第14話 ルーチェとハルク
夜の食事は、ルーチェ、リアンナ、ユリーナ、ミリーナ、そして隣家の夫妻であるケニスとファルマ、それにセシの街医者であるカータスの七人で囲むことになった。
ケニスはセシの街までカータスを呼びに行った男性で、ファルマはユリーナが家を離れている間、眠っていたリアンナを見守ってくれていた女性だ。
ユリーナが台所からシチューとパンを運んでくる。
「すみません、ありがとうございます」
「いいの。いっぱい食べてね」
ファルマも、家から鍋を持ってきてくれた。
「家の畑で採れたトマトを使った、肉と野菜のトマト煮さ。たんと食べておくれ!」
「美味しそう……いただきます!」
ルーチェは感謝を込めて手を合わせ、料理を口に運んだ。そして、ふとリアンナに目を向ける。彼女の顔色が、少し良くなっているように見えた。
というのも、少し前にカータスの調合した液体の飲み薬を服用し、その後、夕食までの間に短い休息を取ったのだ。
(薬……もう効果が出たのかな、少し顔色が良くなっている気がする……)
そんなルーチェの思考を読み取ったかのように、カータスが口を開いた。
「リアンナさん、食後にこちらの粉薬も飲んでください。先ほどの薬草を使って、数日分を調合しました。朝と夜、それぞれ食後に服用をお願いします」
「分かりました……ありがとうございます」
(あの花で、そんなに薬が作れるんだ……)
カータスは続ける。
「ルーチェさんが持ち帰ってくれたあの薬草、花も葉も茎も根も───すべてが薬効を持つ、とても希少なものなんですよ。きちんと服用すれば、かなり回復が見込めます」
(あれってそんなレアな薬草だったの!?)
『どうやらそのようですね……』
リヒトの声にも、驚きがにじんでいた。
「にしても……森から無事に帰ってこられて良かったな。行きはともかく、帰り道は魔物に会わなかったのか?」
ケニスが問いかけると、それまで黙々と食べていたルーチェが顔を上げた。
「大丈夫でしたよ。帰りは途中からハルクさんと……」
そこまで言いかけて、ルーチェの表情が凍りつく。
「ルーチェ?」
ユリーナが心配そうに顔を覗き込む。
「ハルクさんのこと、忘れてた!!」
ルーチェは思わず立ち上がる。
「……あー、ハルクって、もしかしてあの緑髪の兄ちゃんのことか?」
「そ、そうです!」
「だったら、その兄ちゃん、さっき宿屋の方へとぼとぼ歩いていくの見たぜ。なんか、しょんぼりしてたけど」
「あぁ……」
ルーチェは気まずそうに座り直すと、視線をそらし、トマト煮を口に運んだ。
***
食事を終え、宿へ向かうと、ルーチェは食堂のカウンターに座るハルクの姿を見つけた。
彼はひとりで酒をちびちびと飲みながら、どこか投げやりな様子でつぶやいていた。
「どうせ俺なんて……鉱物大好きな変態だよ……ちくしょう……」
その姿に、ルーチェはなんとも言えない気持ちになる。
ルーチェの存在に気がついた宿の女将が、食堂のカウンターの奥からやってきて、声をかけてきた。
「アンタがルーチェだね。あの兄ちゃんから聞いてるよ。これが部屋の鍵、二階の真ん中の部屋さ。奥が兄ちゃんの部屋。分かったかい?」
「はい……ありがとうございます。あの、ハルクさん……大丈夫そうですか?」
ルーチェが小声で尋ねると、女将は苦笑しながら肩をすくめた。
「ああいうのはね、そっとしておくのが一番さ。ミリーナちゃん探しで疲れたろう? 今日はもう休みな」
「そうします……」
ルーチェは階段へ向かいかけたが、思い直して食堂を覗き込み、小さな声で呼びかけた。
「ハルクさん、おやすみなさーい……」
反応はなかったが、ハルクの肩が少しだけ揺れたような気がした。
部屋に入ったルーチェは、ベッドに腰を下ろすと、どっと疲れが押し寄せてきた。目を閉じた瞬間、深い眠りに落ちた。
***
話は少しさかのぼる。
ミリーナが無事に村へ戻ってきた、その直後のこと───。
ユリーナから「おじさん!」と呼ばれたハルクは、目に見えて落ち込んでいた。
「……俺、まだまだ“お兄さん”の部類だと思ってたんだけど……いや、若い子から見たらもうおじさんなのか?」
独り言のように呟きながら、落ち着きなく頭をかいた。
「……これでも人と会う時は清潔感とか、ちゃんと気を遣ってるし。汗もこまめに拭いてるし……髭も剃ってるし……。頼りがいのある男に見られたいから鍛えてるし、俺……」
自分に言い聞かせるように、呟きは続く。
「……いやでも俺、まだ三十二だし。解体カウンターに篭ってる兄貴より、武器屋やってる俺の方が断然かっこいいと思うんだよな……」
うんうんと頷くハルク。
「……今年の花祭りこそ、綺麗な女性の一人や二人、見つけないと……まずいよなぁ……」
どこか切実さすら漂わせながら、ぽつりと呟く。
「俺に……一体、何が足りないんだ? 元冒険者だから腕っぷしには自信あるし、その気になれば家具とか小物くらいは作れるし、料理は……あんましできねぇけど、子供は好きだし……なあ、ルーチェはどう──」
ハルクが振り返ると、そこには誰もいなかった。
彼はしばらく茫然と立ち尽くした後、ふらりと歩き出す。背中を丸め、ため息をつきながら、宿の方へと、とぼとぼ向かっていった。
***
翌日。
ルーチェが宿の食堂へ向かうと、既にハルクがテーブル席に座っていた。ルーチェが起きてくるのを待っていたのか、手をつけていない食事が二人分並んでいた。
「おはようございます、ハルクさん……」
ルーチェが控えめに挨拶すると、ハルクも少し間を置いて応じた。
「……おはよう、ルーチェ」
その声はどこか重たく、まだ気持ちを引きずっているのが伝わってくる。ルーチェは気まずそうに視線を逸らした。
「……とりあえず、飯にしよう」
ルーチェはハルクの座る席の向かいの席に腰を下ろし、朝食を口に運び始めた。しばらくは気まずい沈黙が続いたが、ふとハルクの視線がルーチェの左腕に向けられた。
白いシャツの袖が裂け、袖には赤い染みが広がっていた。
「ルーチェ、これ……どうした!?」
ハルクは勢いよく立ち上がり、ルーチェの腕をぐっと掴んだ。
「わっ……!」
突然の動きに驚きながらも、ルーチェは慌てて答えた。
「えっと、森で魔物と戦闘になって……一撃くらってしまって……。あ、でも、怪我は治しました、ほら……」
そう言って袖をまくる。ハルクはルーチェの白く、細い腕をそっと撫でて確認した。
「……確かに傷はもうないみたいだな。でも、替えの服は?」
「あー……えっと、持ってないので……その、街に戻ったら新しいのを買おうと思って……」
「そうか……」
ハルクは少し黙ってから、静かに席に戻った。
「気づいてやれなくて、悪かったな。ルーチェ」
「いえ、大丈夫ですよ……!」
「そうそう。あの荷車だけどな、村のやつが次に街へ納品に行くときに使うって言ってたから、帰りは手ぶらで戻れるってさ。……ルーチェ、まだ疲れてるだろ? 帰りは俺がおぶってやるよ」
「へ? いや、でも……!」
「遠慮すんな。休めるときに休んでおかないと、いざという時に本領発揮できないぜ?」
ルーチェは一瞬戸惑ったが、ハルクの言葉に素直に頷いた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて……」
そのやり取りを聞いていた女将が、カウンターの奥から声を張り上げる。
「ちょっとアンタ達、さっさと食べちまいな! 昼からは《恵みの輪》の祭りだよ!」
「おう、もう食べ終わる!」
ハルクが笑いながら応じる。その表情には、いつもの調子が戻ってきていた。ルーチェは心の中で、ほっと安堵の息をついた。