第56話 王都ヴァレンシュタイン
馬車の中、揺れと心地よい温もりについウトウトしていたルーチェの耳に、キールの声が届いた。
「───チェさん、ルーチェさん、起きてください」
「ふあ……」
目を開けた隣で、テオが軽く笑いながら言う。
「ルーチェ。もうじき王都だよ、準備しないと」
「わっ! すみません!」
慌ててルーチェは寝癖を手ぐしで整え、服の乱れを直す。
やがて、馬車は丘を登り、視界が開ける。
馬車の中から顔を出すと、遠くに堂々たる城の姿が見えた。白い石造りの城壁に囲まれた城下町が、その麓に広がっている。
「……すごい」
思わずルーチェは声を漏らした。
街道沿いには王都を目指す馬車や旅人の姿が多く見える。荷を積んだ商人の隊列、旅の冒険者たちの姿もある。その行き交う人の流れに、ここがただの街ではないことが感じ取れた。
城下を囲む巨大な白い城壁は、セシの街のそれよりもはるかに高く見えた。
(大きい……立派な城壁だなぁ……)
ルーチェはその迫力に圧倒されつつ、丘を下った馬車がやがて城門の前に着いた。
門の中で馬車が止まり、ルーチェたちは順に馬車を降りる。
「身分証を確認します」
城門の脇に立つ騎士が手を差し出す。ルーチェは自分の冒険者カードを取り出して差し出した。
ところが、騎士はカードとルーチェの顔をじっと何度も見比べている。
(……何だろう?)
「あの……失礼かとは思いますが、もしかして……貴女がセシを救ったという……」
「えっと、そんな大袈裟なことじゃないですけど……多分そうです…。あっ、国王様からのお手紙もあります。これです」
ルーチェは鞄から“国王からの手紙”を取り出した。
「……確かに。王家の紋章ですね。大変失礼いたしました。王城にて国王陛下がお待ちです」
ルーチェは手紙と冒険者カードを鞄に戻し、騎士に頭を下げる。
「ありがとうございます」
こうして、いよいよ王都の中へと足を踏み入れた。
門を越えて街中へ入ると、さらに活気は増す。石畳の広い通りには人波が絶えず、露店の賑わい、行き交う騎士の隊列、鮮やかな衣装をまとった貴族らしき一団までが目に入る。
「これが……王都……」
ルーチェの胸はわずかに高鳴る。
ルーチェたちは再び馬車に乗り込み、王城へと向かって進むことになった。
セシの街では二階建ての建物が多かったが、王都では三階建て、四階建ても珍しくない。道幅も広く、馬車がすれ違っても余裕があるほどだった。
街を行き交う人々の数も多い。店の呼び声や笑い声が飛び交い、まるで祭りでも開かれているかのような賑わいだ。
「すごい、セシの街より人が多いですね」
思わずルーチェが声を漏らす。
「えぇ。ですが、これが彼らにとっての日常なんですよ」
隣でキールが教えてくれた。
「とりあえず俺らはルーチェと一緒に国王様と謁見して、それが終わったら、俺とキールは……キールん家に行くからね」
テオが気楽そうに言う。
「私は……どうしましょう?」
ルーチェが小首を傾げると、テオは冗談めかして肩をすくめた。
「まあ、セシを救った英雄少女様なら、お城見学ツアーとか連れてってもらえたりすんじゃない?」
「有り得そうな話ですが、何事もないなら……折角ですし、私の家にご招待しますよ」
キールが穏やかに微笑む。
「いいんですか!」
「ええ、もちろん」
馬車は王都の中を真っ直ぐ進んでいく。
王城へと続く大きな石橋と、その手前にそびえる門が見えてきた。
「──あれが、ヴァレンシュタイン王国の王城です」
隣のキールがそう告げる。
ルーチェは目を見開き、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「とりあえず、王様の手紙は出しといたら?」
「そうですね、出しておきます」
ルーチェは鞄から王家の紋章入りの手紙を取り出し、胸元でしっかりと抱える。
やがて馬車はゆっくりと門の前に止まった。
門の脇には、銀色の鎧をまとった衛士が二名立っている。一人が馬車に近寄り、凛とした声で告げた。
「ここより先は王が治める聖域──ご用件をお聞かせ願いたい」
ルーチェは息を整え、なるべく丁寧に言葉を選びながら口を開いた。
「わ、私はセシの街から参りました。冒険者のルーチェと申します。国王陛下よりお手紙を賜りまして……本日、その、謁見のために参上いたしました!」
衛士はルーチェの顔をしばし見つめたあと、手にした手紙へと視線を落とした。
(……多分、さっきの門のところの騎士さんと同じこと考えてるんだろうなぁ……)
ルーチェはそんなことを思った。
やがて衛士は静かに頷き、背後へ声を張り上げる。
「門を開け──国王陛下の客人がご到着だ!」
重厚な門がゆっくりと開いていく。
さすがに荷馬車はこれ以上入れないらしく、三人は徒歩で大きな石橋を渡ることとなった。
「おっきい……!」
ルーチェは目を輝かせて辺りを見渡す。
「はいはい、落ちちゃうから。国王様が待ってるんだし、後で見ようねー」
テオがルーチェの首根っこを掴んで引っ張っていく。
「ぐええ……」
「テオ、ルーチェさんが苦しそうだよ。放してあげて」
隣のキールに言われ、テオはパッと手を離した。
「……助かった……」
「……というか、こんなことしてて首とかはねられないよね?」
「国王陛下は、そんなことで急に斬首なんて言わないよ……」
「キールさんは国王陛下に会ったことがあるんですか?」
「ええ、まあ……数回程度ですが」
そんな会話をしながら、三人は橋を渡りきり、さらにその先の門へと辿り着いた。
そこには鎧を身にまとった騎士が静かに立っていた。
「──遥々セシから、よくぞお越しくださいました」
騎士は一歩前に出て、礼をとる。
「私は王都を守護する、王国第二騎士団副団長、アレン・クライドと申します。国王陛下より命を受け、皆様を謁見の間までご案内申し上げます」
そう言って、アレンは深々と頭を下げた。
彼の案内に従い、ルーチェたちはいよいよ王城の中へと足を踏み入れるのだった。
白を基調とした西洋風の城内。
床には金の刺繍が施された深紅のカーペットが敷かれ、壁には歴代の王や王妃の肖像画が荘厳に並んでいる。
高い天井には美しいシャンデリアが吊るされ、窓から差し込む光が白壁にやわらかく反射していた。
アレンの案内で階段を上がり、長い廊下を進む。
やがて、ひときわ大きな両開きの扉が目に入った。
扉の前には鎧姿の騎士が二人立っている。
アレンの姿を認めると、二人は胸に手を当て、敬礼を送った。
アレンは扉の前で一礼し、扉の隙間から中へと入っていった。
ややあって、中から低く堂々とした声が響く。
「国王陛下。セシを救った冒険者、ルーチェ様とその護衛騎士二名がご到着されました。お通ししてよろしいでしょうか」
「……うむ。通すがよい」
王の言葉を受け、アレンは再び扉の外に戻ってくる。
扉の騎士たちが手をかけ、ゆっくりと大扉が開かれる。
その奥には、豪奢な玉座の間が広がっていた。
(わ……大きい……)
ルーチェは思わず息を呑む。
アレンが一歩前に出て言った。
「それでは──お入りください」