第82話 素直な心
シアと共に、ルーチェはハルクの店を訪れた。
扉を開けて中へ入ると、カウンターの向こうでハルクが水を飲みながら休憩しているところだった。
「あ、ハルクさん、こんにちは!」
ルーチェが声をかけると、ハルクは一瞬驚いたようにこちらを見た。
「ルーチェ……? ……ルーチェ! 本当に本物のルーチェだな!」
ハルクがカウンターから駆け寄ってくる。久々の再会がよほど嬉しいのだろう、その顔はぱっと明るくなっていた。
「はい、本当に本物のルーチェですよ!」
ルーチェが笑って答えると、隣でシアが欠伸をしながら呟く。
『随分と熱烈だこと。主様は人気者ねぇ』
「っと……、そいつは?」
ハルクが気づいて、シアに目を向ける。
「新しく契約した風豹のシアです」
「そうか、新しい仲間ができたんだな! ……それにしてもルーチェ、そんな服もリュックも白で……天使みたいになっちまったな」
「天使は流石に大袈裟では……?」
ルーチェは少し恥ずかしそうに頬を染めながら返した。
「大袈裟なんかじゃねぇよ……っと、ずっと立たせとくのも悪いな。ちょっと待ってろ、椅子持ってくるからよ」
そう言って、ハルクは店の奥へと入っていった。
ルーチェはカウンターの近くに立ち、シアはその足元にちょこんと座って、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。
「随分、慣れた感じだね、シア」
ルーチェがそう声をかけると、シアは小さく欠伸をしながら答える。
『主様が落ち着いていると、こっちまでつられて落ち着くものよ』
ほどなくして、ハルクが木製の椅子を一脚、両手で抱えて戻ってきた。
「よっこらせ……よし、これでいいな。さあ、座れ座れ」
「ありがとうございます」
ルーチェがぺこりと頭を下げて椅子に腰を下ろすと、ハルクはどこか照れたように頬をかきながら言った。
「実はな、ルーチェが帰ってきたら渡そうと思って、色々用意してたんだ」
「──あ、ニナさんに聞きました!」
「ああ、そっか。……お前は戦い方が大胆っていうか、見ててヒヤヒヤするところあるからな。お前のために一つ、作った武器があるんだ」
そう言いながら、ハルクはカウンターの裏に手を伸ばし、布に包まれた細長い物を取り出した。 それをそっとルーチェの前に置き、布を取り除く。
中から現れたのは、先端に淡く光る結晶がついた、滑らかな形状の杖だった。
「これは……杖?」
「おう! 名前は《エーテリオン》。遠距離用の杖にもなるし、魔力で伸ばして棍みてぇに近接でも使える。お前の戦い方に合わせて、いろいろ工夫してみたんだ」
ルーチェは恐る恐るその武器に触れた。手にした瞬間、金属とは思えないほどの軽やかさと、ほんのりとした温もりが掌に伝わってくる。
「……すごい、綺麗」
「で、こっちは俺からのプレゼントだ」
ハルクはそう言って、小さな包みをルーチェに差し出した。
中には白い革製の手袋が入っていた。手の甲には繊細な羽のマークが刺繍されている。
「これは……手袋?」
「《フェザーハンド》って名前だ。俺の作ったもんじゃねぇけど、知り合いの服飾の職人に作ってもらったモンでな。まあ、大事なモンには違いねぇ」
「《フェザーハンド》……」
「衝撃を和らげてくれるし、細かい操作もできるようになってる。……ルーチェの手はちっちぇくて綺麗だからな、嫁入り前の手に傷なんか付けさせられねぇよ」
「えっ……そんな、でも……ありがとうございます…!」
(こうやって、気を使って貰えるの、嬉しいなぁ…)
『ふふん。随分と愛されてるのね、主様?』
(ハルクさんは、優しい人なんだよ)
心の中での会話にふっと笑みがこぼれる。
ハルクは照れ隠しのように咳払いを一つした。
「ま、とにかくだ。この街に帰ってきたんなら、ちゃんと顔出してくれよな。また、あの笑顔見れたのが──俺は嬉しいんだからさ」
「……はいっ!」
ハルクが、ふと切り出した。
「そういやルーチェ、宿は決めてんのか?」
「……あっ。何も考えてなかった……」
ルーチェがばつの悪そうに笑うと、足元のシアが小さくため息をつき、尻尾をぱたんと床に打ちつけた。
『主様、そういうのって、むしろ最初に考えるべきじゃないの?』
(うっ……ごもっともです)
ルーチェは肩をすくめて心の中で謝る。
そんな様子に、ハルクは苦笑しながら腕を組んだ。
「ははっ。だったら今日はうちに泊まってけよ。部屋の一つくらい、用意してやれるからよ」
「えっ、本当にいいんですか?」
「あぁ、もう少ししたら兄貴も帰ってくるしな。今日は三人で飯食おうぜ!」
ルーチェは嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ……一晩、お世話になります…!」
武器屋の二階、そこはハルクと兄ラルクが暮らす住居だ。二人の両親もこのセシの街に住んでいるが、家は別らしい。
そして、仕事を終えたラルクと、ギルドの受付嬢ニナもやってきた。
「──あら、ルーチェさん? どうしてここに?」
「えっと、宿を決めてなかったら、ハルクさんが泊まってけって言ってくれて…」
ルーチェの素直な答えに、ニナの笑顔が一瞬にして引き攣った。
「ハーーールーーークーーー?」
ニナが、ハルクに詰め寄る。ハルクは顔を引き攣らせた。
「ひっ……!? いや、その、だな……」
「いくら顔なじみとはいえ、未成年の女の子を家に連れ込むなんて何考えてるの!? 完全に事案じゃない!!」
「だ、だってよぉ…!」
「だっても何もないわよ! ──ルーチェさん、今からでもうちに泊まる? そんなに広くはないけど、あなた一人くらいなら十分よ!」
「えっ、でも……」
「こんなケダモノ変態ロリコン鉱石バカと同じ屋根の下にいたら、ルーチェさんの身が危ういのよ!」
「な、なんでそんな盛り盛りで罵倒すんだよぉ…ニナぁ…最近増えてるよね!? 罵倒の種類!」
ハルクはがっくりとうずくまり、膝を抱えて項垂れる。
「ハルクさん……」
ルーチェは思わずその背中をよしよしと撫でた。
「甘やかさなくていいのよ! まったく……三十も越えてんのに、子どもみたいなんだから!」
「お前らなぁ……」
そのとき、部屋に荷物を置きに行っていたラルクが戻ってきて、呆れたように二人を見た。
「肝心のルーチェを困らせてどうすんだ。いい加減、どっちも大人なんだからやめとけ。……俺から見たら、ルーチェが一番大人に見えるぞ」
その一言に、ニナとハルクは同時に肩を落とした。
「ルーチェ、泊まってくんだろ? 美味いもん、たくさん作ってやるから、ちょっと待ってろな」
「はい。ありがとうございます、ラルクさん」
「ハルク、お前は凹んでないで、ニナとルーチェに茶でも出してやれ」
「……わかってるよ、兄貴……」
食事を終えた後、ルーチェはハルクの後をついて廊下を歩いていた。
「んじゃ、この部屋使ってくれ。何かあったら呼べよ?」
ハルクがそう言って、空いている部屋を貸してくれた。
シアの「少し街を見てみたい」という希望も叶えてあげたので、彼女は満足そうに尻尾を揺らしながら《魂の休息地》へと戻っていった。
「ハルク、俺はニナを送ってくるからな」
「おう」
ラルクの言葉に、ハルクが短く答える。
「ルーチェさん、またね!」
ニナはルーチェに手を振る。
「はい、ニナさん。また!」
ラルクとニナが家を出て、玄関の扉が閉まる音がした。家の中には、ルーチェとハルクだけが残る。
「……はぁ」
ため息をついたハルクにルーチェが歩み寄る。
「ハルクさん?」
ルーチェの声に、ハルクは何事もないように笑顔を見せた。
「ん? どうした、ルーチェ」
「あー、えっと、そういえばなんですけど──」
「おう?」
ルーチェは少し恥ずかしそうに言葉を継ぐ。
「ノクスや、あとシアのために、ブラッシングしてあげたいなって思って……その……。良いブラシとか、知ってますか?」
「ブラシ、ねぇ……」
ハルクは腕を組んで考え込んだ。
「毛並みの手入れってことか? ──風豹なら風の通りも良さそうだし、下手なヤツ使うと嫌がられるだろうな……」
「やっぱりそうなんですね……」
「ふむ……よし。うちの親父が昔、馬用の手入れ道具を作ってたんだよ。いい感じのがいくつかあった気がするから、ちょっとその辺探してみるか。明日でいいか?」
「はい、ありがとうございます!」
ハルクはルーチェの頭をぽんと軽く撫でてから、にやりと笑った。
「ったく。ほんと、お前は優しさが過ぎるんだよな。ノクスにも、シアにも、ちゃんと伝わってると思うぜ」
部屋で一人寛いでいたルーチェは、《繭夢》のソンティを呼び出していた。淡い光とともに現れたソンティは、ベッドの上をのそのそと歩き回っている。
「ふふ…」
ルーチェは、毛玉のように丸いソンティの姿を楽しそうに見つめていた。
───そのとき、コンコンと部屋の扉がノックされた。
「はーい」
返事をして扉を開けると、そこにはラルクが立っていた。
「ルーチェ、寝る前にホットミルクでもどうだ?」
「わぁ、いいんですか?」
「おう、ほらよ」
ルーチェは差し出されたマグカップを両手で受け取った。
「熱くはないと思うが、気ぃつけて飲めよ?」
「ありがとうございます」
ルーチェは嬉しそうに一口、けれどその表情がふと曇った。
「あの…ラルクさん」
「ん?」
「……聞きたいことがあるんですけど」
「聞きたいこと? ハルクじゃなくて俺にか?」
ルーチェは小さく頷くと、マグカップをテーブルに置いてラルクの服の裾をちょいちょいと引いた。
「ん?」
ラルクは屈んで、顔を近づける。ルーチェはそっと耳打ちした。
「あの…ニナさんって、ハルクさんのことお嫌いなんですかね…?」
「……え?」
ラルクは思わぬ質問に一瞬間抜けた顔をした。
「だって、ニナさん、いつもハルクさんのこと変態とか、ロリコンとか、色々ひどいこと言ってる気がして…」
「あー……」
ラルクは苦笑しながら頭を掻いた。
「…いいか、ルーチェ」
その声は少し落ち着いた、大人の響きを持っていた。
「大人ってのはな、ルーチェみたいに素直なやつばっかりじゃねぇ。思ってることを素直に言葉にできる人間なんて、案外少ねぇんだ。いろいろ考えすぎて、逆に拗らせることもある」
「……?」
「難しかったか。簡単に言えば、ニナは素直じゃねぇだけだ。嫌いだからああやってるんじゃねぇ。むしろ、気にしてるからこそ口が悪くなっちまってんだろうな」
「そっか……じゃあ、嫌いとかじゃないんですね。よかった……」
ルーチェの安心した声に、ラルクは優しく頭をポンポンと撫でた。
「ハルクもニナも、お前のこと、年の離れた妹みたいに思ってる。だから、これからも仲良くしてやってくれな」
「はい、分かりました…!」
「よし、いい子だ。ホットミルク飲んで、ゆっくり休め。──また明日な」
「はい。おやすみなさい、ラルクさん」
「おう、おやすみ、ルーチェ」
ラルクが部屋から去った後、ルーチェは少し物思いにふけっていた。
「ソンティ」
ルーチェが名前を呼ぶと、ソンティはのそのそと体を向けた。
「本当はね、少しだけ分かるような気がするんだ」
ベッドの端に腰を下ろしたルーチェは、小さくそう呟いた。ソンティはつぶらな瞳でじっとルーチェを見つめている。
「……私だって、言えてなかったこと、たくさんあるし」
どこか遠くを見るような、沈んだ目をしていた。
「だから、この世界では──なるべく素直に生きようって、そう思ったんだ…」
ルーチェはベッドへ横になった。
それを見たソンティはゆっくりと近寄ってきた。そして、羽をふわりと広げる。
「そうやって羽を広げてると、蝶々みたいに綺麗なのに、羽を閉じるとまんまるになるの。不思議だよね…」
ソンティは小さく羽をパタパタと動かす。そのたびに、淡く輝く鱗粉がふわりと舞った。
ルーチェの肩や髪に、それは静かに降り積もり――
「……ん……」
ルーチェはそのまま、目を閉じ、静かな寝息を立て始めた。
ソンティは羽をたたみ、少女の傍らに寄り添う。
まるで、彼女の夢を守るように。




