第44話 花祭り開催
花祭り当日の朝───七時頃に目を覚ましたというのに、外からはすでにワイワイと賑やかな声が響いていた。
ルーチェは、仕立て屋でもらった祭り専用の“花飾り”の衣装に袖を通し、教えてもらった通りに髪をまとめて飾りをつける。鏡の前でくるりと一回転してみて、小さく息を吐いた。
「これで……大丈夫かな……ふふ、かわいい……!」
武器や普段の服はぷるるの《異空間収納》に預け、最低限の荷物をカバンに詰めて外へ出ると───そこには、緑色の花飾り衣装を着たキールとテオが立っていた。
「おはようございます、ルーチェさん」
「おはよ、ルーチェ」
「おはようございます、キールさん、テオさん」
ルーチェの姿を見た二人は、一瞬言葉を失ったように彼女を見つめていた。いつもの雰囲気とは異なる、華やかな花飾りの装い。その違いが、視線を奪ったのだろう。
「あの……?」
「いえ、よくお似合いですよ、ルーチェさん」
「……まあ、想像してたよりもずっと似合ってんじゃん。悪くないね」
「そ、そうでしょうか……。お二人も、よく似合ってます……!」
そんなやりとりを交わしつつ、三人は連れ立って広場へと向かって歩き出す。
大通り沿いの家々は色とりどりの花で飾られ、アーチやリースが風に揺れていた。吹く風に乗って舞う花びらは、まるで雨のように降り注ぎ、足元に淡い彩りを添えている。通りには普段の倍以上の人出があり、屋台には見慣れない雑貨やお菓子、香水などが並んでいた。
「わぁ、綺麗ですね……!」
ルーチェは思わず声を漏らし、キョロキョロと視線を巡らせながら歩いた。
ふと、すれ違った人々の衣装の色に違和感を覚える。彼女やキール、テオ、周囲の若者や子どもたちは皆、緑色の花飾りの衣装。しかし、中には青や赤の花飾りを着けた大人たちの姿もあった。
(衣装の色には、何か意味があるのかな……?)
そんな疑問がよぎった頃、キールが声をかけてきた。
「ルーチェさん、こちらに」
彼が指差したのは、小さな空き地に設営されたテント。上には「花祭り実行委員会」と書かれている。その前には、見慣れた顔───エリュールが立っていた。彼女もまた緑色の花飾りを身にまとっている。
「エリュールさん!」
「おはようございます、ルーチェさん。どうぞこちらへ」
テントの奥へ案内されると、布で囲まれた天幕の中に、青い花飾りを着たセルジオの姿があった。
「伯爵様!」
「やあ、ルーチェ。無事に回復してくれて何よりだ。こちらに座ってくれ。君たちもどうぞ」
三人が向かいの席に腰掛けると、伯爵はまっすぐにルーチェを見つめて頭を下げた。
「今回の件、本当に感謝している。君がいなければ、この街は破壊の限りを尽くされていただろう。危険を顧みず、身分を隠さず、他者のために動ける者など滅多にいない。その勇気は、まぎれもなく君自身の美徳なのだ。誇りに思っていい」
「いえ……その……ありがとうございます……」
ルーチェは、じんわりと胸が熱くなるのを感じながら、そっと頭を下げた。
「祭り自体はもう始まっているが、これから広場で改めて開会の宣言を行う。その時、ルーチェには私と共に壇上へ上がってもらいたい。今回の功労者として、セシの内外の者たちに改めて示しておきたいのだ」
「わ、私が、ですか!?」
「他に誰がいるわけ? 頑張ってきなよ、ルーチェ」
テオがポンとルーチェの背中を叩く。
「そんなに緊張する必要はない。一言二言、挨拶してくれればそれで構わんよ」
「ルーチェさん、いつも通りで大丈夫ですよ。ルーチェさんなら、きっとできます」
「ひぇぇぇ……!」
「伯爵様、そろそろ開会式の時間です。ご準備を」
「うむ。では、行くぞ、ルーチェ」
「ひゃいっ!」
緊張のせいか、ルーチェの動きがぎこちなくなっている。
「……大丈夫なの、これ」
「……大丈夫じゃないかも」
テオとキールは揃って肩をすくめた。
広場に設けられた朝礼台のような仮設舞台。その中央には、スタンドマイクのような形をした魔道具が据え付けられていた。その傍らに立つのは、実行委員と思われる男性。どうやら、彼が司会進行を務めるらしい。
ルーチェはセルジオ伯爵とエリュールに連れられて、壇上のすぐ脇に立つ。目の前には、祭りを楽しもうと集まった街の人々や観光客の姿が広がっていた。
「これより、花祭りの開会式を執り行います。はじめに、ノヴァール伯爵領の領主、セルジオ・ノヴァール様よりご挨拶を頂戴いたします。それではセルジオ様、お願いいたします」
司会の声が、近くに設置されたスピーカーのような魔道具を通して広場全体に響き渡る。
(こういう魔道具もあるんだ……まるでマイクとスピーカーみたい)
ルーチェは内心そんな感想を抱いていた。
やがて司会が一歩下がり、伯爵がマイクの前へと進み出る。
「……紹介にあずかった、セルジオ・ノヴァールだ。今年も無事にこの花祭りを迎えられたこと、皆と共に心から嬉しく思う」
にこやかに語り始めた伯爵の表情が、ふと引き締まる。
「街の外から訪れた者も知っているだろうが───数日前、この街の近辺にて大型の魔獣が出現した。セシ騎士団、そして冒険者たちの協力により、すでに討伐は完了しているが……あの脅威は、決して軽いものではなかった。この街の民が感じた不安と恐怖、それを思えば、今こうして皆が笑顔でいられることが、どれほど尊いかが分かるだろう」
一呼吸置いて、伯爵は言葉を続けた。
「だが、今回の一件において、街が実質的な被害を受けなかったのは、花畑の損傷だけに留まったのは───ここにいる少女、テイマーであり冒険者でもあるルーチェと、彼女の契約する魔物たちの尽力によるものに他ならない」
その言葉に、広場がざわめいた。
「あの子、テイマーだって?」
「危なくないのか……?」
ひそひそと交わされる声が、ルーチェの耳にも届いてくる。
(……やっぱり、これが“普通”なんだ)
「彼女は、自らの立場を明かすことを厭わず、危険を顧みずにあの魔獣と戦った。聞けば、この街に来てまだ一ヶ月ほどしか経っていないという。それでも彼女は、この街を───ここに暮らす人々を守ろうとした。その勇気と行動に、私は心から敬意を表したい」
伯爵は改めてルーチェの方を見やり、力強く語った。
「いまだ根強く残る、テイマーへの偏見と迫害の思想。ルーチェはそれを知った上で、それでも人を守るために力を振るった。今年の花祭りは、そんな彼女へ贈る、感謝と敬意の“花束”である」
ルーチェがふと視線を向けると、遠くで見知った住人たちが、彼女に向かって手を振っていた。目覚めた後に「ありがとう」と言ってくれた人たちだ。
その光景に、ルーチェの表情がほんの少し、やわらかくなる。
「さて、長々と話してしまったが……そんな花束を受け取る彼女にも、一言挨拶をしてもらおう。ルーチェ、こちらへ」
伯爵の声に促され、ルーチェは緊張した面持ちでマイクの前へと歩み出る。広場に集まった人々の視線が一斉に彼女へと注がれた。
「……ご、ご紹介にあずかりました。冒険者のルーチェと申します……」
声はやや震え、目線も下の方を泳いでいたが、やがてその眼差しはまっすぐに前を向いた。
ルーチェが何を話すのかと、会場が静まり返る。
「まずは……テイマーであることを隠していた、そのことをお詫びさせてください。街の皆さんに、本当のことを言えず……怖がらせてしまったかもしれません。本当にごめんなさい」
ルーチェは一度深く頭を下げ、それからゆっくりと顔を上げた。
「それと、私からも……“ありがとう”を伝えさせてください。この街の人たちは、見ず知らずの子どもである私に、とても優しくしてくれました。時には励まし、時には支えてくれて……冒険者の先輩方も、騎士団の皆さんも、住民の方々も、本当にありがとうございました」
ルーチェは一拍間を置いて、話を続けた。
「魔獣を倒して、目を覚ました時……私はきっと、非難されるんだと思っていました。テイマーであることを隠していたこと、魔物と共に戦ったことが、受け入れられないのではないかと。でも……皆さんは、私だけでなく、私の友だち───魔物たちのことも、温かく迎えてくれました」
ルーチェは街全体を、広場に集まる人達をぐるっと見回してから微笑んだ。
「私はまだ、この街に来て一ヶ月ほどしか経っていません。でも、もうこの街が大好きです。これからも、冒険者として、一人の人間として……この街のために力を尽くしていけたらと思っています」
「本当に、ありがとうございます。……以上で、私の挨拶を終わります」
ルーチェが深々と頭を下げてマイクの前から下がると、広場に静かな拍手が広がり、それはやがて温かな大きな拍手へと変わっていった。
ルーチェは驚いたように顔を上げる。あちこちから笑顔と拍手が贈られていた。
そんな空気の中、伯爵が再びマイクの前に立つ。
「……ありがとう、ルーチェ。心のこもった挨拶だった。君の言葉は、きっとこの街の皆にも届いただろう」
伯爵は会場を見渡しながら、穏やかな笑みを浮かべた。
「私たちが誇るべきは、この街の豊かな花だけではない。困難にあっても人を想い、手を取り合う心こそが、我らの誇りである」
風に揺れる花の飾りが壇上の横で優しく揺れている。
「それでは、改めて───」
伯爵は一拍置き、声を張った。
「セシの《花祭り》、開会をここに宣言する!」
その瞬間、広場のあちこちで色とりどりの紙吹雪が舞い上がり、祭りの始まりを告げる鐘の音が軽やかに鳴り響いた。
盛大な拍手と歓声が空へと広がっていく中、ルーチェは少し呆然としながらも、胸の奥に温かなものを感じていた。
ついに花祭り開催ですね。いやぁ、めでたい。
ここから数話、ルーチェと共に、皆さんも花祭りを楽しんでくださいな。
フリーBGMのケルト音楽とかかけてみると、それっぽい雰囲気が楽しめますよ、多分。
作者はこの話を書く時にそうしてました(笑)。
ではまた次回。