第46話 花祭り-交わる旋律
人の波の中を歩いていると、詰所の近くに設けられた特設のテントが目に入った。そこは迷子や体調を崩した者が休むための場所であり、また祭り当日に外から来た客に地図などを配る案内所にもなっていた。
その前に、テオと小さな子供の姿が見える。
「あれ? ……テオさん?」
「お、ルーチェじゃん。キールは?」
「えっと……セレナさんって人に連れていかれて……」
「あー……」
察したテオは苦笑を浮かべた。
「それで、一人でここまで歩いてきたんだ?」
「はい……」
「了解、ちょっと待ってて」
そう言ってテオはテントの中へ入り、迷子らしき子供を預けて戻ってきた。
「じゃ、行こっか」
「え、でもお仕事は……?」
「今日は元々非番なの。ゴブリンキングやらデッドタートルやら頑張ったんだから休ませろってね。なのに皆、俺を働かせすぎだと思わない?」
「ふふ……」
「後のことは、予定のないおっさんやら、世帯持ちのおっさんどもに任せて大丈夫。さ、行こう」
そう言って、テオはルーチェを街の方へ連れ出した。
その後ろ姿を見送っていた詰所の脇の騎士たちが、小声で話し始める。
「なぁ……あれって英雄少女の嬢ちゃんだよな」
「おう、それがどうした?」
「さっき見回りしてた時にすれ違ったんだけどさ……正直、めちゃくちゃ可愛かった」
「マジか……俺ももっとちゃんと見ときゃよかった……!」
「っていうか、ついさっきまでキールと食べ歩きしてたんだぜ?」
「で、今度はテオと……か」
そこへもう一人が割って入る。
「こりゃ、祭りの後にキール派とテオ派で派閥ができそうだな……」
「俺はキールだな。キールを見上げるあの嬢ちゃんの顔、完全に乙女だった」
「いやいや、テオもアリだろ。テオがからかって嬢ちゃんが照れる、っていう組み合わせもいい……」
「でもな、一番思うのは……あんな素直で笑顔が可愛い彼女が欲しいってことだ……」
「「違ぇねぇ……」」
そこへ、騎士団長のエドガーが現れる。
「お前らなぁ……しゃべってないで、ちゃんと仕事しろ。仕事を」
「「「はーい……」」」
ため息をつきつつ、エドガーは彼らを見やった。
***
「んで、キールとはどこ回ったの?」
「主に甘いものばかりでしたね。パンとか蜜煮とか、焼き菓子とかゼリーとか……」
「じゃあ、雑貨系は見てない感じ?」
「そうですね」
「了解。それなら行こう、案内する」
テオに連れられて向かった先は、花のブローチが売られている店だった。
「ブローチ……?」
「そ。食べ歩きだけだとまだ買ってないでしょ? あとで必要になるやつ」
「必要に……?」
「おや、お嬢ちゃんは花祭りは初めてなのかい?」
店主のおばさんが声をかけてきた。
「はい、そうなんです……」
「花祭りではね、“春風の輪”っていうダンスイベントがあるのさ」
「ダンス……ですか?」
「昼はみんなでぐるぐる回りながら、相手を入れ替えて踊るの」
テオが補足する。
「しかもこのダンスイベントはね、お見合いも兼ねてるんだよ」
「お、お見合い……?」
「“春風の輪”に参加できるのは、緑の花飾りを来た未婚の男女だけさ」
「へぇ、そうなんですね……」
「昼のダンスは、いろんな異性と踊って“気になる相手”を探す時間。そして夜は、その相手とじっくり踊る時間ってわけ」
(そういう意図があるんだ……)
「ってことで、これが必要になるんだよ。気に入った相手とブローチを交換するのさ。もちろん、複数買ってってくれてもいいよ?」
「俺は一個でいいや」
「私は……二個ください」
「はいよっ!」
ふと、街の各所に設置されたスピーカーから声が響いてきた。
『本日、三十分後より中央広場にて “春風の輪” 昼の部を開催いたします。参加希望の方は、広場の受付テントまでお越しください』
「お、始まる時間だね。受付しに行こう」
テオはそう言うと、ルーチェを案内して歩き出した。
中央広場へ向かうと、賑やかな屋台の合間に白いテントが設けられていた。その近くには、ひとりで待つキールの姿も見える。
「あれ? キールさん」
「おや、ルーチェさんにテオも……」
「あれ……セレナさんは一緒じゃないんですか?」
ルーチェが聞くと、キールは少し気まずそうに口を開いた。
「ええ。今はノヴァール伯爵やエリュールさんと街を回られているそうです」
「あぁ…なるほど……」
「それじゃあ三人で受付しよっか」
「はい!」
「そういやキール、ブローチ買ったの?」
テオがこっそりと尋ねる。
「まあ、うん。さっき二個……」
「あー……一個はあげたってわけね」
「……そう」
「ぶっちゃけ、大丈夫だった?」
「いや、まあ……毎年恒例って感じかな」
「とりま、お疲れ」
「うん……ありがとう。そっちは?」
「まだブローチ買っただけだよ。後で雑貨系も見て回る予定」
「そっか…」
一拍おいて、テオが言った。
「ちなみにだけど」
「……?」
「ルーチェ、結構寂しがってたよ」
「えっ……」
キールは自然と少し先を歩くルーチェに目を向けた。
彼女は春風の輪に参加しようと集まっている男女の様子を眺めているようだった。
「……そうなんだ」
その表情がふっと和らぎ、キールはどこか嬉しそうに小さく微笑んだ。
三人で受付を済ませると、首から下げる参加証のような小さなリボンが渡された。
「昼の部はもうすぐ開始です。どうぞ広場の中央へお進みください」
案内されるまま、キールとテオ、そしてルーチェは広場の中央付近へ向かっていった。
既に緑の花飾りを着た男女がかなり集まりつつあり、皆それぞれ友人同士で話したり、踊りが始まるのを待っていた。
(わぁ…、みんな楽しそう…)
ルーチェは少し緊張しながらも、きょろきょろと周囲を見回す。
「大丈夫?」とテオが声をかけた。
「はい、大丈夫…です」
そこへ、祭りを仕切る進行役の男性が壇上に現れた。
「それでは皆様、お集まりいただきありがとうございます。間もなく春風の輪、昼の部を始めます──」
赤と青の花飾りを着た夫婦と思しき男女が三組ほど入場してきた。どうやら、これからお手本を見せてくれるらしい。
最初のペアが流れる音楽に合わせてテンポよくステップを踏み始める。一定の間隔で女性が入れ替わっていく。その都度、男性側がタイミングをうまくアシストしているようだ。
(結構テンポが早そうだし、上手くできるかな……)
一周回って元のペアに戻ると、お手本役の彼らはそのまま退場していった。続いて、係の人がペアを作り始める。
「貴女は彼と……」
最初の相手はキールだった。隣のペアの方にテオがいるので、順番的にルーチェはキールからテオにパスされる形になるようだ。
「あ、あの……ダンスとかしたことなくて……」
「大丈夫ですよ。こういうイベントは楽しむことが一番大切ですから」
「でも、間違えて足とか踏んじゃったりするかもですし……」
「ルーチェさんは軽いですから、あまり気にしなくても良いと思いますよ」
そう言って、キールはそっと手を差し出した。
「お手をどうぞ、ルーチェさん。ちゃんとエスコートしますから、気にせず身を委ねてください」
「は、はい……!」
ルーチェは胸を高鳴らせながら、そっとキールの手を取った。
音楽がゆるやかに流れ始める。
「それでは──皆様、春風の輪、昼の部を始めます!」
司会の声とともに、男女のペアが輪になって踊り始める。
陽気でアップテンポな音楽が奏でられ、観衆もそれに合わせてリズムよく手拍子を打っている。
「じゃあ、いきますよ」
キールのリードにあわせて、ルーチェはぎこちなく一歩、また一歩と踏み出した。
(わ、わ…思ったより難しい…! でも、キールさんが引っ張ってくれるから……なんとか…!)
最初は緊張していたルーチェだったが、キールの優しい声と穏やかな表情に、少しずつ表情が和らいでいく。
やがて、曲の節が変わる。
観客たちが「パン、パン!」と手拍子を二度打つ。
──その合図で、女性たちがひとつ隣の男性のもとへと移動していくのだった。
(わ、交代…!?)
ルーチェもそれにならって、テオの前へと一歩進む。
「お、ちゃんと来れたじゃん」
「は、はい…! まだちょっと緊張してますけど…!」
「まあ最初はそんなもん。ほら、もう一回──」
軽くウインクをして、テオも軽やかにルーチェをリードする。
(思ってたより楽しいかも…!)
音楽が鳴り続ける中、観衆たちがリズムに合わせて手拍子を打つ。
二回、パンパン、と音が鳴れば次の相手に交代だ。
(わあ、ほんとに順番が回ってくるんだ…!)
少し緊張しつつも、ルーチェは目の前の新しい相手に小さくお辞儀をする。相手の男性も微笑んで手を取り、軽やかにステップを踏み始めた。
一組、また一組と交代し──
「お、ルーチェじゃねぇか!」
聞き覚えのある元気な声に顔を上げると、目の前には屈強な体格のマッチョな男性がいた。
「ハルクさん!?」
「へへっ、今年こそ彼女を…って気合い入れてきたんだ! ルーチェ、相手してくれよな!」
「もちろんですっ!」
ハルクはごつい手で優しくルーチェの小さな手を取り、思いのほか軽やかなステップを踏み始めた。
「ルーチェ、ちゃんと楽しんでっか? キール達とはもう踊ったんだろ?」
「はいっ、今すごく楽しいです……!」
「そっかそっか! ……ったく、ほんとルーチェは可愛いなあ。ウチの母ちゃんに見せてやりてぇくらいだ」
ハルクは照れくさそうに笑い、しかし踊りは真剣そのものだった。
やがて、二回の手拍子が鳴り、次の相手へと交代──
「お、ルーチェか」
今度は渋い低音。見上げると、兄のラルクが手を引いてくれる。
「ラルクさんも参加してたんですねっ」
「……ああ。ウチの母ちゃんが『今年こそ』とうるさくてな……面倒でも出るしかなかった」
「ふふっ」
ラルクは余程参加したくなかったのか、いつもよりテンションが低くぶっきらぼうな口調だったが、踊りも安定感があり、ルーチェは安心して身を任せた。
「ルーチェ……あんま無理すんなよ?」
「ありがとうございます、ラルクさん」
こうして、次々と相手が変わりながら──ルーチェの周囲は和やかな空気で包まれていた。
曲が終わりに近づくと、また元のペアに戻っていく流れとなった。
ルーチェの手を取ったのは、再びキールだった。
「……お疲れさまでした」
「ルーチェさんも、とても上手に踊っていましたよ」
そのまま二人は軽く一礼し──音楽がふっと止む。
(あ、終わったんだ…)
続いて場内にアナウンスが響いた。
『この後は、気に入った方とのブローチ交換のお時間です。希望の方はお声をかけてください』
場がにわかにざわめきはじめる。
女の子たちがキールやテオの方をちらちらと見て、ソワソワしていた。
若くて腕の立つ騎士団員、しかも“英雄少女”と噂の冒険者とも親しい…となれば目立つのも当然だ。
「……うわ、始まったな」
そう呟きながら、テオはさっとルーチェのところまでやって来た。
「え? テオさんっ!?」
驚くルーチェの胸元に、テオはさらりとブローチを付けた。
「ん? だって俺、あげるような相手いないもん。だから、これはルーチェにあげる」
「そ、そうですか…じゃあ、これどうぞっ」
ルーチェが差し出すと、テオは少し屈んでくる。
「……付けてくんないの?」
「へ!? あ、えっと……」
慌てながらも、ルーチェはテオの胸元にブローチを付けた。
「ん、ありがと」
その時──
「ルーチェさん」
「……キールさん?」
キールもそっと歩み寄ってきていた。
「私のブローチも、受け取ってもらえませんか?」
「い、いいんですか?」
「もちろん」
キールもまた、ルーチェの胸元に丁寧にブローチを付ける。
こうしてルーチェの胸にはブローチが二つ、まるで可愛らしい小さな花束のようになった。
「……じゃあ、どうぞ」
ルーチェはキールにもブローチを付けてあげる。
「二つ、買っていたんですね?」
「えっと……お二人にあげたくて……」
その答えに、キールとテオは優しい笑みを浮かべ、ルーチェのことを静かに見つめた。
その様子を見ていた周囲の男女──キールやテオに声をかけ損ねた娘たちや、英雄少女ルーチェに近づけなかった男の子たち──が、そっと肩を落としていることに、三人はまったく気付いていなかった。