第52話 王都からの手紙
食事を終えて、一息ついた頃───ルーチェはエリュールに案内され、伯爵邸の応接室へと通された。
伯爵は奥の一人掛けソファに、キールとテオは隣同士の二人掛けソファに腰掛けている。ルーチェは、長方形のローテーブルを挟んで伯爵と向かい合う形の一人掛けソファへと座った。
エリュールは伯爵の斜め後ろ、控えるように立っている。
「さて、話というのはだな───これのことだ」
伯爵が手元から取り出し、差し出したのは真っ白な封筒。封蝋には気品ある薔薇の紋章が刻まれている。
「これは……?」
「ルーチェ。これは国王陛下からの書状だ」
「こ、国王陛下……!?」
思わずルーチェは声を上げた。
「そうだ。まずは読んでみるといい」
伯爵に促され、ルーチェは封を切った。中の手紙には細かな筆致で、難しい言い回しの文章がびっしりと並んでいる。
ルーチェは眉をひそめながら読み進めるが──
『お嬢様。恐らくですが──これは“今回の件の功労者として、お嬢様を王城に招きたい”という意図のものだと思われます』
リヒトが静かに助言してくれる。
「私を……王城に……?」
ぽつりと呟いたルーチェに、伯爵はゆっくりと頷いた。
「そうだ。セシを救った件───その働きを聞き及んだ陛下が、直々に礼を述べたいと仰っている」
「あー……まあ、そういう話が来るとは思ってたけど──それならルーチェだけ呼べばいいんじゃないの? 何で俺らまで?」
テオが素直な疑問を口にする。
「それは僕から説明するよ」
伯爵が答える前に、それを遮るようにキールが口を開いた。
「実はね、実家から手紙が届いてて。その内容が──“ルーチェさんの護衛として王都行きに同行し、国王陛下への謁見が終わったら我が家に顔を出せ”……ってものだったんだ」
そこでキールは少し肩を竦めてみせる。
「そこには、“テオも一緒に”って、書いてあったんだよ」
「あーなるほどね、理解したわ」
テオは苦笑しながらも、すぐに納得した様子だった。
「───ということだ」
伯爵が改めて話を締めくくる。
「三人には早速、明日の昼にでも王都へ向かって出発してもらう。馬車はこちらで手配しよう」
「わ、わかりました……!」
ルーチェはしっかりと返事をする。
(三人旅ってことか……楽しみだなぁ)
ルーチェの胸の中ではワクワクとした気持ちが膨らんでいた───。
「───ところでキール、帰る前に話がある」
伯爵がふと真顔で言った。
「テオとルーチェは、ここで菓子でも食べているといい」
伯爵は視線をエリュールに向ける。
「……エリュール」
「はい、すぐに」
エリュールは静かに一礼すると、すっと部屋を出て行った。
やがて数分後、戻ってきたエリュールは、ルーチェとテオの前に小さなティートレイを置き、焼き菓子や小さな果実を添えていく。
***
夜風の通る静かなバルコニー。月光が石畳に柔らかく差し込み、白く浮かび上がる。キールと伯爵は並んで立ち、ワイングラスは石の手すりの上にそっと置かれていた。
「君も知っての通り……前から娘が、君との“縁談”をせがんでいてな」
伯爵はグラスの中の赤い液体を軽く揺らしながら、遠く夜の湖を眺める。
「……ええ。父や母からの手紙にもそのような話がありました。伯爵には申し訳ないですが、お受けでき兼ねると、お返事は差し上げました」
「……無論、知っているとも」
短い沈黙。グラスの中の液体が微かに揺れ、その音が静寂の中に溶けていく。
「……彼女も理由の一つか?」
伯爵の視線の先には、応接間の中、テオと並んでお菓子をつまみながら楽しげに話すルーチェの姿があった。
「えっ! ……あ、いえ……その……。彼女は、あくまで“親しい友人”ですし、これから旅を共にする仲間というだけで……」
「……そうか」
伯爵はそれ以上問わず、グラスを静かに置くと、ゆっくりと背を向けた。
「───ただ」
キールの静かな声に、伯爵の足が止まる。
「私の叶えたい夢の件もあります。この機会にセレナ様には、はっきりとお伝えすべきではないかと、そう考えておりました」
「……そうだな。ハッキリと伝えねば、いつまでもあのままか」
伯爵は渋い顔をしながらも、納得したように小さく頷いた。
「しばらく会えなくなるのだから、セレナと庭で話をしてくるといい。すぐに呼びに行かせよう」
「感謝いたします、伯爵」
キールは軽く頭を下げ、部屋の中へ戻っていく。伯爵はその背中をしばし見送っていた。
「───最初は絵空事と思っていたが……共に夢を追う友ができたというわけか」
ふと視線を向けると、応接室の中ではルーチェ、テオと談笑するキールの姿が映っている。
その柔らかな光景に、伯爵はわずかに目を細めた。
「さて───セレナを呼ばなくてはな」
そう呟き、グラスを片手に伯爵は静かに応接室へと戻っていった。
***
キールは庭に立っていた。そこへザッザッと庭の草を踏む音が近づいてくる。
「キール様」
振り返ると、セレナが立っている。その顔はどこか浮かない様子だった。
「セレナ様、お呼び立てして申し訳ございません。貴女様に、大事なお話がありまして……」
「……何でしょうか、キール様」
「単刀直入に申し上げます。……私は、貴女と婚約はできません」
その言葉に、セレナの顔が曇る。
「なぜ……とお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……理由は二つあります。一つ目は、私が公爵家当主の座を継ぐつもりがないからです」
「……それは、なぜですの……?」
「……私は王都の冒険者ギルドでギルドマスターをしている叔父上のように、“冒険者”として生きたいと思っております」
「冒険者……」
(やはり……あの娘の影響でしょうか……。あの娘は知っていたのでしょうね……)
「二つ目は……私には、大切にしたい仲間がいます。……だからこそ、今の私に“貴女様との未来”は……考えられません」
セレナは目を伏せた。だが、なおも唇を噛む。
「……ほんの短い間しか共に過ごしていない娘に……。キール様のお心など……分かるものですか……。わたくしは……ずっと、ずっと……幼い頃からお慕いしておりましたのに……」
その震える声に、キールは胸の奥が痛んだ。だが、優しい言葉はかえって残酷になる──そう思い、ただ静かに、深く頭を下げた。
「……申し訳ありません」
その姿に、セレナは小さく息を呑んだ。
(あぁ──もう……これは……)
小さく首を振り、かろうじて顔を上げた。
「……お心、受け止めましたわ。……どうぞ、お気をつけて──」
キールはゆっくりとその場を離れた。
庭にただ一人残されたセレナは、静かに唇を噛み締めた。
──やがて馬車が出る。
セレナはその後ろ姿を、ただ黙って見送っていた。