第57話 問われる想い
謁見の間はまるで聖堂のように、広々としており──そして何より、天井が高かった。
壁に設けられた大きな窓には、美しいステンドグラスがはめ込まれている。窓から差し込む光が、さまざまな色に屈折し、床や壁に虹のような光の筋を描いていた。
中央には、一際長く重厚な赤いカーペットが玉座の前まで真っ直ぐに伸びている。玉座は、カーペットと調和するように金の縁取りが施された赤い椅子。
その玉座に腰掛けているのは──赤いマントをまとい、王冠を戴いた五十代ほどの男性。威厳あるその眼差しが、扉の向こうから現れたルーチェたちを静かに見据えていた。
「ルーチェ様、どうぞお進みください」
アレンが、僅かに優しい声音でそう告げた。ルーチェは緊張しながらも、おずおずと歩き出す。
玉座の間の左右には、貴族と思しき大人たちが控えていた。彼らの鋭い視線が、ルーチェを訝しげに見つめる。
(……あの人たち……こわいなぁ……)
『お嬢様、大丈夫です。堂々と進みましょう』
リヒトが優しくアドバイスをくれるが、ルーチェの緊張は高まる一方だった。
やがて少し前を歩いていたアレンが立ち止まる。
ルーチェも思わずその場で足を止めた。
(……?)
「ルーチェ……ルーチェっ……!」
小声で呼ぶテオの声に振り返ると──キールとテオがひざまずいていた。
「ルーチェさん、大丈夫ですから。私たちと同じようにしてください」
キールが穏やかに声をかけ、手でしゃがむよう合図を送ってくれる。
(……そういうことか……!)
ルーチェはようやく気づき、慌ててしゃがみこむ。
(えっと、こういう時って……何か言わないといけない……? それとも王様から言われるまで待った方がいいのかな……? どうしたら……!)
頭の中ではグルグルと思考が巡り、ルーチェはパニック寸前だった。
「……表を上げよ」
国王は、威厳ある声色の中にもどこか優しさを滲ませてそう言った。
ルーチェはおそるおそる顔を上げる。
そして──国王と目が合った。
その瞬間、王はふっと柔らかな笑みを浮かべると、ゆっくりと言葉を続けた。
「──遠路はるばる、よく参った。セシからは遠かったであろう?」
国王の問いに、ルーチェはあわあわと口を開いた。
「あ、えっと……少し遠かったですけど、旅は楽しかったので……そこまで苦ではありませんでした」
貴族たちの視線が一斉に刺さる。
(……ひぃ……)
まるで「そこは “平気です。お待たせして申し訳ありません” と、もっとかしこまって答えるものだろう」とでも言いたげな空気だった。
だが──
「そうであったか。それは何よりだ」
国王は柔らかに微笑むと、続けて言った。
「それと、無理に堅苦しい口ぶりをする必要はない。話しやすいように話すがよい」
その言葉に、ルーチェは胸をなでおろしながら、ぺこりと頭を下げた。
「か、感謝いたします……国王陛下」
「そのほう、ルーチェと申したな?」
「はい……」
「まずは国王として、セシの街を救ってくれたことに礼を言う。感謝する」
そう告げると、国王は深く頭を下げた。
「へっ!? あ、あの、頭をお上げください、陛下! その……私は冒険者として、当然のことをしたまでで……」
慌てて頭を上げたルーチェの言葉を受け、国王は目を細めて静かに見つめた。
「そうか……そなたにとっては“当然のこと”と申すか……」
国王は口元に手を当て、しばしの沈黙の後、豪快に笑い声をあげた。
「ハッハッハ! そうかそうか。報告どおり、やはり面白い娘だ」
「……へ?」
ルーチェは思わずぽかんと口を開けた。
「さて、ルーチェよ」
「……はい、陛下……!」
「そなたはテイマーと聞いている。それは誠か?」
「はい。私はテイマーでございます。今はスライムと影狼、計二体と契約をしております」
「そうか。では、テイマーであるそなたに問おう。そなたはその力を、今後どう使うつもりだ?」
国王のその一言には、先ほどの優しさとは異なる、厳かな重みがあった。
ルーチェは少し考え込んでから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は……えっと……私と魔物たちの力を、困っている誰かを助けるために使います。それが、どこの誰でも……別の国の人でも、きっと……」
「ほう? 他国の民でも構わず救うと?」
国王がじっとルーチェを見つめながら問い返す。
「もちろん、私の力などたかが知れています。ですが───私は冒険者ですから」
ルーチェは国王の目を真っ直ぐに見据えて答えた。
「そうか……」
国王はルーチェを見つめながら、しばし考え込んだ。
(あれ? これって、下手をすれば『他国に寝返る』と捉えられかねない……?)
『場合によっては……そう聞こえるかと思われます』
リヒトがルーチェにささやくように告げた。
「国王陛下! やはり危険です!」
貴族の一人が声を荒げて立ち上がった。
「他国の者に安易に力を貸すなど、国の安全を脅かす愚行にほかなりません!」
周囲の貴族たちもざわつき始め、一部は同意の声を上げた。
しかし国王は、静かに手を上げて場を制した。
「落ち着くのだ」
国王は静かにそう告げた。その時だった。
「──国王陛下」
後方に控えていた騎士のひとりが、そっと国王の耳元に何事かを囁く。
「よかろう、通せ」
国王の許しとともに、奥の扉が音を立てて開いた。
そこから現れたのは──金の装飾が施された白銀の鎧に身を包み、白い槍を携えた一人の女騎士。
「お話の途中、失礼いたします──父上」
(父上、ってことは……あの人は王女様……?)
「構わん」
国王は微笑んで言うと、ルーチェの方に向き直った。
「ルーチェよ、紹介しよう。こちらはエステル・ヴァレンティーナ。我が娘にして、この国の第一王女だ」
エステルは凛としたまなざしでルーチェを見つめた。
「お、お初にお目にかかります。冒険者のルーチェと申します」
「初めまして、ルーチェ」
澄んだ声で、エステルは応じた。
「……さて、エステルよ。どうだ?」
国王は娘に──というより、彼女が手にする白き槍に視線を向け、問いかけた。エステルもまた槍に目を落とし、少し間を置いて答える。
「……少なくとも、この娘は悪しき者ではありません。もし邪な心を抱いていれば、この槍は必ず反応を示します」
「そうか……」
国王は深く頷いた。
エステルのはっきりとした言葉に、異議を唱えていた貴族たちは「う……」と声を詰まらせた。
そのうちのひとり、比較的若い貴族が「ですが……!」と口を挟もうとするが──
「くどいぞ。控えろ」
エステルが睨むと、貴族はクッと小さく息を呑み、一歩後ずさった。
「無礼を許してくれ、ルーチェよ」
「い、いえ……とんでもございません……。こちらこそ、失言をお詫びいたします。陛下、申し訳ございません……」
「構わん。それがそなたの偽りのない本心なのだろう」
国王は静かに頷くと、再びルーチェに向き直った。
「さて、ルーチェよ」
「はい、陛下……!」
「セシをデッドタートルという脅威から救ったそなたに、褒美を取らせようと思うのだが──」
国王は少し言葉を詰まらせた。
「年頃の、冒険者の娘に渡す褒美は何が良いものかと考えてな……。ルーチェよ、何か望みはあるか?」
「え……っと……」
思わぬ問いに、ルーチェは思わず首をかしげた。
(うーん……何がいいんだろう……。お金は、討伐報酬とか伯爵様からのお小遣いをたくさんもらったし……かといって、地位や名誉は別に欲しくはないしなぁ……)
ルーチェの悩む様子を、国王とエステルは静かに見守っていた。
そして小声で──
「いやはや、面白い娘とは聞いていたが、ここまで欲のない娘も珍しいな。そうは思わんか、エステル?」
「そうですね、父上……」
二人はひそひそと話していた。
「あっ!」
突然ルーチェが声を上げ、場の視線が一斉に彼女に集まった。
「あ、えっと……で、であれば陛下。ひとつ、私の望みを叶えていただけませんか?」
「ほう、申してみよ」
「えっと……私は、本が読みたいのです」
「本……?」
「はい。できれば、魔物の生態が書かれているような図鑑や書物がありましたら……その閲覧の許可をいただけないかと……」
国王は少し不思議そうな顔を向けた。
「それは構わんが……何故だ?」
「ええっと……」
ルーチェは少し恥ずかしそうにしながら口を開いた。
「私は……毛が、ふわふわもふもふとした動物が好きなので……。何か、そういう魔物や魔獣が載っていたりしないかなぁって……思いまして」
その言葉に、国王はさらに首を傾げた。
「それを知って、どうする?」
エステルが問いかける。
「できれば……友達になりたいなって……」
ルーチェはそう言って、照れくさそうに微笑んだ。
「契約して……いや、友としてどうする?」
更なるエステルの問いに、ルーチェは首をかしげた。
「どう……する……?」
しばらく考えた末、(戦力が増えるけれど、その力を使って今後どうするつもりか?)という意図なのだと気づいた。
「えっと、申し訳ございません。正直、どうするつもりもなくて……強いて言うなら、もふもふふわふわを愛でようと思っていただけで……」
「愛でる……とな……」
国王も、周囲の貴族たちも思わずぽかんとしていた。
そんな中──
「国王陛下、失礼ながら発言をお許しいただけないでしょうか」
ルーチェの斜め後ろに控えていたキールが、一歩進み出て言った。
「よかろう。申してみよ」
「はい。……彼女は、見ての通り裏表のない、大変素直な女性です。言葉も正直で、その心も真っすぐです。彼女がテイマーであると知れ渡ってもなお、セシの街で受け入れられたのは、他ならぬその人柄と、他者を思いやる優しさの賜物だと、私は思っております」
キールの言葉に、エステルはフッと微笑んだ。
「父上。……あの者が、しかも公爵家の者がそう申すのであれば、もうよいのではありませんか? ……私も見極めてやろうという気概で臨みましたが……なんだか、毒気を抜かれた気分です」
「ふむ……そうだな」
国王も微笑を浮かべ、ルーチェに視線を向けた。
「ルーチェよ。試すような真似をしてすまなかったな」
そう言って、国王はにこりと笑った。
「───ルーチェ」
「はい、陛下」
「そなたには、王城の書庫の閲覧許可を出す。魔物の図鑑だけと言わず、気になる本があれば──禁書以外は、好きに読むがよい」
その言葉に、ルーチェはぱあっと笑顔を咲かせた。
「ありがとうございます、陛下!」
国王はその素直な反応に目を細め、次いで隣の王女へと視線を向けた。
「エステル。この後の予定はどうなっておる?」
「騎士団の訓練はございますが……時間は取れるかと」
「そうか。ならば、王城の案内をしてやるとよい。……ルーチェ、構わぬな?」
「は、はい! もちろんです!」
国王は一つ頷くと、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
「……今日の謁見はこれまでとする。ルーチェよ、以後も励むがよい」
「は、はい! 感謝いたします、陛下!」
ルーチェが深く頭を下げると、エステルがすっと前に出てきた。
「それでは、父上。私がご案内いたします」
「うむ。頼んだぞ、エステル」
貴族たちも一礼し、場は徐々に和らいだ雰囲気へと変わっていく。
「ルーチェ、お前たちも───行くぞ」
エステルに促され、ルーチェは胸の高鳴りを抑えつつ、緊張感に包まれていた謁見の間を後にするのだった──。