第62話 囁かれる陰
食事を終えたルーチェは、国王エルガルドに呼ばれ、応接室へと案内された。エステルも付き添ってくれる。
(伯爵様のお屋敷よりも、ずっと立派な応接室だなぁ)
大きな暖炉に、高価そうな壺や絵画――目を引くものばかりが室内を飾っている。
「ルーチェよ。どうか楽にしてくれ。今は我も“王”ではなく、ただのエルガルドだ」
「そ、そう仰られましても……」
「気にすることはない。呼んだのは他でもない、そなたに重要な話があったからだ」
「重要な……?」
「セシ騎士団からの報告によれば、ルーチェは何者かに狙われている可能性がある……そう聞いている。それは事実か?」
「……はい。実際に、一度だけですが狙われました」
「その時の状況を、できる限り詳しく話してほしい」
「分かりました」
ルーチェは落ち着いて語り始めた。
討伐隊に参加し、迷いの森へゴブリンの討伐に赴いたこと。その道中で何者かに狙われ、ノクスに助けられたこと。森の奥にあった遺跡、そこで待ち構えていたゴブリンキングの存在───。
知っている限りの情報を、なるべく詳細に伝えていく。
話を聞き終えたエルガルドとエステルは、顔を見合わせると、重々しく「うむ……」と唸った。
「そうであったか……ゴブリンやゴブリンキングも、デッドタートルと同様に凶暴化させられていた個体だったか」
エルガルドは難しい顔で呟いた。
「ルーチェ」
エステルが声をかける。
「実は王都周辺でも、魔物の凶暴化による被害報告が増えているんだ。王都の冒険者たちや、我々騎士団もその対応に追われていてな」
「そうなんですか……?」
ルーチェが目を見開く。
エステルは頷いた。
「出現場所もかなりバラけている。北に現れたと思えば次は南東、さらに次は西に……。幸い、今のところ怪我人程度で死者は出ていないが、油断ならない状況であることに変わりはない」
エルガルドが口を開いた。
「ルーチェよ。意図的に魔物を操る存在が、この王都に現れ始めたのは──ルーチェがゴブリンたちと対したよりもさらに前のことだ。故に、同一犯とは考えにくい。だが、もしかすると複数犯、あるいは組織的なものかもしれないと、我々は見ている」
「組織……」
ルーチェは小さく呟いた。
「まあ、あくまで仮説の域を出ない、机上の空論に過ぎん」
エステルがやわらかく言った。
「もしかするとその可能性もある──という程度の認識で、心に留めておいてくれればいい」
「分かりました」
エルガルドは紅茶をひと口飲み、それからふっと息をついた。
「それで……だ、ルーチェ」
「はい?」
「明日の予定は、何かあるのか?」
「えっと、午前中に王都の冒険者ギルドへ行こうかと。セシ支部のギルドマスターから、手紙を預かっているので」
「ふむ……。エステル」
「そうですね……私は明日は騎士団長としての公務がありますので……」
少し考えてからエステルは続けた。
「ならば第二騎士団から一人、信頼に足る騎士を私の代わりに護衛につけましょう」
「え、ですが……」
「キールたちにも会いに行くんだろう? キールが知っている男だから、安心していい」
エステルは穏やかに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
そうして話がひと段落した後、ルーチェは使用人のメイドにより客人用のベッドルームへ案内された。
大きくふかふかのベッド。テーブルと椅子、ドレッサーまで備え付けられている。
(お姫様のお部屋みたい……)
「何かございましたら、いつでもお申し付けくださいませ」
メイドは一礼すると、静かに部屋を出ていった。
ルーチェはさっそく布団にダイブすると、両腕を広げてバフバフと堪能する。
「ふかふかだぁ……」
枕に顔を埋め、幸せそうな溜め息をついた。
『何事もなく終えられて良かったです、お嬢様』
「ヒヤヒヤさせちゃったよね……ごめんね、リヒト」
『慣れないことばかりでお疲れでしょう? どうぞ、おやすみください』
「うん、おやすみ……リヒト……」
ルーチェはそのまま目を閉じると、スヤスヤと眠り始めた。
***
───翌日。
王城を出て城下を歩くルーチェ。その少し後ろを、剣を下げた騎士が一定の距離を保ちながら歩いている。
「あの…レオニスさん。なんで後ろを歩いてるんですか…?」
レオニスは頭の後ろで腕を組みながら歩いている。
「何でってそりゃ、護衛だからなぁ」
「でも、案内なら前を歩いた方がいいんじゃ…?」
「俺が前向いてる間に後ろで誘拐されたら困るしなぁ…」
「されませんよ…。じゃあ、せめて横じゃダメですか?」
「……まあ、城から離れてきたし。いいか」
レオニスはルーチェの横に来ると、歩調を合わせた。
(なんというか、レオニスさんに不思議な感じを覚えてたんだけど)
『……と仰いますと?』
ルーチェの心の声にリヒトが応える。
(ちょっとだけハルクさんに似てるんだ。見た目も声も全然違うけど……話し方とかちょっと似てる気がする)
『確かに両者とも、気のいい兄貴分といった印象を受けますね』
ふと、レオニスがルーチェを見る。
「ルーチェ」
「はい、レオニスさん」
「キールとは……どういう関係なんだ?」
「どういう…? えっと、何度か戦闘の際に共闘したりとか…。あとはセシの花祭りで一緒に屋台のスイーツを食べたりとか…」
「ほーん…?」
レオニスは意味深な顔をしていた。だが、ふいにその視線を前方へ移すと、レオニスが前を指さす。
「お、見えたぜ。あれが冒険者ギルドの建物だ」
指し示した先には、セシのギルドよりも重厚な造りの立派な建物がそびえている。
「さ、入るぞ。さっさと終わらせてキールに会いに行こうぜ」
「はい!」
王都の冒険者ギルドは、石造りの堂々とした建物だった。扉を開けて中に入ると、清潔感のある内装が広がっている。
壁は滑らかな灰色の石壁。床にはしっかり磨かれた石のタイルが敷き詰められ、入り口正面に受付カウンターが構えている。
横の掲示板には依頼書が整然と並べられており、セシ支部のような無造作に貼られたものではない。
ギルド内に響くのは、控えめな話し声や足音ばかりで、冒険者たちもどこか品良く振る舞っているように見える。
木の温かみがあったセシ支部とはまた違い、どこか格式や格の高さを感じさせる空気が漂っていた。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどういったご用件でしょうか?」
受付カウンターにいた清楚な雰囲気の女性が声をかけてくる。
「こんにちは。あの、ギルドマスターのクリスさんは今いらっしゃいますでしょうか? セシ支部のザバランさんから手紙を預かっているんです」
「……かしこまりました。念のため、冒険者カードを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
ルーチェはカードを取り出して差し出した。
受付嬢はそれをカウンター横の魔導式端末に差し込み、画面に表示された内容を確認する。
その目が一瞬ギョッと見開かれるが、すぐに表情を整えてカードを抜き返却した。
「あ、あちらのお席で少々お待ちください……!」
ルーチェはレオニスと並んで、壁際の長椅子に腰を下ろす。
「……なんか、びっくりしてなかったか? あの受付嬢」
「えっと……あー……あはは……」
曖昧に笑うルーチェ。
数分後──受付嬢が再び姿を現す。
「お待たせいたしました。ご案内いたします。こちらへどうぞ」
案内されたのは、階段を上がった二階。一番奥まった場所にある、ギルドマスターの執務室だった。