第61話 王家の晩餐
エステルに導かれ、ルーチェは重厚な扉をくぐる。
通されたのは、王族の私的な晩餐にふさわしい格式高い部屋だった。
十数人が座れる長方形のテーブルが中央に置かれ、中央には銀製のキャンドルスタンドが据えられている。蝋燭には既に火が灯されており、控えめな光が部屋の静けさを際立たせていた。
(……わあ……)
思わず息を呑んだルーチェの横で、エステルの落ち着いた声が響く。
「お待たせして申し訳ございません、父上。ルーチェをお連れいたしました」
エステルが恭しく一礼する。ルーチェも慌ててその隣で、少しぎこちないながらも丁寧に頭を下げた。
「お待たせいたしました、陛下……!」
国王エルガルドは穏やかに微笑んだ。
「構わないとも。さあ、二人とも座りなさい」
「こっちだ、ルーチェ。席は私の隣だ」
「……は、はいっ!」
やや緊張しながらも返事をして席へ向かう。
奥には国王エルガルドが静かに座っており、その右手に第一王子エドワード、エドワードの隣に第二王子エミルが座っている。
エステルは王のすぐ隣───窓際の席に腰掛け、ルーチェもその隣へと促されるままに着席した。
ルーチェたちが席に着くと、エミルが穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「ルーチェ様。書庫はいかがでしたか?」
「あ、はい。知らない知識や情報がたくさんあって……とても楽しかったです。司書のフェリクスさんも親切でしたし……」
「それは良かった。あの方は本が好きなだけでなく、信用も置ける者ですから」
「はい、とても丁寧に説明してくださいました」
そのやり取りを聞いていたエステルが、冷静な口調で言葉を添える。
「楽しんでくれたなら何よりだ」
「もちろんです…!」
エステルのその凛とした態度に、ルーチェは自然と背筋を正す。
「おやおや。ふたりばかりで会話を進めるのは、少々寂しいものだね?」
不意に、対面から軽やかな声が飛んできた。声の主は第一王子エドワード。昼間に顔を合わせたエミルとは違い、ルーチェにとっては初対面だ。
「失礼いたしました。えっと、お初にお目にかかります。冒険者のルーチェと申します」
ルーチェは少し緊張しながらも、丁寧に頭を下げる。
「もちろん知っているとも。父上からも話は聞いたよ。セシの街を救った、若くて才気ある少女が来るとね。だが……まさか、こんなに可憐で美しい子だったとは」
キザったらしい笑みを浮かべ、どこか芝居がかった口調で語るエドワード。その言葉にルーチェは少し面食らいながら、曖昧に笑うしかなかった。
(……なんだろう。ちょっと、苦手かも……)
すぐ隣でその様子を見ていたエステルは、ちらりと兄を一瞥しながら、控えめにため息をついた。
直後、静かに扉が開き、使用人たちが皿を載せた銀のトレイを手にして部屋へと入ってくる。
温かいスープの香り、焼かれた肉の匂い、見たこともないような彩りの前菜───
夕食の始まりを告げる静かな空気が、ゆっくりと満ちていった。
エルガルドが穏やかな声で言う。
「緊張せず、気楽に食事を楽しむといい。今夜は礼儀よりも会話を重んじる」
「は、はいっ……ありがとうございます……!」
思わず少し声が上ずってしまうルーチェ。
「時に、ルーチェよ」
ふいにエルガルドが声をかけてきた。落ち着いたが芯のある声に、ルーチェは思わず背筋を伸ばす。
「は、はい、陛下」
「明日の祝宴──パーティーについてだがな。立食形式の食事と、舞踏会が主となる。とはいえ、あまり堅苦しく考えず、楽しんでくれればよい」
「舞踏会……ですか……」
(花祭りでテオさんと踊った、あの時のことを思い出すな……)
ふと記憶に沈んでいたルーチェに、エステルが声をかける。
「ルーチェ?」
「──あっ、申し訳ございません! ちょっと、前にセシの花祭りで踊ったことを思い出してしまって……」
「そうか。確か、あの街では春にそういった祭が開かれていたな」
国王が懐かしむように目を細めると、エミルが静かに補足を加えた。
「セシの花祭りは、春の花の植え替えにあわせて行われるもので、主に恋愛や縁結びに関する意味を持つと聞いています」
「へぇ? いいねぇ、そういう華やかな祭は!」
楽しげに笑ったのはエドワードだった。
「見目麗しい女性たちが着飾って踊るんだろう? 素敵な出会いの場じゃないか!」
あまりに軽々しい物言いに、エステルはジト目で兄を睨みつける。エミルも「またか……」という顔をしていた。
「……確かに、“春風の輪”というイベントでは、昼に踊った相手と、もし気が合えば夜にもう一度踊るんです。それが……一種のお見合いというか、縁結びの儀式みたいなものらしくて……」
そう話すルーチェの声は少しだけ照れていたが、どこか穏やかでもあった。
「なるほど……。ならばルーチェ、明日の舞踏会も、春風の輪のように楽しんでみるといい。格式ばかりに囚われず、自分らしくな」
エルガルドの言葉に、ルーチェははにかんで頭を下げた。
「……はい。ありがとうございます、陛下」
エドワードはどこか得意げに、花祭りの「春風の輪」に関する話を饒舌に語っていた。
「いやあ、実に趣深い! 昼と夜でダンスパートナーが変わるなんて、粋だよね。縁結びと踊りの組み合わせ、まさに運命の出会いって感じだ!」
「……エディよ。客人の前でそうはしゃぐものではないぞ」
「まったく……兄上の口が滑らかな時ほど心配になりますね」
エミルがため息混じりに苦言を呈し、エルガルドも苦笑を漏らす。
エドワードは尚も饒舌に語り続ける
「……やれやれ、少し静かにしないか、エディ」
そんなやり取りが続く中、エステルは静かにルーチェの方へ身を寄せ、小声で尋ねた。
「……ルーチェ」
「はい、エステル様」
「……キールと踊ったのか?」
「春風の輪のことですか? それなら、テオさんです。キールさんは伯爵様のご令嬢に誘われていたので……」
「そうか……アイツも隅に置けないということだな」
エステルはフッと笑った。
食事を味わいつつ、会話に花を咲かせたルーチェは、楽しいひとときを過ごしたのだった。