第45話 花祭り-甘いひととき
開会式を終えた街は、まるでひとつの大きな花のように、色とりどりの装飾と笑顔で満ちあふれていた。屋台の鐘の音、子どもたちのはしゃぎ声、奏でられる楽団の音楽が入り混じり、祭りは本格的に動き出していた。
そんな中、ルーチェはキールとテオの二人と合流していた。
「緊張してた割に、ちゃんと喋れてたじゃん。お疲れ」
いつもの調子で話しかけるテオの言葉に、ルーチェをはぁ…とため息を吐いた。
「…どっと疲れた気がします…」
「お疲れ様です、ルーチェさん」
キールが優しい眼差しを向ける。その時、背後から足音が駆けてきた。
「…ルーチェさん」
振り返ると、エリュールがやや息を弾ませながら小さな袋を手にしていた。
「伯爵様よりこちらを。今回の追加報酬です。出店でのお買い物のお小遣いだと思ってお使いください」
「へ!? いやいや、受け取れな──!」
「じゃあ代わりに俺が受け取るから」
「なんでそうなるの、テオ」
テオが手を伸ばしかけたところで、キールが呆れたように肩をすくめた。しかしエリュールは、笑顔のままルーチェの手にしっかりと袋を押しつけた。
「気になさらず。それだけ貴女の功績を伯爵様が高く評価しているということです。それに、今日しか買えない珍しいものも多いですから。この機会に散財してもバチは当たりませんよ。…余ったら、新しい装備の新調費用にでもお使いください」
涼やかに言い残すと、エリュールはスカートの裾を軽く揺らしながらスタスタと去っていった。
「貰ってしまった……いくら位入ってるんだろう……」
ルーチェはおそるおそる袋の口を開く。中にはぎっしりと銀貨が詰まっており、ざっと見ても三十枚はある。
「ひぇ…」
その重みと金額に、思わず情けない声が漏れる。
「さて、初めての花祭りなのですから、全部見て回りましょう、ルーチェさん」
キールが期待に満ちた声を上げると、テオもからかうように手を差し出してきた。
「ほら、はぐれないように手繋いでてあげようか?」
二人の手が差し出され、ルーチェは一瞬戸惑いながらも、両方をぎゅっと掴んだ。
「ルーチェさん……!」
「欲張りだね、ルーチェ」
キールは驚いたように頬を染め、テオは楽しげに笑った。
そして三人は、人の波と花の香りに包まれながら、笑い声と共に街の中心部へと歩き出した。
今日という一日が、きっと忘れられない思い出になる予感がしていた。
***
三人で笑い合いながら通りを歩いていたその時──
「おーい、テオ!」
遠くから声がかかる。振り返ると、騎士団の制服を着た男性が、少し汗をかきながら大きな木箱を抱えていた。背後には同じような木箱がいくつも積み上がっている。
「ちょっと、こいつを運ぶの手伝ってくれねぇか? 一緒に運ぶ予定だったドグのやつが腰痛めちまってよ」
「えぇ……まあ、いいけど」
テオは軽く肩をすくめると、ルーチェの手をそっと離した。すぐに彼女に近づき、小声で耳打ちする。
「キールとのデート、楽しんでおいで」
そう囁いて、片目をウインク。ルーチェは「えっ…」と一瞬呆けた表情を浮かべた。
「んじゃあキール、エスコートよろしくね〜」
手をひらひらと振りながら、テオは木箱の方へと向かっていった。
「えっ、ちょ、テオさん!?」
ルーチェは慌てて彼の背中を見送るが、もう彼は振り返りもしない。あれよあれよという間に、二人きりになってしまった。
「……さて、どうしましょうか、ルーチェさん」
少し困ったような笑みを浮かべるキール。ルーチェは頬をほんのり赤らめながら、心を落ち着かせようと小さく息をついた。
「せっかくだから、あの屋台から見て回りませんか?」
「もちろん。お供します」
どこかぎこちなくも、少しだけ嬉しそうに、二人は再び歩き出した。
花の香りが風に揺れ、春の陽射しが二人をやさしく包んでいた。
「そういえばルーチェさん、朝ご飯は食べてきました?」
歩きながら、思い出したようにキールが問いかける。
「へっ……あー、少しだけ…。女将さんが、花祭りは美味しいものがいっぱいだから胃袋は空けときなって…言ってたんです」
「でしたら、ちょうど良いですね」
そんな会話を交わしながら、二人が足を止めたのは、とある屋台の前だった。看板には『花びらの塩漬け入りパン』と書かれている。ほんのりとした甘い香りが漂ってきて、ルーチェの鼻をくすぐった。
「いらっしゃい!」
威勢のいい声が響く。
「美味しいものはまだまだたくさんありますから……まずはこれを一つ買って、半分こしませんか?」
キールの提案に、ルーチェはぱっと顔を明るくして、こくんと頷いた。
そして半分こしたパンが差し出されたので、ルーチェはそれをパクッと食べた。
(ちょっとだけ塩っぱくて……でも蜜の甘さも感じる……)
ルーチェはにこにこと頬をふくらませながらパンを味わっていた。そんなルーチェをキールは微笑ましく見下ろしつつ、自分の分を静かに口に運ぶ。
(ハッ───!?)
ふと、ルーチェは気がついてしまった。
キールの食べ方があまりにも上品で、自分との釣り合いが取れていないのでは……と。
(確かに王子様みたいにかっこいいし……その……)
もやもやと考えているうちに、思わず口から言葉がこぼれた。
「あの、キールさん……」
「どうされました?」
ルーチェはもじもじと視線を落とす。
「その……私みたいな子供と一緒に歩いてたら……その……えっと……」
言葉に詰まり、どう言えばいいのか思考を巡らせていると──。
「問題ありませんよ」
キールはきっぱりと言い切った。
「というより、私は“貴女だから”一緒に過ごしているんです、ルーチェさん」
穏やかにそう言って微笑む。
「一緒にいて気が楽な相手と過ごす。それでいいと思うんです。それと……」
「キール、さん……?」
ルーチェが首をかしげながら、ふとキールの視線を追う。その先には──緑の花飾りを纏った若い女性たちが集まっていた。キールの視線に気付いた彼女たちは、きゃあと黄色い声を上げて盛り上がっている。
「囲まれると少し厄介なので……一緒にいてもらえると助かります、ルーチェさん」
くすっと苦笑するキールに、ルーチェは思わず目をぱちくりさせていた。
「花の塩漬けパン以外にも、花蜜を使ったドーナツやマドレーヌ、切った果実の蜜煮、花弁酒や花蜜酒、花びらゼリーなどもあるんですよ」
キールは歩きながら、屋台の並ぶ通りを見渡して教えてくれる。
「次は何にしましょうか?」
「じゃ、じゃあ……蜜煮っていうのを食べてみたいです!」
「分かりました。こちらです」
キールに連れられて進むと、そこには色とりどりの果物が一口大に切られ、串に刺されて並んでいた。店先の大鍋には甘い蜜が煮えたぎっている。店主が手際よく串を蜜に沈め、ほどよく煮えたところで取り出している。
(なんだか……少し違うけど、フルーツ飴みたい?)
ルーチェがじっと見つめていると──。
「あれ、出来たてをそのまま食べたら熱くないんですか?」
「大丈夫ですよ。甘い蜜で煮た後に、氷の魔石で瞬間冷却して提供されるんです」
「へぇ……」
ルーチェは目を丸くして感心した。
「おやおや、開会式でスピーチしてた英雄ちゃんじゃないか」
店主のおじさんが気さくに声をかけてきた。
「こ、こんにちは」
「店主、蜜煮を二本お願いします」
「はいよっ!」
キールが手際よくお金を支払うと、店主は合図してくれる。
「好きなものをどうぞ、ルーチェさん」
キールに言われ、ルーチェはキョロキョロと並ぶ串を見回し──鮮やかな赤のリンゴの串を選んだ。
キールは柑橘系の爽やかな香りがする串を手に取る。
「まいどあり! 花祭り、楽しんでいってくれよ!」
元気な声に、ルーチェは会釈をして店を後にした。
蜜煮の串を手にしたルーチェは、一口かじって──
「……あっ……甘い……。でも、果物の酸っぱさも残ってて、美味しい……」
目を輝かせながら頬張っていた。
そんなルーチェの様子を見下ろしつつ、キールも柑橘の串を口に運ぶ。
「冷たくて、意外とさっぱりしていますね」
「キールさん。こうやって食べ歩きするのって、すごく楽しいですね!」
ルーチェが嬉しそうに言うと、キールは静かに微笑んだ。
「ええ。せっかくのお祭りですから、存分に楽しみましょう」
その後も、マドレーヌやドーナツの屋台を巡り、もぐもぐと食べ歩いたルーチェは、少しお腹が満たされていた。
(甘いもの、いっぱい食べたなぁ……!)
「ルーチェさん、まだ少し空きはありますか?」
キールが指さした先には、ゼリーが並ぶ店があった。
ショーケースの中には、透明な四角い器に入れられた色とりどりのゼリーが並び、その上には花びらとミントらしき葉が添えられている。
「……綺麗……」
「いらっしゃいませ」
若い女性店員がにこやかに迎えてくれる。
「ゼリーを二つお願いします。お代はこちらで」
「かしこまりました。それではこちらをどうぞ」
ゼリーと小さなスプーンを受け取ったルーチェは、そっとすくって口に運んだ。
「……!!」
(甘い……すごく優しい甘さ……! 冷たくて、ちゅるんとしてる……!)
「お気に召したようですね」
「はい、どれもこれも、本当に美味しかったです!」
「それは良かった。ルーチェさんが好きそうだと思って、案内した甲斐がありました」
ルーチェとキールは見つめ合って微笑んだ──その時。
「見つけましたわぁぁぁぁぁっ!!!」
突如、女性の大きな声が辺りに響き渡った。
声の方へと二人が振り向くと、そこには緑の花飾り……ではなく、緑のドレスを身にまとった“お嬢様”然とした女性が立っていた。
「……せ、セレナ様……」
キールは一瞬だけ苦笑を浮かべたが、すぐに取り繕うような柔らかな笑顔に切り替えた。
「ごきげんよう、キール様!」
セレナと呼ばれたその令嬢はつかつかと歩み寄ると、ドレスのスカートの両端をつまみ、優雅に一礼してみせる。
「これから父と会うところなんですの。もしよろしければ、キール様もご一緒なさいませんか? ……あら? そちらの子供は?」
「セレナ様。こちらはルーチェさん。私の友人であり、この度セシを危機から救った冒険者です」
「まあ……貴女が、そうでしたの……」
セレナはふわふわの付いた扇子を開き、意味ありげな視線でルーチェを見つめる。
「ルーチェさん、こちらはセレナ・ノヴァール嬢。ノヴァール伯爵の一人娘です」
「……どうも」
セレナは冷たげな表情でルーチェを見下ろす。
(き、嫌われてる……!?)
「こんにちは……」
それでもルーチェはとりあえず挨拶を返した。
「ルーチェさんは祭りが初めてということで、今こうして案内をしていたところです」
「まあ、お優しい……さすがはキール様ですわ!」
そう言いながら、セレナはキールとルーチェの間にさっと割り込んだ。
「ですが、開会の後からずっとご一緒だったのでしょう? それならもう十分ではございませんこと? さあ、私と参りましょう?」
そう言って、ルーチェに「察しなさい」と言いたげな視線を送る。
その圧に気圧され、ルーチェは一歩下がった。
「えっと……キールさん、私のことは大丈夫ですから。案内、ありがとうございました……」
ルーチェがそう告げると、キールが何か言いかける間もなく、セレナは彼の腕を取って引っ張っていく。
「さ、キール様! 参りましょう♪」
上機嫌のまま、セレナはキールを連れてその場を後にした。
「……行っちゃった」
『……よろしかったのですか?』
リヒトが静かに問いかける。
「だって……行かなかったらキールさんが困っちゃうだろうし……引き止める理由もないもん……」
ルーチェはほんの少し寂しげに、そう呟いた。