第141話 海喰いの蹂躙
新年明けましておめでとうございます。
皆さんお正月はいかがお過ごしでしょうか?
のんびりしつつバタバタと忙しく、三日なんてあっという間でしたね。
数日間待たせてしまって申し訳なかったですが、ここからまた、数日に一回は休みを入れつつ、投稿していこうと思いますので、今年もよろしくお願いします。
「情けねぇなぁ……」
滝の近く、平たい岩の上に腰掛けていたギルが、退屈そうに呟いた。彼の隣には、鎖に繋がれたまま項垂れる奴隷の女たちが座らされている。
その言葉に、剣を構えたままのテオが一歩前に出る。
「で? アンタしか残ってないけど…どうする? 大人しく投降するなら、半殺しで許してやってもいいけど」
その皮肉混じりの挑発に──ギルは腹を抱えて、豪快に笑い出した。
「はっはっはっ! ……するわけねぇだろうが!」
その瞳には、焦りも怯えもない。むしろ、ようやく“遊べる”とでも言いたげに輝いている。
「───次は俺が遊んでやんよ」
ゆっくりと、だが確実にギルは立ち上がる。外套の裾が風に揺れ、黒い鱗と鍛えられた肉体が露わになる。
そして、歩き出す。
向かう先は──テオでもキールでもなく、馬車。
ルーチェとオルトが乗る、あの場所だった。
キールとテオは即座に動き、彼の進路を遮るように立ち塞がる。その背後では、戦いを終えたぷるるが満足そうに跳ねながら、ルーチェのもとへと戻っていく。
ルーチェはその姿を見て、そっとぷるるを抱き上げた。
そして──ギルは口元を釣り上げ、酷薄な笑みを浮かべた。
「蹂躙してやんよ……!」
その声には、ただの荒くれ者ではない、“力への確信”が滲んでいた。
ギルの体がふらりと揺れた───その次の瞬間には、キールの目の前に立っていた。
「っ!?」
いつも穏やかで冷静なキールの目が、驚きに見開かれる。
「この距離じゃあ……槍は使えねぇよなぁ?」
ギルはニヤリと笑いながら、キールの顔を掴むと───そのまま地面へ叩きつけた。
「ぐぁっ───!」
すかさず斬りかかろうとしたテオの手首をギルが掴み、腹に膝蹴りを一発。さらに回し蹴りを浴びせ、テオの体を吹き飛ばす。
「かはっ───!!」
馬車の帆の隙間からその様子を見ていたルーチェが、思わず声を上げた。
「キールさんっ、テオさんっ!!」
「お? 今、女の声が聞こえたなぁ……」
ギルはズボンのポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと馬車の方へ歩いていく。
その足を、倒れていたキールが掴んだ。
「あ? うぜぇな、掴むなよ───なっ!」
振り返りざま、ギルはキールの脇腹に強烈な蹴りを叩き込む。
「ぐっ……!」
「こんのっ!!」
息を整えて戻ってきたテオが、怒りに任せて剣を振るう。だが、ギルはあっさりとそれを躱し、逆にその首を掴んだ。
「かはっ───!!」
「っ、テオさんっ!!」
ルーチェが思わず馬車から飛び出そうとする。
だが───その腕を涙目のオルトが掴み、ローブの裾をノクスが必死に咥えて引っ張っていた。
『アルジ、ダメ……!』
「お姉ちゃん、行っちゃダメっ……!」
ルーチェの目には、堪えきれない涙が滲んでいた。
「なぁ〜? そろそろ出てくる気になったかぁ〜?」
ギルが馬車に視線を向け、大声で叫んだ。片手では、まだテオの首を掴んだままだ。
「今出てきてくれたらさぁ───コイツ、殺さないであげてもいいぜ〜?」
「!?」
『お嬢様っ、なりません!』
リヒトの声が、馬車の中に響いた。
「…っ、出てくるわけ…ないだろ……」
テオが苦しげに、絞り出すような声で言う。
「あ? さあ、どうだろうなぁ〜?」
ギルの目が細まり、手にじわりと力が込められた。
「ぐぅっ───!」
テオの顔が歪み、呼吸が詰まり始める。
「スリーカウントで殺すからな〜?」
ギルの声が響く。
「3───」
「2───」
「1───」
「ゼ───」
「待ってください!」
声が響いた。ルーチェが、僅かに赤い目をしながら、馬車の帆をくぐって飛び出してきた。
「っ、馬鹿……!」
青ざめた顔で、テオがそう呟く。
ギルはルーチェの姿を見つめ、ニタリと笑った。
「へぇ? まだガキっぽいけど……見た目は悪くねぇな」
ねっとりとした視線で、下から上まで舐めるようにルーチェを見るギル。舌なめずりしながら、口元が歪む。
「来いよ」
「っ、ダメです、ルーチェさ───」
体を起こしかけたキールが、止めようとしたその瞬間。
「お前は黙ってろやっ!」
ギルの蹴りがキールの脇腹に叩き込まれる。
「うぐっ……!」
「キールさんっ!!」
ルーチェが声を上げる。
ギルは、ただルーチェを見据えていた。獲物を捉えた捕食者のように。
「さあ、来いよ……“ルーチェ”。お前は俺の隣に座らせてやる……」
ルーチェは、ゆっくりとギルに向かって歩みを進めていた。
その姿を見て、ギルはまるでいらなくなった玩具でも捨てるかのように、テオを無造作に投げ飛ばす。
「テオさんっ!」
ルーチェが叫ぶも、ギルは構わず迫る。
「早く来いって。俺はあんまり気の長い方じゃねぇんだよ……」
やがてルーチェは、ギルの目の前に立った。
「……いい子だなぁ……」
ギルはルーチェの頬を撫で、涙を拭う。そして、その濡れた指を、ペロリと舐めた。
「お前には、何色の枷が似合うんだろうな……特注の、綺麗な飾り付きにしてやるよ」
ねっとりとした声で囁くと、ギルの手が、ルーチェの首元へと伸びていった───。
「……約束してください」
「───あ?」
ルーチェの首に触れそうになったところで、その手がぴたりと止まる。
「これ以上……私の仲間に、酷いことをしないと」
「……するよ。もちろんしてやるさ、約束な」
ギルはにやりと笑って答えた。
(コイツを手に入れたら、全員じわじわと嬲り殺してやる……)
心の中でそう毒づきながら、ギルは再びルーチェの首に手を伸ばした。
───だが、指先が触れる寸前、まるで霧を掴むかのように、ルーチェの姿は掻き消えた。
「あ?」
キョロキョロと周囲を見回すギル。
「どこに行きやがった!!」
苛立ちに任せ、近くで倒れているキールを蹴ろうとしたが───その足も虚空を蹴っただけだった。
「なんだと……!?」
驚きながらも、ギルはすぐにテオの方へと跳び、拳を振るう。だが、それすらも───ただ硬い地面を叩いただけだった。
「……なんだ、これ……」
「───不思議ですか?」
その声に、ギルが振り返ると───いつの間にか、すぐ背後にルーチェが立っていた。
「てめ……ッ!」
ギルは掴みかかろうと手を伸ばすが、ルーチェはまたもや淡く掻き消える。
(幻惑……!?)
ついにギルはその異常に気づき、唇の端を吊り上げる。
「チッ……面白ぇことしやがるじゃねぇか……」
「ところで、海喰いのギルさん。貴方は“フワムシ”という魔物をご存知ですか?」
ルーチェの静かな声が、幻影の中から響いた。
「……あ?」
訳が分からないという顔で、幻影のルーチェを見つめる。
「主にヴァレンシュタイン王国の限られた地域で大量発生する、虫の魔物です」
ギルは警戒するように、辺りをぐるりと見回す。そこには複数のルーチェの幻影がゆっくりと歩いており、ギルは無闇に手を出さずに様子を窺った。
「彼らの特徴は大きく分けて二つ。一つ目は、ふわふわの綿毛です。これは防具や装備品の素材として利用されることもあります」
「そしてもう一つ。彼らは、スライムのように進化の分岐を持っているのです。環境や摂取したものによって、能力も姿も大きく変化します」
「……で、何が言いてぇんだ?」
ギルが苛立ち混じりに問いかけると、幻影の一つがふっとこちらを向いた。
その傍らに、ふわふわと浮かぶ白い蚕のような魔物が現れる。 薄く輝く羽をゆっくりと動かしながら、蚕はその場に静かに滞空していた。
「これは《繭夢》というフワムシの特殊進化個体、名は“ソンティ”。その能力は───対象に“夢と幻影”を見せることです」
蚕の魔物───ソンティがふわりと高く舞い上がった。
すると、じわじわと辺りの空気が澄んでいくように、景色が変わり始める。
───ギルが視線を巡らせると、誰もいなかった。
倒れていたはずのキールも、テオも、馬車も、すでにその場にはなく、 滝の岩場にいたはずの奴隷たちすらも消えていた。
そこに残されていたのは───無造作に放られた鉄の枷だけ。
「あ……?」
混乱の色を浮かべながら滝の方に目をやったギルだったが、やはり人影はどこにも見当たらなかった。
「アイツら……どこへ行きやがった……ッ!?」
「───申し訳ありませんが、皆さんには先に行ってもらいました」
その声に振り向くと、ソンティを肩に乗せたルーチェが立っていた。
その姿を見て、ギルは直感する──これは本物だ、と。
「……貴方の仲間たちも、回収させていただきました。戦闘で負傷した方の処置も含めて」
ルーチェがそう言うと、ソンティは彼女の肩から舞い上がり、淡い光となってルーチェの身体の中に吸い込まれていく。
「……仲間を逃がすために、一人で残ったってのか?」
「ええ。貴方の狙いは私ですし、先ほどの“お約束”もあります。万が一でも、仲間を巻き込むわけにはいきません」
「───確かに。狙いのお前さえここに残ってるなら……他の連中にゃ用はねぇか」
ギルは納得するように何度か頷いた。
───が。
「けどよ。俺を“謀った”んだろ?」
ギルはニィ、と口角を吊り上げながら、ゆっくりと外套を脱ぎ、地面へと投げ捨てた。
「なら、“お仕置き”してやんねぇとなぁ……?」
その金の眼が、野獣のように鋭く光った───。
新年一発目だって言うのに、明るくない話で申し訳ないですが、まあ楽しんで貰えたら嬉しいです。




