第21話 迷いの森
ルーチェ達はヴェルナーのチームと共に、右側のルートを慎重に進んでいた。作戦は、左右から部隊が進み、最終的に森の中心で敵を挟み撃ちにするというもの。
しかし、森は薄暗く、濃い霧が立ち込めており、視界は最悪だった。
(何か出てきてもおかしくない……)
そう思いながら、ルーチェは杖を強く握りしめる。
「前方! ゴブリンだ!!」
先行していたヴェルナーの叫びが響く。左手側───森の中央に近い方向から、霧を割ってゴブリンたちが現れた。
「《水流剣》───《水漣》!!」
即座にテオが前に出て、一体のゴブリンを斬り払った。彼の剣の軌跡には、水の波紋のような煌めきがまとわりついている。
(これが、テオさんの“水流剣”…!)
「《風刃》!!」
続いてキールが鋭い風の魔法を放つ。三日月状の風刃が霧を裂き、二体のゴブリンを一瞬で切り裂いた。
(キールさんの風魔法もすごい…。私も負けてられない!)
「もう一匹! そっちに行ったよ、ルーチェ!」
テオの声に反応し、ルーチェはすぐさま杖を構える。前衛であるテオやキール、そして後衛であるルーチェのちょうど中間地点から、もう一体のゴブリンが現れた。
「《聖光柱》!!」
光の球体が杖から放たれ、敵の頭上へと飛翔する。次の瞬間、球体はまばゆい光柱となり、熱を伴った輝きでゴブリンを包み込んだ。眩い光が消えると、そこには焼け焦げたゴブリンが地面に倒れていた。
(……即興で考えた魔法だったけど、上手くいったみたいでよかった……)
胸の奥に小さな手応えを感じながら、ルーチェは静かに息をついた。
さらに森の奥へと、ルーチェたちは慎重に足を進めていく。
霧は相変わらず濃く、視界は悪い。それでも、ゴブリンは途切れることなく、数体ずつのペースで姿を現していた。ルーチェたちは連携を取りながら、それらに的確に対処していく。
「ルーチェさん、今のうちに魔力を回復させておくといいですよ」
前を見据えながら、キールが声をかける。
「ゴブリンの数が増えてきているような気がします。この後は、より中央に向かって進む形になりますから、戦闘も長引くでしょう。戦闘中の回復は危険ですから、今のうちに済ませておきましょう」
「はい、分かりました…」
ルーチェは鞄からMPポーションを取り出し、コクコクと飲み干した。ほんのり甘い液体が喉を通っていく。
「キールさんは飲まなくて平気なんですか?」
「私はルーチェさんと違って、槍も併用していますから、魔力の消耗はまだ控えめです。ご心配なく」
そのやりとりの最中、前方を歩いていたテオの声が緊張を孕んで響いた。
「二人とも! 来るよ!」
ルーチェとキールが前を向いたその瞬間───
「グォアアアァァァッ!!」
耳を劈くような咆哮とともに、霧を突き破って現れた巨体が、横合いから強引に割って入ってきた。
振り下ろされる巨大な棍棒───。
ゴブリンではない。それは、ひときわ大きな体格と凶悪な面構えを持った魔物だった。
「ホブゴブリンっ!?」
キールが思わず声を上げる。
「なんでこんな所に!!」
テオの剣がすぐに構えられるが、その表情には明らかな驚愕があった。
想定外の強敵の登場に、空気が一瞬にして張り詰める。
「キール、後のことは考えなくていい! 全力で魔法ぶっ放して! 俺がサポートする!!」
テオがホブゴブリンと切り結びながら、鋭く叫んだ。剣に水流が纏わりつき、切りつけるたびに波しぶきのような煌めきが弾ける。
「分かってる!!」
キールも即座に応えると、槍を正面に突き出す。
「《風鉤爪》!!」
風を纏った無数の鉤爪が渦となり、ホブゴブリンの体を切り裂くように襲いかかる。竜巻のような斬撃が続けざまに走り、ホブゴブリンの動きを封じようとする。
その隙を縫うように、ゴブリンの小隊が霧の中からぞろぞろと現れる。
「ゴブリンは私が! 《天使の回輪》!!」
ルーチェが高らかに詠唱し、手のひらから光の輪が複数生み出される。それらは高速回転しながら空中を飛び交い、次々とゴブリンを貫き、撃ち倒していった。
(見える敵から順番に…! テオさんとキールさんの邪魔にならないように…!!)
心臓が高鳴る。それでもルーチェは冷静に敵の動きを見極め、魔法を放つタイミングを正確に判断していく。
「ルーチェのおかげで! デカブツに集中できるのはいいんだけどさ!!」
テオが剣を振るいながら叫ぶ。その口調に余裕が混じっているのは、ルーチェが後方からゴブリンを片付けてくれているからだ。
「にしても、コイツ……ホブゴブリンにしては、ちょっとデカくない?」
「他のゴブリンに比べて耐久力も段違いだし……! テオ、僕も近距離に切り替えるよ。《付与魔法・風》!」
キールの槍に風が渦巻き、空気を切り裂く音が鳴り響く。風を纏わせたその姿は、まるで風の戦士のようだった。
(私は……どうしたらいい……? 二人が接近してるから、大きな攻撃魔法は使えない……)
ルーチェは考えた。
(二人の立ち位置が細かく変わってる……? 一体何の為に……? あ、もしかして、ホブゴブリンに狙いを定めさせない為なのかな……? だったら、敵の足を止める魔法を───!!)
「《聖縛鎖》!!」
ルーチェの杖が輝き、ホブゴブリンの足元に魔法陣が展開される。白い鎖が地面から伸び、ホブゴブリンを絡め取った。巻きついた鎖の先端は楔となり、大地に打ちつけられる。
「これなら……!」
「行けるね……! 《暴風突》!!」
「《水狼牙》!!」
キールの風を纏った槍が、ホブゴブリンの肩に突き刺さる。その直後、テオの剣から飛び出した水が狼の姿へと変わり、光のような速さで首筋に喰らいつく。
獣の断末魔すら上げることなく、ホブゴブリンは首と胴体を分かたれ、地に崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……つっかれたぁ……」
その場に膝をついたテオに、キールが近づきながら微笑む。
「お疲れ様、何とか倒せたね」
「うん。ルーチェもお疲───」
そう言いかけたテオが振り向いた先に、ルーチェの姿はなかった。
「……ルーチェ? ルーチェッ!!」
「───ルーチェさんっ!!」
二人の声が森に響く。しかし、返事はない。
まるで霧の中に溶けるように、ルーチェは忽然と姿を消していた───。