貴女の従姉のシャルロットが、俺がいないと生きていけないと言うので
「悪いが、貴女との婚約を破棄させて欲しい。俺は彼女と一緒に生きていく」
そう言う子爵子息のルイス様の隣には、わたしがよく知る女性が立っています。
彼女の名は、シャルロット・クレマ。
伯爵令嬢であり、わたしの従姉です。
「貴女に非があるわけではない。ただ、シャルロットが、俺がいないと生きていけないと言うので」
ルイス様はデレデレと鼻の下を伸ばし、だらしのないお顔でシャルロットお姉様を見つめています。
「リリアナ、本当にごめんなさいね。わたくしの運命の殿方がたまたまリリアナの婚約者だっただけで、あなたから婚約者を奪うつもりなんて、微塵もなかったのよ?」
彼女は俯き、可愛らしい小動物のごとく、両手で自分の頬を押さえています。
わたしは思わずため息をつきました。
このやりとりもこれで五度目。
シャルロットお姉様の運命のお相手というのは、一体何人いるのでしょう。
そして、なぜにその彼女の運命の相手とやらは、全員わたしの婚約者なのでしょう。
その挙句、今回はルイス様に同伴すると言う傍若無人ぶり。
これまではわたしが婚約者に振られたあと、お姉様がお一人で現れ、わざとらしくこのセリフを吐くというお決まりのコースでした。
「分かりました。婚約破棄を受け入れます」
わたしはルイス様を一瞥し、どうぞご自由に、と心の中で呟きました。
特に悔しいとも哀しいとも思いません。
ルイス様もこれまでの婚約者も、所詮は父が勝手に決めたお相手。わたしに彼らへの執着など全くないのですから。
逆にほんの少しだけですが、彼を気の毒に思います。
シャルロットお姉様はすぐにルイス様を捨てることでしょう。
けれど、彼女の本質を見抜けず、簡単に毒牙にかかる彼も浅はかなのです。
わたしは二人に一礼し、ルイス様の邸を後にしました。
自邸に戻り、父にこのことを報告すると、「早急に次の婚約者を見つけてやる」と父はただ一言そうおっしゃいました。
このやりとりも、これで五度目。
男爵の父は自分の兄である伯爵の伯父に強く言えず、姪であるシャルロットお姉様を咎めることもありません。向こうは格上の伯爵家の令嬢なのだから、仕方がないとすら思っているようです。
父はとても計算高い人で、娘であるわたしのことも自分の駒としか見ていません。
自分にとって有益な家に嫁がせようと、次々と婚約者を見つけてくるだけです。
わたしは昔から表情が乏しく、きっと男性にとっては何の魅力もない女だと自覚しています。
ですから、僅かでも父の役に立てればそれでいいと思ってきました。
ただ、シャルロットお姉様だけが、そんなわたしを病的なくらい敵視しているのです。
お姉様に直接聞いたわけではありませんが、きっかけは伯父の友人のミガット伯爵の言葉だったのではないかと思っています。
あの時のお姉様の鋭い目つき、今でも忘れられません。
八年前、伯父の邸で親しい人を集めた小規模な庭園パーティーがありました。
わたしは十歳、シャルロットお姉様は十二歳で、わたしたちは一緒に仲良くお菓子を食べていました。
すると、ミガット伯爵が現れ「可愛らしいレディたちに」とピンクの薔薇を一輪ずつわたしたちに手渡しました。
その時のミガット伯爵の年齢は三十に近かったと思いますが、彼は金髪碧眼で、絵本から飛び出してきた王子様のような見目麗しい容姿をしていました。
「君はリリアナ嬢、だったかな。とてもきれいな顔立ちをしているね。成長したら、もっともっと美人さんになるよ。将来が楽しみだね」
伯爵はわたしに向かってそう言いました。
「わ、わたくしは?」
お姉様は小さな声でそう尋ね、彼を見上げます。
お姉様とミガット伯爵は、親しい間柄のようでした。
「シャルロットは表情豊かで、とても可愛いよ。うーん、そうだな。愛嬌があって!!」
「愛嬌……?」
それはお姉様が欲しかった言葉ではなかったようです。
「それって、ミガット伯爵は、リリアナの方がいいと思っているってことですか!?」
「いや、別にどちらがいいとかそんなことは思っていないよ。それぞれいいところがあるのだからね」
伯爵はシャルロットお姉様の勢いに驚いて、慌てながらそう答えました。
お姉様は伯爵を見つめ、それからわたしを鋭い目で睨みつけました。
彼は、決してお姉様を貶したわけではありません。ただわたしの容姿を、ほんの少し褒めてくださっただけです。
幼い子供にする、ご機嫌取りのようなもの。
それなのに、その出来事をきっかけにお姉様は変わってしまいました。
わたしに優しくなくなりました。
そして年齢を重ねるにつれ、わたしから男性を奪うようになりました。
わたしはお姉様に歩み寄ろうとしましたが、お姉様は可愛らしい口調でのらりくらりとかわすばかり。
お話にもならないのです。
ルイス様をお姉様に奪われ、数ヶ月が経ちました。
案の定、二人は既に破局を迎えています。
わたしの方は父のおかげで新たな方との婚約が決まりました。
お相手は、わたしより七歳年上のジェラルド・トラスト辺境伯。男爵令嬢には分不相応なお方です。
「振られ続けても、全く表情を崩さない氷の令嬢。どんな酷い見目かと思いましたが、これはこれは」
ジェラルド様は、初対面でそう言ってわたしに恭しく頭を下げました。
失礼な物言いをする方だと思いましたが、わたしの方も口に出さないだけで全く同じ印象を持ちましたので、怒るのもおかしな話です。
変わり者で人嫌いだと噂されるジェラルド様。
こんなに端麗な容姿をされているとは思っていませんでした。
とびきり見目のいい辺境伯。
広大な海を思わせる、彼の美しいノースブルーの瞳を見つめながら思います。
彼もいずれシャルロットお姉様に奪われてしまうに違いないと。
そして、この馬鹿馬鹿しく繰り返されるお姉様にとってのゲームも、ようやく彼で終わりを迎えるかもしれません。
数週間が経ち、彼がわたしに会いに来ました。
「婚約を破棄していただきたい」
わたしはやはりと思い、ジェラルド様の言葉に頷きました。
シャルロットお姉様の動きはいつにも増して早かったようです。
「成程。貴女は人形のようですね」
彼は呆れた表情で、ため息まじりにそう言いました。
非があるのは明らかに彼の方なのに、婚約破棄を受け入れたわたしを責めるような言動。
いささか腹が立ちました。
「確かによく表情がないと言われますが、人形と口にするのは失礼です。大体、曲がりなりにも婚約者がいるのに心変わりしたジェラルド様は、もっと誠意を持ってわたしに謝るべきではないですか?」
「心変わりとは?」
「シャルロットお姉様と結婚するおつもりなのでしょう?」
「ああ、あれですか。『貴方がいないと生きていけません』という貴女の従姉の嘘くさい台詞。突如現れたかと思えば、上目遣いでしなだれかかってきて、気分が悪くて仕方がありませんでした」
「……え?」
「何を驚いているのです? 私があんな単純な色仕掛けに引っかかるとでも?」
ジェラルド様はますます呆れた顔をしています。
「では、どうして婚約破棄を?」
「すみません。試したのです。表情が乏しいことは気になりませんが、感情が乏しい女性には興味がないのです。確かに貴女の従姉は悪女だと思います。しかし、貴女に非はなかったのですか?」
「わたしに非……ですか?」
「どうして、これまで婚約した男性のことを追いかけようとしなかったのですか」
「それは、婚約者は父が決めたお相手で、よく知りませんでしたし」
「貴女の婚約者ですよ。知ろうと、好きになろうと、もっと努力するべきだったのではないですか」
何も返せません。
でも、ずっと心に引っかかっていたことがあります。
「……多分、わたしは自分に自信がないのだと思います。表情が乏しいし、わたしを好きになってくれる人なんていないのだと……思って。努力したとして、結局好きになってもらえないのだと考えたら、何かを伝えることも怖くて……」
「今、この場できちんと思っていることを伝えられるではないですか」
ジェラルド様は笑っています。
少しだけ勇気が湧いてきました。
「振られてしまいましたが、これから努力してみても構わないでしょうか?」
わたしは真っ直ぐに彼を見つめます。
「もしかして、私に興味を持ってくれたのですか?」
「……迷惑でしょうか」
「まさか。嬉しいですよ。気になるのでしたら、どうぞ私を追いかけてきてください」
「わたしは、あなたのことが知りたいです」
わたしの言葉に、ジェラルド様は満面の笑みで頷きました。
更に数ヶ月が経ち、シャルロットお姉様がすごい形相で邸に飛び込んできました。
「何なの、あの男!! 靡かないどころか、わたくしの悪評を方々で流しまくって、一体どういうつもりよ!? リリアナ、あなたの男でしょ。何とかしなさいよ!!」
あなたの男という言い方はなんですが、あれからわたしはジュラルド様と想いが通じ合い、改めて彼と婚約しました。
「悪評?」
「か弱いふりをして、男を取っ替え引っ替え手玉に取る、頭の弱い淫乱性悪女ですって。伯爵令嬢なのにそんな悪評を流されて、これからの縁談に響くわ!!」
「でもお姉様、悪評と言いますが、本当のことでは?」
「な、なな、何ですって!! あなた、いつからわたくしにそんな口が利けるようになったの!!」
怒りのあまり、お姉様は今にもわたしに飛びかかってきそうです。
「修羅場ですか?」
そこで馴染みのある低い声が聞こえました。
いつの間にか、部屋の入り口にジェラルド様が立っています。
「私の婚約者に暴力とは許せませんね。大体、悪評を流したなんて心外です。私は貴女と同じことをしただけですよ。これまでリリアナだけに問題があり、彼女の婚約者は聖母のように優しくか弱い貴女に惹かれた。そして、奪った婚約者と別れる際は、自分の父親の権力を盾に、男性の方に問題があったから破局を迎えたとしましたね」
「じ、事実よ!!」
お姉様は再び声を荒らげます。
「どこがですか? 私も情報操作はお手の物です。最も、こちらは先ほどリリアナが言った通り、偽りの情報ではありませんが。これ以上、彼女に危害を加えるようでしたら、悪評だけでなくもっと酷い目に遭わせますよ」
ジェラルド様が、お姉様とわたしの方へ近づきます。
「偉そうに、すっかりヒーロー気取りね。お父様に言いつけてやるわ!!」
「力関係でしたらクレマ伯爵より私の方が上です。そこら辺は、伯爵も重々分かっておられると思いますが」
シャルロットお姉様は、悔しそうに血が出そうなくらい自分の唇を噛み締めています。
「本当に、何なの!! リリアナに何の魅力があるっていうの!? 少し顔が綺麗なだけで表情も感情もない、つまらない女じゃない!!」
「彼女の感情はとても豊かですよ。やはり女性は内面で選ぶべきですね」
ジェラルド様はそう言うと、壊れ物を扱うように、後ろからそっとわたしを抱きしめました。
「ジェラルド様?」
驚いたわたしは赤くなり、思わず身をすくめます。
「……っ!! 見ていられないわ!!」
お姉様は捨て台詞を吐いて、その場を去りました。
「愛の力で追い帰しましたね」
ジェラルド様は笑っています。
それから彼は手を離し、わたしの前に回ります。
「さて、これ以上、危害を加えられないよう、さっさと結婚しますか」
「は、い?」
わたしは彼を見つめ、茫然とそう返します。
いつかはと思っていましたが、このタイミングでプロポーズしてくださるのですか……。
けれど、驚きながらもなんだか自然と頬が緩んでいる気がします。
「これはまた……。笑顔がとても可愛いので、キスしても構いませんか」
日々、思っていることを伝える努力をしていますが、その問いには恥ずかしくて即座に返事ができません。
ジェラルド様は声を上げて笑います。
もうわたしは、無表情でつまらない女ではないのかもしれません。
その後、ひと月と経たず、わたしたちは結婚しました。
ジェラルド様との関係が悪化することを恐れたクレマ伯爵は、父やわたしに謝罪しました。
シャルロットお姉様のことは、もう強制的に伯父の恩人に嫁がせることにしたようです。
お相手は大分ご高齢の子爵で、お姉様は後妻となるそうです。
浮気などして離縁されなければいいのですが、もう彼女がどうなろうと、わたしには関係のない話です。
わたしは愛する人とともに、幸せに暮らします。
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