第142話 黒き救いの手
牙鱗団のリーダーであるギルと対峙しながら、ルーチェは静かに思考を巡らせていた。
そしてルーチェは光のリボンを──手や足、腰に静かに巻き付けた。
「……それと、ひとつ言っておきます」
「ん?」
「……貴方は、何か勘違いをしているようですね」
ギルが目を細める。
「……勘違い?」
「私は“守られる”だけの存在ではありません。彼らと私は──対等です」
「対等ねぇ……ふっ、ハハハッ!」
ふらりと、ギルの身体が揺れた。
(……来る───!)
「《光速移動》!」
言葉と同時、ルーチェの姿が閃光となって消える。 直後、別の位置にふっと現れたその姿には、先ほどのピンクから、淡い黄色に変色したリボンの光がまとわりついていた。
その色の変化にギルは目を細め、舌を鳴らす。
「威勢のわりに、真正面からの勝負は避けたいって感じかぁ?」
ニヤリと口の端を吊り上げる。
「まあいい。だったら──スタミナも魔力も尽きるまで、追いかけっこでもして遊ぼうか?」
ギルが拳を握り締め、地面を蹴る。 鋭く放たれるパンチ──しかしルーチェは、再び光速の軌道でそれをかわす。
「《天使の回輪》!!」
光の輪が、複雑な起動を描いて飛んでいくが、易々と躱されてしまう。
攻撃と回避。放たれる光の魔法、鋭い突進──しかし、どれも決定打にならない。
しばらく続く、すれ違いの応酬。
「なあ、“アイツら”に守られる存在じゃねぇんだろ?───だったら、もっと真正面からやり合おうぜ……?」
(やっぱり、直接の戦闘技能じゃ、私の方が劣る……)
『お嬢様、別の手を講じなくては……!!』
ルーチェが一瞬動きを緩めた瞬間を、ギルは見逃さなかった。
「───見ぃつけた」
ルーチェが移動した先に、すでに先回りしていたギルが立っていた。
「っ……!」
ルーチェは即座に棍杖で迎撃しようとする。
「《光薙刃》っ!!」
棍杖の先端に光の刃が生え、ルーチェは咄嗟に振り下ろす。
──だが、その腕をがし、とギルの手が掴む。
「ざーんねん」
ニヤリと笑い、もう一方の腕を掴もうと迫るギル。
「《光槍》!!」
ルーチェは自由な手から光の槍を生み出し、すぐさま至近距離から放った──が、ギルは紙一重で体を捻り、それを避けた。
「おっと。危ない危ない……お嬢ちゃん、けっこうやるじゃねぇか」
今度は逆手にとるように、空いていた手でルーチェのもう一方の手首を掴む。そして、彼は両手でルーチェの手首を一瞬で一本にまとめて縛り上げるように握りしめた。
ルーチェはとっさに、リボンの力で強化した蹴りを放とうと足を振り上げる──
だが、それすらもギルの反応が上回る。
彼はその足首を掴み、がっしりと絡め取った。
「───つーかまえた」
ねっとりとした声。 そして、ルーチェの脚の間に、自身の足を滑り込ませるように立ち入る。
逃げ場は、ない。光を纏う少女の動きを封じたギルの笑みは、ますます醜悪に歪んでいた───。
「もしかして……さっき“お仕置き”なんて物騒なこと言っちまったから、ビビってんのか?」
ギルはルーチェの足を撫でながら、低く笑った。
「安心しろよ。俺だって、女相手に乱暴はしたくねぇんだよ」
彼は膝を曲げ、無理やりルーチェを膝に座らせるような体勢にした。
「……っ、やめてください!」
「……お前だって、痛いのより、気持ちいい方が良いだろ? そう思わねぇか?」
14歳のルーチェに、その言葉の意味はよくわからなかった。けれど、背筋が凍るような、耐えがたい嫌悪感が全身を走る。
「いや……っ、離して!」
ギルはルーチェを見下ろしながらニヤつく。
「なぁ、これ本当に抵抗してんのか? 力弱すぎて、誘ってんのかと思うくらいだぜ……?」
空いた手がルーチェへと伸びる。
「触らないで、くださいっ!!」
必死に身体を捩るルーチェ。だが、手首を掴まれた体勢では、大した力も入らない。
「……いい子だな」
ギルは手首を掴んだ手にわずかに力を込めた。
「痛っ───!」
ルーチェの顔が歪み、動きが止まる。
ギルの手が彼女の頭へと伸びた、その時だった。
───ヒュン!
黒い光が閃き、空を裂いて地に突き刺さった。
ギルの手首から血が滴り落ちる。
「ぐっ……!?」
ギルは反射的にルーチェから離れた。自由になったルーチェはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「───レオ!!」
彼女が叫ぶと、光の中から白く輝くライオン──精霊獣レオが現れる。
「……もう、静観せずとも良いのだな?」
「うん……お願い、レオ」
「主に気安く触れるなど……この我が二度とさせぬよう、焼き尽くしてくれる!」
レオの体が金色の炎を纏う。
咆哮と共に、レオはギルに向かって突進した。
「舐めんなっ───!」
ギルも魔力を練り、全身に赤い炎を纏う。
だが、レオの金炎の奔流はそれを打ち消し、圧倒的な力でギルを岸壁まで押しやり、押し潰す。
「がはっ───!」
岸壁へと叩きつけられたギルは、そのまま気絶し、崩れ落ちた。
レオは無言で彼から距離を取り、主の元へ戻ってきた。
「……大事ないか、主よ」
「うん、ありがとう……レオ」
ルーチェはレオのたてがみを撫で、ほっと安堵の息をついた。
「まったく……主も無茶をする。魔法も幻も──あの短時間で同時に使いこなすとは」
「うん……ちょっと無茶苦茶だったかなって思ってる」
『お嬢様が捕まった時は、肝が冷えましたよ……』
リヒトの声が届く。
「もう少し早く呼べば良いものを」
「意外と入れ替えって、魔力消費とか大きいし、特にレオは仮契約中だけど、呼ぶのに魔力沢山必要だし……」
「とにかく、怪我が無さそうで何よりだ」
「……キールさんとテオさんにも、あとで怒られちゃうかな……」
ルーチェはゆっくり立ち上がり、さっき地面に突き刺さった───黒い苦無を拾い上げた。
「これ……忍者が使うやつ、だよね……?」
『はい。しかし、どこから投げられたのでしょうか……』
ルーチェは山の斜面をキョロキョロと見回した。
「お礼、言いたかったのに……」
「主よ、馬車と合流を。礼は、その者が本当に望むならば、向こうから現れるだろう」
「……うん」
ルーチェは苦無を布で丁寧に包み、魔法鞄の中へ収める。
「乗れ。急ぐぞ」
「ありがとう、レオ」
ルーチェはレオの背に乗った。レオは倒れているギルの首根っこを咥え、そのまま道を走り出した。
───仲間のもとへと、まっすぐに。
レオに乗って道を進むと、やがて開けた場所に馬車が止まっているのが見えた。
「レオ!」
「分かっている!」
馬車へと近づくと、中からテオが降りてきた。
「ルーチェ!」
「テオさん!」
ルーチェはレオから飛び降りると、そのままテオの胸に飛び込んだ。
「テオさ───」
「馬鹿っ……何で、あんな無茶を……!」
か細い声とは裏腹に、テオの抱きしめる腕には強い力がこもっていた。それは、まるで彼女の存在を確かめるような、必死の抱擁だった。
「起きたら、馬車にルーチェがいなくて……心臓、止まるかと思った。アイツに何かされてるんじゃないかって。だから……もう、こんな無茶しないで……」
「……ごめんなさい」
ルーチェは顔を上げ、テオの顔を見た。テオは苦しそうな表情で、じっとルーチェを見つめ返していた。
「……その、首……」
テオの首元には、掴まれた手の痕がくっきりと残っている。
「へーき。ルーチェは? 何かされたり、どこか触られてない?」
「だ、大丈夫です……」
「……嘘だな。両手首は掴まれていたし、足も撫でられていたはずだ」
未だ気絶しているギルを引きずりながら、レオが淡々と告げた。
「───は?」
テオの表情が一変し、ピキリと何かが切れる音がした。
「ちょっとそいつ、ミンチにするから」
「だ、ダメです!」
「チッ……じゃあ、全身をロープでぐるぐる巻きにしてやる……」
テオは馬車に戻ると、荷物の中からロープを引っ張り出し、ギルをしっかりと拘束し始めた。
「───あの、キールさんは……?」
「……中で、治療中」
「治療……?」
ルーチェはその言葉を聞くなり、馬車の扉へと駆け寄った。
馬車の中に入ると、包帯で巻かれたキールが寝かされていた。傍には、耳をぺたんとしたオルトと、先程救助した女奴隷達が座っていた。
キールの傍らに座るエルフの女性が、治癒魔法をかけていた。
「キールさんっ!」
ルーチェの声に、オルトは不安そうな顔でルーチェを見た。
「お姉ちゃん…」
駆け寄ると、エルフの女性が口を開いた。
「…彼は大丈夫です。息はしています。ただ、腹部を執拗に蹴られたせいで、骨が何本か折れて、内臓も傷ついている恐れがあります」
「…あの、ありがとうございます、治療…」
そう言うと、エルフの女性はルーチェを見た。
「こちらこそ助けて下さり、ありがとうございます。私はセリカ。見ての通りエルフ族です」
「…私は深月と申します…。本当にありがとうございました…」
もう片方の黒髪の女性、ミヅキが深々と頭を下げた。
「あの…牙鱗団の者たちは…?」
ミヅキの問いに、ルーチェは答えた。
「私の契約しているノクスにお願いして、影の中に捕らえています。傷の酷い人には治癒を施しておきましたので、首をはねられた人以外は…多分無事です…」
ルーチェはそう言った。
「そうですか…」
「よし、縛り付けたよ!」
テオが馬車を覗きながら言った。
「その人、炎を扱うんです…ロープ燃やされたりしないですかね?」
ルーチェがそう言うと、ミヅキが立ち上がった。
「なら私がロープに水の封じを掛けましょう。気休めですが、ロープを燃えないようにくらいはできると思います」
「お願いします…」
ルーチェはゴートンの元へ行った。
「ゴートンさんは怪我とかありませんか?」
「心配すんな、俺はそんなにヤワじゃねぇ…で、これからどうする?」
「……馬たちは?」
「コイツらなら大丈夫だ。まだ走れる」
「なら先を急ぎましょう」
ルーチェが冷静に言うと、ゴートンは地図を広げた。
「今はここだ。で、ここから数時間の所に旅人の休憩所として使われる山小屋がある。そこまで向かうっつーことでいいか?」
「はい、お願いします」
「水の封じ、施し終わりました」
馬車に戻ってきたミヅキの言葉を聞いて、ルーチェはギルを影の中に引きずり込んだ。
「レオも一度戻って」
「承知した。主よ、くれぐれも気をつけるのだぞ」
レオは光となってルーチェの中へ戻っていった。
全員が乗り込んだことを確認して、ルーチェは言った。
「出発しましょう…!」
ルーチェの言葉と共に、馬車はゆっくりと進み始めた。




