第75話 綿毛の贈り物
高原の風に乗って、ふわふわと漂うフワムシたち。
その姿は、まるで空に舞う綿菓子。小さく、軽く、柔らかく、それでいてかすかに魔力を感じさせる。
フェリクスがしゃがみこみ、一匹をそっと両手で包み込むように持ち上げた。
「見てくれ、ルーチェ君。この個体……形も色も理想的だ。ふわふわ度も高い」
隣に膝をついたルーチェも、一匹のフワムシを指先で軽くつつく。フワムシは特に警戒する様子もなく、ぽよんと小さく弾んだ。
「……可愛い。毛玉みたいですね」
「あぁ、実に素晴らしい……。ところで、ルーチェ君」
「はい?」
「……君は今朝、繭夢と契約して新たな仲間を得たわけだが……その、もう一匹契約してみる気はないか?」
「……もう一匹、ですか?」
「フワムシはスライムのように、育つ環境や摂取したものによって進化先が大きく分岐するんだ。もし君に余裕があって、繭夢以外の進化個体も見たいというのなら……その、もう一匹契約してもいいのではと……」
(確かに、あの子は既に進化してるんだもんね。進化前の段階から見られるのは面白そう……)
『魔力的には問題ありません。お嬢様さえよろしければ、私共に異論はありません』
リヒトの声に、ルーチェはこくりと頷く。
「……できるなら、もう一匹、契約しようかと思います」
「本当かい! では、ぜひその瞬間をこの目で……!」
「別に構いませんけど……」
「おっと、そうだった! ルーチェ君、馬車で話していた“例のやつ”……今こそ、お見せしよう!」
フェリクスが立ち上がり、手を軽く広げる。
「魔力をこうして……ほんのわずか放出するだけで───」
ふわり。
まるで待っていたかのように、辺りのフワムシたちが一斉にフェリクスの周囲へと集まってくる。
一匹、また一匹……さらに、数十匹。気づけば彼の体の周囲はもふもふの渦に包まれていた。
「わ、わあ!? こ、これは……想定以上の密度……!」
「うわっ、さすがに集まりすぎじゃ!?」
腕、肩、頭、腰回り──全身にふわふわとまとわりつくフワムシたち。まるで彼自身が綿毛の精霊にでもなったような姿だった。
「む、目が……目が痒い……もふっ……ふふ、ははは! これは……くすぐったいな!!」
「少し離れてください! 深呼吸して──!」
慌てたルーチェが手を伸ばすも、フェリクスは既に“フワムシの柱”と化していた。
「……この状況、名前を付けるなら……“ワタまみれフェリクス現象”って感じですね……」
「そ、そんな名前、後世に残されても……!」
ルーチェがそっと魔力の波長を変え、逆にフワムシたちを鎮めるよう働きかけると、興味を失ったように彼らはふわりと舞い上がり、再び風に乗って散っていった。
「……ふう、ふわふわだった、最高の体験だ……」
フェリクスが眼鏡を押し上げ、立ち上がる。髪の間から最後に一匹だけ、名残惜しげに這い出て空へと舞い上がっていった。
「懲りないですね、フェリクスさん」
「観察は、実地こそ命だからな! さて、それじゃあ、この中から契約する個体を選ぼうか!」
ルーチェが「どの子にしようかな」と視線を巡らせていたそのとき、風に吹かれて一匹のフワムシが転がってきた。
他の個体よりもやや小さく、まだ成長しきっていないのか、動きもふわふわと頼りない。
「おっと、大丈夫? 小さいから、風に転がされちゃったのかな」
ルーチェがそっと両手を差し出すと、小さなフワムシはくしゅんっとした音を立てて手の中に収まった。
『あるじー、ありがとーっていってるー』
ずっと帽子に擬態していたぷるるが、フワムシの思念を訳してくれる。
「ふふ、どういたしまして」
『あるじ、ゆめのにおい、するって』
「夢の匂い……? あ、もしかして繭夢の鱗粉がローブに残ってたのかな」
ルーチェは自分の袖を軽く摘む。
『いいにおいー、っていってるよ』
「そっかそっか、いい匂いか〜。君は繭夢の匂いが好きなんだね」
フワムシはぴょこぴょこと揺れて、ルーチェの指先に小さく頭突きするように応えた。
『あるじ、ぷるる、ともだちなりたい』
「この子と?」
『うん、だめー?』
「ううん、だめじゃないよ。この子にちゃんと聞いて、この子がいいよって言ってくれたらね」
『ほんとー?』
ぷるるは嬉しそうに地面に降り、小さなフワムシの目の前へと跳ねて行く。そして、互いに転がったり跳ねたりしながら、何かを交信し始めた。
しばらくして、ぷるるがくるっと振り返る。
『いいってー!』
「そっか。ぷるるの友達になってくれて、ありがとうね」
ルーチェが微笑みながら小さなフワムシにそっと手をかざす。
「今、汝と誓いを結ぶ。光を我が手に、絆を我が胸に。古き世界の理を以て、新たな盟約は結ばれる。
───《絆の誓約》」
魔力が契約の形となり、淡い光が二人を包み込む。やがて光が収まると、フワムシはコロンとルーチェの腕に身を預けた。
『あるじ、できたー?』
「うん、大丈夫だよ。……君にも、後で名前を付けてあげるからね」
ルーチェは、契約したフワムシが飛んでいかないよう《魂の休息地》へとそっと送り届けた。
「こ、これが……ルーチェ君と魔物との契約……! 実に興味深い……!」
フェリクスの手には、スケッチブックがあった。
「フェリクスさん、それは……?」
「フワムシのスケッチだ! ほら見てくれ、このふわふわの質感……触れば柔らかいというのが絵から伝わってくるだろう!?」
「えぇ……いい感じですね……」
(フェリクスさんの熱量がすごい……)
『やはり、お嬢様以上の魔物好き…ということですね』
リヒトがこっそりと囁いた。
「スケッチ、生態の観察は完了だ。あとは……この落ちた綿毛を回収しよう。これは魔法を込めた防具や魔道具の素材になる。職人に売ればお金になるどころか、手製のアイテムと交換してもらえることもあるんだ」
「わぁ……」
ルーチェは転がる綿毛をひとつひとつ拾い集めていく。袋が次第に膨らんでいき、パンパンになる頃には、空の様子が変わっていた。
気がつけば、多くのフワムシたちが上空へと舞い上がっている。
その中に、ぴたりと寄り添い合って飛ぶ二匹の姿が見えた。
「そもそもこの大量発生は、フワムシ達が交尾のパートナーを見つけるために行われている──というのが定説だ。あれらはパートナーを見つけられた“勝ち組”というわけだね」
「なるほど……」
ルーチェは空へと手をかざす。ふわふわと、雲のように風に乗って昇っていく綿毛たち。
それはまるで、夢のかけらが空へ旅立っていくかのようだった。
「ところで……これ、どうしましょう?」
ルーチェは、綿毛の詰まった袋をフェリクスに見せる。
「そうだな……。王都にいる、私の知り合いの店に行ってみると良いかもな。魔法武器や魔法防具、魔道具の製作を行っている職人の女性で、性格は少し気難しいですが──腕前は王都でも五本の指に入るほどなんだよ」
「へぇ……!」
「リュシータという名前の女性で、王都に来る前は、鉱山の街でドワーフの鍛冶職人に弟子入りしていたそうなんだ」
「それは本当に凄いですね。王都に戻ったら、そのお店の場所を教えてください!」
その夜、ルーチェは昨日と同じ場所にテントを張っていた。相変わらず部屋は二つしか取れなかったため、フェリクスたちは宿に、ルーチェは屋外で過ごすことにした。
焚き火の明かりがちらちらと揺れる中、ルーチェはテント前に腰掛けて悩んでいた。
「んー……フワムシと繭夢……名前、何がいいかなあ」
『カッコイイヤツガイイ』
『かわいいのー』
『お嬢様が見た目や印象などでお決めになれば、問題ないかと』
影狼ノクス、スライムのぷるる、そしてリヒトが、口々に好きなことを言ってくる。
「んー……」
ルーチェは夜空を仰ぎ、しばらく黙ったまま考え込んだが──
「よし、決めた!」
ルーチェはまず、繭夢の方へ手をかざす。
「汝に名を与えよう。汝の名は───ソンティ」
そして次に、フワムシの方へも手を伸ばす。
「汝に名を与えよう。汝の名は───アミティエ」
繭夢──ソンティはのそのそと身を揺らし、フワムシ──アミティエはころころと跳ねる。どちらも、喜んでいるようだった。
「ふふ……二匹とも、よろしくね」
夜風に揺れる焚き火の灯が、仲間たちを柔らかく照らしていた。
***
翌朝、ルーチェたちは王都への帰路についた。
「またいつでも来ておくれよ〜!」
村の入り口で出迎えてくれた、あの気さくな村人のおばちゃんが、にこやかに手を振ってくれる。ルーチェも馬車の小窓から身を乗り出し、手を振り返した。
(ぷるるにお友達ができて、良かったなぁ…)
『今、ぷるる様はアミティエ様と“ころころ転がる遊び”をしておいでです』
リヒトの声が頭に響く。
(……昨日の“謎の交信”みたいな感じかな……)
思い出してふふっと微笑む。
「ルーチェ君、ありがとう。これで私の本に、新たなフワモフ生物が刻まれるよ……!」
フェリクスが満足げに言う。
「いえ、なんだかんだで私も新しい仲間ができましたし……こちらこそありがとうございました」
「約束通り、報酬も支払うよ」
(……真面目にしてればクール系なのに。なんというか、惜しい人だなぁ)
結んだ長髪に銀縁メガネ。本を読んでいる姿は絵になるし、黙っていればきっとモテる───そんな印象がある。
……あくまで、“黙っていれば”の話だが。
ルーチェは内心の感想は飲み込み、素直に微笑んだ。
「ありがとうございます」
こうして、“ふわもこ珍道中”の旅は、ひとまずの終わりを迎えた。
春の風が優しく吹き抜ける───。
繭夢とフワムシ。新たに加わった二匹の仲間たちとともに。
ルーチェの旅路は、さらに鮮やかな彩りを帯びていくのだった。
王都へと着いたのは夜だった。王都の空には星が瞬き、石畳に馬車の車輪が鳴る音が静かに響いていた。
御者のベンに王城の城門前まで送ってもらった二人はベンに別れを告げた。
「ベンさん、道中ありがとうございました」
「いえいえ、こっちこそ、楽しい旅をさせてもらいやしたから! また何かあれば依頼してくだせぇ!」
そう言うと馬車と共に去っていった。
城門の灯火に照らされたフェリクスの眼鏡が、一瞬、銀色に光る。
「ルーチェ君。明日、話していた工房まで案内しますよ。私がいた方が彼女と話もしやすいだろうしね」
「ありがとうございます。でも司書の仕事は大丈夫なんですか?」
「心配せずとも、熱心に本を読みに来る方はルーチェ君くらいしかいないからね」
ルーチェは思わず小さく笑ってしまう。
「なら、よろしくお願いします、フェリクスさん」
その一言に、フェリクスは満足げに頷いた。
──馬車の音が遠ざかっていく。
ルーチェはふと、今朝見上げた青空とは違う、深く澄んだ夜の空に目を向ける。
(明日も、良い日になりますように)
静かに、心の中で願いながら、彼女は王城の中へと歩を進めた。
ちなみに、ソンティの元となったソンテという言葉は、フランス語で『健康』や『乾杯』を意味する言葉で、アミティエの方は、同じくフランス語から『友情』を意味する言葉が、名前の由来となっています。




