第76話 工房のひととき
朝日が城の窓から差し込む頃、ルーチェは支度を整え、王城の玄関先でフェリクスと合流した。
「おはようございます、ルーチェ君」
いつもの落ち着いた声音。フェリクスは銀縁の眼鏡を軽く直しながら、にこりと微笑む。その隣には、護衛として同行するピーターの姿もある。
三人は連れ立って、王都の一角にある目的の工房へと向かって歩き始めた。
「彼女は、あまり大っぴらに武器や防具を売ることを好まないんだ」
道中、フェリクスがそんなことを口にする。
「どうして……ですか?」
ルーチェが首を傾げると、フェリクスは小さく肩をすくめた。
「金さえ積めば武器は簡単に手に入る。けれど、一部の人間はそんな武器をぞんざいに扱い、気に入らなければ平然と捨て、また次の武器を買う……。彼女は、そういった“道具を道具としてしか見ない”連中が嫌いなんだ。だから、自分が認めた相手にしか武具を売らないというわけだね」
「……なるほど。作り手としての誇り、なんですね」
「あぁ、そういうことだよ」
そう話しながら、彼は王都の中心から外れた、細い路地へと足を踏み入れる。人通りの多い通りからは目立たない、まるで秘密の抜け道のような小径だった。
「と、ここを抜けた先だよ。工房は人目につかない場所に構えているんだ」
「こんなに狭い道の奥に……?」
石畳の細道を抜けた先。そこにはひっそりと佇む建物が一つ。
その入口には木の看板が掲げられており、剣と盾の模様と共に、《魔具工房リュシータ》──そう彫られていた。
「ここが彼女の工房。店主である鍛冶師リュシータさんと、店員が一人。完全に個人経営だね」
「ルーチェ様。私はここで待機しております」
ピーターが一礼し、その場に留まることを示す。
「では、入ろうか」
フェリクスが扉に手をかける。
ルーチェも小さく息を整えて、その後に続いた。
店の扉をくぐると、ほのかに金属と油の匂いが鼻をくすぐった。
壁際の棚には、剣や槍、弓に盾といった多種多様な武具が、傷一つない状態で丁寧に陳列されている。どれもよく磨かれており、照明の光を受けて鈍く美しく輝いていた。
奥のカウンター付近にはショーケースがあり、その中には魔法のこもった装飾品や、希少な魔法道具らしきものが静かに並んでいる。
静かな空気の中、その場にいた店員らしき男性が二人に気づき、穏やかな笑みを浮かべながら頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた低い声だった。
「おや、お久しぶりです、フェリクス様」
「この間はありがとうございました。あれ、大変良い使い心地ですよ」
「それは何よりでございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
フェリクスは微笑を返しつつ、持っていた大きな布袋から二つの袋を取り出す。それはルーチェとフェリクスが高原で集めた、フワムシの綿毛が詰まったものだった。
「フワムシの綿毛を持ってきたのですが、買い取っていただけませんか? そのうえで──」
そう言って、ルーチェの方へと視線を向ける。
「彼女の防具を作成していただきたいのです」
「えっ、フェリクスさん!?」
ルーチェは思わず声を上げた。まさかそんな話になるとは思ってもいなかったのだ。
「……これを、今回の報酬ということで」
フェリクスは目元を細めて、にこりとウインクする。
「ですが……! それは流石に……」
そんなやり取りを聞いていた店員の男性は、ふと小さく首を傾げると、どこか考え込むような素振りを見せたあと、穏やかに言った。
「店主に確認して参りますので、少々お待ちいただけますか?」
そう言って、静かに奥の作業場へと姿を消した。
ルーチェはフェリクスの方を振り返り、声を潜める。
「こういうお店の防具って、本当に高いんじゃ……?」
「ええ。実際、この店の武具は安くない。でも、その分の価値は必ずあると、僕が保証するよ」
淡く自信に満ちたフェリクスの笑みに、ルーチェは言葉を詰まらせる。
「まあ、彼女が気に入らなければ断られるだけだからね。そうなったら普通に報酬を支払うから、安心してくれ」
そしてふと腰を落として目線を合わせると、茶目っ気を込めて続けた。
「そのときは何か美味しいものでも食べてから、王城に戻ってゆっくり本でも読んで、魔物の話でもしようか」
「……はい!」
少し緊張していたルーチェも、自然と笑顔を浮かべて頷いた。
「お待たせしました。店主をお連れしました」
奥から戻ってきた男性に続いて現れたのは、一人の女性だった。
上半身はタンクトップ、下半身は動きやすそうな作業用のズボンに、重たそうな革製のブーツ。頭にはバンダナを巻き、髪は邪魔にならぬよう一つに束ねられている。露出の多い格好ながら、全身からは鍛えられた職人の気配が漂っていた。
彼女こそが、《魔具工房リュシータ》の店主──リュシータ本人である。
リュシータは鋭い目つきで、じっとルーチェの姿を見つめた。少しつり上がったその目はどこか睨むようでもあり、しかしそれは敵意ではなく、観察の視線だった。
(あ…ちょっと、怖いかも…)
「………」
言葉もなくルーチェを見つめ続ける彼女に、先ほどの店員が咳払いをひとつ。
「店長、ご挨拶だけはした方がよろしいかと」
「あ……そ、そうだったわね」
突然我に返ったように、リュシータが肩をすくめる。そして少し不器用そうに口を開いた。
「…あたしはリュシータ。この店の店主よ。よろしく」
「初めまして。冒険者のルーチェと申します。よろしくお願いします」
軽く頭を下げながら挨拶を返すと、リュシータは再びじぃっとルーチェを見つめてきた。あまりに真剣な視線に、思わずルーチェも気まずそうに目を逸らす。
「…しかし、王城の司書と冒険者がどうやって知り合うのかしらねぇ…」
彼女が小さくぼやくと、それにフェリクスが笑みを浮かべて応じる。
「ルーチェ君は、セシの街をデッドタートルから救った英雄少女なんですよ」
「その呼ばれ方、まだちょっとソワソワするんですけど…」
ルーチェが頬をかきながら小声で抗議する。
「英雄少女、ね…」
リュシータは意味深に呟いた。彼女の口元が、わずかに緩んだようにも見えたが、それ以上は何も言わない。
「とりあえず、買い取りの話だけど……物を見てから判断してもいい?」
「もちろん。採ってきたばかりの素材ですからね」
フェリクスがにこやかに袋を差し出すと、集めた綿毛が丁寧に広げられていく。
リュシータは黙ったまま、素材の一つひとつを指先で確かめるように触れていった。白くふわふわした綿毛の質感、張り、弾力、香り。目を細めながら真剣な表情で品定めしていく。
「確かにこれは──採ってそれほど時間が経ってないものね。白さと柔らかさがちゃんと残ってる。いいわ、なかなかの出来よ」
「フワムシの綿毛は、時間が経つと色がくすんだり、手触りが悪くなったりするそうでね」
不思議そうに見ているルーチェに、フェリクスが補足するように言った。
「そうなんですね……!」
「よし、これ全部買い取るわ」
はっきりとした口調で、リュシータが宣言する。
「ありがとうございます、リュシータさん」
フェリクスが嬉しそうに礼を述べると、リュシータは腕を組んだまま小さく頷いた。
「さて、防具の件だけど…」
リュシータはルーチェを正面からじっと見つめたまま、言葉を続けた。
「密かに──信じられないわね。こんな子供が、デッドタートルを倒したなんて」
その言葉に、ルーチェは少し肩をすくめる。
「……それはまあ、そうかもしれません」
「デッドタートルを殺した武器、今持ってる?」
リュシータの問いに、ルーチェは腰に下げていた剣に手を伸ばした。
鞘から静かに抜き出されたのは、セシの街の武器屋のお兄さん、ハルクが作った、短めの剣。魔力を通すことで魔法剣としても使えるもので、ルーチェはその言葉を聞いたときのことを思い出していた。
「これです…」
ルーチェが差し出した剣を、リュシータは無言で受け取ると、まるで真贋を確かめる目利きのようにじっと観察し始めた。
「……」
しばらく沈黙が流れたあと、リュシータはふと言った。
「……これ、ほとんど使ってないわね?」
「…はい。デッドタートルとの戦いの後、数回くらいしか……。王都に来るまでは、一緒に来た騎士の二人が前衛に出てくれてたので、私は後ろからサポートってことで杖ばかり使ってて」
「……じゃあ、その杖も見せて」
言われるままに、ルーチェは杖袋から自身の愛用の杖を取り出して差し出す。
リュシータは剣から杖へと視線を移し、そちらも細かく観察した。
「こっちは確かに、使い込んでる痕があるわね……」
黙々と確認し続けるリュシータ。その様子を見ながら、ルーチェの胸の奥には不安がじわじわと広がっていく。
(これ……やっぱり、作ってもらえない感じかな……)
『どうでしょうね……』
影からリヒトの声が届くが、彼の口調にもわずかな不安がにじんでいた。
ルーチェがドキドキしながら視線を落としたその時、リュシータがすっと距離を詰めてきた。
「えっ──」
驚きつつも身を固くするルーチェの前にしゃがみ込み、リュシータは彼女の身に着けているローブ、そしてその下に覗く皮の鎧に視線を走らせる。
布の質、ほつれ、汚れ、補修跡、動きやすさへの配慮──あらゆる要素を一瞬で読み取っているようだった。
「……なるほどね」
やがてリュシータは立ち上がり、腕を組む。そして、短く口を開いた。
「──作ってあげてもいいわ」
「ほ、本当ですか!?」
思わず声を上げるルーチェに、リュシータは少しだけ口元を緩めて頷いた。
「ええ。貴女は、道具を雑に扱わない人みたいだし。きちんと使って、きちんと手入れしてる。あたしはね、そういう人になら手を貸してもいいと思ってるのよ」
「ありがとうございます、リュシータさん!」
ルーチェがぱっと笑顔を見せて頭を下げると、影からリヒトの穏やかな声が響いた。
『良かったですね、お嬢様』
その言葉に、ルーチェはほっと息をつきながら、改めて礼を述べたのだった。




