第87話 ナガレノ村へ
ナガレノ村へ向かう馬車が街道をひた走る。
「……」
「……」
馬車の中は酷く静かだった。
(うーん……)
ルーチェは心の中で小さく唸った。
『いかがなさいましたか、お嬢様?』
リヒトが優しく問いかける。
(これって……このまま黙ってた方がいいのかな。それとも、話しかけた方がいいのかな……。一緒に現地まで行くのに、全く会話しないっていうのも違う気がするんだけど……)
『そうですね……彼には彼のペースがありますでしょうし、慣れるまではそっとしておく方が良いかもしれませんね』
(そういうものかぁ……。できたらライクさんと仲良くしてみたかったんだけど)
ルーチェが少ししょんぼりすると、その雰囲気を感じ取ったライクがビクリと肩を揺らした。
(お、落ち込んでる……!? た、退屈か? ……で、でも女の子と話す話題とか、流行とか知らないし……そもそも話せないし……)
ライクは焦った様子で、カバンをごそごそと漁る。
(いや、あるわけないだろ! まともに話せた女性なんて、母さんくらいなのにっ!)
思わず拳を握るライク。そして、ふと何かに気付いたように顔を上げる。
(そ、そうだ……筆談! 紙に書いて渡せば……会話できるかも……!)
謎のひらめきに導かれるまま、ライクはペンと紙を取り出した。
(──って、何書くんだよ……)
だがその手は止まってしまう。何を書けばいいのか全く思いつかない。
ライクは再び凹んだ。
ライクはペンを握ったまま、固まっていた。
(なにか……話題……。あ、そうだ。彼女自身のことを聞けば答えてくれるかも……? いやでも、探ってるみたいで気持ち悪いって思われないかな……あ〜……でも……)
「……ライクさん?」
突然話しかけられ、ライクはビクッとして、慌てて姿勢を正した。
「あの……どうかされたんですか?」
ライクは震える手で、紙に何かを書き始めた。
[デッドタートル、倒したって聞いた]
(筆談……?)
ルーチェは少し驚きながらも、その文字を読むと口を開いた。
「はい。でも、私ひとりの力じゃなくて……セシの街の冒険者の皆さんや、騎士団の皆さんが支えてくれたおかげなんです」
ライクはもう一度、紙にペンを走らせる。
[なんで、君は冒険者に?]
その問いに、ルーチェは少し考えてから笑みを浮かべた。
「私、ふわふわもふもふした魔物と触れ合いたかったんです。冒険者というか……テイマーになれば、そういう魔物とたくさん関われるかなって思って……」
[テイマーってことは、魔物と契約してる?]
「はい、今はここにいます」
そう言ってルーチェは自分の胸元に手を当てた。
(む、胸……? いや、身体の中……?)
ライクは不思議そうに首を傾げる。
『お嬢様、それはあまり開示すべきでは───』
(大丈夫だよ、ライクさんは悪い人じゃないもん)
『その自信の根拠はどこに……』
そのとき、ルーチェの影からぬるりと姿を現すノクス。
「ッ!?」
ライクは反射的に横に立てかけていた槍に手を伸ばす。
「あっ、あの! 大丈夫ですっ!」
ルーチェは慌てて手を振りながら、ライクの前に立った。
「この子は、ノクスって言って……私が契約してる影狼なんです! 本当に大人しくて、危害を加えたりしませんから!」
ライクは数秒ノクスを見つめた後、ゆっくりとペンを持ち直し、紙に書いた。
[ごめん。体が勝手に動いた]
「いえ、こちらこそ。ちゃんと説明してからにするべきでしたよね……ごめんなさい」
ノクスはしょんぼりと耳を伏せ、ルーチェにすり寄った。
「……ワフ」
「よしよし、いい子いい子」
ルーチェは穏やかな笑みを浮かべながら、ノクスの頭を優しく撫でた。
それを見ていたライクは、目をわずかに見開いた。
(かっけぇ……! 真っ黒な体毛に赤い目、しかもめっちゃ凛々しい顔してる……)
全身黒ずくめのライクとしては、興奮せざるを得ない要素だった。
「ノクスが森で助けてくれたんです。そこからずっと、影の中に入って傍に居てくれてるんです」
ルーチェはノクスを撫でながら、楽しそうに語る。
「よかったら──撫でますか?」
ライクはビクッと反応した。
ノクスは静かにライクの方へ近づくと、そのまま背中を向けて、すとんと座った。
(い、いいのか? ……俺なんかが撫でても……?)
ライクはそろそろと手を伸ばし、ふさふさとした漆黒の毛並みに指を沈めた。
(……柔らかい)
その手触りに、ライクの手は自然ともう一度、二度と動く。
(……やばい、癒される……)
ライクの顔が、柔らかく綻んだ。
(ほらね? やっぱり悪い人じゃないよ)
ルーチェは、ノクスとライクの様子を眺めながら、ふふっと微笑み、心の中でリヒトに囁いた。
***
ここは、ナガレノ村。
ナガレノ村の村長ガラッパは、突然訪ねてきた白黒凸凹コンビの冒険者に目を丸くしつつも、温かく迎え入れた。
「これはこれは、王都からよくぞお越しくださいましたな」
村長は二人を座らせると、急須から湯呑みにお茶を注ぎ、差し出した。
「ありがとうございます、いただきます」
ルーチェがお礼を言い、ライクは黙って丁寧に会釈する。
「さて……依頼の件でしたかな」
そう切り出すと、ガラッパは落ち着いた調子で語り始めた。
「この村は川の精霊様を信仰しておりましてな。川以外には何もない辺鄙な土地ゆえ、村の暮らしも財源も、すべて川に頼っておるのですじゃ……」
ルーチェは静かに頷く。
「しかし今年は、その川から異変が起きましてな。カエルどもが、例年よりも早く、そして大量に出現しおった。数匹程度であれば村の男衆でも何とかなるのですが……あの数となると、とても手に負えぬ……。そうして、王都へ依頼を出した次第なのですじゃ」
「なるほど……」
ルーチェが相槌を打つ。
「───これは、川の精霊様の怒りなのかもしれん……そう思えてならんのですじゃ」
「川の精霊様の怒り、ですか?」
「うむ……近頃、村の若者たちは信仰を軽んじ、川の恵みに感謝する心も薄れておるように思えてのう……」
そう言ってガラッパは、ふぅと一息つきながらお茶を啜った。
「───というわけで、川の怒りを沈めてほしいのですじゃ…!」
ガラッパは、二人の冒険者に向かって深々と頭を下げた。湿気を帯びた空気の中、村の広場に立つ彼の声には、長年川と共に生きてきた者の切実さが滲んでいる。
───のだが。
目の前にいるのは、まだ幼い少女──白いローブに身を包み、澄んだ目でこちらを見つめてくる。
そしてもう一人は、全身黒づくめのロングコート姿の青年。顔の半分は長い前髪に隠れ、挨拶もせず、ただ黙ってコクリと頷くだけである。
(……だ、大丈夫なのかのう……?)
ガラッパは額に手をやった。
(少女の方は確かに礼儀正しいし、話し方にも品がある……が、どう見ても力仕事に向くようには見えん……)
隣の黒コートの青年に視線を移す。
(それにこの青年……目が合わん。というか、ずっと下向いとる。しかも黒すぎんか? 服も槍も靴も、黒。真っ黒じゃ……まるで、真夜中の化け物みたいじゃ……)
しかも何か言うかと思えば、首を縦に振るか、たまに横に振るかだけ。
(まさか、本当に喋れんのか……? いや、怖くて喋れんのか……? どっちにせよ心配じゃ……)
その一方で、ルーチェはにこにこと笑っていた。
「はい、ご依頼の内容はしっかり確認しました。私たちがなんとかしてみせますから、安心してください!」
「…………」
ルーチェの言葉に続けて、ライクは頷いた。
ガラッパ爺は、思わずその場にへたり込みそうになるのを堪えた。
(いやいや、何を言うんじゃ。あのヌメロカエルの数、今年は尋常ではないんじゃぞ? 先月は若い猟師が三人、川に引きずり込まれそうになったんじゃ。あの“ぬるり”とした感じと“ぴょんぴょん”跳ねる勢いは……じいにはもう無理じゃ……)
しかし少女は、まっすぐな目でこちらを見つめている。黒い青年は目を逸らしているが、妙な威圧感がある。
(……いや、ひょっとしたら、見た目よりすごい者たち、なのかもしれん……)
ガラッパ爺は祈るような気持ちで、二人を見送った。
(せめて、無事に帰ってきてくれればええがのう……)




