第38話 セシ防衛戦
門の前──巨大な亀、デッドタートルの真正面に立ちふさがるルーチェ。その小さな背中が、街を守る盾のように見えた。
「……リヒト」
ルーチェが小さく名前を呼ぶ。
『……はい、お嬢様』
リヒトの声はいつも通り静かで穏やか。けれど、そこにはどこか緊張の気配が混じっている。
「私ね、ずっと考えてたの。この街の人たち、みんな優しくしてくれる。困ってたら手を差し伸べてくれて、私が何者かなんて関係なく接してくれる。……私、そんな人たちに、何を返せるんだろうって」
風が吹く。ルーチェの髪に結ばれたリボンが揺れた。
リヒトは、言葉を挟まずただ聞いている。
「それとね……もう一つ、考えてたことがあるの。《絆の光》のリボン……初めて見たとき、思ったの。桜みたいだなって」
『桜……ですか?』
リヒトの声に、わずかな驚きが混ざる。
「桜はね、春を告げるお花で──春になると桜がばーって咲いて、ピンクでいっぱいになるの。とっても綺麗なんだよ」
ルーチェはどこか懐かしむように、けれど楽しげに語る。
『えぇ……お嬢様の記憶にある“桜”という花、とても美しく……どこか儚さも感じられますね』
「そうなの。昔住んでた家の前の公園にね、大きな桜の木があって。だから私、毎年その桜が咲くのを楽しみにしてたんだ…!」
『……そうでしたか』
リヒトの声も、どこか柔らかくなる。
「ごめん、話が逸れちゃったね。えっと……それでね、思ったの。《絆の光》……私、これまであんまりちゃんと使ってこなかったなって」
『と仰いますと?』
「新しい魔法を編み出して使うことはできても……本来の力を、ちゃんと使ったのって、冒険者の人と模擬戦した時とか、ブラッディホーンベアやゴブリンキングと戦った時くらいだと思う」
その言葉に、リヒトは静かに思い返す。確かに──彼女はあの力の本質に、まだ触れていない気がしていた。
「だから、今回は……ちゃんと使おうと思ってる。神様から貰ったこの力……その、本来の力を。皆を守るために」
ルーチェの声に、決意が宿る。
『……お嬢様。……かしこまりました。お嬢様の想像する“イメージ”を形に変え、制御する。微力ながら助けさせていただきます』
「ありがとう、リヒト」
その時だった。背後から、ザッザッと足音が近づいてくる。
「ルーチェ」
振り返ると、そこにはザバランの姿があった。
「ザバランさん? 指揮を執るんじゃ……」
「ん? あぁ、エドガーのやつに押し付けてきた。こういうのはあいつの方が向いてるしな。それに冒険者たちも馬鹿じゃねぇ。やるべきことは伝えてきたから、大丈夫だろう」
彼はふっと笑ってから、真剣な目をルーチェに向ける。
「それより、俺はお前のサポートだ。あの光線から街を守るってのは、一筋縄じゃいかねぇ。踏ん張りが必要になる。だから、俺が後ろから支える。地魔法と俺自身でな」
「……ありがとうございます!」
その言葉と同時に──
「報告しまぁす!! 亀が口を開きました! 第二波来ます!!」
門の上から、見張りの青年コニーの声が響いた。
瞬間、辺りに緊張が走る。
ルーチェはハルクから受け取った盾を構える。そして、手と足──そして盾の前面に、魔力を集中させた。
亀の口に、禍々しい魔力が集束していく。眩いというよりも、危険な輝き。焼き尽くすための光。
ルーチェは息を整え、気を引き締めた。
(落ち着いて、私なら──きっとできる)
『えぇ、大丈夫です。お嬢様なら必ず……!』
リヒトの言葉に心を決め、魔力を練り上げていく。手のひらと盾の前面に集中させた魔力は、やがて淡いピンク色の光を帯び、蕾のように形を成していった。
──そして、
「───《花開く光盾》!!」
その瞬間、光が爆ぜるように弾けた。
桜を模したような、光の花が咲く。大きく、しなやかに、だが決して折れないように──それはルーチェを包み込むように展開された防壁だった。
息を呑む音が、後方の冒険者たちから漏れる。
「……いいか、ルーチェ」
背後から、ザバランの声が飛ぶ。厳しく、だが確かに温かい。
「力を入れて踏ん張ることは大事だが、間違っても力みすぎたらいけねぇ。分かったか?」
「はい!」
力強く答えるルーチェ。その瞬間だった。
亀の口から、咆哮のような音とともに──灼熱の光線が放たれた。
───轟音。
空気を裂くような衝撃が奔り、亀の口から放たれた光線は一直線に、門前に立つルーチェへと襲いかかる。
ルーチェがぐっと前傾姿勢になり、地面を踏みしめた──その瞬間。
想像していたよりも遥かに重く、強烈な一撃が《花開く光盾》にぶつかった。
「ぐっ……、ぐぅ……!!」
地鳴りのような衝撃が盾を通じて全身に響く。ルーチェは歯を食いしばりながら、必死に耐えていた。
「踏ん張れ、正念場だ!!」
ザバランが背後からルーチェの肩を掴み、全力で支える。さらには光線の圧で後ろに押されないように、地魔法を使い、足元の土で引っ掛かりを作ってくれているようだ。
盾は、ぶつかった光を弾くように、強く、そして眩く輝いていた。花弁の一枚一枚がまるで意思を持っているかのように、破壊の波を跳ね返す。
(守る……守らなきゃ、私が……皆を!!)
だが、光は防げても、熱までは抑えきれない。盾を掴む手に、焼けるような痛みが広がっていく。熱いを通り越して痛い。皮膚や神経の感覚が鈍くなり始めてもなお、ルーチェは顔を歪めながら、絶対に盾を離さなかった。
「もう少しだぁっ!!」
ザバランが叫ぶ。
「───っ!!!」
あまりの痛みで時間の感覚が曖昧になる。何秒経ったのか、それとも何分経ったのか──。
ふいに、全身を包んでいた重圧が、すっと消える。反動で体が前のめりになりそうになったその時──
「ルーチェ!!」
ザバランがすぐさま身体を支え、倒れ込むのを防いでくれた。
「……やったぞ、耐え切ったんだ!!」
「……は、はい……やりました……」
かろうじて意識を保ちながら、ルーチェは僅かに残った魔力を指先に集中させ、焼けた自分の手を癒し始める。
その時──
「総員! 突撃ぃぃぃ!!」
声を張り上げたのは、騎士団長エドガー。冒険者と騎士団の連携による突撃が始まる合図だった。
一斉に駆け出す騎士と冒険者たち。二手に分かれ、亀の巨体へと矛先を向けていく。
ルーチェが光を受け止めた間に築かれた連携。今、その刃が牙となって、反撃の狼煙を上げる──!