第36話 招かれる殺意
呼び出しを受けてギルドへ向かったルーチェたち三人は、そのままギルドマスターの部屋へと通された。
ソファには伯爵の秘書であるエリュールが座り、奥の机にはザバランが腰掛けている。
三人はエリュールと机を挟む形で、向かいのソファに腰を下ろした。
「突然お呼び立てして申し訳ございません」
エリュールは腰を下ろしながら、丁寧に頭を下げる。
「いえ……その、何かあったんですか?」
そこへ、受付嬢のニナが紅茶を運んできた。三人の前にそれぞれカップが置かれ、ニナが静かに部屋を退出する。
そのタイミングで、ザバランが重い口を開いた。
「実はな。エリュールや受付嬢と協力して、ギルドに寄せられていた最近の報告を改めて精査したんだ。そこで、いくつか同じ意見が上がっていることが分かってな」
「同じ意見、ですか?」
キールが尋ねる。
「ああ。報告してきたのは、商人から冒険者までバラバラだったが───言っていたことはどれも似通っていた」
ザバランはほんのわずかに間を置き、低い声で続ける。
「この街へ向かう途中の街道や、周辺の森の中で、“奇妙な音”を聞いたって話だ。しかも……すごく耳障りで、不快な音だったそうだ」
その言葉に、ルーチェの記憶がよみがえる。
討伐隊の時、ぷるるとリヒトを通じて聞いた、ノクスの言葉を──
“少し前、森、変な音、その後、魔物、おかしい”
ノクスは、確かにそう言っていた。
「それから、ギルドとしても冒険者たちに協力を仰ぎ、凶暴化した魔物との戦闘について詳しい情報を集めました。その結果、不快な音を聞いたという証言があったエリアと、魔物の異常が確認された場所が──ほぼ一致したのです」
エリュールはそう説明しながら、一枚の地図を差し出した。それはセシの街周辺の地図である。
そこには黒いバツ印と、それをなぞるように重ねられた赤いバツ印がいくつも記されている。わずかにずれた箇所もあるが、明らかに同一の範囲を示しているのが一目でわかった。
「やはり……誰かが、人為的に魔物を凶暴化させていると見て間違いねぇと思う」
ギルドマスターのその一言に、場の空気が緊張に包まれる。ルーチェたちもまた、自然と警戒の色を浮かべていた。
「そいつがルーチェを狙ってる“第三者”って可能性も、全く無いわけじゃねぇ。……まあ、もう少し調べてみねぇと、なんとも言えんがな」
「……そうでしたか。……ありがとうございます」
ルーチェは静かに頭を下げた。
ふと、ルーチェはとあることを思い出し、顔を上げた。
「あ、あの、私が依頼で訪れた先で話をした方も、緑癒獣の森で“変な音”を聞いたって……」
それは嘘ではない。実際に緑癒獣───本人?いや、本魔獣?から、そう聞いていたのだから。
「……そうか」
ザバランの短い返事のあと、ルーチェは少し考えてから付け加えた。
「さすがに、どの辺りで聞いたかまでは分かりませんでしたが……それでも、確かな情報です」
「了解しました」
エリュールは緑癒獣の森にもバツ印を付ける。その地図に新たな赤印が加えられたのを見て、ザバランが頭を抱えた。
「よりによって、あの森でもか……」
その様子を見て、エリュールが口を開く。
「調査範囲を広げる必要がありますね。王都から人員を呼んだ方がいいかもしれません」
「ああ。どうせ、セシの街の騎士団や冒険者だけじゃ手が回らねぇ。……よし、王都の冒険者ギルドにも連絡を取ってみるか」
「こちらでも、伯爵様を通じて国王陛下に奏上し、人員の確保ができないか掛け合ってみます」
「おう、頼む。……それと、三人とも──しばらくは気を抜くんじゃねぇぞ」
「「はい……!」」
三人の返事が重なり、部屋には一瞬、凛とした空気が漂った。
***
日が傾き、街に夕闇が忍び寄りはじめた頃──。
ルーチェたちがギルドから宿の方へ戻ってくるのとほぼ同時刻。
セシの街から北東、林の奥深く。
誰もいない林の中に、ぽつんと立つ一人の人影があった。全身を覆う深いローブに身を包み、その素顔すら見えない。
その人物の足元には、四隅を小石で押さえられた一枚の紙が敷かれていた。そこには複雑な魔法陣のような模様が描かれており、その人物は無言でナイフを取り出すと、自らの掌をスッと切る。
したたり落ちる血が、紙の上にぽたぽたと垂れる。
一滴、二滴……十滴目が落ちたとき、魔法陣がじわりと赤黒く光を帯びた。
「我が血は契りにあらず、支配の鍵。
刻まれし紋は、選ばれざる獣の門を開く呪なり。
汝、牙あるものよ──遠き地にて彷徨いし破滅の器よ。
門を越え、我が意志に応えよ。
名も無きものよ、正気を捨てよ。理を裂け。
暴に溺れ、咆哮と共に世界を穿て。
“契約”などいらぬ、“絆”など偽り。
我が血に従いしもの、ただ命ずるままに──這い出でよ!」
低く呪詛のように響くその声に呼応するかのように、魔法陣がふわりと空中へと浮かび上がる。中心から渦を巻くように黒い闇が広がり、やがてそれは、まるで重力そのものをねじ曲げるかのような黒穴───ブラックホールのようなものへと変貌する。
「さあ来い……そして暴れろ……街を壊し、人を───殺せ!!」
その叫びに応えるように、黒い穴の中で何かが蠢いた。
そして、一瞬。そこに浮かぶ“それ”の瞳が、燃えるような赤で──ぎらり、と光った。
林って書いた後に森になってしまっていたので伐採しました。失礼いたしました。