第99話 ザフラの街
馬車の揺れがしばらく続いたあと、砂丘の向こうに石造りの建物群が見えてきた。
陽炎の揺らめきに霞むそれは、まるで砂の中に浮かぶ蜃気楼のようだった。
「あれが、ザフラ」
馬車から外を覗いていたサーシャが短く告げる。
高く積み上げられた砂色の石壁に囲まれ、その内側には四角い家々が階段状に連なっていた。
どれも陽を反射して白く光り、砂漠に根を下ろしてきた年月を物語っている。
門を抜けると、通りは思った以上に賑わっていた。
露店が道の両側に軒を並べ、布を日除け代わりに張り巡らせている。香辛料の匂い、干し肉や果実を売る声、旅装の商人たちの掛け声が交じり合い、砂漠の熱気とともに押し寄せてきた。
「……結構、活気があるんだな」
キールが感想を漏らす。
「だな。ゴルザガルムの脅威があるって聞いてたけど……思ったより元気そうじゃん」
テオが肩を竦め、通りを歩くラクダの隊列を目で追う。
サーシャは馬車を止め、後ろを振り返った。
「これでも静かな方よ。この街のギルドはすぐそこ…。まずはギルドマスターに会って、状況を確かめるといいわ」
二人は頷き、目の前の賑わいに一度だけ視線を巡らせる。
ザフラ――砂漠に生きる人々の力強さと同時に、自分たちの試練が待つ街だった。
ザフラの通りを抜けると、ひときわ立派に見える石造りの二階建ての建物が現れた。
───それが冒険者ギルドだった。
外観こそ威容を誇っているが、中に足を踏み入れた瞬間、二人は街の賑やかさとの落差を感じ取る。
広いホールには人影がまばらで、椅子に腰かけているのは数人の若い男たちだけ。
ざわめきもなく、静けさが支配していた。
(街に比べて活気がないな。ギルドの中は…)
キールは心の中でそう呟いた。
受付には、ギルドの制服を着た青年が一人立っている。短髪に三白眼、つり上がった目元のせいで、どうにも人を睨んでいるように見える。
二人に気づいた青年は訝しげに声をかけてきた。
「……ようこそ、冒険者ギルドへ」
「ギルドマスターはいらっしゃいますか?」
キールは怯まずに尋ねる。
「……ティリカさんに、何の用ですか?」
青年の声音には、わずかに棘があった。
キールはにこやかな笑みを浮かべ、封書を差し出す。
「王都のギルドマスター、クリスからの書状です」
「……王都の?」
青年は封書を受け取ると、短くうなずき、奥へと姿を消した。
数分後、二人分の足音が近づいてくる。
現れたのは、先ほどの青年と、その後ろから姿を現した一人の女性だった。
紫がかった黒髪に、筋肉の張りを隠そうともしない逞しい体つき。女性らしさよりも武人らしさを前面に出したその姿は、威圧感を放っている。
「アンタたちがキールとテオだね?」
女性は低い声で言った。
「アタシはティリカ。ザフラ支部のギルドマスターさ」
「初めまして」
「どうも」
二人が軽く挨拶すると、ティリカはうなずき、すぐに続けた。
「馬車で疲れてるところ悪いけど、早速奥で話をしようか」
「分かりました」
「失礼しまーす」
ティリカは振り返り、先の青年に声をかける。
「シフ、冷たい茶でも入れておくれ」
「……分かりました、ギルドマスター」
受付の青年――シフは、わずかに表情を和らげ、どこか嬉しそうにティリカへと微笑んだ。
二人はティリカに導かれ、ギルドマスターの部屋へと通されていった。
部屋は涼しかった。
テーブルの上には、水色の石を収めたランタンのような魔道具が置かれている。ほのかな光とともに冷たい空気が漂い、昼間の熱気を忘れさせてくれる。
「これ、魔道具? 室内の冷却装置ってとこ?」
テオの問いにティリカはうなずいた。
「その通りさ。ザフラは砂漠に近くて昼間は暑いからね。必需品だよ」
静かなノックの音が響く。
「失礼します」
シフがトレーに氷と冷茶の入ったグラスを載せて入ってくる。
ティリカの前には丁寧に、二人の前には雑に置いた。
(こ、コイツ……露骨に態度変えやがって……)
テオは怒りを覚えつつも、無言でお茶を一気に飲み干す。そして空のグラスをシフに突き返した。
「おかわり」
「……分かりました」
シフはそっけなく返事をし、すぐに戻ってくる。だが置く動作はまたしても雑だった。
ティリカはそんな二人のやり取りを気に留める様子もなく、厚い資料の束を机に置いた。
「さて、とりあえず今まで上がってる情報はこんなところだ」
広げられた紙には、ゴルザガルムの目撃記録、被害の報告、粗いイラストが並ぶ。
「とはいえ、アンタ達をいきなりアレにぶつけて、死なれても困る。まずは街の周辺で砂の感覚を掴みな。特に“サンドシャーク”はいい訓練相手だよ。砂の中を潜って近づいてくるあたり、ゴルザガルムと似てるしね」
ティリカは笑い、紙を指先で叩いた。
「それに、サンドシャークの肉やヒレは美味いんだ。たくさん狩ってきたらアタシが手料理を振る舞ってやるよ。こう見えて料理には自信があるんだから!」
力こぶを作って見せるその姿に、テオがぼそりと呟く。
「……もう、あんたが倒せばいいんじゃないの?」
「そうもいかないのさ」
ティリカは笑って肩をすくめる。
「昔はアタシも冒険者だったけどね。もうあんなデカブツとまともにやり合えるほどのキレはない。年を取るってのは、やんなっちゃうねぇ」
窓際へ歩きながら振り返る。
「ギルドの斜め向かいの宿を手配してある。とりあえず今日は準備を済ませて休みな。明日から狩りの練習に行くといい。砂漠の門を管理してる騎士団にも話を通しておくよ」
「ありがとうございます」
「助かるよ」
二人が頭を下げると、ティリカは思い出したように声を張った。
「それとだ……シフ!」
「……はい、なんですか、ギルドマスター」
顔だけ覗かせたシフに言いつける。
「ネルフィが戻ってきてただろ? 後でここに来るように伝えておくれ」
「分かりました」
シフは無駄のない動きで去っていった。
「ネルフィはアンタ達のサポート役さ。この街出身の冒険者でね、案内も任せられる。戦闘はからきしだけど、回復魔法と支援魔法は得意だ。それに、補給物資を背負って歩くのも苦にしない。この手紙には、戦闘はアンタたち二人だけって書いてあるけど、サポーターをつけちゃいけないなんて書いてないからね」
「なるほど……ありがとうございます」
キールが頭を下げる。
「ともかく、話は以上だ。今日はしっかり休んどきな。明日からが本番さね」
「分かってるって、マスター」
テオがにやりと笑って返した。
***
「そっちに行ったよ、テオ!」
キールの声が飛ぶ。
砂の表面を背びれだけ覗かせて、音もなく滑るように迫る影。サンドシャークだ。
テオは即座に剣を構え、水流の魔力を刃に纏わせる。
揺蕩う水流から水の粒が飛び、すぐに蒸気となって消えていく。
砂の波紋が弾け、魔物が飛び出す瞬間――
「……そこだ」
鋭い一閃。水を帯びた刃が、サンドシャークの首元を断ち切った。
血飛沫が熱い砂に散り、赤黒く染み込んでいく。
「……ふぅ」
息を整えるテオ。その足は砂に沈まず、しっかりと地を踏んでいた。
「これで三匹目……だね」
キールが歩み寄りながら周囲を見渡す。
「いや〜ほんと凄いっすね、お二人とも!」
後ろから、やけに通る明るい声が飛んできた。
振り返ると、リュックと杖を背負ったぽっちゃり体型の女性――ネルフィが手を振っていた。
短く結んだ髪は鳥の尾羽のように跳ね、童顔な彼女の雰囲気によく似合う。
砂漠の熱気の中でも声はよく通り、その明るさは周囲を照らすようだった。
ザフラのギルドマスターティリカによって、案内役として紹介されたネルフィ。年齢は20歳でキールより一つ上だが、その見た目はまるで子どもだった。
「自分が何もしなくても、二人だけでサクッと魔物を狩れるなんて……やっぱ本物っすよ!」
「いや?そんなことないさ」
テオが足元を示す。
砂の上なのに沈まないのは――
「《砂場歩行》……まさか、こんな魔法があるとは思わなかったですよ」
キールが言い添え、テオもうなずいた。
「砂に足を取られずに動けるのは、ネルフィさんの支援魔法のおかげです。本当に助かります」
キールが丁寧に頭を下げる。
「いやいや、礼なんていいっすよ!」
ネルフィはにかっと笑った。
「お二人がゴルザガルムを倒してくれたら、街もまた昔みたいに活気を取り戻すはずっす。それを思えば、こんなのいくらでも付き合えるっすよ」
「……それにしても、やっぱ砂漠は暑いね……」
キールは額の汗を拭い、息を吐く。
「だな、この熱気だけで体力が削られる感じがする」
キールが少し怪訝そうな顔をする。
「……にしては、テオはわりと平気そうだよね」
「ま、水流剣使いだし? 熱風を操るキールよりは、まだマシってとこかな」
「体感温度を下げる魔法もあるっすけど……あれ使うと、涼しさに気を取られて水分補給を忘れる人が多いんすよ。で、結果的に熱中症と脱水で倒れるってパターンが続出っす」
「……それは遠慮しておこうかな……」
「懸命な判断っすね!」
三人の軽快なやり取りの合間にも、風は砂塵を巻き上げ、灼熱の大地を吹き抜けていく。
修練はまだ始まったばかりだった。だがその胸の内には、確かな手応えと、絆の芽生えが宿り始めていた。




