第3話 その手に、力を
大体教室二つ分くらいの大きさはあるだろう、ギルドの地下にある訓練場へと向かうルーチェに、リヒトは声をかける。
『しかし、宜しかったのですか? セシの街に来て早々模擬戦とは……』
リヒトの言葉に頬を膨らませるルーチェは、心の中で言葉を返す。
(...だって、何か…気に入らなかったんだもん……)
『とはいえ、やることになってしまったのなら仕方がありません。必ず勝ちましょう、お嬢様』
「……うん」
ルーチェはニナに鞄を預けると、軽くジャンプしてみたり準備運動をし始める。ニナの後ろでは何人かの冒険者が並んでいた。どうやら、模擬戦の見物をするらしい。
(わぁ! ……やっぱり体が凄く軽く感じる...!)
『神の用意した健康な肉体の賜物ですね』
「自分から模擬戦申し込んどいて、負けたら準備運動が足りませんでした〜、とか言うつもりかぁ?」
「違いますよ……。ニナさん、こちらは大丈夫です」
「……ライノスさんも準備いいわね?」
「あぁ、土下座したら降参を認めてやってもいいぜ、嬢ちゃん!」
両者が距離をと取って向かい合う。
「……試合、開始!!」
「ふん、俺が本気を出すまでもねぇ……」
ライノスは斧を肩に担ぎながら鼻で笑い、地面を蹴って突進する。
「───せいっ!」
その大柄な身体から放たれる一撃は、冒険者ランクにして中堅程度──それでも、普通の子どもなら一撃で気絶する威力だった。
───だが。
「……っ!」
ルーチェはその斧の軌道を冷静に見切り、紙一重で回避した。
「チッ、避けたか……でも次は──《大衝撃》!」
斧を地面に叩きつけると、魔力を帯びた衝撃波が走る。石床が砕け、砂埃が舞う。
その瞬間、ルーチェはローブの袖をわずかに広げ、光のリボンを展開。
『……大丈夫です、お嬢様。あなたの《絆の光》は、ただの飾りなどではありません』
───ルーチェの脳内に、戦闘前のリヒトの助言が脳裏に蘇る。
『貴女のユニーク魔法《絆の光》は、リボンを通して魔力を伝え、あらゆるものとの繋がりを作る力です。貴女の想像力、そして使い方次第で、如何様にも利用できます。貴女のリボンは、貴女が望む形に応えてくれます』
(望む形……望む力に!!)
光のリボンがルーチェの腕と足に絡みつき、魔力が伝わる。腕に纏うリボンは攻撃力や打撃力を補正、足のリボンは敏捷性や回避を上げる効果をもたらす。
さらに、足元の地面に触れるようにリボンを這わせる。
(ほんの少しでいい。地面に引っかかるように──!)
次の瞬間、再び突進してきたライノスの攻撃をルーチェはまた躱す。方向転換しようとしたライノスの足がそのリボンに絡まり、バランスを崩す。
「うおっ……!」
ライノスが転倒したことで、ライノスの手元を離れた斧が床を転がる。
ルーチェは足に力を込め、思いきり踏み込む。すかさず接近、強化した拳を構えて飛び込んだ──。
「なめんじゃねえっ!」
地面に這いつくばりながらも、ライノスは拳を引き、魔力を集中させる。
「───《大砕撃》ッ!!」
拳に衝撃波を乗せたカウンター攻撃。しかし───。
(やっぱり足にも魔力を流しておいて、よかった……!)
瞬時に身を翻し、ルーチェはその一撃を回避。
そして──
「……てやぁっ!」
重心を低く保ったまま、強化した拳をライノスの腹部へ叩き込んだ。
ドゴッ──!
肉が打たれる重い音。ライノスの身体がのけぞる。
「が、は……っ!」
膝をつき、腹を押さえてうずくまるライノスの姿。
ニナが即座に踏み出し、声を上げた。
「そこまで! ルーチェさんの勝利とします!」
訓練場に静寂が訪れる。
誰もが信じられないといった顔をして、少女を──ルーチェを見つめていた。
そして小さく、ぽつりと誰かが呟く。
「……マジかよ。子供相手に本気出して負けるとか……ダッセぇな」
「うわ、見てらんねぇ……」
冒険者たちの空気が一変する。
だがルーチェは何も言わない。ただ一歩下がり、深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
その礼儀正しい態度が、さらにライノスの恥を際立たせた。
一方、見守っていたリヒトはそっと胸をなで下ろしていた。
『……本当によくやりましたね、お嬢様』
***
ライノスは地面に片膝をつき、肩で息をしながら唇を噛みしめていた。
「クソ……俺が、こんなガキ相手に……!」
彼の拳が地面を軽く叩く。傍らでマルクスも呆然としつつ、複雑な表情を浮かべている。
そんな中、ルーチェは満面の笑みで胸の前で手を握りしめ、小さく跳ねるように喜んだ。
(上手く出来た……! リヒト、ありがとう……!!)
『初めてでこれだけ戦えるなら、貴女はもう立派な“冒険者”です』
落ち着いた声音の中に、わずかに誇らしげな響きが宿る。
しかしその余韻を吹き飛ばすように、バンッ!と訓練場の扉が勢いよく開かれた。
「ギルドマスター!?」
ニナが思わず声を上げる。
入ってきたのは、頭頂に部屋の明かりを跳ね返すほど見事にツルツルと輝くハゲ頭を持った男だった。
年齢は四十代前後だろうか、がっしりとした体格に鋭い眼光を持っている。
(この人が、このギルドのマスターさんなんだ……)
その圧にルーチェが思わず背筋を正す。
ギルドマスターの目がライノスとマルクスに突き刺さる。
「ライノス、それにマルクス。他の受付嬢や冒険者たちから、既に話は聞かせてもらった。冒険者になってすらねぇ嬢ちゃんに絡んだらしいな?」
「い、いやそれは……!」
「俺たちはただ、お嬢ちゃんを心配して……!」
「言い訳は必要ない……」
低く、重たい一言が空気を変える。
「……他の冒険者にちょくちょく絡んでるって報告が上がっていても、お前らはちゃんと依頼をこなしてたからな。多少のことには目をつぶってやるつもりだったんだ」
その目が、怒りに燃える。
「───だがな! こんな小さな子供にまで絡むとはどういう了見だ!! その根性、叩き直してやる!!」
「「ひ、ひぃっ!!」」
肩をすくめた二人に、叱責の嵐が吹き荒れそうになったその時───。
「……あの、ギルドマスターさん」
ルーチェが一歩前に出て、落ち着いた声で呼びかける。
「絡まれたとはいえ、模擬戦を提案したのは私なんです。だから、あまり怒らないであげてください」
「お嬢ちゃん……しかしだな……」
「それに……」
ルーチェはほんの少しだけ目を細めて、ライノスとマルクスを見据えた。
その笑顔は変わらないが───そこに、氷のような冷たさが滲む。
「模擬戦前の約束、忘れてませんよね? 二度と関わらないでくださるなら、水に流します」
にこやかに、しかし逃げ場のない圧力を込めた笑顔。ライノスとマルクスは完全に気圧され、顔を引きつらせながら揃って答える。
「「は、はい……!」」
その様子に、ギルドマスターはため息をついた。
「ったく……」
ニナも呆れ顔で二人を睨んだままだ。
「……お嬢ちゃん、ついてきてくれ。話がある。お前ら二人は、暫くそこに正座して反省してろ」
「ひぃ……」
「すいやせんでしたぁ……」
ほんの少しですが、修正しました。
よく確認して出した後でも、気になる部分って出てくるものなんですね。