第139話 瀑布の牙
───山道。
馬車は木々に挟まれた一本道を走っていた。
両脇はなだらかな傾斜。草木の根がせり出し、ところどころ岩が顔を覗かせている。
風は止まり、鳥の声も聞こえない。
「……やっぱり静かだな」
手綱を握るゴードンが、顔を険しくさせる。
「嫌な感じがする」
テオが前方を見据えたまま呟く。
テオの隣にいたキールが、後ろを振り返る。
「ルーチェさん。もし───馬車が止まったら、あなたはオルトと贈呈品を守ってください」
ルーチェの表情が引き締まった。
「……分かりました」
馬車が山間を抜けていく。両脇には傾斜のある木々の間を縫うように、細い道が続いていた。上空には雲がたまり始め、風もひんやりとしてきていた。
「少し…空気が涼しくないですか?」
ルーチェが呟くように言うと、テオが肩を竦めながら言う。
「山の上だからじゃない?」
御者台の方からゴードンの声が返ってきた。
「すぐ近くに滝がある……“断崖の双滝”っつー、二本並んだでっけぇ滝だ。ここらの名所だな」
「通りで…」
ルーチェがうなずいたそのとき、オルトが小さく言った。
「お姉ちゃん…水の音、聞こえる…」
ルーチェは耳を澄ませた。
「……あ、ほんとだ。ゴーって音…滝の音だね」
カーブした細道を抜けた瞬間、ガタンッ!という衝撃音とともに、馬車が大きく揺れた。
「きゃあっ!?」
「ルーチェ!!」
よろけたルーチェが倒れそうになったところを、テオが素早く身体を滑らせて支える。
「テオさん…大丈夫ですか…?」
「へーきへーき。伊達に剣士やってないからね」
そのとき、キールが険しい声で言った。
「テオ」
キールが馬車の外を見ながら声をかける。手は長柄の槍にそっと触れている。テオもルーチェを支えたまま立ち上がり、馬車の外を見た。
そこには───、十人ほどの男たちが、道を塞ぐように立ちはだかっていた。
それぞれ粗末な武具を身にまとい、誰もが強面の表情を浮かべている。明らかに只者ではない。
「テメェら、グラーデンに贈呈品を運んでるんだろ? 積荷と女とガキを置いていって貰おうか?」
テオは馬車から飛び降り、ひらりと軽やかに着地した。
「注文が多くない? せめてどれか一つにしてよ。まあどれを選んでも、くれてやるつもりなんてないけど」
「なんだテメェ…?」
「お前らこそ何? ソランディルからコソコソついてきてストーカーなの?」
男の一人が顔をしかめ、怒鳴った。
「俺らはなぁ! ──《牙鱗団》って盗賊団だ!!」
「へぇー、てっきり“ストーカー軍団”かと思ってたよ。山賊まがいのコソ泥集団ってとこか」
馬鹿にされた男たちは怒りに震える。
馬車の中で控えていたルーチェが、不安げにキールに囁いた。
「あの…キールさん…」
キールは目を細めながら答える。
「テオはこうなると饒舌になりますからね。しばらくは様子を見ましょう」
「大丈夫なんでしょうか……」
「問題ありませんよ。挑発しつつ、敵の出方を伺う。テオのいつものやり方ですから」
「……はい」
ルーチェは少し不安そうにしながらも、その様子を見守った。
「ウザってぇなぁ……お前ら、やるぞ!!」
盗賊の一人が怒鳴ると、その声に呼応するように、周囲の盗賊たちが一斉に武器を構えた。
(……さてと、実力はどの程度かな)
テオは腰の鞘から剣を抜き、軽く肩を回しながら構える。
最初に動いたのは、先ほど喋っていた男だった。剣を大きく振り上げ、そのまま力任せに振り下ろしてくる。
「───っと」
テオは一歩踏み込み、その刃を自分の剣で受け流す。
次の瞬間、間合いの内側へと滑り込むようにして、剣の柄で男の腹部を強打した。
「ぐっ……!」
男は息を詰まらせ、そのまま前のめりに地面へ倒れ込む。
一人目が倒れたのを見て、二人目の盗賊が間髪入れずに斬りかかってくるが、テオはそれも冷静に受け流し、返す刃で肩口を打って気絶させた。
二人目が倒れた、その瞬間───
さらに三人が、声を上げながら一斉に突っ込んでくる。
テオは後退しながら距離を取り、受け流しを主体に構えを取り直した。
「ねぇ、暇ならキールも加勢してよ。一対多なんだからさ」
その声に、馬車の中から状況を見ていたキールがちらりと視線を向ける。
「まあ、別にいいけど……」
キールは一度ルーチェの方を見てから、静かに言った。
「ルーチェさん。オルトとゴートンさん、あと積荷をお願いします」
「わかりました……! 気をつけてください」
ルーチェの頷きを確認すると、キールは軽やかに馬車から飛び降りる。着地と同時に構えたのは、しなやかな曲線を描く長柄の槍。
穂先を低く構え、静かに息を整える。
「さて……じゃあ、こっちも──始めましょうか」
低く響いたキールの声に、盗賊たちの間に、再び張り詰めた緊張が走った。
(変…だな。獣人族は少ない魔力を生かすため、獣牙流を使うと聞いていたが…使わないのか? 少なくとも、テオの実力が分かっているなら使うべきだろうに…)
キールは槍を振るいながら、敵の動きを見定めていた。
(いや、そもそも前提がおかしい。確か獣牙流は、少ない魔力を身体の一点に流し───主に武術。あるいは、テオの戦い方のように武器に魔力を流す応用がある。…なのに、なぜ使わない?)
盗賊たちは明らかに魔力の流れを使っていない。
(いや…“使えない”のか?)
刹那、キールは一歩踏み込み、槍を天へと突いた。
「《風爪》!」
槍に集まった魔力が刃となり、渦巻く風と共に放たれる。切り裂くような疾風が盗賊たちに襲いかかる。
「うわぁっ───!?」
最後まで残っていた盗賊が叫び声を上げると、あっさりと身を翻し、滝の方へと逃げていった。
「……え?」
思わず、キールの口から気の抜けた声が漏れる。
「えぇ……逃げんの? こっちはずっと警戒してたのにさ。返してよ、心の準備」
剣を収めながら、テオが呆れたように肩をすくめた。
「あのー、キールさーん…」
馬車の窓からひょこっとルーチェが顔を出した。
「ルーチェさん、どうかされました?」
「さっきの人たち、獣人っぽく見えますが…どうやら“亜人”のようです」
キールはそれを聞いて、「なるほど…」と小さく呟いた。
(そうか、亜人なら納得だ。仮に、魔力の少ない獣人族と“同じくらい魔力が乏しい者の血”が交われば───魔力がほとんどない、あるいは扱えない個体が生まれても不思議じゃない)
「しかし、よく分かりましたね、ルーチェさん」
「え!? …あ、えっと、それは……レオがそう言ってたんです!」
焦ったように言いながら、ルーチェは傍らに佇むレオを指さした。戦闘中、密かに呼び出していたのだ。
それを受けて、レオがルーチェを見つめながら《意思疎通》で語りかける。
『主よ、なぜ《鑑定》で確認したと素直に言わぬ』
(えぇっ!? だって、《鑑定》ってそんなホイホイ使えるスキルじゃないって…前にリヒトが言ってたし!)
『えぇ、確かに言いましたが…』
『すぐバレる嘘をつく意味が……まあいい、付き合ってやろう』
(ごめんってば、レオ〜…)
キールは首を傾げながらも続ける。
「そうでしたか。ですが、なぜレオを? こういう場面はノクスやシアの方が得意分野かと思いましたが……」
ルーチェが答える。
「ノクスとシアはお休み中なんです。特にノクスは護衛とかずっと頑張ってくれてましたし、それに───」
その時、馬車の中から跳ねるように何かが飛び出した。
───ぷるんっ!
『ぷるるもいるー!』
丸っこいボディを震わせたぷるるが、地に降り立ち、やる気に満ちた顔でキールたちを見上げる。《意思疎通》の声は聞こえないものの、明らかに「任せて!」と言っている顔だった。
(うんうん、頼りにしてるよ、ぷるる)
ルーチェが優しくうなずくと、ぷるるは嬉しそうに跳ねて見せた。
『はーい!』
「それで、これからどうするんですか?」
ルーチェの問いに、キールは懐から布切れを取り出した。
「先ほど拾ったものです。“裂けた牙と砕けた鎖”が描かれています」
それを見て、ルーチェの顔色が少し変わる。
「…オルトを攫ったという者たちの紋章。……間違いないですね」
ルーチェがオルトを見ると、わずかに身をすくめていた。ルーチェはその小さな手をそっと握る。
「大丈夫だよ、オルト。私がいるから」
オルトは不安げな表情のまま、小さくうなずいた。
「逃げ帰ったってことはさ、援軍呼びに行ったってことでしょ? ならここで一網打尽にしといた方が国のため。手早くやれば問題ないよ」
テオが腕を組みながら、面倒くさそうに言った。
「……だね。では、ルーチェさんは引き続きオルトの傍にいてください。ぷるるは戦闘支援を、レオはルーチェさんたちの護衛をお願いします」
そうキールが言うと、レオが鼻を鳴らした。
「フン……貴様に言われずとも分かっている」
そう言い放つと、レオはそっぽを向いた。




