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絆ノ幻想譚  作者: 花明 メル
第二章 広がる世界、潜む闇
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第93話 灯る友情



 ルーチェが一歩足を踏み入れると、そこには外の騒がしさとは別世界のような、静謐で凛とした空気が満ちていた。


 王族専用の天幕──と聞いて、もっと華美で金銀に飾られた空間を想像していたが、実際はまるで洗練された一つの屋敷のようだった。


 広々とした天幕の内部は、天井が高く布が美しく張られていて、風が吹いても音ひとつ立たない。床には厚手の敷物が重ねられ、歩くと柔らかく、足音が吸い込まれていく。


 中央には低めの円卓が据えられ、その周りには背もたれのついた簡素ながら品の良い木製の椅子が四脚置かれている。


 テーブルの上には燭台と、香のようなほのかに甘い香りを放つ小瓶。隅には本や地図が整然と置かれた木の箱棚があり、軍務の帳簿と見られる書類も積まれていた。生活感はあるが、乱れは一切ない。


 天幕の奥には、薄手の布で仕切られた寝所がある。上質な麻布のベッドと、濃紺の毛布。その脇には銀の水差しと洗面器が控えていた。


──確かに、王族らしい。


 だが、贅沢というより、静かで、どこか孤独を感じさせる空間だった。


「無駄に広いだろう?」


 後ろからエステルの声がした。


「他の騎士たちと同じ天幕でいい、といつも言っているのだがな。……残念ながら、このわがままだけは通ったことがない」


 ルーチェはエステルの横顔を見上げた。肩の力を抜いたその声には、どこか柔らかいものが混じっている。


「でも今日は、ルーチェが居る。ゆっくり休んでいってくれ」


「はい、ありがとうございます、エステル様」


「こら。二人きりなのだから、エステルでいいと言っただろう?」


「ふふ、分かりました。……エステルさん」


 椅子に腰かけたルーチェをもてなすように、エステルは静かに茶器を手に取った。動作に一切の無駄がなく、まるで日常の儀式のように自然だった。


「王女様なのに、自分でお茶を淹れるんですか?」


 ルーチェが驚いたように尋ねると、エステルは微笑を浮かべたまま、湯を注ぐ手を止めずに答えた。


「騎士団長になりたての頃は、使用人がついてきていたんだ。だが──私も、使用人も気が休まらなかった。だから、遠征や訓練のときは来なくていい、と言ってある」


 ポットを傾け、湯の音を聞きながら、彼女は淡々と続けた。


「それに。こういうことも“作法”の一つとして学ばされたのだ。──美味い茶の淹れ方をな」


 やがて香り高い湯気を立てた湯呑みが、ルーチェの前に差し出される。ルーチェは両手でそっと受け取って、一口含んだ。


「……美味しい」


「それは何よりだ」


 満足そうにエステルは頷き、自らも椅子を引いてルーチェの向かいに腰を下ろした。


 天幕の中に、柔らかな沈黙が流れる。


「……聞いたぞ。随分とまた、いろいろ契約したそうだな?」


 エステルは湯呑みを手にしながら、片目だけをパチリと開けてルーチェを見やった。


「えっ……誰に聞いたんですか?」


 ルーチェが目を丸くすると、エステルはわずかに口元を緩めた。


「……ルーチェもよく知っているだろう、クリスからだ」


「クリスさんに?」


「一応は親戚だからな。王都で顔を合わせる機会があって、その時にお前のことを“面白い子”だと楽しそうに話していたぞ」


「……そうなんだ」


(面白いって……どこまで話されたんだろう)


 複雑な気持ちで茶を一口飲んでいると、エステルがふと真面目な表情を浮かべた。


「せっかくだ。私にも、紹介してくれないか?」


 不意に提案された言葉に、ルーチェは目を瞬かせたあと、ぱっと顔を明るくして頷いた。


「うん、もちろん!」

  

 ルーチェはエステルの前に立ち、少し照れくさそうに言った。


「じゃあ、まずは……ビッグスライムのぷるる、影狼(シャドウウルフ)のノクス、風豹(シルファング)のシアを紹介するね」


 ルーチェはそう言うと、《召喚(サモン)》でぷるるとシアを呼び出した。そしてノクスは察したように影から姿を現した。


「ぷるるは一番最初に契約した魔物で、この子だけは戦って契約したんです」


 ルーチェの腕の中で、ぷるるはぷるぷると揺れ、にこりと愛らしく笑った。エステルが興味深げに指先で触れると、水色の柔らかな体がぴょこっと弾む。


『……あるじ、ともだち?』


 《意思疎通(フレンズチャンネル)》で問いかけるぷるるに、ルーチェは心の中で微笑んで答えた。


(うん。ぷるるとアミティエみたいな感じかな)


『ともだち、いいねー』


(うん、いいよね)


 ルーチェは次に、傍らに控える黒い狼へと視線を向けた。


「じゃあ次は、影狼(シャドウウルフ)のノクス」


「……ワフ」


 艶やかな黒の毛並みが、天幕の灯に照らされて静かに光る。エステルはその姿に目を細め、ノクスの首に巻かれた赤いバンダナに指を添えた。


「凛々しい顔立ちだな。……このバンダナもよく似合っている」


「ワフ!」 『ホメラレタ、ウレシイ!』


 ノクスは喜びを隠しきれず、嬉しそうに尻尾を振った。


「次は───」


「クルルラァ…」


 気の強そうな声とともに、緑がかった黒い体毛のシアが顔を背ける。尻尾の飾り毛がふわりと揺れた。


『ふん……安くないのよ、私は』


風豹(シルファング)のシア。最近契約したばかりで、まだちょっとツンツンしてるんです」


「ふふ、気位が高いのもまた良い」


 エステルはシアにも微笑みかけた。


「この子たちは普段も、だけど特に戦闘で頼りになる仲間たちです」


「そうか……頼もしいな」


(次はアミティエとソンティだね)


『お嬢様、アミティエ様とソンティ様は現在就寝中です』


(あ、そうなんだ……)


 ルーチェは少し考えてから、付け加えるように言った。


「あとは……フワムシのアミティエと、進化個体の“繭夢”のソンティもいるんだけど……、もう寝ちゃったみたいで」


「そうか。ならば無理に起こすことはない。……もしかして、その二匹は前にフェリクスと出かけていた時に?」


「はい。ソンティはたまたま出会って仲良くなった子で。アミティエは、ぷるるが“友達になりたい”って……」


「そうか。……優しい魔物たちだな」


 エステルは湯飲みに手を伸ばし、ひと口含んだが、すぐに眉をひそめた。


「……む、ついつい話し込んでいたら、茶が冷めてしまったな」


「ごめんなさい、話が長くなっちゃって」


「いや、楽しい時間だったということだ。──もう一杯、飲むか?」


「はい、飲みたいです!」


 エステルは立ち上がり、すっと手際よく新しい茶を淹れ始めた。静かな夜の空気の中に、香ばしい茶葉の香りがふわりと広がる。


 湯気が立ちのぼるその様子を見ながら、ルーチェは小さく笑った。


「……なんだか、落ち着きますね」


「今夜はよく眠れそうだな」


 エステルもまた、穏やかに微笑んだ。






 そして、夜も更けたので寝ようということになったのだが───。

  

「いやいやいや、流石にそれはダメです!」


「いーや、今日は私のわがままを聞いてもらう!」


 天幕の中で、ルーチェとエステルが小声で押し問答を繰り広げていた。


「ルーチェもこのベッドで寝ればいいだろう? 王城のものよりは多少劣るが、寝心地は悪くないのだぞ?」


 そう言って、エステルはベッドの端に腰を下ろし、隣をぽんぽんと手で叩いて示す。


「だって……寝袋ありますし、床で寝ますって! それに王女様のベッドに私なんかが……!」


「泊めるということは客人だ。客人を床で寝かせる馬鹿がどこにいる!」


「でも、そんなの……っ」


「遠慮するな、ルーチェ。今夜は私の“友達”としてここにいるのだろう?」


 エステルが言葉を重ねるごとに、どこか嬉しそうな微笑みを浮かべる。


「……エステルさんって、たまにすごい強引ですよね」


「ふふ、たまにではなく、常にだが?」


「ほんとにもう……。じゃあ、少しだけ、端っこを……」


「全然構わん。むしろ詰めてきてもいいぞ?」


「えっ、えええっ!? それはダメです!」


 ベッドの縁をそっと撫でながら、ルーチェは真っ赤な顔で布団に入った。エステルはその隣に静かに横たわり、ぽつりと一言。


「……やっぱり、広いよりも温かい方がいいな」


 その言葉に、ルーチェの胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。


 横並びに寝転がっていたとき、天幕の中でエステルがぽつりと口を開いた。


「ルーチェ。一つ、聞いても良いだろうか?」


「……なんですか?」


「テイマーになって、何か嫌な思いをしたことはあるか?」


「……今のところは特に。セシの街の花祭りの時に『テイマーって危なくないのか?』みたいな声は、ちょっとだけ聞こえました…」


「そうか。……ルーチェは人に愛される才を持っているのだろうな」


「そうなんですかね…」


「テイマーは魔物を従える者。かつての歴史の傷のせいで、今もなお危険視し、恐れる者は多い。表には出さずとも、心の奥に差別意識を抱えている者もいる。……くれぐれも、油断しないように」


「うん」


 しばらく、二人の間に沈黙が流れる。天幕の外では、風がテントをなでる音だけが微かに聞こえていた。


「……だがな、ルーチェ」


 エステルはゆっくりと寝返りを打ち、ルーチェの方へ顔を向ける。


「私は、世界に“歪み”を感じている。魔物の凶暴化、ルーチェが狙われた件──何か見えない力が、じわじわとこの世界を侵しているように思えてならない」


「……歪み……」


「ルーチェ」


 エステルの声は、どこか祈るように静かだった。


「君の力は、きっとこの国にとって──いや、この世界にとっても、特別なものになる。前にも言ったかもしれないが、私たちは君をこの国に縛りつけるつもりはない。だが、志だけは共にあってほしい。ルーチェとなら、世界を変えられる気がする」


 ルーチェは小さく頷いた。


「……うん、私も……力になりたい……」


「……ありがとう」


 エステルはそっと目を閉じ、声のトーンを緩めた。


「もう遅い。明日も早いからな……」


「うん……おやすみなさい、エステルさん」


「おやすみ、ルーチェ」


 淡い灯りの中で、二人は静かに目を閉じた。


 心に小さな灯を灯したまま──夜はゆっくりと更けていった。

 


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