第43話 開催に向けて
「おーっ! お嬢ちゃん、来たなーっ!」
ギルドを後にしたルーチェは、街の仕立て屋に足を運んでいた。扉を開けるなり、威勢のいい声とともに飛び出してきたのは、陽気な店主のおじさんだった。
「おい! 英雄少女用の衣装だ、早く持ってこい!」
「言われなくても分かってるよ!」
店主の後ろから現れたのは、奥さんと思しき優しげな女性。どこか家庭的で、安心感のある雰囲気だ。
「悪いね、わざわざ来てもらっちまって……」
「いえ、むしろ服を用意していただいて……こちらこそありがとうございます」
ルーチェが頭を下げると、奥さんはにっこりと微笑んだ。
「いいのさ、これくらい当たり前だよ。せっかくなら奥で試着していっておくれ。……アンタ、店番サボるんじゃないよ!」
「サボらねぇって!」
どうやら店の奥は住居にもなっているらしく、ルーチェは案内されるままに奥の部屋へ。そこで、奥さんに手伝ってもらいながら着替えを始めた。
用意されていたのは、白と緑を基調とした、どこか異国の民族衣装を思わせるワンピース。フォーレンダムやチロリアン風とも言える可愛らしいデザインで、胸元や裾には色とりどりの花の刺繍が施されている。服だけでなく、靴や靴下、さらには髪飾りや髪紐まで、すべて揃えられていた。
花祭り専用の衣装“花飾り”というそうだ。
「どうだい? キツかったりしないかい?」
「いえ、ピッタリです!」
ルーチェが身をくるりと回して見せると、奥さんは満足そうにうなずいた。
「そりゃよかった。アンタが寝てる間に、服をちょいと借りてサイズを測ったんだよ。ちゃんと合わせて作った甲斐があるってもんさ」
(あ、だから……起きた時に寝巻きになってたんだ)
「あの、本当にこれ……全部いただいてしまってよろしいんですか? お代は───」
「やだやだ、英雄少女からお代なんてもらったら、バチが当たっちまうよ! いいから持ってっとくれ!」
『せっかくの好意ですから、ここは甘えましょう』
心の内に響く優しい声に、ルーチェは静かにうなずいた。
「……では、ありがたく頂いていきます。本当に、ありがとうございます」
「いいのさ。嬢ちゃんのおかげで、今年も花祭りが無事にできるんだからね」
(やっぱり、人の笑顔って……嬉しくなる)
『はい、そうですね…!』
衣装一式を丁寧に袋に入れてもらったルーチェは、温かな感謝の気持ちを胸に、仕立て屋を後にした。
「そういえば、リヒト」
『はい、お嬢様』
「こ、こんなにいっぱいお金持ってたら……私、狙われたりしないかな?」
『ご心配であれば───』
リヒトの提案で訪れたのは、商業ギルドだった。ここは商人の登録や仕事の請負だけでなく、お金の預け入れや引き出し、貸し借りまで取り扱っており、いわばこの世界の銀行のような役目も担っている。
案内されたのは、口座開設などを取り扱う窓口。応対に出てきたのは、丁寧な口調の若い男性だった。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「えっと……ここで、口座が作れると聞いて……」
「かしこまりました。口座の開設には、身分証明書と保証人が必要となりますが……」
(しまった……そういうのが必要なんだ……どうしよう)
『申し訳ございません、お嬢様。私としたことが失念しておりました……』
「なら、私が保証人になれば問題ないですよね?」
聞き慣れた声に振り向くと、そこにはキールが立っていた。何故かその肩には、ぷるるがちょこんと乗っている。
(……なんか変な感じすると思ったら、そもそもいなかったの!?)
『気づくのが遅いですよ、お嬢様……』
リヒトが呆れ気味に呟く。
「貴方が保証人に…?」
窓口の男性は突然現れたキールに、怪訝そうな顔を見せる。
「……これで、身分の証明になりますか?」
そう言ってキールが懐から取り出したのは、鷹のエンブレムが刻まれたブローチのようなもの。
それを見た窓口の男性はギョッとし、慌てて頭を下げた。
「これは……! 大変失礼いたしました、ランゼルフォード家の方とは!」
「いえ……」
「もちろん、大丈夫でございます。ルーチェ様、身分証をお願いいたします。───はい、確認できました。預金をご希望ですか?」
「はい、お願いします」
ルーチェはギルドで受け取った金貨10枚を差し出す。
「少々お待ちください」
手続きが進む間、ルーチェはキールの方を見て、小さく頭を下げた。
「あの……ご面倒をお掛けしてすみません、キールさん」
「いえ、今回はお使いのついでですから。お気になさらず」
『あるじ、おきたー! やったー!』
ぷるるが元気よくルーチェの頭に跳び乗る。無邪気な動きに、ルーチェも小さく笑った。
「無事に目が覚めて、良かったです」
キールが優しく微笑む。
「ルーチェ様、お待たせいたしました。こちらをお持ちください」
差し出されたのは、小さなカードのようなものだった。
「このカードがあれば、どの国、どの街の商業ギルドでも引き出しが可能です。ご利用、ありがとうございました」
手続きを終えたルーチェがカードを受け取ったタイミングで、ふと口を開いた。
「ということは……ノクスは、テオさんと?」
「はい。出店の設営の手伝いをしています。私が見たときは、あの影の手のようなもので、器用に材木を組み立てていましたよ」
「……もっとこう、色々言われるのかと思ってました」
「ルーチェさん……」
「ぷるるも、ノクスも……受け入れてもらえてるみたいで。嬉しいです」
「そうですね……ですが、それは他ならぬ貴女だから、ですよ。貴女が契約者であり、短期間の間に信頼を積み重ねてきたからこそ、彼らに受け入れられたのだと思います。貴女の人柄の成せる業です」
「そんな……」
ルーチェは照れたように、しかしどこか嬉しそうに笑った。キールはその横顔を、穏やかな眼差しで見つめていた。
ルーチェとキールは商業ギルドを後にすると、祭りの準備で賑やかな街の中を歩いていた。
ふと後ろから聞き慣れた足音が聞こえて、ルーチェが振り向くと───尻尾をぶんぶんと振って駆けてくるノクスの姿があった。
「ノクス!」
「ワフ!!」
『アルジ、オキタ! オレ、ウレシイ!』
足元まで来たノクスを、ルーチェは撫でる。
「私も……ノクスに会えて嬉しいよ」
『ぷるるも、あるじおきてうれしいー!』
「うん、嬉しいね〜」
ぴょんぴょんと跳ねるぷるるを頭に乗せながら、ルーチェは柔らかく微笑んだ。
「あの、ルーチェさん。先程から少し気になっていたのですが……もしかして、ぷるるやノクスと会話ができるのですか?」
(あっ……そういえば……)
ルーチェは一瞬、はっとする。あまりに自然にやり取りしていたせいで忘れていたが、ぷるるやノクスの言葉は《意思疎通》によるもので、他の人には聞こえないのだった。
「……えっと、はい。ふたりとも、私が目を覚ましたのが嬉しいって言ってくれてます」
そんなやり取りをしていると、作業場のほうから声が飛んできた。
「こらノクス! あとこれだけなんだから、勝手にどっか行かないで……って、なんだ、ルーチェを感じ取って走ってったのか、お前」
少し呆れたように笑いながら、テオがやってきた。
「テオさん、お疲れ様です」
「ん、お疲れ。───ってルーチェ、その袋は……?」
「花祭りの衣装を眠っている間に作ってもらって……それを受け取ってきたんです。」
「へぇ……」
テオがにやりと笑みを浮かべる。
「じゃあ明日、楽しみにしてるからね」
「えっ……?」
「私も楽しみにしていますよ、ルーチェさん」
キールもにこやかに笑っている。
「あ、はい……」
照れくさそうにうつむくルーチェ。その様子を、ノクスとぷるるが嬉しそうに見守っていた。
その後宿へ戻ったルーチェは、祭りに備えて、早めに休むことにした。
街の空には、もうすでに花の香りが漂い始めていた。