第94話 再会の朝
翌朝、天幕の外から聞こえる鎧の擦れる音に、ルーチェはゆっくりと目を覚ました。カチャカチャという金属音が、静かな朝の空気に柔らかく響いている。
視線を向けると、エステルが鎧を身に着けている最中だった。すでに装備の一部を整え終えており、いつものように凛とした佇まいで朝の支度をしていた。
「おはよう、ルーチェ。起こしてしまったようだな」
「おはよう……。今、何時……?」
「七時だ。騎士たちが早起きだから、これでも少しゆっくりした方だな」
「そっかぁ……」
ルーチェはまだ眠気の残る様子で、毛布の中からのそりと体を起こした。
「外では朝食の準備が進んでいる。ルーチェも着替えるといい」
「うん……」
寝ぼけ眼のまま、ルーチェは着替えを済ませるが、リボンが少し曲がってしまっていた。
「ほら、ルーチェ。リボンが曲がっているぞ」
「うーん……」
エステルは微笑みながら、テーブルの上に置かれていた櫛を手に取った。
「せっかくだ。今日は私が結んでやろう。だから、前を向いてくれ」
「……うん」
ルーチェが素直に前を向くと、エステルはその背後に立ち、櫛でゆっくりと髪を梳き始めた。くしゅ、くしゅ、と櫛の音が天幕の中に優しく響く。
「こうしていると、なんだか懐かしい気持ちになる」
エステルがぽつりと呟いた。
「昔、亡き母の代わりに──エミルの髪をこうやって整えたことがあるんだ」
「エミル様の……?」
ルーチェが振り向きそうになったのを、エステルがそっと片手で制しながら続ける。
「あの頃は、母が亡くなって間もなくてな。幼いエミルも寂しそうだった。だから、せめて私はエミルの支えとなり、強くあろうと生きてきたんだ」
「エステルはすごいね……」
「いや、私はまだまだだ。けれど──だからこそ、誰かの支えになりたいと思うようになったのかもしれないな」
結び終えたリボンを軽く整えると、エステルはルーチェの肩に手を添えた。
「よし、できた。似合っているぞ」
「ありがとうございます、エステルさん」
ルーチェが微笑むと、エステルも同じように穏やかな笑みを返した。
「さあ、朝食にしよう」
「はい!」
テントの外に出ると、荷物をまとめているライクの姿が見えた。
「あ、ライクさん。おはようございます!」
「……!」
ライクは言葉こそないものの、ルーチェの姿を見てわずかに目を細めた。
(良かった……知らない人ばっかりで、ちょっと怖かったんだ……)
ライクは心の声が漏れそうになるほど、安心した様子だった。
「ライクさん、ちゃんと眠れました?」
ライクは小さく頷く。
「良かったです!」
その時、少し離れた場所から大きな声が飛んできた。
「おーい、ルーチェー!」
レオニスが片手を振りながら声をかけてくる。
「こっち来て手伝ってくれねぇかー?」
「はーい!」
ルーチェは返事をして駆け寄る。
「昨日の今日で、疲れ果ててるやつらばっかりなんだ。ルーチェがニコニコしながらスープ配ってくれたら、みんな元気出るだろ?」
「ふふ、そういうの得意かもです」
「……あんた、そういうとこばっか気が回るよねぇ、レオニス」
後ろからひょいっと現れたのは、サイドで束ねた赤髪にに鋭い目つきの女性騎士だった。
「あんたがルーチェだね? あたしはシェリル。機動遊撃隊の隊長さ。よろしくね」
「シェリルさん、よろしくお願いします!」
ルーチェが礼儀正しく頭を下げると、シェリルは満足げに頷いた。
「……で? あんたたち、なんでもう並んでんの?」
シェリルがふと横を見ると、鍋の前にはすでに列をなす騎士たちの姿。列はどんどん伸びていく。
「……はやっ。スープの匂い嗅いだだけで並ぶとは……」
シェリルは呆れた声を上げた。
「腹減ってんでしょ。まあ、ルーチェ効果もあるんじゃないですかね?」
レオニスがにやりと笑う。
「うっさいよ、レオニス。口ばっかり動かすんじゃないよ」
「へいへい、姐さん。じゃあ、配膳開始といきますか」
ルーチェはお玉を手に取り、張り切ってスープをよそう。
「はい、どうぞ! 熱いので気をつけてくださいね!」
騎士たちは次々にスープを受け取りながら、思わず顔をほころばせていくのだった。
ルーチェたちは、パンと暖かいスープで朝の空腹を満たしていた。
「はぁ……お腹いっぱい」
ルーチェがほっと一息ついたとき、エステルとアレンが歩いてくるのが見えた。
「エステル…様」
思わず丁寧な口調になると、エステルはやれやれといった顔で肩をすくめた。
「別に、今さらかしこまる必要もないと思うのだがな。……まあいい」
そして少し声を落として、ルーチェに向き直る。
「ルーチェ。これから私たちはもう少し訓練を行う。できれば君にも参加してほしいところだが……今回は、王都に戻ることを勧める」
「どうして、ですか……?」
「勘だ。だが、私の勘はそう外れたことがない。そろそろ“頃合い”ではないかと思ってな」
「頃合いって……何のですか?」
ルーチェが首を傾げると、エステルはふっと笑って言葉を濁した。
「戻れば分かる。安心しろ、悪いことではないはずだ」
「…………」
(何で教えてくれないのかな……)
『きっと、何か良いことがあるのでは?』
リヒトがそう声をかけるが、ルーチェは少し不満げに唇を尖らせる。それでも最後には小さく頷いた。
「……分かりました。じゃあ、行きますね」
「あぁ。気をつけて帰るのだぞ」
ルーチェはシアの背に、ライクはノクスの背にそれぞれまたがると、王都へ向けて走り出す。
ルーチェは後ろを振り返りながら、見えなくなるまで手を振り続けた。エステルもまた、彼女たちの姿が小さくなるまで手を振っていた。
やがて魔物たちの足音も遠のいた頃、エステルはアレンの方へと顔を向けた。
「さて……今日の訓練に臨むとしよう」
「はい、団長」
二人は揃って歩き出し、空気は再び騎士団の朝へと戻っていくのだった。
王都の城壁が見えてきた。
門の前に立つ見慣れた二人の姿を見つけたルーチェは、ぱっと顔を明るくして大きく手を振った。
「キールさーん! テオさーん!」
大きな声に気づいたのか、二人も控えめに手を振り返してくれた。
ルーチェはシアの背から慌てて降りると、駆け足で二人のもとへ向かう。
「キールさん、テオさん! 帰ってきてたんですね!」
「おかえり、ルーチェ」
「おかえりなさい、ルーチェさん」
「ただいま戻りました!」
キールがやわらかく微笑みながら、少し覗き込むように問いかける。
「お怪我はしてませんか?」
「大丈夫です。キールさんとテオさんこそ、お怪我は?」
「私たちは平気ですよ。ルーチェさんのおまじないのおかげですね」
「そうそう、へーきへーき」
ルーチェは二人の頬にキスしたときのことを思い出し、恥ずかしそうに頬を染めた。
(あ……そういえば、ほっぺにちゅーしたんだっけ……)
そんなルーチェの反応を見て、テオがからかうように笑った。
「なに? おまじないを思い出して、恥ずかしくなっちゃった?」
「えっ、あ、その……」
「でも、本当にあれが効いたんだよ。ありがと、ルーチェ」
優しい言葉に、ルーチェは少し照れながらも、にっこりと笑った。
ふと、テオがルーチェの後ろに立つ人物へ視線を向ける。
「で? そっちの人が、一緒に依頼に行ってたっていう先輩さん?」
(っ……!? な、なんか怖い目で見られてる……!)
視線を向けられたライクは、びくっと肩を震わせた。
「はい! Aランク冒険者のライク・ヘイゼル先輩です! 今はちょっと緊張してますけど、本当に強くて頼りになる方なんですよ!」
ルーチェが弾むように紹介すると、ライクは顔を赤らめてマントの裾を掴み、少しうつむいた。
(いや、俺は別にそんな大したやつじゃ……)
「ふーん……」
テオが意味ありげに目を細めるが、それ以上は何も言わず、ちらりとキールに視線を送った。
キールも、少しだけ困ったように微笑む。
「さて……ルーチェさん、実は私たち──」
テオが先に言葉を継ぐ。
「正式に冒険者として認められたんだ。だから、一番にルーチェに伝えたくて、ここで待ってたんだよね」
「えっ……本当ですか!? わぁ、おめでとうございます、キールさん、テオさん!」
「ありがとうございます。一応セシに書類を提出するのが残ってますけど、これでようやく夢を追う一歩を踏み出せます」
「やっとスタートラインって感じ。あー、長かった……」
「今度はお二人と冒険者として旅ができるなんて、すごく嬉しいです!」
ルーチェは心からの笑顔を浮かべて言った。
その隣で、ライクも小さくうなずきながら、彼女たちのやりとりを見守っていた。
話が程々に途切れたタイミングで、ライクは、そっとルーチェの肩を、指先でちょんちょんと突いた。
「……?」
振り返ると、彼は無言で一枚の紙を差し出してきた。
ルーチェが受け取って広げると、丁寧な文字でこう書かれていた。
[ギルドへの報告は俺がしておくから、あとはゆっくり過ごして。今回はとても助かった。ありがとう、ルーチェさん]
それを読んだルーチェは、ふっと笑みを浮かべた。
「こちらこそ、ありがとうございました、ライクさん!」
ライクは控えめに微笑み返すと、少しだけ手を振り、そのまま静かに王都の門の中へと消えていった。
ルーチェは手紙を大切にしまい、キールとテオのもとへ振り返る。
「……疲れてるでしょ? とりあえず、王都に入ろっか」
「叔父には、三人でパーティを組むことも先んじて伝えてあります。あとは装備と荷物の準備を整えれば、書類を提出して、晴れて正式に冒険者として旅立てますね」
キールの穏やかな説明に、ルーチェは目を丸くした。
「もう、そこまでしてくださってたんですね……!」
「……でさ、ところでルーチェ」
テオがふと思い出したように言う。
「さっき乗ってた魔物、見たことない子だったけど……もしかして新しい子?」
「はい!あの子は“シア”っていいます。新しく契約した子で……他にも“ソンティ”と“アミティエ”って子も仲間になったんですよ! 後でちゃんと紹介しますね!」
ルーチェは目を輝かせながら、嬉しそうに言った。
ようやく二人が戻ってきましたね、良かったー( ^ω^ )




