第144話 王樹ラオバル
王都グラーデンは、思ったよりも穏やかに迎えてくれた。
山小屋を出てからの道のりは下り坂が続き、予想通り翌日の昼過ぎには王都の城門が見えてきた。
ルーチェたちは守衛の確認を受けた後、キールの身分もあってすんなりと入城を許される。
城門で牙鱗団を引き渡し、身柄の保護と事情聴取の為、セリカやミヅキともここでお別れだ。
「皆さん、本当にありがとうございました」
「ようやく故郷へと帰れます……」
二人はルーチェたちに感謝を告げる。
「セリカさん、ミヅキさん、どうかお気をつけて……」
「ルーチェさん達も、どうぞお気をつけて」
「これからの皆さん旅に、幸多からんことを」
ルーチェは馬車に乗り込み、手を振って見送った。
そして街へと向き直る。
「ここが王都グラーデン。……賑やかですね」
「ですね。王都にも無事に入れたことですし、贈呈品を届けてしまいましょうか」
「はい!」
王都グラーデンの奥──空まで届いているのではないかと錯覚する、巨大な一本の樹。
それが王の名の由来にもなった《王樹ラオバル》。
幹の太さは城ひとつが収まるほどで、巨大な根が街の地下を貫き、枝葉はまるで空を覆う緑の天蓋のように王都全域を優しく包み込んでいた。
ルーチェたちはその王樹の麓に設けられた“樹の根の門”──各国の使者や来賓しか通されぬ、自然と魔法で編まれた回廊を抜けていく。
「すごい…」
ルーチェは思わず息を飲んだ。
根と根の間に通された通路は、木の中とは思えないほど光が差し、暖かく、そして荘厳な空気に満ちていた。
ほどなくして、一行は王樹の中腹──《謁見の根》と呼ばれる場所へと案内される。
そこには、木の幹をくり抜くようにして作られた自然の広間があり、そこに王がいた。
───獣王ラオバルク。
玉座に座すラオバルクは、まさしく百獣の頂点に相応しい存在だった。
黄金色のたてがみを思わせる髪は肩から背にかけて大きく広がり、その一本一本が力強さを宿している。
ライオンの獣人としての特徴を色濃く残した顔立ちは厳格だが、どこか包み込むような温かさを帯びていた。
鎧の上からでもはっきりと分かるほど、身体は筋肉に満ち、玉座に腰掛けてなお巨大だ。
一挙手一投足に無駄がなく、静かにそこにいるだけで、周囲の空気が引き締まる。
しかし、その鋭い金色の瞳が向けられた先にあるのは、威圧ではなく──我が子を見守る父のような、深く穏やかな眼差しだった。
キールが一歩前に出て、礼を取る。
「ヴァレンシュタイン王国よりの品々、確かにお届けいたしました。あわせて、海路の安全確保も完了しております」
ラオバルク王は静かにうなずいた。
「確かに、蒼海獣の脅威は消えたと報告を受けている。これで船もまた、再び我が国と行き交うことができよう」
ルーチェたちが贈呈品の箱を運び入れると、王は目を細めた。
「その旅路の果てに幾多の困難があったのだろう」
キールは一礼した。
「牙鱗団と呼ばれる盗賊団にも遭遇し、彼らを捕縛し、引き渡しております」
「見事な働きだ」
王はゆっくりと立ち上がり、ルーチェたちの方を向く。
「そなたらの働きに、王樹と我が国の名において感謝を示そう」
王が手をかざすと、頭上の枝から光の粒が降り注ぐ。
それは祝福と敬意の儀であり、王族からの感謝を示す最も丁寧な形だった。
「ルーチェ。キール・ランゼルフォード。テオ・ランドール。汝らの旅路に、光と緑の加護があらんことを──」
一行は深く頭を下げた。
「そうだ。お前たち──祭りには興味あるか?」
ラオバルクがふと問いかけてきた。
「祭り……でございますか?」
ルーチェが不思議そうに尋ね返す。
「ああ。王都の闘技場にて、毎年行われる闘技祭だ。正式な名を《烈牙祭》という。今月の末に催されるのだが……見たところ、お前たちは怪我をしておるようだしな。しばし体を休め、祭りを見物してから帰るとよかろう」
ラオバルクは豪快に笑った。
「それと……ルーチェ、と言ったな?」
「はい、獣王陛下」
「そなたがこの城に入ってから、王樹がザワついておる……。もしや、そなたは精霊と繋がりがあるのではないか?」
「……えっと。はい。確かに、私は精霊と契約しております」
「なんと……!」
ラオバルクは目を見開いたが、やがて納得したようにうなずいた。
「なるほど。道理で、王樹が喜んでいるわけだ」
(王樹が──喜んでる……?)
ルーチェは少し戸惑いながらも、言葉の意味を噛みしめるように目を伏せた。
「ともあれ、害なき存在であるのならば、それでよい。──護衛の任、まことにご苦労であった。城下にて最も豪華な宿を取らせよう。ゆっくりと休み、傷を癒すがよい」
謁見を終え、ルーチェたちは王樹を後にした。
こうして、ヴァレンシュタイン王国からの依頼──
《贈呈品護衛任務》は、正式に完了となった。
***
グラーデンの宿屋に一泊したルーチェたちは、翌日、街を観光することになった。
───とはいえ、キールは留守番である。
本人は「自分も行ける」と言い張っていたが、全員から口を揃えて「休んで」と言われ、最後には渋々と納得した様子だった。
そのため、街歩きをしているのはルーチェ、オルト、テオの三人だ。
ルーチェはオルトと手を繋ぎ、通りを歩いている。
(もふもふの人たちでいっぱいだ……)
獣人の多い街並みに、内心で湧き上がる“モフり欲”を必死に押さえ込みながら、ルーチェは周囲を見渡した。
「まだお祭りまでだいぶあるのに、随分と賑わっていますね」
その言葉に応えたのは、通り沿いの店先に立っていた店主だった。
「そりゃそうさ。獣人たちは、毎年この時期になると浮かれちまうんだ。今は観光客と、祭りに参加しようって連中がちらほら来てるってわけさ」
店主は楽しげに笑いながら、三人を見た。
「お嬢ちゃんたちは、王国の人間かい?」
「はい、そうなんです。祭りを見てから帰ろうと思って」
「そりゃいい! ぜひ楽しんでってくれ!」
礼を言って店主と別れ、再び歩き出す。
「まあ、浮かれるのも分からなくはないけどね」
テオが肩をすくめる。
「闘技祭だっけ? そういうバトル系の祭りって、血が滾るとか何とか……」
「どんな戦いがあるのか、今から楽しみですね」
そう言ったルーチェは、ふと道の先に目を留めた。
人混みの中でひときわ目を引く、場違いな──着物姿の青年。
(お侍さんだ!)
地球での、日本の知識を持つルーチェにとって、あまりにも懐かしい“日本の気配”に、反応せずにはいられなかった。
目を輝かせたルーチェに気付いたのか、青年は穏やかな笑みを浮かべ、こちらへと歩み寄ってくる。
「何? アンタ、何か用?」
テオが警戒気味に声をかける。
「用というほどではござらぬが……むしろ某に用があるのは、隣のお嬢さんでは?」
その言葉に、テオはルーチェを見る。
「ルーチェ?」
「あ、すみません! お侍さんって話には聞いていたんですが、実際に見るのは初めてで……つい……」
「そうでござったか。しかし某が侍であると、よく分かったでござるな」
「……サムライって何?」
テオの素朴な疑問に、ルーチェは少し唸った。
「うーんと……」
『お嬢様、侍とは──』
リヒトの解説を聞きながら、ルーチェは自分なりに噛み砕いて説明する。
「貴族とか、偉い人に仕えて、身辺警護とかをする……高い地位の剣士さん、みたいな感じですかね……?」
「その認識は概ね正しい。いやはや、拙者よりも歳若いとお見受けするが、よく知っているでござるな」
「えへへ……」
「おっと、自己紹介がまだでござったな……」
青年は軽く咳払いをして、背筋を正した。
「某は、刃月幸次郎と申す。こちらの名乗り方に合わせるなら、コウジロウ・ハヅキになるでござるな。……コウジロウと呼んでほしいでござる」
「私はヴァレンシュタイン王国から来ました。冒険者のルーチェと申します」
丁寧に頭を下げ、続けて隣の二人を示す。
「こっちはテオさんで、こちらがオルトです」
「冒険者……で、ござるか……」
コウジロウはその言葉を噛みしめるように呟き、腕を組んで少し考え込む素振りを見せた。
「……ルーチェ殿。ここで会ったのも、何かの縁。某、ルーチェ殿に──依頼をしたいのでござるが……」
「私に……?」
不思議そうに首を傾げるルーチェの前に、すっとテオが一歩出る。
「ルーチェへの依頼なら、俺を通してくれる? ナンパならお断りだけど」
「ご、ご誤解でござる!」
コウジロウは慌てて手を振った。
「某はそのような軽薄な男ではないでござるよ! た、ただ……どうしても、頼みたいことがあるのでござる……」
真剣そのものの表情に、ルーチェは一瞬だけテオを見る。そして、にこりと微笑んで頷いた。
「分かりました。お話、聞かせてください」
「ルーチェってば……ほんとお人好しすぎるよ……」
テオが小さく呆れたように呟く。
「では、よろしければ──あそこの茶屋……ではなかった……」
コウジロウは少し照れたように言い直した。
「喫茶店で、茶でも飲みながら話をするでござる」
コウジロウの案内で、三人は通り沿いの喫茶店へと足を向けた。




