第65話 夜会の幕開け
伯爵から贈られたピンク色のふわりとしたドレスを身にまとったルーチェは、レオニスの案内の元、キールやテオと合流していた。二人もパーティー用の礼装に身を包み、髪型もきちんとアレンジされている。
「ルーチェさん、よくお似合いですね」
「ルーチェ、中々様になってるじゃんか」
二人は顔をほころばせつつ、それぞれ反応を示す。
「そ、そうでしょうか……。着慣れていないので不安で……」
ルーチェはずっと気になっていたことをパーティー前に聞くことにした。
「そういえば、キールさんとレオニスさんはお知り合いだったんですよね? このパーティーに参加してるってことは……レオニスさんも貴族の方なんですか?」
ルーチェの問いかけに、レオニスは「あっ」と声を漏らして頭を掻いた。
「……そういや説明してなかったな、悪い悪い」
「ルーチェさん、改めて紹介します」
キールが笑いながら続ける。
「彼はレオニス・オルセリアン。オルセリアン公爵家の三男で、今は王国第二騎士団に所属してるエリートなんですよ」
(キールさんのお家と同じ、公爵家……!?)
「おいおい、キール。そういう言い方やめてくれ。コネで入ったと思われたら面倒だろ?」
「大丈夫ですよ、ちゃんと剣の腕もすごいって、私が保証します。子供の頃から強くて頼れるお兄さんでしたから」
「俺はキールより三つ年上だけど、まあ、友達っていうより兄弟みたいなもんだな」
「仲がよろしいんですね……!」
ルーチェは嬉しそうに二人を見比べて微笑んだ。
レオニスは照れ隠しのように小さく咳払いし、少しだけ表情を引き締めて言った。
「改めまして。王国第二騎士団、機動遊撃隊副隊長のレオニス・オルセリアンだ。今後ともよろしく、ルーチェ様」
「はい、こちらこそ。よろしくお願いします」
ルーチェは笑顔で、ぺこりと頭を下げた。
そんなルーチェに、テオが自然に手を差し出す。
「さて、行こうか? お姫様。流石に貴族の坊ちゃん方にエスコートさせたら、あらぬ噂が立ちかねないからね。今日は俺がずっとついてるから、安心して」
「は、はい……テオさん」
ルーチェはその手を取り、そっと歩き出す。
キールとレオニスは後ろを歩き、四人はパーティー会場へと向かっていった。
四人がたどり着いたのは、王城の中でも最も格式高い大広間だった。
天井は遥か高く、幾重もの繊細な彫刻と彩色が施され、そこから大きなシャンデリアがきらめくように吊り下がっている。壁際には大きな窓が並び、夜の庭園を見下ろしていた。
床は光沢のある白銀の大理石で磨き上げられ、中央には華やかな絨毯が敷かれている。
奥の壇上には王族の席が設けられ、その下に貴族たちが思い思いの衣装で集まっていた。
中央部分は広く空けられ、舞踏会用のダンスフロアとして用意されている。
片側には立食形式で料理と飲み物の卓がずらりと並び、給仕たちが忙しく立ち働いている。
王国各地から届けられた美酒、色とりどりの前菜、香ばしい焼き物、芸術的な菓子……どれも目にも舌にも楽しいものばかりだ。
「わぁ、凄い……」
『流石は王城の大広間……なんと豪華な……』
テオは、そんなルーチェにそっとささやく。
「人が多いし賑やかだから何も起きない、なんて油断してたら足元すくわれるよ。いくら王様や王女様がルーチェを認めてるからって、他のいけ好かない連中は同じとは限らないでしょ? だから、くれぐれも気を抜かないようにね?」
「はい。気を付けます」
「……ルーチェさん、すみません。父に呼ばれたので少し話してきます」
キールがルーチェに声をかける。
「悪い、俺もちょっと外すわ」
レオニスも軽く手を挙げると、別の方向へと歩いていく。
「行っちゃった……」
ルーチェはぽつりと呟いた。
「ま、貴族には貴族のあれこれがあるんじゃない? 挨拶回りとか……俺にはよく分からないけどさ」
隣のテオが肩をすくめて言う。
「そういうものなんですかね……」
ルーチェは少し不思議そうに首を傾げ、キールたちの背中を目で追った。
「あれが、例の……」
「セシの街を救ったという……」
「ただの幼い娘ではないか……」
少し離れた場所では、貴族たちがヒソヒソと噂している。ルーチェは声までは聞き取れないものの、視線だけははっきりと感じ取っていた。
(謁見の間ほどじゃないけど、こっちはこっちで……視線が痛い……)
「ルーチェ、なにか食べに行く?」
「いえ……まだそんなにお腹空いてなくて……」
テオの問いに、ルーチェは小さく首を振った。
「ま、無理するよりはいいよ。お腹が空いたら言って。ドレスにその靴だと歩きにくいだろうから、取ってきてあげるよ」
「ありがとうございます、テオさん」
ルーチェはそっと周囲を見渡す。
貴族たちは華やかな衣装に身を包み、親しげに談笑する者もいれば、相手を品定めするような鋭い視線を向ける者もいる。
その中には、ルーチェに対してあからさまに値踏みするような眼差しも混じっていた。
(……あの人たちは、どう見ても好意的じゃないなぁ……)
そんなルーチェの心中を察したのか、テオが肩をすくめて苦笑する。
「まぁ当然か。貴族の中には、平民がこういう場にいること自体が気に入らないって連中もいるでしょ。どれだけ活躍した英雄でも関係ない、ってやつ」
「……でも、こういう時って、堂々としていた方がいい……んですよね」
「そう、それでこそ“英雄少女”だね」
テオが冗談めかしてウィンクしてみせる。
「ま、王族の人らはルーチェに好意的だったじゃん。あんな連中のことは気にせず堂々としてようよ。気を抜くなとは言ったけどさ、あくまでもいつも通りにね」
「……はい!」
ルーチェは胸の奥で小さく息を整えた。
──その頃。
ホールの片隅、一人の貴族青年が薄く笑みを浮かべていた。
───ジェラール・ド・ランベル子爵。
子爵家の三男にして、ルーチェの存在を快く思わぬ者のひとりだった。
「……平民風情が英雄面をして王城に上がるとは……この“魔女”め……」
ジェラールはニヤリと笑う。
そして──その背後にはもうひとり、鋭い目をした貴族がいた。
───ヴィクトール・バランシア侯爵
冷ややかな視線でジェラールの動きを静かに見つめている。
(さて、どうなるか……)
ヴィクトールは薄く、意味深な笑みを浮かべた。
やがて会場に、一段と華やかなファンファーレが鳴り響いた。
ざわついていた貴族たちの声が一斉に静まり、誰もが壇上の方へと視線を向ける。
「……陛下のお出ましだね」
テオが小声でルーチェに教えてくれる。
壇上の大扉が静かに開かれる。
ヴァレンシュタイン王国の国王エルガルド、第一王子エドワード、第二王子エミル、そして第一王女エステルが、順にその姿を現した。
国王は重厚な金刺繍の礼服に身を包み、堂々たる風格を漂わせている。
エステルは深い濃紺のドレスに身を包み、黄金の髪を気高く結い上げていた。その眼差しは鋭くも聡明で、会場全体を静かに見渡している。
エドワードとエミルもまた、王族らしい格式ある礼服を纏い、それぞれに毅然とした面持ちを保っていた。
その時、エステルの視線が一瞬だけルーチェの方を捉えた。ふっとわずかに微笑んだかと思うと、すぐにまた凛とした表情へと戻ってゆく。
(急に目が合ったから、びっくりしちゃった……)
ルーチェは胸の内でそっと息を整えた。
やがて国王が壇上に進み出ると、厳かに開宴の挨拶を始めた。
「本日は我が王国の未来を祝すとともに、新たなる英雄の栄誉を称える場とする───。
───セシの街を救った冒険者、ルーチェ殿」
高らかに響く国王の声に、会場内がざわめいた。
ルーチェは一瞬驚きながらも、慌てず壇の前に歩み出て、静かに一礼をする。
「少女が、英雄と……?」
「王自ら名を呼ぶとは……」
貴族たちの間に再び囁きが飛び交う。
ルーチェは何事もなかったように立っていた場所へと戻った。
(……やっぱり、まだ慣れない……)
胸の中で小さく呟く。
そして国王の言葉が締めくくられた。
「では───杯を掲げよう。我が王国の繁栄と、英雄たちに敬意を」
「乾杯!」
会場中にグラスが一斉に掲げられる。
その時、一人の給仕がルーチェの元へと近づいてきた。
「こちらをどうぞ。乾杯用のお飲み物でございます。ルーチェ様はまだご成人前と伺っておりますので、特別にご用意させていただきました」
差し出されたトレイの上には、薄紅色の美しいジュースが注がれたグラスが一つ、静かに置かれていた。
(わぁ……綺麗なジュース……)
ルーチェは薄紅色のグラスをそっと手に取った。
何のジュースだろうかと《鑑定》を使用した、その瞬間───。
『お嬢様……こちらは……、このベリーのジュースには毒が入っております……』
リヒトの声が静かに響く。
(ど、毒……)
ルーチェは顔色ひとつ変えず、心の中でリヒトに語りかけた。
(リヒト、毒の内容は……?)
『緩効性の毒……ですね。すぐに体調に変化が現れるものではありませんが……』
(そっかぁ、……毒、かぁ……)
ルーチェは「んー……」と小さく唸るような仕草をした。
『お嬢様。まさかとは思いますが、よからぬ事をお考えでは?』
(いや……うん。だって、私《状態異常治癒》持ってるし……飲んでも大丈夫なんじゃないかな。即死するわけじゃないなら、《毒耐性》とか獲得できそうだし)
『……流石に危険でございます。お嬢様の執事として、それはお奨めは致しかねます』
(でも……変だよね。私のことが気に入らなくて排除したいなら、普通もっと即効性の猛毒を盛るんじゃないの? なんで緩効性の毒なんだろう……)
『確かに……。あえて緩効性にしたのには、何か意図があるのかもしれません』
心の中でそんなやりとりをしていた時───。
「ルーチェ」
隣から声がかかった。
「テオさん?」
ルーチェが顔を向けると、テオがじっとルーチェの手元のグラスと彼女の表情とを見比べていた。
「……」
何か言いたげな、鋭い視線だった。
おおっと、何やら不穏な空気…。