第28話 見下ろす影
三人が探索をしようと立ち上がった時、玉座の背後にある石壁が軋み、音を立てて開いていく。
「……まだ、奥があるのか」
キールが慎重に声を落とす。三人は身構えながら、その先へ進んでいく。
扉の先には、小さな小部屋があった。
天井は低く、空気はひんやりと湿っている。奥の壁に、かつて誰かが刻んだであろう古代の言葉が残されていた。
「……文字が……」
ルーチェが歩み寄り、壁をそっとなぞる。
「『絆……、夢が……、愛し……、どうか……』」
読み上げたその声は、やがて震えながら途切れる。
「……だめです。ボロボロで、これ以上は読めません……」
そこには、何か大切な想いが込められていた。けれど、それを完全に読み取るには、あまりにも時間が経ちすぎていた。
それでも、確かに──この場所には、誰かの「祈り」が残っていた。
キールとテオは黙ってルーチェの隣に立つ。
「この遺跡は、ただの祭祀の場所なんかじゃなかったのかもな」
と、テオが呟いた。
「はい……きっとここは、何かを託した場所だったのかもしれません」
ルーチェはそっと微笑む。
小部屋から戻ると、あれほど禍々しかった怪しげな紋章は跡形もなく消え失せ、代わりに部屋の中央には──淡く揺らめく光の輪が浮かんでいた。まるで、どこかへと繋がる“ワープゾーン”のように。
「私が思うに……ここに入れば、あの祭壇へ戻れるような気がします」
ルーチェの言葉に、テオがぐったりとした様子で応じた。
「疲れたし戻ろ。行くよ、ルーチェ。キールも」
キールはその途中、ゴブリンキングが被っていた骨の冠を拾い上げ、じっと見つめた。
「うん、戻りましょうか、ルーチェさん」
三人は自然と手を繋いだ。
迷わず、ためらわず、光の輪へと歩を進める。
光が彼らを包み込み──その姿を、やがて完全に飲み込んでいった。
***
──光に包まれた瞬間、ルーチェたちの視界は白く染まり、次の瞬間には祭壇の間へと戻っていた。
「ルーチェ!! 無事に戻ったか!」
声の主はギルドマスター、ザバラン。
先ほどまでこの場にはいなかったはずの彼のほか、ノヴァール伯爵やその護衛の騎士たち、討伐隊の面々も祭壇の間に集まっていた。
ルーチェは安堵したのか、ふらりと身体を揺らしながら小さくあくびをこぼす。眠気すら感じるその様子に、仲間たちも思わず肩の力を抜いた。
「ギルドマスター……これを」
キールが静かに進み出て、手にしていた冠を差し出す。
ゴブリンキングの頭を飾っていた、あの禍々しい冠だ。
「お前ら三人で……倒しちまったってのか……」
ザバランは目を見開き、しばし言葉を失う。その手が冠を受け取ると、ずしりと重みが伝わってきたようだった。
「曖昧なことしか言えないけど、多分もうゴブリンは出ないと思うよ」
テオが疲れた笑みを浮かべながら答える。
「……そうですか」
祭壇の端で静かに様子を見ていたエリュールが一歩前に出る。
「伯爵様。念のため、後ほど私の方で遺跡の調査を行います」
「ああ、頼む」
セルジオ・ノヴァール伯爵はうなずくと、ルーチェたち三人を見やった。
その表情は、心から安堵しているようだった。
「……三人とも、本当にご苦労だった。光の中に消えたと聞いた時は、正直、どうなることかと肝を冷やした。だが……無事で何よりだ」
ルーチェは、ふらふらと今にも倒れそうな足取りだった。
「ルーチェさん、こちらへ」
エリュールがそっと声をかけた瞬間──ルーチェはその腕の中にポスンと身を委ね、小さな寝息を立てはじめた。
「ルーチェ……!?」
驚いたザバランがすぐさま駆け寄るが、
「大丈夫です、眠っているだけです。恐らく、魔力をかなり消費したことが原因でしょう」
エリュールがルーチェの肩を軽く抱きながら、落ち着いた声で答える。
一方で、キールは伯爵のもとへと歩み寄っていた。
「申し訳ありません。精神的に一番負担が大きかったのは彼女です」
「気にしていないさ。むしろ、ゴブリンキングとやり合った後に、元気に走り回られた方が心配になるというものだ」
セルジオは穏やかに笑い、目を細めた。
「おっさん」
今度はテオがザバランに話しかける。
「ルーチェのこと、背負ってやってくれない? 本当は俺らがそうしてやりたいんだけど、ゴブリンキング戦のダメージがまだ残っててさ」
「それは構わんが……」
「キールはどうか知らないけど、俺はたぶん骨にヒビ入ってるっぽい。なんかこの辺がずっと痛ぇんだよな……」
テオは自分の肋骨の辺りを撫でて、顔をしかめる。
「いや、それ重症じゃねぇか!?」
ザバランが即座にツッコむ。
「ま、歩けてるから大丈夫」
テオはへらりと笑った。
そこへキールが戻ってくる。
「僕は風魔法で衝撃を相殺したから、あまりダメージは食らってないよ。それに、ルーチェさんに回復してもらったしね」
「くっそ、魔法ってやっぱズリぃな……」
テオがぼやくように呟くと、キールを恨めしげに見つめた。
「キール、体が大丈夫ならテオに肩を貸してやれ。俺はルーチェを背負う」
「了解しました」
ザバランが静かに言い、キールは頷いた。
その時、セルジオが一歩前に出て、場に声を響かせる。
「ひとまず、ゴブリンの脅威は去った──セシの街へ帰還する!!」
「「おうっ!!」」
討伐隊の冒険者たちが声をそろえ、力強く応えた。
その声には、疲労と達成感、そして無事であることへの喜びが滲んでいた。
眠るルーチェを背負いながら、ザバランは前を見据えたまま呟く。
「お前ら、治療が終わったらで構わねぇ。少し、話を聞かせてくれ」
「ええ、もちろんです」
キールがすぐに応じる。
「選択の間とか、試練の間とか……いろいろあったしね」
続くようにテオが肩をすくめた。
「ルーチェには、目が覚めたら来るよう宿の女将にでも伝えとけばいいか……」
ザバランはそう言いながら、ぼそぼそと考えごとのように呟き、先頭の方へ歩いていく。
その後ろで、キールとテオも傷に響かないように足取りを合わせながら歩いていた。
「……しかし、あれはすごかったよな」
唐突に、テオがぽつりと呟く。
「あれ?」
キールが聞き返すと、テオはルーチェを背負うザバランの背中をちらりと見た。
「ルーチェが最後に使ってた、あの光のやつ」
「ああ……」
キールも目を伏せ、思い返すようにうなずいた。
「あの子、いったい何者なんだろう」
「さあ……」
二人はそれきり何も言わず、静かに歩みを進めた。
こうして討伐隊は、ゆっくりとセシの街への帰路についた。
***
遺跡を離れていく討伐隊の背を、誰にも気づかれぬ高所から見下ろす影が一つあった。
黒ローブの人物──その口元が吊り上がる。
「おやおや、反応があったから確かめに来たってのに、死人ゼロとは恐れ入ったよ…」
フードの奥、瞳が妖しく光る。
「ま、実験は終わり。次が本番だ。平和ボケした街のヤツらがどんな悲鳴を上げるか…想像しただけで興奮しちまうよ…」
ふと、黒ローブは左腕を持ち上げる。そこには、篭手とクロスボウが融合した奇妙な装備。
「それにしても……」
クロスボウを指先でなぞる。
「昨日は妙な光の魔力を感じて、思わず射っちまったよ……」
視線の先。討伐隊の列の中、一人の少女が眠っていた。疲れ果てたように、ザバランに背負われている──ルーチェ。
「まさか、あの“影狼”が助けるとはねぇ……」
遠く、少女の影に一瞬だけ揺らめく黒い残像。すでに姿はないが、確かに“いた”。
「面白くなってきたじゃないか…」
フードの奥で、冷たい笑みがゆがんだ。
「目的は必ず果たす。すべては、《調律》のために───」
やがて、黒ローブの姿もまた霧のように掻き消える。
残されたのは、静けさだけ──。