第65話 夜会の前に
王城へ戻ると、玄関ホールでメイドたちが待ち構えていた。
「おかえりなさいませ。お待ちしておりました、ルーチェ様」
メイドの一人がにこやかに声をかけてくる。
「あの……これは?」
「エルガルド陛下より、ルーチェ様用にパーティードレスをご用意するようにとの仰せがございました。いくつかご用意しておりますので、試着をお願いしたくお待ちしておりました」
「お、良かったじゃんかルーチェ。杞憂だったな!」
「はい、良かったです……!」
ルーチェは胸を撫で下ろす。
「じゃ、俺は護衛の役目を無事に果たしたって報告してくるからよ。また夜にな!」
「はい、レオニスさん、ありがとうございました!」
「おう、またなー!」
ルーチェはメイドたちの案内で城内へと向かう。
(夜に、ってことは……やっぱりレオニスさんも貴族なのかな? キールさんやクリスさんとも知り合いだったみたいだし……)
『そうですね。気になりますが、夜になれば分かることでしょう。それより今は、パーティーの準備をしましょう』
(だね!)
ルーチェの泊まる部屋に戻ると、いくつかのドレスが既に用意されていた。
『──そういえばお嬢様、今ふと思い出したのですが……』
ふとリヒトに言われて、ルーチェはぷるるを呼び出し、ぷるるの《異空間収納》から大きな包みを取り出した。
(あ、これ……)
それはセシの街を出る時にエリュールから渡された“王都で必要になるもの”だった。包みを開けてみると、そこには柔らかなピンク色のドレスと、同じ色合いの低めのヒールの靴、そして一枚のカードが添えられていた。
『伯爵様が用意されたパーティー用の装いです。きっと王都で必要になると。もちろん、陛下のお召し物がよろしければそちらをお召しになって構いません。緊張なさるでしょうが、いつも通りのお嬢様で十分魅力的です。──頑張ってくださいね』
(エリュールさんって、ほんとなんでもお見通しなんだよね……。どこかから見てたりして……)
カードを読んでいたルーチェに、一人のメイドが近寄ってくる。
「ルーチェ様、こちらのドレスは……?」
「えっと、これは……ノヴァール伯爵が用意してくれたドレスだそうです。でも、陛下の用意してくれたドレスでもいいって書いてあるので、このドレスも含めて一度全部試着してみても大丈夫でしょうか?」
「もちろんです、私どもがお手伝いいたします」
こうして、ルーチェのドレス試着会が始まるのであった。
メイドたちは用意していたドレスや靴、小物類を、見やすいように次々と並べていった。部屋の一角はすっかり小さなドレスサロンのような雰囲気になっている。
「まずはこちら、陛下がご用意されたものです」
最初に選ばれたのは、淡いブルーに銀糸の刺繍が入った優雅なロングドレス。肩から腕にかけては透け感のあるシフォンがかかり、腰のリボンがアクセントになっていた。
「さすが王城のパーティー用ですわね、格式の高さは申し分ありません」
「ルーチェ様、どうぞご試着を」
ルーチェはメイドたちの手助けを受け、そっと袖を通す。鏡に映る自分の姿はどこか凛とした雰囲気に変わっていた。
『とても綺麗ですよ、お嬢様』
(うん…でもちょっと、大人っぽすぎる気がするかも…)
「続いてはこちらはいかがでしょう」
次に出されたのは深みのあるワインレッドのドレス。胸元はやや開いたデザインで、ウエストから裾にかけてはすらりとしたラインが美しい。
「お色が映えて、大人の女性らしい雰囲気ですわ」
「ルーチェ様の白い肌にもとてもよく映えるかと」
再び試着してみると、確かに綺麗だが、どうしてもどこか「背伸びしている」印象があった。
(きっともうちょっと私らしいのが…)
「ではこちらなど──こちらは春をイメージした一着でございます」
次に選ばれたのは淡いミントグリーンのドレス。胸元は優しいカーブ、袖に小花の刺繍が散りばめられており、ふわりと広がる軽やかなスカートが特徴だった。
「まあ、爽やかで可愛らしいですわ」
「けれど春向けの軽さもございますし、今宵の正式なパーティーには少々くだけすぎてしまいますかしら…」
「さて、最後に──こちらがノヴァール伯爵様よりお預かりしたものですね」
ノヴァール伯爵が用意したのは、優しいローズピンクにフリルとレースがあしらわれたドレスだった。胸元や袖口に可憐な装飾が施されていて、上品さの中に可愛らしさも漂う。
ルーチェは袖を通し、スカートのふんわりとした感触を感じた。
鏡に映った姿は──やはり今までのどれよりもしっくりくる。
「まあ……!」
「でも、ルーチェ様にはやはりこちらの方が……!」
「このフリルのラインがとても可愛らしいですわ!」
「このスカートのふわりとしたシルエットが愛らしくて素敵ですもの……!」
鏡の前でメイドたちは口々に言葉を並べる。
ルーチェは少し照れくさそうに笑った。
『どれも素敵でしたが…やはり、このドレスが一番貴女らしいですね』
(うん、私もそう思う)
「では、今夜はノヴァール伯爵様のお選びになったこのピンクのドレスをお召しになるということで?」
「はい。…伯爵様が選んでくれたものですし、せっかくなので、このドレスを着ようと思います」
「かしこまりました。それでは、改めて整えさせていただきます。今しばらくお待ちくださいませ」
「はい、ありがとうございます!」
ルーチェは胸が高鳴るのを感じながら、今夜のパーティーに思いを馳せていた──。
「髪を整えたりお化粧をするお時間もございますので、後ほどお迎えに上がりますね」
書庫まで付き添ってきたメイドが、柔らかく会釈して去っていく。
書庫の扉をそっと開けると、中ではフェリクスが本を丁寧に棚へと戻しているところだった。
「フェリクスさん、こんにちは」
「おや……ルーチェ様。いらっしゃいませ」
フェリクスは本を抱えたまま少し頭を下げた。
「ルーチェ様……つかぬことをお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい? なんでしょうか?」
フェリクスは少し言い淀んだあと、目をきらきらさせて言った。
「ルーチェ様は……冒険者なのですよね?」
「はい、まだDランクですけどね」
「その、もし差し支えなければ……これまでどのような魔物と出会われたのか……その……魔物にまつわるエピソードなどを、ぜひお聞かせ願えませんでしょうか」
フェリクスはやや控えめながらも、期待に満ちた表情で見つめてくる。
「もちろん、いいですよ!」
ルーチェは笑顔でそう答えた。
そしてルーチェは、冒険者になってから出会った魔物たちについて語っていく。さすがに有名な「七の魔獣」の一匹、《緑癒獣》との遭遇の話は、フェリクスをあまりにも驚かせてしまいそうだったため、その件はそっと省いて話すことにした。
一方のフェリクスはというと、静かに何かを描きながら話を聞いている。紙に滑るペン先の音が時折聞こえてきた。ふとその紙を覗きこむと、そこにはルーチェが語った魔物たちのスケッチが丁寧に描かれていた。
「フェリクスさん、絵がお上手なんですね」
「いえ。昔、ほんの少し絵を習っていた程度でして……」
フェリクスは穏やかに微笑み、紙をルーチェの方へと差し出す。
「どうでしょうか? 記録にある文献と、ルーチェ様のお話を照らし合わせて描いてみたのですが」
差し出された紙には、ルーチェが見た魔物たちの姿が、見たままの形で忠実に描かれていた。
「すごい! そっくりです。あっ、でも……ゴブリンキングとデッドタートルは……」
ルーチェは少し言葉に詰まり、眉を寄せた。
「私が戦った時は、その二匹……もっと禍々しい感じで……。ゴブリンキングは、もっと太っていて、お腹のところに、ぐにゃぐにゃした紋様がついていて……。デッドタートルの甲羅にも、妙な模様が……」
「ほう……それは記録にない特徴ですね。もしよければ、その模様をここに描き加えていただけますか?」
差し出されたペンを受け取り、ルーチェは記憶を頼りに紙の隅にその模様を描き込んだ。
「……なるほど、これは……」
「恐らく、凶暴化によるものだと思います」
「ふむ……。そうであれば、今後の調査資料としてとても貴重な情報ですね」
「フェリクスさんは、凶暴化についてどう思われますか?」
ふとした疑問が口をついて出る。ルーチェの問いに、フェリクスの表情が一瞬きゅっと引き締まる。
「……許せません」
静かだが、確かな怒気を含んだ声だった。
「私は、魔物という存在そのもの───自然の中に生き、その営みの一部となっている彼らが好きなのです。それなのに……人為的に暴走させ、挙げ句の果てに“道具”のように利用するなど……愚の骨頂、ですね」
「道具……」
「……やはり、正確な情報を知るには、現場に足を運び、目で見るべきなのでしょうね」
そこまで言って、ふっと表情を緩めたフェリクスは、改めてルーチェに向き直る。
「貴重なお話、ありがとうございました。おかげでいろいろ整理がつきました」
「いえ、フェリクスさんが喜んでくれたなら、何よりです」
その時、コンコン、と控えめなノックが響いた。
「ルーチェ様、そろそろご準備のお時間でございます」
メイドの声だ。
「分かりました」
ルーチェは席を立ち、フェリクスに小さく会釈する。
「フェリクスさん、また来ますね」
「ええ、いつでもどうぞ。お待ちしています」
そうしてルーチェはパーティーの準備へと向かっていった。
メイド数人がルーチェの部屋に集まっていた。ふわりとした照明の中、ドレスや小物、化粧道具がテーブルに並べられている。
「ルーチェ様、まずは御髪を整えさせて頂きますね」
ルーチェは椅子に座らされ、大きな鏡の前に。
「せっかくなら……今日は髪を巻いてみましょうか?」
「そうですね、せっかくならいつもと違う髪型にいたしましょうね。アップでまとめてふんわりさせると、より可愛らしくなりますよ」
「……は、はい。お願いします……」
(わ、わぁ……どうしよう……)
ルーチェは内心そわそわしていた。メイドたちは器用な手つきで髪を巻き上げ、結い上げていく。その間にも話が弾んでいた。
「ルーチェ様は髪が綺麗だから、巻きが映えますねぇ」
「ほんとほんと。この柔らかさ、羨ましいくらいです」
(ひぇぇ……そんなに褒められるなんて……!)
背中がむずむずするルーチェ。
「次はお化粧をいたしますね。ルーチェ様、少しの間、息を止めていてくださいませ」
目元や頬にやさしく筆があてられ、色が重ねられていく。
「ルーチェ様は元が良いですから、ほんの少しにしておきましょう」
「これを塗ると唇がぷるぷるになりますよ」
(ぷ、ぷるぷる……!?)
メイドたちはすっかり盛り上がっていた。
「ふふ、可愛く仕上げましょうね」
「パーティー会場でも、きっと注目されますわ」
(ひぇぇぇ……本当に大丈夫かな……?)
そんなふうにルーチェが内心で右往左往している間に、ヘアメイクは着々と進んでいった。
ドレスも着せ付けられ、最後のアクセサリーまで整えられると、ルーチェは姿見の前へと立たされた。
「流石はルーチェ様、妖精のお姫様のようですね!」
「ドレスもよくお似合いです!」
「間違いなく今宵の主役となるでしょう!」
メイドたちはきらきらとした目でルーチェを褒め称えていた。
「そ、そうでしょうか…?」
ルーチェはソワソワと落ち着かない。
「ルーチェ様。背筋を伸ばした方がより美しく見えますよ」
「はい…頑張ります…!」
姿勢を正そうと頑張るルーチェを、メイドたちは慈愛に満ちた眼差しで見守っていたのだった。
「ルーチェー? いるかー?」
大きめなノック音と共にレオニスの声が聞こえてくる。扉が開くと、パーティーの装いを身に纏ったレオニスが立っていた。メイドたちは黄色い小さな声で静かにキャーキャーしている。
「お、いい感じにお姫様っぽくなってるな!」
「レオニスさんも様になってますね」
「だろ? キールとテオが待ってるから行こうぜ」
「はい!」
メイドたちは後ろからルーチェを小声で応援した。
「ルーチェ様、頑張って…!」
「笑顔ですよ…!」
ルーチェは少し緊張しながらも、そっと胸に手を当てて大きく息を吸った。
(よし、行こう…!)
そうしてレオニスの後に続いて歩き出した。
だいぶ寄り道しましたけど、次回パーティー編突入です。