第68話 断罪の宵
王女エステルはつかつかと歩みを進め、給仕係の元へと向かった。その歩みに迷いはなく、その表情には明らかな怒気が滲んでいる。
給仕係の前に仁王立ちすると、鋭い声で問いかけた。
「私の問いに、嘘偽りなく答えよ。──これは貴様の独断か?」
その一言には凄まじい覇気がこもっており、見守る貴族たちですら息を呑む。握った拳には僅かに雷が走り、感情を抑えきれない様子だ。
震える給仕係は、逃げ場のない状況に追い詰められ、しばし唇を噛んだ末に声を振り絞った。
「っ……ジェラール・ド・ランベル子爵の命令で……やりました……!」
その告白を聞いた瞬間、エステルは踵を返し、会場中に響き渡る声で名指しする。
「───ジェラール!!」
その鋭い声に、呼ばれた本人───ジェラール・ド・ランベル子爵は、ビクリと肩を震わせた。その顔色はみるみる蒼白になり、明らかに動揺の色を隠せていなかった。
ジェラールは、一歩、二歩と後ずさる。貴族たちの間にざわ…と騒然とした空気が走り、場の緊張が一気に高まった。
「そ、それは……違うっ! 私はそんな命令など──!」
ジェラールはしどろもどろになりながら、否定の言葉を必死に紡ごうとする。
しかし王女エステルの鋭い視線がその逃げ道を断つ。
「───給仕係が、王女である私の問いに答えた。それを虚偽だと言いたいわけか?」
「……っ」
ジェラールは言葉を詰まらせたまま動けない。
その場に凍り付いたような空気が流れる。
そんな中、貴族の側から新たな声が飛んだ。
「王女様。証言だけでは証拠にはなり得ません」
冷静な口調で進み出てきたのは、貴族の一人───ヴィクトール・バランシア侯爵である。
「この場で咎め立てを急ぐあまり、無実の者を断罪することなど……決してあってはならぬこと。……私はそう考えますが」
柔らかく、それでいて堂々とした口調。一部の貴族たちは「もっともだ」と頷き合い始める。ヴィクトールの立ち位置や影響力を意識してのことだった。
「ふん……“無実”ならば堂々と出て来ればよいだけの話だ」
エステルは臆することなく、冷ややかに言い返す。その瞳には一切の揺らぎがなかった。
ヴィクトールは目を伏せ、口元にわずかな笑みを浮かべる。
(──これで、ようやく私の望む流れになる。ジェラール……ご苦労だったな。お前の役目はもう終わりだ。……文字通りにな)
エルガルドに対し、ヴィクトールに視線を向けた。
「陛下。恐れながら、この場において申し上げたき儀がございます」
「…緊急事態の今、ここでか?」
エルガルドの表情が曇る。
「──今でなければならないのです」
ヴィクトール・バランシア侯爵は一歩進み出て、恭しく頭を垂れた。
「……よかろう。申してみよ」
王の許しを得たヴィクトールは、すっと会場を見渡した。
「──この給仕係は、子爵殿の命によるものと申しました。その真偽は定かではありません。ですが、果たしてそれだけが原因と言い切れるでしょうか」
場の視線がヴィクトールに集中する。
「そもそも、突き詰めれば──全ては“あの娘”が原因ではありませんか」
ヴィクトールは、いまだ倒れたままのルーチェを指し示した。
「──何が言いたい?」
エルガルドの声には明らかに怒気が滲んでいた。
「まだ14の、しかも平民の娘が大型の魔獣など討てるはずがありません。おそらくは街の者たちを誑かし、その手柄を独占したのでしょう」
言葉を畳み掛けるヴィクトール。
「加えて──その娘は“テイマー”でございます。魔物を操るなど、いかに危険な力か……」
「……」
王は無言のままだ。
「考えてもみてください、陛下。この娘こそ、魔獣を意図的に操り、街を襲わせた張本人。そのうえで、英雄気取りの芝居を打った──と見れば、腑に落ちます!」
会場がざわりとざわめく。
「恐れおののいた者が、やむにやまれず排除に動いた。これは当然の流れではありませんか?」
ヴィクトールの言葉に、一部の貴族たちが頷き始めていた。
「あの娘こそ! 断罪すべき、諸悪の根源!! この国から排除すべき“危険な魔女”なのです!!」
ヴィクトールは高らかに言い切った。
───その時だった。
「───あの、お話中すみません。私、まだ死んでないんですが……」
場に響いた声に、誰もがはっとした。
視線の先、ルーチェが口元をハンカチで拭いながら、エステル王女たちの方へと歩み寄ってきていた。
「なっ──!?」
「なぜ死んでいない……」とでも言いたげな顔でヴィクトールが目を見開く。
ルーチェはくすりと微笑む。
「そのような顔をなさらないでください、ヴィクトール様。何故死んでいないのか、不思議ですか?」
「そ、そのようなことは……!!」
「……まあ、実に簡単な話ですよ」
ルーチェは手にしたハンカチを広げて見せた──。
白いハンカチには、吐いたはずの液体が赤紫色に染みていた。だが、それは明らかに血液の色ではない。
「ルーチェ……これは?」
エステルが問いかける。
「ええっと、汚くて申し訳ないんですが───さっき食べたベリーの果汁です」
ざわり、と会場が再びざわめく。
「しかし、確かに先程──血のような赤い液体を吐いていなかったか?」
困惑したようにエステルが問う。
「それはですね……」
ルーチェはふわりと近くの貴族の女性の前に立った。
「──そのグラス、お借りしてもよろしいですか?」
「あっ、え、えぇ……」
女性は戸惑いつつ、白ワインの入ったグラスを差し出した。
「……《色彩屈折》」
ルーチェが小さく詠唱すると、透明だった液体が血のように赤く染まった。
「と、このように、光魔法で水の色を変えたわけなのですが……。まあ、これを使わずとも、そもそも解毒も出来るので。とはいえ──どうやら上手く“化けの皮”が剥がれたようですね」
ルーチェはグラスをテーブルに戻すと、そのまま給仕係の元へ歩み寄った。
「給仕係さん───貴方は“毒入りの瓶”を二つ持っているのではありませんか?」
途端に給仕係の顔色が変わり、脂汗が浮かぶ。
「レオニスさん」
「おう」
レオニスは給仕係のポケットを探り──案の定、二本の瓶を取り出した。
「ルーチェ、これは一体……?」
エステルが問う。
「最初に飲んだ時からずっとですよ。──全部、毒入りでした」
「なんだと!?」
レオニスが驚愕の声を上げた。
「───給仕係さん。私の問いに嘘偽りなく答えてください」
ルーチェはピンク色の光を帯びたリボンを手に巻きながら、そっと給仕係の手に触れた。
「貴方がジェラール様から渡されたのは──この“即効性の猛毒”の瓶だけなのではないですか?」
「そ、それは……」
《──そうだ、ジェラール様に貰ったのは確かに猛毒の方だけだ……だが、それを言えばティーナが……!!》
「大丈夫ですよ。もう貴方は責めません」
ルーチェは小声でそう言うと立ち上がった。そのまま踵を返すと、ジェラールの方へ向かった。
「な、何だ!? 俺は何もしていない! 来るな、魔女めっ!!」
「──これ以上、私に向けて“魔女”と言うのなら、私にも考えがあります。《聖縛鎖》……!」
白い鎖が現れ、ジェラールの身体を絡め取り、膝をつかせる。
「ぐぅっ───!?」
ルーチェは、少しだけ怒っていた。
「……私は“魔法使いの女の子”であって魔女ではありませんけど。──もし魔女と思いたいなら、それらしく解決いたします」
そう言うとルーチェは、《絆の光》を巻いたままの右手で、ジェラールの口元を掴んだ。
「───“人質”はどこですか?」
「───ッ!?」
(な、なぜ人質のことを!? ……だが大丈夫だ、今頃騒ぎを聞きつけたあの男があの女を……!!)
──ティーナらしき少女が縛られ、物置部屋に閉じ込められている記憶がルーチェの意識に流れ込んでくる。
(ノクス──)
影の中に潜んでいたノクスが、すぐさま《影移動》で走り去った。
ルーチェは手を放した。
「無礼だぞ! 俺を誰だと思って───!」
ジェラールを見下ろすルーチェ。
「別に、貴方が誰であろうと、私には関係ありません。誰がやろうと、私のすることは変わりませんから」
そのやりとりの最中──エルガルドが階段を下りてきた。
「ルーチェ」
「はい、陛下」
「……この状況について、説明をしてもらえるか?」
「もちろんです、陛下。ただ……もう少しだけお待ちいただけますか?」
「……それは何故だ?」
「役者が、まだ揃っておりませんので」
その瞬間──ルーチェの影から黒い影が飛び出した。
───ノクスだ。
ノクスの背には、腕を縛られ、口に布をかまされたメイドの女性ティーナが乗せられていた。そして影の手によって、もう一人、ナイフを握った、いかにも小悪党然とした男が床に引きずり出される。
「ぐぇっ……!!」
情けない声を上げて、男は床に叩きつけられた──。
「───揃いましたね」
ルーチェが静かに告げた。
「この者たちは……?」
困惑した声で、エルガルドが問う。
「給仕係さん──これで正直に、全て話せますよね?」
ルーチェは優しく微笑みかけた。
「貴方は、ジェラール様とヴィクトール様、──お二方から“別々に”話を持ち掛けられていたのではありませんか?」
「……は、はい……その通りです……」
「──血迷ったか!!」
ヴィクトールが怒声を浴びせた。
「──騒々しいぞ、ヴィクトール!!」
エルガルドの一喝に、ヴィクトールは息を飲み、言葉を呑み込んだ。
「──ジェラール様が給仕係さんに渡したのは“即効性の猛毒”──飲めば即死するような代物です」
「──一方、ヴィクトール様が渡したのは“緩効性の毒”──すぐには効果が現れず、少量ずつ飲ませれば徐々に体を蝕んでいくもの……」
「……何で、二人が“別々の毒”を?」
レオニスが問いかけた。
「……そこまでは分かりませんけど──便乗したかったんじゃないですかね?」
「──便乗、だと?」
エステルが不可解な表情を浮かべた。
「ルーチェさん、それはどういう──?」
近くにいたキールが訊ねる。
ルーチェはキールに視線を向けて、言った。
「──さっき、“卑しい魔女”がどうの……って言ってましたよね? つまり、“私が来たから事件が起きた”と広めたかったんじゃないかなって──そうすれば、他の人たちの意識を誘導できるから」
「……なるほど。筋は通っているな」
エステルが小さく頷いた。
「──小娘が世迷言を……!!」
ヴィクトールは悔しそうな声を漏らした。
「結託していたというより、恐らく──ジェラール様の計画に、ヴィクトール様が“後から”便乗した……それが今回の真相かと」
ルーチェは淡々と語った。
「……そうであったか……」
エルガルドは深く頷いた。
「──ジェラール・ド・ランベル子爵、ならびにヴィクトール・バランシア侯爵──二人を拘束せよ!!」
騎士たちがすぐに駆け寄り、二人を取り押さえる。
「俺を誰だと思ってるんだ!! 離せっ!!」
「お待ちください陛下!! これは魔女の謀略です!! 私は何もしていない!!」
軽くため息を吐きながら、エステルが二人へ近づく。
「後でしっかりと話を聞かせてもらおう。連れて行け」
ジェラールとヴィクトール、さらに床に転がっていた男までも、騎士たちによって連行されていく。
給仕係はその場に呆然と立ち尽くしていたが、縄を解かれたティーナが駆け寄り──その胸に飛び込んだ。
「ピーターっ!!」
「ティーナ……!! 怖い思いをさせて……すまなかった……っ」
「いいのっ……貴方が無事なら、それだけで……私は……!」
二人はしっかりと抱き合った。
「──ルーチェさん、本当に肝が冷えましたよ……」
キールが悲しそうな顔を向けた。
「ごめんなさい……意図を探るには、あれが一番良いと思って……。テオさんにも止められたんですけど……」
「……だって、言ったって聞かないんだもん。てか迫真すぎ。あんま騒ぎすぎないようにって言ったじゃん、マジで毒飲んだんじゃないかってビビったんだからね?」
テオが後ろから、ジトっとした目を向ける。
「本当に、ごめんなさい……」
ルーチェはテオにも頭を下げて謝った。
「さて──ルーチェよ。命じた者がいたとはいえ──そこの男は“実行犯”だ」
エルガルドの視線が給仕係へ向けられる。給仕係がビクリと身を竦ませた。
「処罰、されるのですか……?」
ルーチェが尋ねた。
「……せねばならぬだろう……」
エルガルドはルーチェを見据えた。
「ルーチェは、この者に与える罰はどのようなものが適切と考える?」
王の問いに、ルーチェは少し考えてから答えた。
「給仕係さんは、人質を取られて脅されていたわけで…その、もちろんやったことは悪いことですけど、悪いことをやろう思ってやった訳じゃないから、そこまで悪いのかといえば違うような気もして……」
そこまで聞くと、エルガルドは僅かに息を吐いた。
そして静かに──だが厳しく言い放った。
「そなた、ピーターと言ったな。──本来であれば、毒を盛るなどという大罪、断じて許されるものではない。だが、そなたは貴族に脅され、しかも正直にすべてを明かし、少女の命と名誉を救うことに助力した。その情状、酌量の余地ありと見る」
ピーターは驚いた顔で国王を見る。ティーナもその言葉の続きが気になるようで王を見つめていた。
「よって王命とする。使用人ピーター、並びにメイドのティーナ。そなたら二人、以後しばらくの間、このルーチェの専属世話係として仕えよ。彼女の命に従い、誠心誠意仕えることで、罪を償うがよい。……よいな?」
「はい、誠心誠意尽くさせていただきます!!」
「陛下…恩赦を賜り、感謝いたします…!!」
ピーターとティーナの二人は、深々と頭を下げた。
「ルーチェよ。此度は、余の不甲斐なさゆえに巻き込んでしまい、すまなかった……。さぞ怖い思いをしたであろうな」
「いえ。こういう目に遭う可能性があることは覚悟していました。陛下のせいだとは思っていません」
「……そう言ってくれると救われる。何かあれば、その二人に何でも言いつけるがよい。もし不手際があれば、遠慮なく申すのだ」
「かしこまりました、陛下」
国王は立ち上がり、場にいる者たちに向けて声を張る。
「皆、よく聞け。この者…ルーチェは、知恵と力をもってセシの街を救った英雄である! 危険を恐れず、困難に立ち向かい、それを乗り越えた姿は……今、お前たちの目に焼き付いたはずだ。───この者は決して“卑しき魔女”などではない!! 今後、そのような発言を口にする者があれば、エルガルド・ヴァレンティーナの名において、厳罰に処すと心得よ!」
静まり返った空間に、王の言葉が厳かに響き渡った。
───こうして、波乱に満ちたパーティーは幕を下ろしたのであった。
毒殺未遂にしては罰が軽いのではって?
私もそれは思わなくもないのですが、まあナーロッパ系ファンタジーということで大目に見ていただいて……。