第32話 ほんの少しの本音
キールとテオの案内で、目的の店グラシアーナへと足を踏み入れる。ちょうど昼時とあって、店内は家族連れで賑わい、あちこちから食欲をそそる香りが漂っていた。
「いらっしゃいませ。三名様ですか?」
「はい、三人です」
キールが落ち着いた声で答える。
「それでは、こちらのテーブルへどうぞ」
案内されたのは、厨房からも近い、空いているテーブルだった。ほどなくしてメニューが運ばれてくる。
「ここのおすすめは“リーベル産トマトと合い挽き肉のミートソースパスタ”だそうですよ」
キールがメニューを開きながら教えてくれる。
「本当にトマト料理ばっかりなんですね……」
ページをめくると、他にも“トマト煮込みハンバーグ”、“トマトカレー”、“トマト入りグラタン”など、まさに“トマト尽くし”のラインナップだった。
「じゃ、じゃあ私は……おすすめのミートソースパスタを!」
「オッケー。……キールは?」
「そうだな……じゃあ、“ロックバードのトマトソースがけ”を」
「俺は“トマトカレー”で」
「ミートソースパスタ、ロックバードのトマトソースがけ、トマトカレーですね。少々お待ちくださいませ」
注文を取った店員が笑顔で去っていき、テーブルには、ちょっとしたわくわく感が残った。
***
(ミートソースパスタ……! 久しぶりに食べる……)
運ばれてきた料理にルーチェは目を輝かせた。そしてフォークでパスタを巻いてスプーンに乗せて口へ運んだ。
「ん〜!!」
リーベル産トマトと合い挽き肉のミートソースパスタ。
つややかに茹で上がったパスタの上には、甘味と酸味のバランスが絶妙なトマトソースがたっぷりとかけられ、粗く挽かれた肉の旨味がコク深さを引き立てている。香ばしく炒められた玉ねぎの甘みとハーブの香りが食欲をそそり、仕上げに削られたチーズがとろりと溶けて、全体をやさしく包み込んでいた。
ルーチェはそれを幸せそうに味わう。
「ルーチェさんのも美味しそうですね、では私も…」
“ロックバード”と呼ばれる鳥の魔物の肉を使ったこの料理、ロックバードのトマトソースがけ。
しっとりと焼き上げられたロックバードの胸肉は柔らかく、それでいて弾力のある歯ごたえ。軽く焦げ目のついた皮の香ばしさと、上からかけられた温かいトマトソースの風味が絶妙に調和している。ソースには香草の風味とほのかなニンニクの香りが効いていて、淡白な鶏肉に奥行きのある味わいを加えていた。付け合わせには、こんがり焼かれた野菜とハーブサラダ、丸いパンが添えられている。パンを千切ると、ふわふわと柔らかく小麦の香りが漂ってくる。
「……じゃあ俺も」
深い朱色をしたトマトカレー。
煮込まれたトマトの酸味とスパイスの辛みが絶妙に溶け合い、口当たりはまろやかでありながら、後からじんわりと熱さが広がる。中には大きめにカットされた野菜と肉がゴロゴロと入り、食べ応えも十分。皿の縁にはヨーグルト風味のソースがあしらわれ、辛さを和らげつつ味に変化をもたらしている。
付け合わせには、こんがり焼かれたナンが添えられている。表面はぱりっと焼き上がり、内側はふっくらもちもち。カレーのソースをすくうたびに、小麦の香ばしさとトマトの風味が口の中でふんわりと広がっていく。ほんのりバターが塗られたナンの表面が、スパイスの効いたソースとよく馴染み、ついつい手が伸びる一品だった。
「うま……、中々いいね、この味」
テオが思わずそう呟いた。
「うん、凄く美味しい……」
キールの素直な言葉に、テオが笑いかける。
「三人で来た甲斐があったね、キール」
「うん、そうだね」
食べ終わったルーチェは、ふと思い出したようにフォークとスプーンを置いた。
「こうして誰かとゆっくりご飯を囲んで食べるのって……何だか、久しぶりな気がします」
その言葉に、キールが「そうなんですか?」と反応する。
「ワイワイ賑やかな場所で食べることは多かったですけど、こうやって、同じテーブルについて誰かとご飯を食べるのは……あまり無くて…。誰かと一緒に食べると、より美味しいですね」
ルーチェがニコッと笑う。「でしょ?」とテオも笑った。
「もし……討伐隊とかで、また一緒に外に出る機会があったら、その時もまたご飯食べましょう。腕をふるいますよ……テオが」
「あ、なに? 昨日のこと根に持ってんの?」
「テオが先に言ったんでしょ?」
「ふふふ…」
和気あいあいと、あたたかい食事の時間は過ぎていった。
「ずっと思っていましたが、やっぱり……」
キールがルーチェを見つめながら唐突につぶやいた。
「キールさん?」
ルーチェが首をかしげる。
「冒険者って、何もかも自由という感じがして。ちょっと羨ましいなって思ったんです」
「ま、その分、自己責任が増えるけどね」
テオが肩をすくめる。
「もちろん。自由には責任が伴います。それは分かってるのですが……」
キールは少し視線を伏せる。そしてふと、話題を変えるように尋ねた。
「ルーチェさんは、この街に来る前はどちらに?」
───胸が、ドクンと鳴ったような気がした。
異世界で死んで転移してきたなんて、二人に言えるはずもない。ルーチェが頭の中で言い訳を探していると、
『───お嬢様』
リヒトの声が、思考の渦からルーチェを引き戻した。
「ええっと……人里離れた場所で、療養していて……」
「療養? どう見たって、健康優良児にしか見えないけど」
「昔は……その、体が弱くて。まともに外に出ることもできなかったんです」
「そうだったんですね……。失礼ですが、ご両親は?」
「……少し前に、亡くなりました」
キールは、はっとして目を伏せた。
「すみません、お辛いことを聞いてしまって」
「いえ……大丈夫です」
ルーチェは、静かに微笑んだ。けれどその瞳の奥には、どこか遠くを見つめるような影があった。
(完全にやらかした……)
キールは落ち込んでいた。ルーチェに辛い過去を思い出させてしまったと、内心自分を責めていた。
(流石に「亡くなった」までは言い過ぎだったかな……。でも、少し前に“私が死んだ”のは事実。少し改変しただけだから……そこまで悪いことでも、ない……よね?)
ルーチェもまた、どこかモヤモヤした気持ちを抱えていた。
そんな二人の沈黙と重苦しい空気に、ついにテオが堪えきれず、椅子をがたんと鳴らして立ち上がる。
「~~~~っ、だぁぁぁぁっ!! なんで食後に弔いムードになってんのさ!!」
空気を一掃するような大声だった。
そして、勢いそのままに近くに立っていた店のエプロンを付けた男性へ向かって叫ぶ。
「店主! なんか、オススメのデザート! 人数分持ってきて!」
「……ははは、はいよ」
店主は一部始終を見守っていたらしく、少し苦笑しながらも、気の利いた返事と共に厨房へと入っていった。
そして、五分ほど経つと、デザートが運ばれてくる。
「お待たせ。リーベルの村産トマトを使ったパンナコッタだよ。ごゆっくり」
店長はデザートの入った器を一つずつ丁寧に並べていき、穏やかな笑みを残して厨房へと戻っていった。
「もう、しょげてないでよ」
テオが二人に目をやりながら、少し呆れたように言う。
「今こうして、俺たちが一緒にデザート囲んでることの方が大事でしょ? 俺はさ、過去より“今”を大事にしたいんだよ。……ほらルーチェ、さっさと食べな。キールが遠慮して食べないから」
「は、はいっ……いただきます!」
ルーチェがスプーンを手に取り、ひと口すくって口に運ぶ。
牛乳で作られた滑らかなパンナコッタに、リーベル産トマトの風味を活かした爽やかなジャムが乗った一品。トマトの甘みと酸味が、意外にも絶妙にマッチしていた。
「ん〜……甘い……でも、後味がスッキリしてて……美味しいです」
ルーチェの表情がふわりと綻ぶ。それに釣られるように、キールもようやくスプーンを手に取った。
「……美味しい。トマトを使ったスイーツなんて初めて食べましたけど、こんなに合うんですね……」
(……よし、これなら大丈夫だな)
テオは内心、安堵の息をついていた。
宿へ帰る途中、ルーチェの目に一軒の小さな雑貨店が映った。店先には色とりどりのリボンやスカーフが並んでいる。
(あ、この赤色……ノクスの目の色に似てるかも)
ルーチェは、ひときわ鮮やかな赤いスカーフに目を留めた。吸い込まれるようにじっと見つめていると───
「欲しい?」
不意にテオからかけられた声に、ビクッと肩が跳ねた。
「え! えっと……」
(これをノクスにつけておけば、万が一誰かに見られても野生の影狼には見えないかもしれない……なんて、言えないよね)
言い訳を探しているうちに、
「店主、これを」
隣からすっと差し出された銅貨。それを受け取った店主が、にこやかに袋を手渡した。
「はい、まいどあり」
「えっ、キールさん!? わたし、まだ……!」
「おや、あんなに熱心に見ていたのに、いらなかったんですか?」
キールは少し意地悪そうに笑って、ルーチェの目を覗き込む。
「いえ……その、欲しかったです。ありがとうございます……」
「ひゅー、かっこいいー」
「なんで棒読みなの、テオ」
「で? 何に使うの?」
「え……内緒、ですかね……?」
「内緒かー」
軽いやりとりの後、三人は再び歩き出す。街灯に照らされた夜の石畳が、やけに静かに感じられた。
「そういえばルーチェさん、明日はどうするんですか?」
と、キールが歩きながら振り返る。
「明日は……お休みにして、宿でゆっくりしようかと」
「くれぐれも一人でどっか行かないでよ? 外に出るなら、詰所に寄ってからね」
「はい、そうします」
やがて宿の明かりが見えてきた。
「……着いたね。じゃあまた、ルーチェ」
「ルーチェさん、ゆっくりお休みください」
「はい。キールさん、テオさん、今日は本当にありがとうございました。また!」
ルーチェは深くお辞儀をしてから、宿の扉を開ける。
(……楽しかったなぁ)
胸の中にあたたかい余韻を感じながら、彼女はそっとスカーフの入った袋を抱きしめた。
部屋に戻ったルーチェは自身の影を見下ろした。
「ノクス、いる?」
ルーチェが囁くと、足元の影からぴょこんと黒い耳が飛び出した。その光景は何度見ても、思わず笑みがこぼれるほど愛らしい。
「ねえ、今日ね──」
ガブッ。袋ごと噛みついた。
「ちょっ、ノクス!? それ食べ物じゃないよ!」
『オイシクナイ……』
「ほら、干し肉あげるから。そっちにしよう?」
差し出された干し肉にすぐに飛びつき、嬉しそうに尻尾を揺らしながらかじりつくノクス。その隙に、ルーチェは袋から赤いスカーフを取り出した。
「……よし」
優しくノクスの首に巻きつけると、思ったとおりの仕上がりだった。
「うん、やっぱり似合ってる。かっこいいよ、ノクス!」
「ワフッ!」
『アルジ、ヨロコブ、オレ、ウレシイ』
「……ん? 今の声、もしかしてノクス!?」
『《意思疎通》の効果ですね』
リヒトの穏やかな声が、いつの間にかルーチェの思考に滑り込んでいた。
「あ、そっか……リヒトの声が聞こえてくることに慣れすぎて、気づくのにタイムラグが出ちゃったかも」
そう笑いながらルーチェは小さく息をついた。
「それでね。ノクスも仲間に加わってくれたし、改めて今の自分たちのこととか、リヒトが昨日言ってた新しい力──レベルアップで得た能力の確認とか……そういうのをちゃんと整理したくて」
『それは良い案だと思われます。そのために、明日はお休みにされたのですね』
「うん。だから明日は部屋にこもって、じっくり確認と、今後の話をしようと思うの」
『かしこまりました、お嬢様』
この回のためにトマト料理を調べたのはここだけの話。