第58話 王庭のティータイム
エステル、アレン、ルーチェ──その後ろにキールとテオが続き、一行は王城の廊下を進んでいた。
しばらく歩いたところで、エステルがふと振り返る。
「助かった、キール」
ルーチェは思わずキールの方へ視線を向けた。
「……いえ、私は何も」
キールは静かに頭を下げた。
「私自身、あの場を収める妙案が浮かばなくてな。キールの進言がなければ、グダグダと無駄な時間が続くところだった」
そう言ってエステルは肩の力を少し抜いた。
エステルとキールのやり取りを見ていたルーチェは、心なしか二人の雰囲気が似ているような気がして──ふと首をかしげる。
(でもキールさんは公爵家の方で、エステル様は王女様で……?)
そんなルーチェの様子に気づいたのか、エステルがこちらを向いた。
「どうした、ルーチェ?」
エステルは穏やかで優しい声で問いかける。
「あ、あの……恐れながら申し上げますが、エステル様とキールさんって、なんだか少し似ている気がして……」
ルーチェがもじもじと答えると──エステルはふっと吹き出した。
「ふっ……ふふ……」
訳がわからずルーチェはさらに首をかしげる。
「いや、すまない。キールが他人行儀にしているから、かえって混乱させてしまったな。……キール、いつも通りでよいのだぞ」
「そうは言っても、ここは王城ですので。ただの“キール”として控えております」
そんなやり取りにルーチェの疑問はさらに膨らむばかりだったが──エステルはにこりと笑って言った。
「ルーチェ。種明かしをするとだな、実は私とキールはいとこ同士なのだ」
「へ? ──えっ!?」
驚いてキールを見れば、キールはやや気まずそうな表情で微笑んでいた。
「私の母エリーゼは、亡き王妃エレオノーラ様の妹なのですよ」
「そ、そうだったんですね……! 親戚だったとは……全然分かりませんでした……」
「だろうな。似ているといえば……髪の色くらいか?」
「確かに……。……とても綺麗な金髪ですね」
「ふふ、ありがとう」
エステルは穏やかな笑みをルーチェに向けた。
そのやり取りを聞いていたテオが、こそっとキールに小声で話しかける。
「……ちょっと、俺も初耳なんだけど」
「公爵家の人間だというのはともかく……王家の親戚だなんて、そう簡単に言えるわけないじゃないか」
キールは控えめに肩をすくめて答えた。
ほどなくして、一行は先ほど入ってきたロビーのような広間まで戻ってきた。
ふと、エステルが足を止め、振り返る。
「さて、私はルーチェを案内するわけだが……お前たちはどうする?」
「父に呼ばれておりますので、テオと共にそちらへ向かおうかと」
キールは隣のテオに視線をやりつつ答えた。
「そうか。アレン、二人を門まで送ってやれ」
「かしこまりました、姫様」
アレンが静かに頷く。
「ルーチェさん、では後ほど」
「王女様に失礼なことしちゃダメだからね」
そう冗談めかしつつ手を振り、キールとテオは城を後にした。
王城の通路を抜けた先に、その庭園は広がっていた。
色とりどりの薔薇が咲き誇る一帯──赤、白、黄、淡い桃色、紫と、無数の花が甘やかな香りとともに風に揺れている。整然と手入れされた花壇がいくつも並び、その合間を縫うように白い小道が続いていた。
中央付近には蔦と薔薇の絡む優美な白亜のガゼボがあり、涼やかな木陰を作っている。その屋根の下には白い小さなテーブルと椅子がいくつか配され、貴婦人たちが語らい、時に茶会が開かれる場所だという。
庭園全体を取り囲むように、低い生け垣と小さな噴水が配置され、そこに小鳥たちのさえずりが響く。
まるで絵画の一枚のような美しさと、どこか優雅な空気が漂っていた。
「わぁ……! すごく綺麗ですね、エステル様!」
庭園の美しさに思わず感嘆の声を漏らすルーチェに、エステルは満足げに微笑んだ。
「気に入ってくれたようで何よりだ。ルーチェ、少し茶でも飲んでいくか?」
「へっ、でも……いいのでしょうか?」
「もちろん構わないとも」
そう言うと、エステルはガゼボの中でテーブルを拭いていたメイドに声をかけた。
「掃除は終わったか?」
メイドは声の主が王女エステルだと気づき、慌てて姿勢を正す。
「え、エステル様!? はい、ただいま終わりました!」
「掃除してもらったところ悪いが、陛下の客人であるルーチェと少しお茶を飲みたくてな。用意してもらえるか?」
「かしこまりました、すぐに!」
メイドは慌ただしく足早に城の方へと戻っていった。
「そこに座ってくれ」
そう促して、エステルもルーチェの向かいに腰を下ろした。
「失礼します、エステル様。お茶とお菓子をお持ちしました」
ほどなくして、先ほどのメイドが銀の盆に茶器と菓子皿を載せて戻ってきた。ガゼボのテーブルに白磁のティーポットと小さなカップ、そして花の形を模した焼き菓子が並べられる。
「ありがとう」
「それではごゆっくりどうぞ」
深く一礼し、メイドは静かに下がっていった。
「私に遠慮せず、飲んでくれ」
エステルは穏やかに言い、ティーポットに手を伸ばすとルーチェのカップに優雅に茶を注いだ。
「ありがとうございます。……わぁ、いい香り……」
ルーチェは湯気の立つカップを両手で包むように持ち上げ、嬉しそうに微笑んだ。エステルもそんな彼女の様子を見て、ふっと表情を和らげた。
ルーチェは紅茶を飲んだ後、皿の上に並べられた焼き菓子のひとつを手に取り、そっと口に運んだ。
「甘い……美味しいです、エステル様」
「そうか。口に合ったのなら何よりだ」
(紅茶も香りがよくて、お菓子とよく合ってる……)
まどろむような時間の中、その静けさを破るように──ザッ、ザッと草を踏む足音が近づいてくる。
ルーチェは不意に背後を振り返った。
そこに立っていたのは、エステルとよく似た顔立ちの青年。だが、エステルに比べてどこか柔らかな雰囲気を纏っており、ほんの少しだけキールの面影も感じさせた。
「姉上。こちらでしたか。……そちらの方が、もしや…?」
青年の言葉にエステルは頷き、ルーチェの方を向いた。
「ルーチェ、紹介する。第二王子のエミル───私の双子の弟だ」
「ルーチェ様。初めまして。第二王子、エミル・ヴァレンティーナと申します。以後、お見知りおきを」
エミルは丁寧に、深々と一礼する。
「初めまして。ルーチェと申します……!」
ルーチェも慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「せっかくだ。エミルも茶に付き合っていけ」
「ならば、僭越ながらお邪魔させていただきます」
エミルは微笑みながら、静かにテーブルへと加わった。
それを見ていたメイドがすぐに気づき、手際よくエミル用の茶器を用意していく。
「姉上が客人とこうしてお茶を飲まれるなんて、珍しいことですね」
「たまにはな。ルーチェは謁見を終えたばかりだ。かなり緊張していたようだから、少しでも落ち着いてもらおうと思ってな」
「なるほど。陛下との謁見ともなれば、確かに緊張もしますよね」
エミルはそう言って、ルーチェに優しく視線を向ける。
「……はい。実はまだ、ちょっと緊張が抜けなくて……」
ルーチェは照れたように微笑みながら、手元のカップをそっと傾けた。
「姉上の雰囲気が、少し堅いせいでは?」
「ルーチェの前でそういうことを言うな、エミル」
エステルが軽く睨むと、エミルはくすっと楽しげに笑った。
「さて、ルーチェ」
エステルはカップを置いて、静かな声で言った。
「はい、エステル様」
「正直な話、ルーチェを王都へ招くと決めた時、貴族の間でルーチェを国に取り込もうという意見も少なくなかったんだ」
「私を…ですか?」
「あぁ。故に今後ルーチェに接触してくる貴族がいるかもしれない。そういった場合は、自己判断で安易に提案を受けず、我々や…少なくともキール達には話を回してほしい」
「…分かりました」
不安そうなルーチェにエミルが言った。
「王家の意向としては、それを良しとしない…。つまるところ、ルーチェ様には今まで通りのびのびと冒険者を続けてほしいと考えているのです。先程父上から聞きましたが、ルーチェ様は魔物と友になりたいのだとか…」
「はい、その通りです。エミル様」
「であればやはり、自由に冒険者を続ける方が貴女にとってより良いことなのでしょうね」
「えっと…?」
「これからも気にせず、そのままのルーチェでいればいい。…そういう事だ」
困惑するルーチェにエステルがそう言った。
「はい!」
「姉上。申し訳ありませんが、私はそろそろ公務がありますので」
「あぁ、分かった。また後でな」
エミルはゆっくりと立ち上がった。
「ルーチェ様、またの機会に」
「は、はい! また…!」
エミルは軽やかな足取りで去っていった。
「…ルーチェ」
「はい、何でしょうか…エステル様」
「実のところ、私もあまり堅苦しいのが好きではなくてな。私相手にはもう少し普通に接してくれても構わないんだが…」
「そんな、恐れ多いというか…!」
「まあ、それはいずれ改めてもらうとしようか」
しばらく穏やかな時間が流れた。
「さて、そろそろ行くか、ルーチェ」
「はい!」
エステルとルーチェは静かに庭園を後にした。