第89話 カエル討伐
ルーチェはハルクから貰った棍杖の《エーテリオン》を両手で握り直し、軽く息を吸い込んだ。
「───《閃光弾》!」
杖の先端から放たれた小さな光球が、音もなくカエルの群れの中へ滑り込む。
次の瞬間────バァンッ!
強烈な閃光が炸裂し、一帯を白く染めた。
ヌメロカエルたちは一斉に目を閉じてのたうち、混乱したように跳ね回る。
その一拍の隙を逃さず、ライクが地を蹴った。
「っ───!!」
風のような速さで間合いを詰め、槍を構えた姿勢のまま低く飛び込む。
(“滑る皮膚”を突き通すには──初手で決める!)
ギラリと光る槍の穂先が、一匹のカエルの胸元に正確に突き立てられた。
ズバッ──!
軽やかな音とともに、槍がカエルの身体を貫通する。
同時に後方へと滑るように下がると、ライクはもう一度体勢を整え、次の標的に狙いを定めていた。
ルーチェも続いて構えを取り直す。
「……さすが、速い……!」
カエルたちは閃光の混乱から立ち直りつつある。
「でも、まだまだ来ますね──っ!」
彼女の言葉通り、ヌメロカエルたちは再び集まりながら、数を頼みに突っ込んでくる。
──戦いは、始まったばかりだった。
「シア!!」
ルーチェの呼びかけに応じて、風豹のシアが地を蹴った。
砂利を巻き上げながら走り抜け、そのまま跳躍──
「───ッ!」
鋭い爪が空を裂くとともに、斬撃の風が唸りを上げて飛ぶ。透明な刃が空気を切り裂き、ヌメロカエルたちをまとめて薙ぎ払った。
『主様!!』
脳内に響くシアの声に、ルーチェは杖を構え直し、詠唱する。
「《天使の回輪》!!」
光の魔法陣が浮かび、そこから複数の輪が生まれる。
白く輝く光輪は高速で回転しながら、カエルの群れへ一直線に飛んでいった。
命中したカエルたちは眩い光に包まれ、次々と地面に倒れていく。
ライクはその横をすり抜けるように動いた。
(……今の内──)
光の間を駆け抜け、ライクはカエルたちの中に突っ込んだ。
光を受けてよろけた個体と、シアの風で弾かれたが、かろうじて立っている個体──
それらを、ライクは迷いなく槍で突き、切り、跳ね上げるようにして仕留めていく。
(この子の魔法、制圧力高ぇ…。足止めも出来てる。だったら──俺は後処理に徹するだけだ)
一度も言葉を交わさずとも、役割分担は自然と決まっていた。
まるで前もって打ち合わせをしていたかのように、二人と一匹はぴたりと動きを合わせていく。
ゲロゲロ、ゲロゲロ───
倒しても倒しても、川辺から次々とカエルの鳴き声が響いてくる。そのたびに、水面からヌメロカエルの姿が飛び出してくる。
『どれだけいるのよ、このギョロ目…!』
鬱陶しそうなシアの声が、ルーチェの頭に響いた。
「《光粒爆》──!」
ルーチェが棍杖を振ると、その先から七色の光の粒子が煌めきながら発射される。
それは飛びながら分裂し、カエルの群れに触れた瞬間──光の小爆発が連鎖し、複数のカエルが吹き飛ぶ。
「っ───!!」
ライクも動く。魔力を纏わせた黒槍を、助走から一直線に突き出す──!
一撃で二匹のカエルを串刺しにし、そのまま反転して払い落とす。
「ライクさんっ…すごい!」
ルーチェの純粋な賛辞に、ライクの肩がビクンと跳ねた。喋りかけられた衝撃に、目を逸らしつつも内心はザワついている。
(や、やばい…褒められた…うれしいけど困る…!)
「……っ」
(私もライクさんみたいに、もっと倒せたら…!)
「《光薙刃》──!!」
棍杖の長さを魔力で伸ばしたルーチェは、その先端に光の刃を展開させ──まるで薙刀のようにして、カエルへと跳びかかった。
刹那、光が放射状に閃き、カエルたちをまとめて切り伏せる。ルーチェの周囲に三日月のような残光が広がっていく。
(えっ!? 近接戦!? あの子、中遠距離メインの魔法使いタイプじゃなかったのか!?)
ライクは驚愕に目を見開いた。だがその一撃は紛れもなく実戦向きで、軽やかな動きと魔法の融合だった。
(マジかよ…! 俺よりずっと器用なんじゃ…!?)
圧倒されつつも、ライクの中で少しだけ“負けていられない”という感情が芽生える──。
風豹のシアは空を駆け、離れたカエルたちを爪で切り裂いていく。ルーチェも棍杖を振るいながら、前から接近する個体を次々と倒していた。
だが──
ライクの目が、一瞬後ろに逸れた。
水溜まりの中、音もなく跳ねる黒くヌメヌメした影。
それは、他のカエルとは明らかに異なる体格と動き。
──ヒルウナギ。
「っ──!?」
(あの子は……気づいてない!)
ライクは反射的に地を蹴った。
その頃、ルーチェは数匹目のカエルを払い落とし、軽く息を整えていた。
「……だいぶ数が減った、かな」
『主様、後ろッ!!』
シアの焦った声に、ルーチェはとっさに振り返る。
「えっ──?」
視界に飛び込んできたのは、こちらへ向かって一直線に這い寄る、異様に長い影。
ヒルウナギが三唇状の口を大きく開き、飛びかかってきた。
「ひっ──!」
あまりの気持ち悪さに、ルーチェは後退る。
足元の石がツルッと滑り、カエルの体液に濡れた地面に、バランスを崩す。
(避けきれない──攻撃も……間に合わない──!)
その時。ルーチェの背中に、何かが触れる。
ふわっと身体が浮き上がるような感覚と共に、誰かの腕がルーチェを抱き上げた。
「っ──!?」
思わず目を瞑り、そして、ゆっくりと開く。
──そこにいたのは、ライクだった。
彼はルーチェをしっかりと抱えたまま、鋭い視線でヒルウナギを睨みつけている。
「ライクさ──」
そう呼びかけようとした瞬間、彼は静かにルーチェを地面へと下ろした。
濡れていない砂利の上──安全な場所だった。
そして───ライクは無言のまま、ヒルウナギと向き合った。
(とりあえず──こいつは、倒す)
黒槍を構える。一瞬、魔力が閃いたかと思うと、猛烈な速度で──突きの連撃が叩き込まれる。
ヒルウナギはたまらず水中へ跳ねて逃げる。
(逃がすかよ……)
ライクは槍を手に持ち直し、投擲の構えを取った。
水面の下で、ヒルウナギが揺れる。
ヒルウナギの狙いは変わらない──再び、川辺のルーチェへと向かっていた。
(狙ってんのは分かってんだよ……この変態ウナギ!)
ヒルウナギが再び水面に顔を出した、その刹那。黒槍が空を裂き、一直線に飛ぶ。雷のような速度と正確さで、ヒルウナギの頭部を貫いた。
「……はぁ」
ライクは静かに息を吐いた。
(……あの子は……)
視線を向けると、ルーチェは放心したようにヒルウナギの死骸と黒槍を見つめていた。
ルーチェの傍には、いつの間にかシアも戻っている。
(怪我なさそうだな──良かった)
ふっと、ライクの表情が柔らかくなる。
ほんの僅か、だけど確かに。それは“誰かのために動いた自分”を、彼自身が少しだけ認めた瞬間だった。
ヒルウナギの死骸に刺さった黒槍を、ライクは静かに引き抜く。槍先から水が滴り落ちる音が、耳に残る。
その時──
「……あ、あのっ!」
ルーチェが恐る恐る、といった様子で近寄ってきた。
「ライクさん。助けてくれて……ありがとうございました!」
深々と頭を下げるルーチェ。
「っ!?」
ライクの肩がビクッと跳ねる。
(や、やめてくれってば……! 俺はただ当然のことをしただけで、そんな真顔で礼とか──っ!)
必死の形相で、ライクはぶんぶんと両手を横に振る。
「それに最後の……あの、投げた槍、すっごくかっこよかったです!」
ルーチェはふわっと微笑んでいた。
「っ……っっ!!?」
ライクは途端に真っ赤になり、目を逸らす。風が黒マントを揺らす音が、やけに大きく感じられた。
(真っ直ぐ褒めてくるとか……慣れてない、マジで無理、消えたい……)
「あの……? ライクさん……?」
ルーチェはきょとんとしながら、そっと上目遣いでライクを覗き込む。
「……っん”ん”ん”ん”ん”っ!!」
耐えきれなくなったのか、ライクはずるずると後退し、一定の距離を取った。
その様子を見ていたシアが、ルーチェの足にすり寄ってくる。
『主様、やめてあげなさいな』
(えっ、えっ……、何かダメだった!?)
『ああいう子は、そういうのが一番効くのよ。距離感、距離感……』
(えっ、私、今、何か地雷踏んだの!?)
シアはその問いには答えず、ライクに視線を向けた。
『……まったく、あんなことで赤くなって。情けない男ねぇ……』
シアはふぅとため息をついてから、手をぺろぺろと舐めはじめた。
ルーチェは小さく首を傾げながら、そっとライクの方を見やった。彼は槍を肩に担ぎ直し、顔を真っ赤にしながら川の向こうを見つめていた。
(でも……ライクさんって、意外と可愛いのかも)
ルーチェは微笑んだ。
「それにしても……このヌメヌメのカエルたち、どうしよう……」
ルーチェはうーんと唸って、倒した魔物の山を見つめた。
(ぷるるの《異空間収納》なら運べるかも? でも、ぷるるにこの匂いが移るのは絶対いやだし……。かといって私が持つのも……。せっかくリュシータさんに作ってもらったこの衣装、汚したくないし……。ああ、こうなるなら水辺で使える作業着とか、長靴とか、何か探しておけばよかったなあ……)
思考を巡らせていると、遠くから「おーい!」という声が聞こえてきた。
ルーチェは慌てて、シアを《魂の休息地》へと戻す。
「おーい、大丈夫かぁー?」
声のほうを見ると、作業着を着た村の大人たちが数人、こちらに向かって歩いてきていた。ルーチェとライクは立ち上がり、軽く会釈をする。
「あの、どうされたんですか?」
ルーチェの問いに、男たちの一人が朗らかに答えた。
「村長がな、『若い二人が心配だ』って言ってさ。様子を見に来たんだけど……もう全部終わってたとは驚いたぜ」
「いやぁ、さすがは冒険者ってとこだな!」
そう言いながら、男たちは持ってきた大きな袋にカエルを次々と詰め込んでいく。袋がいっぱいになると、手際よく台車に載せていった。
「討伐で疲れただろ? 運ぶのは俺たちがやるから、お嬢ちゃんたちは先に戻ってていいぞ」
「おっ、見ろよヒルウナギ……! しかもこりゃデカい、久々に見るな……」
「このカエルも立派だぜ。いい食いごたえありそうだ」
作業しながら盛り上がる村の男たちを見て、ルーチェとライクは顔を見合わせた。
「では……ありがとうございます。お言葉に甘えて、先に戻りますね」
そう言って、ルーチェとライクは村への道を歩き出した。




