第15話 恵みの輪の祭り
ルーチェとハルクは広場へと向かった。
春の風が芽吹きを運ぶ頃、新しい春の訪れを祝うため、リーベル村では一年で最も大きな行事“恵の環の祭り”が行われる。
村の中央、広場に立つ古い大木───恵樹の枝には、色とりどりの布と木の輪飾りが吊るされ、暖かな陽光に揺れていた。
村人たちは朝から忙しく、広場には新鮮な果物や野菜の屋台、焼きたてのパンや香ばしいスープの香りが立ち込める。農具を磨く子どもたちの声、村の楽団が奏でる笛や太鼓の音が辺りを彩る。
そして日が高く昇る頃、村の三つの家系の職人達───カルト家、エルミン家、ボッカ家の当主とその後継者が恵樹の前に揃う。村長が一歩前に出て、静かに語りかける。
「今年も、恵みの環を刻む時が来ました。どうか我らに、豊かな実りを───」
神妙な面持ちで三家の職人は儀式に入る。まず、カルト家の青年が小さな木片を輪の形に彫る。続いて、エルミン家の娘がその輪の内側に恵みの印となる古代から魔術文字として使用されている“ルーン文字”を刻み込む。最後に、ボッカ家の老人が香草の粉をすり込み、慎重に磨き上げる。
完成した“ミグの守り”は、村の長老が恵樹の根元に捧げ、祈りを捧げる。
「巡り、繋がり、実りゆくように───!」
その瞬間、楽団が再び音を奏で、広場は歓声に包まれる。子どもたちは守りの小さな複製を手に笑い、大人たちは新たな畑の準備に向けて決意を新たにする。
***
儀式が終わると、祭りは次の賑やかな段階へと移っていった。
村の小さな子どもたちは、スコップやジョウロなどの小さな農具を手に持ち、“恵みの踊り”を披露する。白いベレー帽のような帽子と装束に身を包み、手足を元気に動かし、春の訪れを喜ぶその姿に、見ている大人たちも笑顔をこぼす。
続いて、村の青年たちがクワやピッチフォークを担ぎ、村の畑の周囲を行進する“土の行進”が始まった。彼らは力強い足取りで一歩一歩を踏みしめ、大地に感謝と願いを込めながら畑を一周する。
やがて村人たちは再び恵樹の前に集まり、全員で両手を合わせて祈る。
「どうか、今年一年も良い作物が穫れますように……」
その声は、春空に溶けていくように優しく響いた。
そして最後は、誰もが楽しみにしていた宴の時間。屋台からは香ばしい料理の匂いが広がり、焼きたてのパンや甘い果実酒が振る舞われる。笑い声が飛び交い、音楽が絶えることなく流れる。
ルーチェとハルクも輪の中に迎え入れられ、村人たちと共に長椅子に腰を下ろして、にぎやかな昼食を楽しんだ。
春の陽気に包まれ、彼らの笑顔もまた、祭りの一部として広場に咲いていた。
お昼を食べ終えた頃、ルーチェのもとに、かつて《緑癒獣》の話をしてくれたおばあちゃんが近づいてきた。
「お嬢さん、無事に戻ってこれたんだねぇ」
「はい、何とか……」
ほっとしたように目を細めたおばあちゃんは、懐から何かを取り出して差し出す。それは、祭りで職人たちが作っていた木の輪飾り───ミグの守りと同じものだった。
「これ……!」
「良かったら持っていきな。旅の守りにでもなるといいよ」
おばあちゃんはニコニコと微笑みながら、ルーチェとハルク、それぞれにひとつずつ手渡した。
「良い縁が訪れることを祈ってるよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
ルーチェがそう答えると、隣のハルクが少し戸惑ったように言った。
「だが、俺まで貰っちまっていいのか?」
その問いに、ルーチェがふっと笑いながら言う。
「……ハルクさん、これを持ってたら、綺麗で素敵な恋人ができるんじゃないですか?」
「───ハッ! そうか!」
「家の玄関に飾っておくといいよ」
おばあちゃんが優しく続ける。
「玄関だな、分かった。ありがとう、婆ちゃん!」
三人の笑い声が春の風に乗って、広場のざわめきの中へ溶けていった。
こうして、リーベルでの一件は、穏やかな陽だまりのように、幕を閉じたのである。
***
その後はというと、ルーチェとハルクは無事にセシの街へと戻っていた。
ルーチェは、依頼完了の報告の為、冒険者ギルドへと足を運んでいた。
「ブラッティ……ホーンベアの……角?」
ギルドマスターのザバランは頭を抱え、隣に立つ受付嬢のニナは思わず後ずさりし、解体担当のラルクはと言えば、目を輝かせて興奮していた。
「緊急の依頼を受けて、緑癒獣の森に行った際に戦いました。穢れに満ちていたため、討伐の証拠として角だけを持ち帰ったんです。……すみません、自己判断で無茶をしたと自覚してます。だから……怒らないでください。すみませんでした……」
ルーチェはしょんぼりと肩を落とし、しゅんと縮こまる。
「いやいや! 無事に帰ってきてくれてホッとしたわ……!」
ニナが胸を撫で下ろしながら言った。
「すげぇ! 立派な角だなぁ……! これは超レアもんだぞ!」
ラルクは興味津々に、机に置かれた角を手に取って観察している。
「ルーチェ、これ買取でいいんだよな?」
興奮しているラルクがそわそわしながら尋ねる。
「は、はい。私が持っていても使うわけではないものなので...」
「よし来た!」
ラルクは意気揚々と解体カウンターの方へ走っていく。数分も経たないうちに、その角の買取の代金を持ってきた。
ルーチェは代金の入った袋を受け取ると、未だに渋い顔をしているザバランの方を向いた。
「……ルーチェ、事情は分かった。事態が差し迫っていたということも加味して、今回はお咎めなしとする。だが───」
ザバランはルーチェの服に残る、鋭い爪痕と血の跡を指さした。
「……次はそんな無茶、するなよ?」
「はい……さすがに、もうしません……」
報告を終えたルーチェは、肩の荷を降ろしたような気持ちでギルドを後にし、宿へと戻っていった。