第42話 感謝と報酬
顔を洗い、体を拭き、服を着替えて身だしなみを整える。そうしてルーチェは、朝食をとってから宿の外へと出た。
ちなみに、宿の女将であるモーラさんからは、
「街を救った英雄さんには、朝ごはん大盛りとデザートのサービスさ!」
と、たっぷりのご馳走が振る舞われた。数日間何も食べていなかったルーチェは、お腹を空かせていたこともあり、見事にペロリと平らげてしまった。
宿を出た外の景色は、相変わらず……いや、それ以上の賑わいを見せていた。あちこちで出店の準備が進められ、人々が忙しそうに立ち働いている。
「なんか賑やかだね、何かあったっけ……?」
小さく呟いたその時───
「お嬢ちゃん、起きたんだな!」
声をかけられて振り返ると、そこにいたのは大通りにある仕立て屋の店主だった。店には寄ったことはなかったが、通るたびに気さくに挨拶してくれる、気のいいおじさん。ルーチェも、よく覚えていた。
「おはようございます……!」
「お嬢ちゃんが目を覚ますのを、ずっと待ってたんだよ。花祭り用の衣装、ちゃんと用意してあるから、あとで店に寄って試着してくれ!」
「は、はい……!」
「おーい! みんなー! 嬢ちゃんが起きたぞー!」
その声が街に響き渡ると、近くの店先や家の扉から、住人たちが次々と顔を出し、わらわらとルーチェの元へ集まってきた。
「お嬢ちゃん、元気になってよかったなぁ!」
「街を守ってくれて、ありがとうね!」
「高台から見てたけど、あれはすごかったよ!」
「助けてくれてありがとう、お姉ちゃん!」
口々に感謝の言葉を投げかけられ、ルーチェは戸惑いながらも、自然と笑みを浮かべていた。
「いえ……。冒険者として、当然のことをしただけですから……」
(……よかった。怖いとか、危険とか言われなくて)
安堵の息をつきながら、ルーチェは胸に手を当て、静かに微笑んだ。
街の住人たちに見送られながら、ルーチェが向かったのは騎士団の詰所だった。
中へ足を踏み入れると、書類の束を抱えて歩いていた騎士団副団長───バークスの姿があった。
「あ、バークスさん。おはようございます」
「おや、ルーチェさん。ようやく目を覚まされたのですね、安心しましたよ」
彼は立ち止まり、柔らかな笑みを浮かべて深く頷いた。
「あの、キールさんとテオさんはいますか?」
「キールくんは役場へ、花祭り関連の書類を提出しに。テオくんは出店の設営を手伝いに出ていますよ。……実は、二人とも貴女が目覚めないことを随分気にしていましてね。ソワソワして仕方ないので、あえて軽い用事を言いつけて送り出したんです」
「そうでしたか……」
「もしよければ、戻ってきたら宿に向かうように伝えましょうか?」
「いえ、大丈夫です。今から仕立て屋のおじさんに花祭りの衣装を試着してくれって言われてますし、冒険者ギルドにも顔を出さないといけないので……」
「そうですか。それでは、貴女が訪れたことだけ伝えておきましょう」
「はい、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、ルーチェは詰所を後にした。
『お嬢様、先にギルドへ向かわれる方がよろしいかと』
「うん、ザバランさんが待ってるだろうしね。じゃ、れっつごー!」
軽やかに返事をし、ルーチェは街の中心にある冒険者ギルドへと向かった。
***
ギルドの扉を開けた瞬間、カウンターにいたニナがルーチェの姿を認識し、目を見開いて猛スピードで駆け寄ってくる。
「ルーチェさん!! 目が覚めたのね! 痛いところとかない? ちゃんと休まった? よく頑張ったわね〜!!」
勢いそのままに強く抱きしめられ、ルーチェは一瞬で身動きが取れなくなる。
「く、苦しいです……!」
背中をトントンと叩くと、ニナは「あら、ごめんなさいね!」と少し照れながらも手を放した。
その様子を見計らったように、奥の部屋からザバランが現れる。
「騒がしいぞ、ニナ。俺の部屋まで丸聞こえだった」
「す、すみません、ギルドマスター!」
ぴしっと姿勢を正すニナに苦笑しつつ、ザバランはルーチェの方へ目を向けた。
「ルーチェ、ようやく目覚めたか。ずっと眠りっぱなしだったらどうしようかと思ってたぜ」
「ご心配をおかけしました、ザバランさん……」
「よし、早速俺の部屋へ来てくれ」
ザバランに案内され、ルーチェはギルドマスターの部屋へと通された。
「さて、本題だ。まずはデッドタートルの討伐───よくやったな。あのデカブツを仕留めただけでもすごいのに、街への被害まで最小限に抑えた。おかげで住民からの被害報告は0だ」
そう言って、ザバランはデスクの上からずっしりと重みのある革袋を取り上げた。
「これはその分の報酬だ。金貨10枚、受け取れ」
(……金貨? リヒト、今金貨って言った?)
『確かに、金貨とおっしゃいましたね』
ルーチェはおそるおそる袋の口を開けて中身を覗き込む。そこには、彼女が普段使っている銅貨や銀貨とは桁違いに輝く金色の硬貨が、ずっしりと詰まっていた。
(き、金貨って、一枚いくらだっけ……?)
『お嬢様のかつての生活水準に換算しますと……一枚でおおよそ百万円、つまりこれは一千万円相当ですね』
「!? いっ、あのっ、これって、貰いすぎじゃないですか!?」
袋を両手で抱えたままルーチェがうろたえると、ザバランは眉をひとつ上げて笑った。
「何を言ってる。街を救った英雄には、これでも安すぎるくらいだ。堂々と受け取っていけ!」
そのまま、ぐいっと押し付けるように袋を渡され、ルーチェは成す術もなく受け取るしかなかった。とりあえずルーチェはその袋を鞄へとしまった。
ルーチェは大金を貰ったことに、僅かに不安そうなため息を吐いた。
「おいおい、報酬だけで終わりだと思ったか?」
唐突なザバランの言葉に、ルーチェはきょとんと目を瞬かせた。
「へ?」
「ギルドカードを出しな」
「わ、分かりました……」
ルーチェはおずおずと自分のギルドカードを差し出す。ザバランはそれを受け取ると、ザバランの机の上に据えられた魔石付きの石板───ランク管理用の装置にカードを翳した。
ピピッという音とともに、カードに刻まれた“E”の文字が、“D”へと変化する。
「これでようやくDランクだな」
「え、いいんですか……?」
「これで上げなかったら苦情が来ちまうだろうが。あんな化け物相手に街を守り抜いたんだ、当然だ」
「……ありがとうございます」
ルーチェが小さく頭を下げると、ザバランはふっと真面目な表情に切り替えた。
「それでだ、ルーチェ」
「はい?」
「今回の件、エリュールと一緒に調べたんだが……やはり、あのデッドタートルも凶暴化させられていた個体だった」
「やっぱり……」
(あんなに強かったのも、そういうことか……)
「正直、寄せ集めの戦力であれを倒せたのは奇跡だ。だがな……」
言葉を切ったザバランの眉が少しだけ曇る。
「……今回も、誰の仕業かまでは分からなかった。不甲斐なくてすまない。引き続き範囲を広げつつ調査していくつもりだ」
「いえ、そんな……ザバランさんのせいじゃありません」
ルーチェが静かに首を振ると、ザバランは少しだけ目を細め、口調を切り替えた。
「さて、話は変わるが───ルーチェ。街を救った“英雄少女”として、お前の活躍を称える意味も込めてな、今年の花祭りが“特別版”として開催されることになった」
「えっ、英雄少女ってなんですか……?」
「ルーチェに相応しい二つ名を伯爵がつけたんだ。かっこいいだろ?」
(英雄だなんて過大評価だと思うんだけど……)
「あはは……」
ルーチェは苦笑いを浮かべた。そして思い出したかのようにザバランに尋ねた。
「花祭りって……そもそも、どういうお祭りなんですか?」
「知らねぇのか? 花祭りってのは、この街で毎年春にやってる恒例行事だ。本来は街の周りの花畑を植え替えるタイミングに合わせて行う祭りでな。花の出店や、昼と夜のダンスイベントなんかもあって、賑やかなもんだ」
「そんなお祭りが……」
「まあ、今回は花畑の一部がぐちゃぐちゃになっちまったけどよ。街の連中が頑張って何とか祭りが出来るまでに復旧させたんだ。ルーチェのおかげで祭り自体が中止にならずに済んだからな」
「……ありがとうございます。楽しみにしてます」
「おう、目一杯楽しめ。あともうひとつ───伯爵が、お前と話したいそうだ。花祭りのときに来るらしいから、少し時間を取ってやってくれ」
「分かりました」
ルーチェは丁寧に頭を下げ、ギルドマスターの部屋を後にした。