第16話 シャツと猫帽子と光の謎
街に戻ってきた次の日、ルーチェは街中を歩いていた。
今日は依頼を受けることなく、中古の既製服を売っている裏通りの服屋さんへと足を運んでいる。
目的は──ブラッディホーンベアとの戦闘で破れてしまった、白シャツの代わりを探すためだった。
「似た形とサイズの服だとこの辺りかな…」
ルーチェは店内に置かれたラックから、今着ているのと似たようなシンプルな襟付きのシャツをいくつか手に取る。
「あの、すみません…。これ、試着してもいいですか?」
「もちろん、そこの試着室へどうぞ」
試着室に入ったルーチェは、破れたシャツとローブを脱ぎ、そのシャツにそっと袖を通す。
(うん、サイズも大丈夫だし、着心地も悪くなさそう……かな…?)
『ええ、よくお似合いです』
心の中から、リヒトの穏やかな声が返ってくる。ルーチェは軽く笑って、似たような白シャツを思い切って三着買うことに決めた。
(また破れたりしたら大変だし、三着もあったらお洗濯も少し楽になるよね...)
『ええ、そうですね』
ルーチェは三着分の代金をトレーに置いた。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
シャツの入った袋を受け取り、店を後にし、宿へ戻ろうとしたその時、リヒトが静かに語りかけてくる。
『お嬢様。ぷるる様が街を直接見てみたいと仰っております』
「……へ? でも、さすがにスライムを連れて歩くのはちょっと…」
『お嬢様、ぷるる様がとても悲しそうでございます…』
リヒトのその言葉に、ルーチェは悩んだ。
「……んー……あ、そうだ! ぷるる、帽子になれないかな?」
『帽子に……ですか?』
「ほら、この前のリーベルのお祭りで小さな子たちが被ってたベレー帽みたいな形。あんな感じになれないかな?」
『……では、試してみましょうか』
ルーチェは人気がないことを確認し、そっと《召喚》を使ってぷるるを呼び出す。手の上に現れたぷるるは、体の水色まで変化させ、ピンク色のベレー帽のような形に変身した。
「おお、上手上手! ぷるる、すごいね!」
ルーチェはそれを被って、鏡代わりの窓ガラスで確認する。丸っこくて、ふにふにしていて、ちょっと不思議だけど──なかなか可愛い。
「いい? 動いたりしちゃダメだからね? 普通の帽子みたいに、じっとしてるんだよ?」
頭に“ぷるる帽子”を乗せたまま、ルーチェは大通りを散策することにした。
建ち並ぶレンガ調の建物、そこに暮らす人々、飛び交う賑やかな声、セシでは在り来りな日常的な風景だ。
(やっぱり、すごく素敵な街だ...)
人々が手を取り合って助け合い暮らしていく、それはとても素晴らしいことだ……と、ルーチェは思った。
(私ももっと誰かのために、私にできることを……ううん、私にしかできないことしたいな…)
しばらく歩いていると、すれ違った婦人が声をかけてくる。
「あらまあ、なんて変わった帽子! 猫耳みたいで可愛らしいわねぇ」
「……へ?」
ぽかんとしながらも、軽く会釈して通り過ぎる。
(猫耳ってなんだろ……)
通りを歩いていると、すれ違う人々がルーチェを見てクスクスと笑っている。ルーチェは不思議そうにしながらも、そのまま街を歩いた。
そして散策を終えて宿に戻り、階段を上がっているときに、ふと窓ガラスに映る自分の姿が目に入った。
「……えええ!? なにこれ!? 猫耳……!?」
ぷるるは、完全なベレー帽に擬態しきれていなかった。いつの間にか、上にふにっとした二つの出っ張りが生えており、それが猫耳のようにピョコンと立っている。
「もう〜……バレなかったからよかったけど…」
部屋に戻ったルーチェは、ベッドにばふっと倒れ込む。頭の上から、帽子だったぷるるがぽてっと落ちてくる。ルーチェはその柔らかなボディを、ぷにぷにと軽くつっついた。
「次からは気をつけないとダメだよ、ぷるる」
『こればかりは練習が必要ですね、ぷるる様』
《魂の休息地》へとぷるるを戻した後、ルーチェはふと、抱えていた疑問をリヒトに尋ねた。
「そういえば、ぷるるは出てきた時に色々食べるけど、やっぱりもっと食事の機会を作ってあげたほうがいいのかな?」
『お嬢様、それについてですが……』
リヒトは少し言葉を詰まらせる。
『どうやら、お嬢様の食欲が満たされると、ぷるる様も無理に食べなくて良いと思われるようです。つまり《魂の休息地》内にいる魔物たちは、お嬢様の肉体的な欲求と深く結びついているようでして……』
「つまり、無理に外に出して食べさせる必要はないってこと?」
『はい。ですが、定期的に外に出して食事の機会を与えるのが望ましいかと存じます。あくまで欲求の面ではなく、ぷるる様のストレスを無くすためのものです』
「わかった、そうするね。あ、そういえば……今こうしてリヒトと話してるけど、中にいるはずのぷるるの感情を感じたことがない気がするというか…、ぷるるが外に出てる時はちゃんと感情を感じるんだけど……」
『それはですね……。そもそも《魂の休息地》の内部は、部屋のような構造になっておりまして。お嬢様の行動を大きな窓越しに見守っている状態なのでございます』
「へぇ、お部屋みたいな場所なんだ……」
『はい。そして、私が今座っているこの椅子が、《魂の休息地》内でお嬢様に語りかけられる唯一のポイントとなっております。座った者だけが会話できるのです。少々お待ちくださいませ』
リヒトの声が遠のくと、代わりに(ほわほわ……ぽかぽか……)と暖かな感情が心の奥から溢れてくるのを感じた。
「もしかして、今座ってるのはぷるる?」
(ふわぁぁぁっ!)心の中で花びらが舞うような幸福感に包まれる。
「ふふ、嬉しいんだね。ちゃんとわかるよ」
『……失礼いたします、戻りました』
リヒトが戻ってくる。
「ぷるるが座ると、なんだか私まで幸せな気持ちになるよ」
『それは何よりでございます』
リヒトは優しい声でそう告げた。
***
ルーチェがぷるるを連れて街を歩いていたその頃。
冒険者ギルド、ギルドマスターの部屋には、一人の来客があった。
部屋の中に響く、軽やかなヒールの音。現れたのは、眼鏡をかけ、秘書のような装いをしたエルフの女性。長い耳が揺れるたび、上品で張りつめた雰囲気を纏わせていた。
「ザバラン様。お久しぶりです」
「おう、久しぶりだな」
ザバランは椅子にもたれたまま片手を挙げて応える。
一方、エルフの女性は静かに腰を下ろし、出されたお茶に一口だけ口をつけると、すぐに机の上にカップを置いた。
「本日お伺いしたのは、例の件です」
彼女が取り出した資料が、無言で机の上に並べられる。
「こちらが、我々側で調整したスケジュールです。実行可能な日時はこのリストに──」
「ふむ……なるべく早い方がいいだろ。この日にしよう」
ザバランは書類をざっと目を通し、ペンを手に取ると、最も日付の近い候補に丸をつけた。
「畏まりました。それでは、私は報告に戻ります。ザバラン様、お手数をお掛けしますが、準備の方はよろしくお願いいたします」
「おう、任せとけ」
短いやり取りの末、女性は椅子を静かに引いて立ち上がると、礼をして去っていった。扉が閉まったあと、ザバランは一度大きく息を吐き、丸をつけた日付を見つめる。
「……さて。どうなるか……」
呟いた声は重く、少しだけ、笑っていた。
ちなみに一緒に座るとどうなるかって?
多分リヒトとぷるる、どっちも聞こえると思います。
でもぷるるはいっつも《魂の休息地》内をコロコロ転がったり跳ね回ってるので、あんまり一緒に座ってることはないかも。