、貴方の逞しい顎のラインが埋もれてしまうじゃない。それにその色。くすんだ黒一色なんて、貴方の肌のアンダートーンを殺して、ただの不健康な化け物に見せているわ。一言で言って、救いようがないわね」

 静寂が支配する謁見の間。私の言葉が石造りの壁に反響し、周囲に控える異形の魔族たちが一斉に凍りついた。彼らの持つ槍や斧が、カチリと音を立てて私に向けられる。だが、私は止まらなかった。視線はアビスの歪んだ襟元に釘付けだ。

「人間……。貴様、我輩を前にして、命乞いではなくファッションチェックか。貴様が王都で一番と噂の仕立て屋、リリエ・アールグレイか」

 魔王アビスが玉座から身を乗り出す。漆黒の角が天井の魔石の光を反射し、深紅の瞳が私を射抜く。その圧倒的な圧力を前に、私の膝は笑いそうになっていたが、私は震える右手で懐に隠した**「ロイヤル・ブルーの端切れ」**を強く握りしめた。

 これは、私が王都の下町にある最下層の孤児院――「7番」という番号で呼ばれていた灰色の時代に、ゴミ捨て場で拾い上げた唯一の希望だ。泥にまみれ、雨に洗われたその青い布切れは、何者でもなかった私に「美しさ」という概念を教えてくれた。この布に触れている限り、私は「7番」ではなく、魂を持つ一人の仕立て屋でいられるのだ。

「陛下。私を連れてきた目的は、生贄でもなければ、晩餐のメインディッシュでもないんでしょう? 貴方のその目は、飢えているわ。……まともな服に。自分という強すぎる力を、正しく包み込んでくれる形にね」

「……面白い。我輩の魔力に当てられて正気を保つ人間は珍しいが、貴様は狂っているのか、あるいは真のプロか、どちらかだ」

 アビスがゆっくりと立ち上がる。その瞬間、重力が増したかのような魔圧が私の全身を襲った。呼吸が浅くなり、視界の端が火花を散らす。これが、私がこれから戦い続ける「魔導服飾」の過酷な現実だった。

魔導服飾の絶対禁忌:星魂糸せいこんし

 私は大きく息を吐き、腰のポーチから一本の針と、奇妙な輝きを放つ糸を取り出した。

 それは、魔導服飾師にしか扱うことが許されない**「星魂糸」**。物理的な繊維ではなく、術者の精神力、すなわち「魂」を直接削り出して紡ぐ、不可視の魔導糸だ。

> 【魔導服飾の鉄則とリスク】

> * 等価交換の裁断: 衣服に宿す魔法の強度は、消費する精神力の量に完全に比例する。強大な魔力を抑える服を作ることは、自らの命の蝋燭を削る行為に等しい。

> * 精神的フィッティング: 衣服の設計図デザインが着用者の本質と乖離している場合、服は「拒絶反応」を起こし、着用者を絞め殺すか、術者の精神を粉砕する。

> * 不可逆の縫合: 一度星魂糸で縫い合わせた魔力回路は、術者が死ぬか、対象が破滅するまで解けることはない。

>

「いい? 陛下。一歩も動かないで。これから貴方の『魂の型紙』を引くわ。……少しでも貴方が自分自身を偽れば、この糸は貴方の喉を裂くことになる。それでもいいかしら?」

「構わん。貴様の針が我輩の心臓に届くか、試してみるがいい」

 私はアビスの懐へと踏み込んだ。魔王の体格は圧倒的だ。見上げるほどに高い胸板、岩のように硬い筋肉。そして、その奥から溢れ出す、煮えたぎるような熱。

 私は震える指先でメジャーを伸ばし、彼の首回りを測り始めた。

 熱い。指先が火傷しそうなほどだ。だが、その熱の層を一枚剥がした先に見えたのは、果てしない孤独の残滓だった。

「陛下……。貴方は世界を壊したいわけじゃないわね。……ただ、自分という器が大きすぎて、この世界のどの服(枠組み)にも収まらないのが、死ぬほど窮屈なだけじゃないの?」

 アビスの体が、微かに揺れた。漆黒の角が私の顔のすぐ横をかすめる。だが、彼の瞳に宿ったのは殺意ではなく、深淵のような当惑だった。

「……貴様に、何がわかる」

「わかるわよ。私も、かつては誰にも見られない『無』だったもの。……でも、この青い布を見つけたとき、世界の見え方が変わった。服は、自分を定義するための武器なのよ」

第一次フィッティング:闇の再定義

 私はアトリエ代わりとして与えられた空間に、アビスから放出される魔力を強引に「生地」として固定した。

 星魂糸が、シュルシュルと音を立てて魔王のシルエットをなぞっていく。空中を走る銀色の光跡。それは、彼という巨大なエネルギーを、秩序ある「衣服」へと封じ込めるための拘束回路。

「一ノ型――『立体裁断ドレーピング』!」

 私は空中でハサミを踊らせた。

 アビスの魔力が、私のハサミの軌跡に合わせて「布」へと相転移していく。黒よりも深い、光を吸い込むようなベルベット。だが、そこには私が星魂糸で編み上げた、微細な「逃げ(ゆとり)」が仕込まれている。

 重厚すぎるマントの重心を肩から背中へとずらし、首回りにあえて「空白」を作ることで、彼の呼吸を楽にする。

 装飾のための毛皮を剥ぎ取り、代わりに彼の魔力そのものを裏地として流し込む。

 それは、暴力的な力を「威厳」へと昇華させるための、極限の構造改革だった。

(くっ……、脳の奥が焼ける……!)

 星魂糸を操る代償として、私のニューロンは過負荷で悲鳴を上げていた。一針通すごとに、自分の記憶の断片が削り取られていくような感覚。孤児院の夕暮れ、パンの冷たさ、仕立て屋の師匠に殴られた痛み――それらすべてを燃料にして、私はこの「魔王」という名の究極のモデルを包み込んでいく。

「……できたわ。……着てみて」

 数時間、あるいは数日のようにも感じられた沈黙の後、私は膝をつきながら告げた。

 

 そこに立っていたのは、先ほどまでの「化け物」ではない。

 漆黒としなやかな銀のラインが調和した、神話から抜け出したような気高き君主。

 私が仕立て直した「戦闘礼装」は、アビスの暴走する魔力を完璧にコントロールし、彼の存在そのものを、一枚の完成された芸術作品へと変えていた。

「……信じられん。魔力が、内側に収束していく。……我輩の荒ぶる魂が、この布一枚によって鎮められたというのか。呼吸が、これほどまでに軽いとは」

 アビスは自らの掌を見つめ、それからゆっくりと私を見下ろした。その瞳の赤みは、今や穏やかな夕焼けのように落ち着いている。

「陛下……。服が合うっていうのは、世界と和解するってことよ。……でも、これで私の今月の精神力は全部使い切ったわ。……もし続きが欲しいなら、特等席を用意して。……世界一わがままな仕立て屋のための、最高の工房をね」

 私はそのまま、意識を失うように床へと崩れ落ちた。

 星魂糸を限界まで紡ぎ出した代償で、指先は感覚を失い、視界は真っ白に染まっていく。

 遠のく意識の中で、私は確かに感じた。

 冷酷なはずの魔王が、不器用なほど慎重な手つきで、私を抱き上げたのを。

 その胸元の生地から伝わる、私が縫い上げたばかりの完璧なリズム。

 こうして、世界一孤独な魔王と、命を削ってでも「美」を貫く仕立て屋の、残酷で甘美な契約生活が幕を開けたのだ。


第1話完

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