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絆ノ幻想譚  作者: 花明 メル
第三章 閉ざされた航路の果てへ
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第151話 箱庭でのひととき



 リヒトはキッチンに立ち、手際よく鍋に湯を沸かすと、乾燥野菜を一つひとつ丁寧に戻しながら、スープの素を落とす。やがて立ちのぼる香りに、ルーチェの鼻がひくりと動いた。


「いい匂い……」


「干し肉も少々ほぐしておきましょう。こうして、スープの旨味が深まります」


 程なくして、素朴ながら香り高いポタージュが小さな木の器に注がれる。その横には、焼き直された黒パンが添えられていた。硬かったはずのパンも、表面が少しだけカリッと香ばしく、食べやすくなっている。


「どうぞ、お嬢様。今はこの程度しか作れず、申し訳ございません」


 ルーチェはスープをひと口啜ると、目をぱちくりと瞬かせた。


「……美味しい!」


 少し驚いたように、それでも素直な笑顔でそう言った。


「凄く嬉しいし、美味しいよ! なんかこう……心が温かくなる味がする!」


 リヒトはほっとしたように微笑み、深く一礼した。


「それは何よりでございます」


 ルーチェはあっという間に、完食してしまった。

 食後、リヒトが淹れた紅茶を嗜み、ルーチェはすっかりリラックスしていた。


「そういえばリヒト」


「はい、お嬢様。いかがなさいましたか?」


 ルーチェは紅茶のカップをそっとテーブルに置き、部屋の中をゆっくり見渡しながら尋ねた。

 

「前に、《魂の休息地(ソウルルーム)》はお部屋みたいになってるって言ってたよね。中もこんな感じ?」


「いえ、あちらはもう少し格式ばった空間です。お屋敷のようなイメージでしょうか。広く、静かで──契約魔物の皆様が、安心して心を休められるような場所となっております」


 リヒトは、窓辺を見やりながら穏やかに続ける。


「お嬢様の普段のご様子は、“覗き窓”を通じて拝見しておりますので、行動はすべて把握しておりますよ」


「そっか……。いつか、そっちも覗いてみたいなぁ……って、私の精神の中なんだから、無理か」


 そう言ってルーチェは、少しだけ照れたように笑った。


 リヒトはその表情を優しく見つめながら、ふっと目を細める。


「……さぁ、どうでしょう。ですが──お嬢様が本当に強く願われるのなら、きっと叶うと、私は信じております」


「ふふっ、そうかな?」


 ルーチェは目を細め、心の底から嬉しそうに微笑んだ。


「さて、お嬢様。この空間にベッドはありませんが、ハンモックがございます。よろしければ、今夜はこちらでお休みになってはいかがでしょうか?」


「うん、そうしようかな」


 その後──


 まずはノクスやシアの毛並みを丁寧にブラッシングした。


「獣王国では特に活躍してくれてるもんね、ノクスもシアも」


 ノクスはブンブンとしっぽを振って、嬉しそうにブラッシングされている。

 

「ワフッ!」『アルジノタメ、オレ、ガンバッタ!』


 尻尾の毛を梳かし終わると、シアはそっぽ向きながら嬉しそうに尻尾を揺らした。


「クルル……」『全く、ほんと調子だけはいいんだから』


 次にぷるるやアミティエと一緒にラグの上をころころ転がって遊んだ。


「ころころ〜」


『あるじとあそぶの、たのしい〜! あみてぃえも、たのしいって、いってる〜』


「うふふ、そっかそっか」


 ルーチェはぷるるとアミティエを優しく撫でた。


 そして、窓辺でくつろぐピーちゃんを軽くつついてみる。


「ピピッ!」


「ほんとに小鳥さん、って感じだねぇ」


 部屋の中には、穏やかな時間が静かに流れていった。


「そういえばさ、リヒト。これ…私の能力の派生ってことなら、今も魔力って消費してるの?」


「ええ、僅かですが。しかしながら、お嬢様がご就寝されると、魔力消費は抑えられ、“省エネモード”に切り替わるよう設計されております」


「そっかぁ…なるほどね」


 ルーチェはふわりとハンモックに身を沈めてみた。


 ゆらゆらと優しく揺れる感覚が心地よく、身体の力が自然と抜けていく。


 ふわりと羽ばたいたソンティが、ハンモックの近くに飛んできて、鱗粉をふわりと撒いた。


「リヒト…」


「はい、お嬢様」


 ルーチェはそっと手を伸ばした。

 リヒトはその手を優しく取り、静かに握る。


「…あったかいね……」


 ルーチェはその温もりに安心したように、目を閉じた。


「今日は……いえ──」


 リヒトは穏やかに微笑んだ。


「今日も、ずっと傍におります。どうか、安心してお休みください──お嬢様」


 やがて、ルーチェの静かな寝息が部屋に響き始める。


 その瞬間、部屋の明かりがふわりと落ち、天井には無数の星が浮かび上がるように、淡く美しい光が瞬き始めた。


 まるで夜空の下で眠るように──優しく、守られるような、静寂のひとときが訪れていた。




 


──どこかで、小鳥のさえずりが聞こえる。


 ほのかに差し込む柔らかな光が、カーテン越しに部屋の空気を金色に染めていく。


 ルーチェはまどろみの中、ゆっくりとまぶたを開いた。

 ハンモックが静かに揺れている。


「……朝、かぁ……」


 身体を起こすと、ぷるぷるとした柔らかな感触が足元にくっついていた。


 スライムのぷるるが、ぬくもりを求めるように体を寄せて眠っていたらしい。起き上がるルーチェに気づき、ぷるるは、ぽよんと跳ねた。


「おはよう、ぷるる」


 辺りを見渡すと、ノクスは壁際に座ったまま目を閉じており、シアはクッションの上で尻尾を揺らしている。


 レオは小さくなった身体で静かに伏せており、ピーちゃんは窓辺で朝の光を受けて、羽を小さく震わせていた。


 そしてキッチンのあたりからは、カップの音が静かに響いてくる。


「おはようございます、お嬢様」


 リヒトが振り返り、穏やかな声で挨拶を送った。


「うん……おはよう、リヒト」


「今朝の紅茶をお入れいたします。軽めの朝食もご用意しておりますよ」


「ふふ……ありがと。なんだか、ちょっと夢みたいな朝だね」


「ええ、ですが──これは確かに、お嬢様が育てた絆と力の形。紛れもなく現実でございますよ」


 リヒトはやわらかく微笑んだ。


 ルーチェは胸の奥がぽかぽかと温かくなるのを感じながら、テーブルの椅子に腰を下ろした。


 今日も、新しい一日が始まる。


 穏やかな、けれど大切な何かへと続く、夜明けと共に。


 朝食を囲んでいる最中、リヒトがふと口を開いた。


「そういえばお嬢様……ひとつ、謝罪とご報告をしなければならないことがございます」


「え?」


 ルーチェはパンを頬張る手を止め、リヒトの方を見る。


「実は──アミティエ様が気に入っておられた、王国の蜜が……間もなく、底を尽きそうでして」


「えっ!?」


 ルーチェの眉がきゅっと寄る。


「アミティエが欲しいからって、キールさんたちと買いに行ったやつだよね。結構おっきい瓶に、いっぱい入ってたはずだけど……」 


「はい。…ですが、どうやらあまりにもお気に召されたようでして。気づけばほとんど飲み干されておられました」


「そっかぁ、よっぽど美味しかったんだね。アミティエ」


 ルーチェが声をかけると、アミティエはコロコロと転がって嬉しそうに跳ねてみせた。


「……なら」


 ルーチェはふわっとバッグの中から、まだ残っていた蜜の瓶を取り出す。中には、紅茶やミルクに使っていた分──およそ三分の一ほどが残っていた。


「しかしそれは、お嬢様のためのもので……」


「いいよ。アミティエ、もしかしたら進化を目指してるのかもしれないし。だったら、そのために使ってあげて。ね?」


「……承知いたしました。お嬢様のご厚意、必ずや伝えてまいります」


 リヒトが瓶を両手で受け取ると、光のゆらめく戸棚の奥へとそっとしまい込んだ。


「摂るものや環境で進化先が変わるんだよね? アミティエは、どんな姿になるのかな……」


「ソンティ様とはまた違った方向に進化されるかと。ふふ……楽しみですね、お嬢様」 


「うん!」


 ルーチェの胸は、わくわくとした期待でいっぱいだった。




「じゃあ、そろそろ出発しようか。レオ〜」


 朝の柔らかな光が部屋に差し込む中、ルーチェはのんびりと横になっているレオの背に近づき、ぺちぺちと肉厚な身体を叩いた。


「…我は起きている。よく休めたようだな、主よ」


「うん、リヒトのご飯美味しかったから、とっても元気!」


「勿体なきお言葉です、お嬢様」


 リヒトが微笑む。いつもと変わらぬ執事らしい動作で、ふわっとバッグを手に取り、そっとルーチェの背に背負わせる。その所作には、旅立つ主を見送るささやかな祈りが込められていた。


「主よ、今日はファルガンまで向かうのだな」


「うん、バラグさんに言葉を届けなきゃ!」


 ルーチェの目がきらきらと輝く。使命を胸に、しっかりと前を見据える瞳。


 リヒトは扉のそばに立ち、静かに一礼した。


「ではお嬢様、くれぐれもお気をつけて。旅の安全をこちらより祈っております」


「うん……あ、リヒト」


 扉に手をかけかけたルーチェは、ふと思い出したように振り返る。小走りに戻り、リヒトの耳元に顔を寄せ、ひそひそと問いかけた。


「……前にさ、リヒトの召喚には魔力が足りないって言ってたけど、まだ足りない?」


「そうですね…。現実世界に精霊としての肉体を構築するには、やはり相応の魔力量が必要となります。お嬢様の現在の魔力量では、まだもう少し…お時間がかかるかと」


「そっかぁ…少し残念。でも分かった、頑張るね」


 ルーチェはリヒトの言葉に軽く頷き、再び扉の前に立つ。


 そして、静かに、けれど確かな声で言った。


「いってきます」


「いってらっしゃいませ──お嬢様」


 リヒトは深々と腰を折り、扉が閉じるその瞬間まで、主の後ろ姿を見送っていた。


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