第47話 花祭り-月下の誘い
「さて、雑貨巡りしよっか?」
テオがそう言い、ルーチェとキールも続こうとした、その時だった。
「キール様! さあ、お祭り巡りに参りましょう!」
再び現れたセレナ。三人は同時に思った。
(((またか……)))
「そこのルーチェさんは、ご一緒する殿方がいるのでしょう?」
「身を引きなさい」と言いたげな視線をまたもや向けられる。ルーチェはなんと答えればいいかと目を泳がせた、その時。テオにふっと抱き寄せられた。
「まあね、案内する約束だし。じゃあ行こっか、またねキール」
そう言って、そのまま連れ出されてしまった。
「キールさん、あのまま置いてきて大丈夫でしょうか……?」
「まあ、後で俺が愚痴聞いてあげるんだから、大丈夫でしょ」
「……それ、本当に大丈夫なんでしょうか……」
二人は話しながら、賑やかな出店の方へと歩いていった。
テオが案内してくれたのは、アクセサリーの並ぶ店だった。ピアス、イヤリング、指輪、ブレスレット、ネックレス──女性向けの華やかなアイテムがずらりと並んでいる。
「綺麗……」
(でも、私にはちょっと大人すぎる気が……)
「なんか欲しいのとかある?」
テオがふいに聞いてくる。
「ええっと……」
「あー、ごめん。急かしてるわけじゃないから。ゆっくり見てて」
テオはそう言って、端の方で指輪を眺めはじめた。
ルーチェはあれこれと見て回り、やがて薄いピンクの花の飾りがついたネックレスに目が止まる。
(これ、桜みたいでかわいい……)
『お嬢様に似合いそうなネックレスですね』
心の中でリヒトが、優しく相槌を打ってくれた。
「これ、欲しい?」
テオがいつの間にか隣に来て、覗き込んでいた。
「えっと……かわいいなって思っただけで……」
「今日を逃したら、次に買えるのは一年後なんだから。思い出に買っといたら?」
テオの軽やかな言葉に後押しされ、ルーチェは購入を決めた。
「じゃあ……これを」
「はい、確かに。よろしければ、今お付けになりますか?」
「お願いします」
答えたのはテオだった。値札の紐を切ってネックレスを受け取ると、テオはルーチェの方へ向き直る。
「髪の毛、押さえててくれる?」
ルーチェは言われた通りに髪を押さえ、テオがさっとネックレスを首にかけてくれた。
「ん、似合ってるよ。……じゃ、行こっか」
そう言って、テオはルーチェの手を握り、次の店へと歩き出した。
次にやってきたのは、刺繍の品を扱う店だった。
花をあしらった細やかな刺繍が施された商品がずらりと並んでいる。ハンカチ、スカーフ、ポーチ、膝丈のスカート、鞄──色とりどりの品々が目を引いた。
「細かい刺繍が……すごいですね」
「だろ? どれも街の女たちの自信作さ」
店主の女性がにこやかに説明してくれる。なんでも、毎年祭りに向けて、街の主婦や老婆たちが手作業で作っているそうだ。ちなみに、この店の売上は、その集まりでの茶菓子代になるらしい。
「ほんとだ……一つ一つ違った花の模様になってる……」
ルーチェはふと疑問が浮かび、隣のテオに尋ねた。
「テオさんは、誰かに贈ったりしないんですか?」
「んー……生憎とそういう相手いないんだよね。俺を育ててくれた師匠は、こういうのより酒の方が喜びそうだけど──今どこで何してるか分かんないし、生きてるかどうかも怪しいからね。まあ、死んだって噂が流れてないなら、多分どっかで生きてるよ」
「そうなんですね……」
「んで、何か買ってく?」
「じゃあ、このハンカチと……スカーフと……このピンクのポーチと……」
「おー、買っちゃえ買っちゃえ」
「……スカートも。せっかくならお休みの日に履いたりしようかな……と」
「いいじゃん。あの鞄は?」
テオが指差したのは、白地に色とりどりの花の刺繍が入ったショルダーバッグだった。
「あー……いえ、確かにかわいいですけど、鞄はこれがありますし……それに、ちょっと高いし……」
ルーチェは肩から下げている白いショルダーバッグに触れる。
「へえ……でもさ、このサイズでこの値段って……もしかして《魔法鞄》なんじゃないの?」
「おや、兄ちゃん鋭いね! それは王都の魔法鞄職人が作った一点物でね。鞄本体への刺繍は職人が、肩紐はこっちで仕上げたのさ」
『お嬢様。鑑定の結果、確かに魔法鞄でした。ぷるる様の《異空間収納》があるとはいえ、持っていて損のない貴重な品と推察します』
ルーチェは「うぅ…」と悩む声をあげた後、パッと手を挙げた。
「じゃ、じゃあそれもくださいっ!」
「毎度あり! ええっと、合計して銀貨15枚と銅貨20枚だけど……英雄少女ちゃんにはオマケして銀貨13枚だ!」
「えっ、いいんですか!?」
「もちろんさ!」
ルーチェはエリュールからもらった報酬袋から銀貨を取り出した。
「ちょうどだね、毎度あり!」
次にテオが案内してくれたのは、花の香りを使った香水や、花びら入りのクリームやリップなどを扱う店だった。小さなガラス瓶がずらりと並んでおり、ふわりとした花の香りが漂っている。
「わぁ…」
「こういうのって、女子はちょっと背伸びして見ちゃうもんだよね」
「……そうですね、でもなんだか大人っぽすぎる気がして」
「ルーチェなら、可愛い系の香りが似合いそうだけど」
「そ、そうですか…?」
ちょっと照れながらいくつか手に取っては戻し、見ているだけで楽しい気分になる。
(……でも、こういうの買っても、使う機会があるのかな)
そんな風に考えていると──
「そろそろちょっと休憩しよっか? ルーチェ、甘いもんしか食べてないんでしょ?」
「えっ、は、はい!」
テオに促されて、近くのお茶の屋台に腰を下ろす。簡易な腰掛けと布張りの屋根の下、あたたかいお茶が運ばれてきた。
「ふぅ…」
ほっとひと息ついていると──
「待ってて」
テオが何やら屋台を回ってきたらしく、焼き鳥を持って戻ってきた。
「はい、食べな。甘いの食べたら塩っぱいの食べないと」
「え、いいんですか?」
「いいって。こういうのも祭りの醍醐味だろ」
ルーチェは焼き鳥を受け取り、ぱくりと一口。
「……おいしい…!」
甘辛いタレの味に、自然と顔がほころぶ。
「だろ? いっぱい食べな」
テオはそう言って、自分も串焼きを頬張った。のんびりとした休憩時間、街のにぎやかな声が遠くに聞こえていた。
ルーチェはふと、通りの向こう…建物の間の小道に目を向けた。
「テオさん。あそこの道、さっきからカップルらしき人たちが入っていってるみたいですけど……何かあるんですか?」
「あー、花の小道って呼ばれてるとこだよ」
テオは焼き鳥を片手に答える。
「高台に上がる裏の坂道が花の飾りで彩られてて、そこを二人で通って──上にある鐘を一緒に鳴らすと、縁が永遠に続くとか、恋が成就するとか……そういうジンクスがあるらしい」
「へえ……なんだかロマンチックですね」
ルーチェはうっとりとした顔でその光景を思い浮かべた。
「あくまで噂だから。まあでも意外に効果はあるみたいだよ?」
「へぇ…、そうなんですね……」
お茶と焼き鳥で小休憩しつつ、にぎやかな通りの音が耳に心地よく響いていた──。
夜。月明かりと星々が煌めき、昼とはまた違った雰囲気が街を包んでいた。大人たちは店先で酒を酌み交わし、乾杯の声が響いている。
そんな賑わいを横目に、ルーチェとテオは再び広場へとやってきた。すでに複数組の男女が受付前に集まっていて、順番に名前を記入している。
「夜の部って確か、特定の相手と踊るんでしたよね?」
「ん、そう。昼と違ってゆったりした曲で踊るの。舞踏会みたいな感じ?」
「なるほど……」
ルーチェは興味深そうに広場を見回した。
(ちょっと踊ってみたいなぁ……)
自然と視線がキョロキョロと辺りを探し始める。
(できればキールさんかテオさんと踊りたいけど……。でも、テオさんはこういうの面倒くさがりそうだし、キールさんは──)
ふと視界の端に映ったのは、腕を引かれているキールの姿だった。
「さあ、キール様! お相手はいらっしゃらないと仰っていたではありませんか! それなら私と踊りましょう!」
「いえ、その……ですが……」
「ほら、目立ってしまいますわ! 早くこちらに!」
セレナに腕をぐいぐいと引っ張られて、ずるずると連れていかれてしまうキール。
(あー……そっか、キールさんは……)
ルーチェは目に見えてしょんぼりと肩を落としていた。そんな彼女の様子を見ていたテオは、片手で頭をかきながら思う。
(……なんか、踊りたそうじゃん。にしてもアイツも罪な男だよねぇ。まあ、モテるのは分かるけどさ。せっかく初の花祭りなら良い思い出で締めくくってあげるべきだよね。……あーくそ、こういうの柄じゃないんだけど……)
そして、ひとつ咳払いをした。
「……!」
ルーチェが驚いてテオの方を向くと、そこには手を差し出しているテオの姿があった。
「柄じゃないのは分かってる。けど───ルーチェが嫌じゃないなら、夜のダンスは俺と踊ってくれませんか?」
珍しく真面目な口調と表情だった。
ルーチェは驚きに目を見開いたものの、すぐにぱっと嬉しそうな笑顔になって、そっとその手を取った。
「……はいっ」
二人は並んで受付に向かっていった──。
開始直前、テオはふと言った。
「ちょっと待ってて。花、摘んでくる」
それだけ言うと足早に立ち去ってしまった。
(……え? もしかしてお手洗い……?)
ルーチェは首を傾げて待っていたが、数分もしないうちにテオは戻ってきた。
その手には、小さな白い花で編んだ花冠があった。
「あれ、お花を摘んで…って、お手洗いのことじゃ……」
「残念ながらこっちね、急いで買ってきた」
そう言って、テオは花冠をそっとルーチェの頭にのせた。
「似合ってるじゃん。俺のお姫様」
「か、からかってるんですかっ!」
顔を赤くして抗議するルーチェ。
「半分冗談。でも、半分は本気。だって今は俺のダンスパートナーでしょ?」
真剣な表情でそう言われて、ルーチェは言葉を詰まらせる。
「そ、そう……ですけど……」
「キールに後悔させてやろう。どうしてルーチェと踊らなかったんだってさ」
「テオさんって、ほんと意地悪です……」
「ん、知ってる」
肩をすくめるテオに、ルーチェは思わず小さく笑ってしまった。
そのタイミングで、司会役の声が広場に響いた。
「───それでは、夜の部を開始します!」
司会役の宣言と共に、夜風に合わせたゆったりとした旋律が流れ始めた。広場の中央、石畳の円形スペースに男女のペアが次々と歩み出ていく。
ルーチェとテオも受付を済ませ、その輪に加わった。
「じゃ、いこっか」
差し出されたテオの手を取り、ルーチェは少し緊張した面持ちで進み出た。夜空の下、ランタンや提灯が灯る幻想的な光景に包まれながら、二人は向かい合う。
(わ……テオさん、なんだかすごく自然……)
始まると同時に、テオは滑らかな所作でルーチェの腰を支え、リードし始めた。ステップはゆったりしているが、無駄のない動き。慣れているのだろう。ルーチェのペースを丁寧に見ながら、しっかりと導いてくれる。
(やっぱりテオさん、踊るの上手……)
思わず見上げた瞳の先、テオはふっと微笑んだ。
(ほんと、ルーチェは飽きないな……)
一方のテオもそんなことを思いながら、ルーチェの動きや表情に目を向け続けていた。ステップを踏む度に、ルーチェの髪がふわふわと揺れる。
(改めて見ると、見た目から何から全部ふわふわしてんだよね、この子……)
テオの視線がルーチェの輪郭をなぞるように動く。
(ほんとに小さいな……)
一方───。
少し離れた場所では、キールがセレナと踊っていた。
セレナはキールと踊れたことに喜んでいるのか、終始張り切っている。キールは上手く踊れているものの、心はやや上の空だった。視線はふと横を向き、テオと踊るルーチェの姿が目に映る。
(ルーチェさんは……テオと踊っているのか)
「楽しいですわね、キール様!」
(……変だな、どうして僕は……こんなにも楽しくないと感じてしまうんだろうか……)
「…えぇ…」
何度も、無意識に目で追っていた。セレナの言葉も時折耳に入らず、軽く返事するのみだった。
そしてルーチェはというと……踊りながら、ちらりとキールの方へ視線を投げる。
(キールさん……)
楽しそうな様子はない。目が合いそうになって──すぐ逸らされる。
(……やっぱりキールさんとも踊ってみたかったな)
そんな思いが胸をよぎる。しかし次の瞬間──、
「───ルーチェ」
名前を呼ばれ、目の前のテオに意識が戻った。
「…す、すみません、よそ見してました……」
「大丈夫、大丈夫。…でも、今は俺に集中して」
ちょっと意地悪そうに言いながらも、テオのリードは優しかった。
その後も旋律に合わせて数曲が続き──、二人は夜のダンスを、静かに楽しむのだった。
「ルーチェ、後は宿に戻るんでしょ? 送る」
終わった後、テオがすぐに話しかけてくる。
「え、でも…今日は沢山人がいて明かりもこんな沢山ついてますし…」
「酔っ払いのおっさん共に絡まれたら面倒でしょ。それにキールはどうせ、この後も伯爵の元まで令嬢を案内しないとなんだから」
テオが指で示すと、セレナをエスコートしているキールの姿がある。
「そう…ですね。それじゃあお願いします」
「ん、任された」
そうやって二人はゆっくりと宿まで歩いた。
「今日は楽しかった?」
「は、はい! 楽しかったです! こういうお祭りって生まれて初めてだったので…」
(前は、夏祭りとか行けなかったから…)
「そう、それは良かった」
テオは僅かに口角を上げて微笑んだ。
「テオさんは楽しかったですか?」
ルーチェの真っ直ぐな視線にテオは見つめ返した。
「誰かさんのおかげで退屈しなかったよ」
そう言って笑ったテオに、ルーチェはほんのり頬を染める。
「ふふ……」
春の夜風が少し冷たくなってきた街の中を、二人は並んで歩いた。祭りの名残でまだ灯りがそこかしこに灯っている。遠くから賑やかな笑い声も聞こえてくる。
やがて、宿の前まで辿り着いた。
「着いたね」
テオが言うと、ルーチェは小さくお辞儀した。
「今日はありがとうございました。すごく、楽しかったです」
「こちらこそ。また一緒にどっか行こうか」
「はいっ」
にっこりと笑うルーチェの姿を見て、テオはふっとひとつ息をついた。
「じゃ、また明日。おやすみ、ルーチェ」
「おやすみなさい、テオさん」
そう言ってルーチェは扉を開け、中へと消えていった。
テオはしばしその場に立ち、まだ冷めやらぬ祭りの音を聞きながら小さく笑った。
「……悪くないかな、こういうのも」
夜の街へと背を向け、テオもまた歩き出した───。