第149話 猛獣族の村・ラズナ
村の中に一歩足を踏み入れると、濃密なジャングルの気配がそのまま集落に溶け込んでいた。
大きな葉を編んで作られた屋根、絡みつくツタに覆われた木の壁──建物はどれも自然の素材で作られており、それでいて頑丈そうな造りをしている。地面は踏み固められているが、所々に根が隆起しており、歩くたびにしなやかな弾力を感じた。
目に映る住人のほとんどは獣の耳や尾を持った者たち。虎や豹に似た特徴を備え、屈強な体格の者も多い。肩に斧を担いだ若者、腰に槍を下げた老女、素早く枝の間を飛び移る子どもたち──どの顔にも、野生に根ざした逞しさが漂っている。
家々の間には布の垂れ幕や木彫りの飾りが掲げられ、風が吹くたびにカラカラと小さな音を立てた。遠くからは焚き火の匂いと、狩ったばかりの獣の肉を焼く香ばしい香りが漂ってくる。
その空気は、静かでありながらどこか張りつめていて──よそ者を簡単には受け入れない気配が、村全体からじんわりと感じられた。
その中心近く──土を踏み固めただけの広場では、獣人たちの訓練が行われていた。
「おらぁッ! まだ甘ぇぞ、シガ!!」
「そっちこそ足が止まってるッ!」
鋭い掛け声と共に、筋骨隆々とした虎人族の青年と、しなやかな体つきの豹人族の男が、取っ組み合うようにして激しくぶつかり合っている。拳と拳、足技に尻尾を絡めるような攻防──それは喧嘩ではなく、確かな技を持った者同士の訓練に他ならなかった。
周囲では他の若い獣人たちが声を上げながら見守り、時折歓声やからかいの声が飛ぶ。火照った体に水をかけたり、簡易な医療処置を施している者の姿もあり、村全体が戦いと鍛錬を生活の一部として受け入れていることが伝わってくる。
その光景に、ルーチェは思わず立ち止まり、少しだけ気圧されるように息を呑んだ──。
「こっちよ。はぐれたら、あれに絡まれるかもしれないわよ」
ゼーラが軽く顎で訓練場を示すと、ルーチェは「ひゃっ」と小さく声を上げて、慌てて彼女の後を追った。
その瞬間、訓練場の脇にいた一人の白い体毛の虎人族の男性がゼーラに気づいて声をかけてきた。
「お? ゼーラじゃねぇか」
「ん? あら、ラグレス。今日も元気に取っ組み合ってるのね」
「まぁな。で、そっちの子は?」
ラグレスがちらりとルーチェに視線を向ける。
「ええ、族長のお客さんよ。これから案内するところ」
「ふぅん……そっか。だったら気をつけろよ、最近は外の空気も物騒だからな」
「ええ、ありがと。族長はいつもの集会場かしら?」
「ああ、多分な」
「助かるわ。じゃ、行くわね」
ゼーラが軽く手を振ると、ルーチェも小さく頭を下げてから、その後ろについて歩き出した。
一際大きな建物の前で、ゼーラは足を止めた。
「少し待っていて。話をしてくるわ」
ルーチェは神妙な面持ちで頷き、ゼーラが建物の中に入っていく背中をじっと見つめた。
(大丈夫かな……)
心配の気持ちが胸をよぎるも、口には出さず、その場で静かに待つ。
やがて一分ほどして、ゼーラが扉を開けて戻ってきた。
「いいわ。どうぞ入って」
促されるままに、ルーチェは建物の中へと足を踏み入れた。
内部には中央に囲炉裏のような焚き火スペースが設けられており、天井からはやかんのような鉄器が吊り下げられている。じんわりと木の香りと火のぬくもりが漂い、どこか懐かしさすら感じさせる空間だった。
「よう来たなぁ、お嬢ちゃん」
奥に座っていた虎頭の男が、低く響く声でルーチェに声をかけた。
「お、お邪魔します!」
「んなに気負わんでもええ。取って食いはせん。靴を脱いで、そこの敷物に座りな」
言われた通りに靴を脱ぎ、揃えて脇に置くと、ルーチェは示された場所へとちょこんと腰を下ろした。ゼーラも後から中に入り、ルーチェの隣に座る。
虎頭の男は、片目に古い傷を負った老齢の猛獣族──だが、鋼のように鍛え抜かれた体つきは、年齢を感じさせぬ威厳と力強さを漂わせていた。
「俺はルドベル=ハガン。この猛獣族の村の族長だ」
「初めまして。ヴァレンシュタイン王国からやって参りました、冒険者のルーチェと申します」
ルーチェは丁寧に頭を下げた。
「ゼーラから話は聞いた。ヤツを……バラグを捜してるんだってな?」
ルドベルが静かに切り出す。
「……捜してどうする?」
鋭くも静かな問いに、ルーチェはまっすぐに目を向けて答えた。
「今回の依頼は、白蓮の侍であるコウジロウさんからのものです。バラグさんを見つけ出し、言葉を伝えて欲しいと」
「わざわざそんなことのためにここまで来たってのか……ご苦労なこったねぇ」
ルドベルは、湯気の立ちのぼる鉄器を手に取り、隣に置かれていた茶器にとくとくと注ぐ。注がれたのは香ばしい香りのする茶だった。
差し出された茶を、ルーチェは丁寧に受け取り、一口含む。そして器をそっと置いて、再び族長へと向き直った。
「コウジロウさんは、バラグさんとの再戦を願っています。もし居場所をご存知なら───」
「───再戦だぁ? そいつぁ無理な話だなぁ」
ルドベルの言葉が、ルーチェの声を遮るように被さる。
「無理……とは?」
ルーチェは不思議そうな顔で問いかける。
「アイツの牙は五年前にもう折れた。今じゃあ、アイツはもう戦士じゃねぇ。不甲斐なくも牙を腐らせて、未練がましくさまよう亡霊同然よ」
「亡霊……」
ルーチェが反芻するように呟くと、ぽつりとゼーラが言葉を紡ぐ。
「バラグは、この猛獣族の中でも、とりわけ強い戦士だった。皆の誇りだったわ。けど……五年前に“戦意”、つまり“牙”を折られてから、ふさぎ込んでしまったの」
ゼーラはゆっくり目を閉じて息を吐きながら続けた。
「そして、彼はこの《ラズナ》を出ていった……」
ルドベルが続けるように言う。
「……今、ヤツがいるのは火山の街ファルガンだ。未だに燻っているのか、諦めたのかは知らん。会いたければ、勝手に行くといい」
「……分かりました。教えてくださり、ありがとうございます、ルドベルさん」
ルーチェは茶を飲み干し、すっと立ち上がった。
「私はバラグさんのことを何も知りません。例え……今のバラグさんに戦う気がなかったとしても……コウジロウさんから託された“言葉”と“想い”だけは、必ず伝えに行きます!」
深く、深く頭を下げる。
「お邪魔しました。失礼いたします!」
そう言って、ルーチェは集会場を後にした。
──静寂の残る室内で、ルドベルは茶を一口すすり、少女の言葉を静かに思い返す。
《───今のバラグさんに戦う気がなかったとしても……コウジロウさんから託された“言葉”と“想い”だけは、必ず伝えに行きます!》
「あそこまで真っ直ぐな心根……久しぶりに見たなぁ……」
そう呟いたルドベルの視線は、扉の向こう、少女が去っていった先をじっと見つめていた。
「お邪魔しました」
門の前まで戻ってきたルーチェは、門番をしていたゼーラの弟・ゼーレに丁寧に頭を下げた。
「……あぁ、気をつけてな」
気まずそうに頭をかくゼーレを横目に、ルーチェは村を後にする。
ジャングルの中、少し離れた茂みの中でレオが伏せて待っていた。ピーちゃんも、安心したようにルーチェの肩へ降り立つ。
「思っていたよりも早かったな、主よ」
「うん。……ここには、いなかった。やっぱりバラグさんはファルガンにいるみたい」
ルーチェがそう答えると、レオはゆっくりと立ち上がり、大きく息をついた。
「そうか……。しかし主よ、あと数時間もすれば日が落ちる。今日はどこで野営するつもりだ?」
その問いに答えようとしたとき、ルーチェの頭の中に声が響いた。
『……お嬢様。僭越ながら、一つよろしいでしょうか?』
「……リヒト? どうしたの?」
いつになく真剣な響きをもったリヒトの声に、ルーチェは少し驚いて立ち止まる。
『……ご報告が一つ。お嬢様の“新しい能力”についてでございます』
リヒトの声には、慎重な響きがあった。




