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絆ノ幻想譚  作者: 花明 メル
第三章 閉ざされた航路の果てへ
136/160

第136話 牙獣族の村・ガルヴェ

 


 坂の傾斜がだんだん緩やかになってくる。

 

「もうひと踏ん張りだ、気張れ…!」


 ゴートンが手綱を引き、鞭を振るう。


 馬たちは汗を飛ばしながら必死に足を動かし、重い荷馬車を引いていた。


 やがて、木々の先に木造の塀で囲まれた集落が見えてくる。

 

「あそこですね!」

 

 ルーチェが声を上げると、皆の視線が集落の方へ向けられた。


 見張り台の上にいた犬人族らしき男が、集落内に向かって何かを叫んでいるのが見える。

 

「いきなり敵扱いされなきゃいいけどな…」


 テオが小さくため息をついた。

 やがて馬車の速度が落ち、ゆっくりと集落の前にたどり着く。門の前には、槍を手にした狼人族の女戦士が現れ、こちらへ歩いてきた。

 

「───お前たちは、旅の者か?」

 

「あぁ、そうだ」


 御者のゴートンが低く答えた。


 それを聞いて、馬車の後ろからキールが降りると、落ち着いた足取りで門番の前へ進み出る。

 

「突然の訪問、失礼いたします。私はヴァレンシュタイン王国より参りました冒険者、キールと申します。王国から獣王陛下への贈呈品を護衛し、ソランディルより王都グラーデンへ向かう途中です」

 

「獣王陛下への贈呈品……? ───事情は分かった。だが、なぜこちらの道を?」

 

「実は───」


 キールは丁寧に説明を始めた。


 地図では通れるはずだったルートを進もうとしたが、何者かにより橋が落とされていたこと。敵に狙われている可能性があるため、休まず馬車を走らせてきたこと。そして、今日一晩だけでも滞在させてほしいという旨を伝える。

 

「それと───」


 そう言いながら、キールはちらりと馬車の方を見やった。その視線に気づいたルーチェは、静かにうなずいてから、オルトの手を取る。

 

「こちらは、我々が故あって保護しているオルトといいます。ソランディルの獣関所のオリー所長より、この村に彼の家族、あるいは血縁者がいるかもしれないと伺いまして…」


「オルト…!?」

「まさか、本物なのか…!?」


 門番たちは顔を見合わせ、驚きの声を上げた。

 その声に、オルトはびくりと体を震わせる。思わずルーチェの背後に隠れるように身を寄せる。

 

「……分かった。少し待て。長老様に掛け合ってくる」


 門番の女戦士はそう言い残すと、すぐさま村の奥へと駆けていった。




***

 


  

 しばらくしてから門番の女戦士が戻ってくる。

 

「長老がお会いしたいそうだ。馬車も中へ入れて構わない。奥に厩舎(きゅうしゃ)として使っている蔵がある。屋根もあるから、そちらまで馬車を移動させてくれ」

 

「へい…」


 ゴートンは短く返事をすると、静かに馬車を進めた。

 

(ノクス、そのまま馬車の中の影から積荷を守っててくれる?)

 

『ワカッタ』


 ノクスはルーチェの声に返事を返すと、ルーチェ差し出した干し肉を咥え、影の中に潜ってじっと警戒態勢に入った。


 一方、シアは集落へ入る直前、周囲に気づかれぬように《魂の休息地(ソウルルーム)》へと戻されていた。

 

「客人たち、こちらだ」


 門番の女性が先導する。ルーチェたちはその後ろについて集落の中を歩く。


 周囲の建物からは、住民たちが顔を覗かせていた。

 道の端や家屋の陰から、ひそひそと声が聞こえてくる。

 

「やっぱり…あの子が…」

「生きていたのね…」


 その声に、オルトの耳がぺたりと垂れる。小さな身体が身を縮こませるように、ルーチェの背中に隠れた。

 

「オルトくん」


 ルーチェが優しく声をかけると、オルトの片耳がぴくりと動いた。

 

「大丈夫、一緒にいるからね」


 ルーチェがそっと手を握ると、オルトは小さく、でも確かに握り返した。



 

***


 

 

 ルーチェたちは、集落の一番奥に建つ立派な木造の建物へと案内された。入口を抜けた先の広間には、大きなラグが敷かれており、中央には年老いた犬のような顔立ちの老人───長老が、杖を手に静かに座っていた。


 その傍らには、介助役と思われる若い犬人族の少女が控えている。

 

「───ようこそ」


 長老はゆっくりと、だが確かな口調で言葉を発した。

 

「靴を脱いでどうぞ」


 隣の少女が優しく促す。


 ルーチェたちは靴を脱ぎ、用意された座布団の上に腰を下ろした。

 

「遠路はるばる、よくぞ…」


 そこまで言ったところで長老の言葉は止まり、代わりに隣の少女が口を開いた。

 

「……ガルヴェへ、よくぞお越しくださいました。こちらは牙獣族(がじゅうぞく)の族長、ザハド=レイガスです。私は孫であり、介助を務めておりますエリエッタ=レイガスと申します。祖父は口数が少ないため、私が代わりにお話させていただきますね」


 エリエッタの言葉に、キールが礼儀正しく頭を下げる。

 

「初めまして。私はヴァレンシュタイン王国より参りました冒険者、キールと申します。こちらは仲間のテオ、ルーチェさん──そして、我々が保護している少年、オルトです」


 テオとルーチェもそれぞれ頭を下げた。

 ルーチェの隣に座るオルトは、彼女の腕にしっかりとしがみついている。

 

「我らは牙獣族(がじゅうぞく)……」 

「犬人族や狼人族の総称です。我らは牙を持つ戦士の一族。六獣将(ろくじゅうしょう)の一人、ラグ様もこの集落の出身です」


六獣将(ろくじゅうしょう)って、オリー所長が言ってたよね……)


 確認するように心の中で呟くと、リヒトが答えてくれる。

 

『えぇ、獣王国を守る六人の将軍の名称ですね』

 

「渓谷の橋……」

「橋が落とされていたというのは、本当ですか?」

 

(……え、これ長老いる?)


 テオは一瞬そんなことを思ったが、もちろん口には出さなかった。

 

「はい。今朝、我々が渓谷の橋へ到着した時には、すでに橋は落とされており、通行不能の状態でした。急遽、山道の迂回路に切り替えて進み、警戒しながらここまでたどり着いた次第です」


 長老ザハドは杖を横に置き、顎の長い白毛を撫でながら静かにうなずいた。

 

「今宵は……」

「ぜひ、我らの集落に泊まっていってください」

 

「この集落は……」

「住民全員が家族であり、集落そのものが“家”なのです。宿屋こそありませんが、外部の方をお迎えするための客用の家があります。今宵はそちらをお使いください。複数の部屋がございますので」

 

「ありがとうございます、ザハド様」


 キールが深々と頭を下げた。

 

「それで……」

「そちらのオルトについてですが……」


 名を出された途端、オルトの耳がぺたんと垂れた。


 そのとき──

 

「オルトッ───!!」


 勢いよく扉が開かれ、一本の杖をついた狼顔の男が乱入してくる。

 

「ダグ様! いまは客人との面会中です!」


 後を追ってきた村人が慌てて止めようとするが、男はすでに広間の中心へと歩み出ていた。


 その視線は、しっかりとオルトへ向けられている。

 

(…ダークブルーの毛並み。耳と尻尾の形も…似てる気がする。まさか…)


 ルーチェは静かに問いかけた。

 

「…あの、もしかして……オルトくんのお父さん、ですか?」


 男は目を見開き、しばしその場に立ち尽くした。


「……エリエッタ」

「はい、おじい様」

 

 呼ばれてすぐに、エリエッタは椅子を持ってきて、男──ダグを静かに座らせた。

 

「長老、それに……客人の皆さん、騒がせてすまなかった。俺はダグ=グロウル。……そこにいるオルトの、父親だ」


 オルトはダグの顔を一瞬見たが、すぐに顔を伏せ、ルーチェの首にしがみついた。

 

「大丈夫……ギューってしてようね」


 ルーチェが優しく声をかけると、オルトは小さくうなずく。

 

「……なにゆえ、オルトがあなた方と共にいたのか。よければ、お聞かせいただけませんか?」


 ダグの声には困惑と戸惑い、そして微かな震えが滲んでいた。キールは複雑そうな表情を浮かべ、ルーチェに目を向ける。


 ルーチェはオルトの背を撫でながら、そっと尋ねた。

 

「オルトくん。今から、オルトくんと出会った時のことをお話するんだけど……オルトくんも、ここで聞く? それとも、私と一緒に外に出てる?」

 

「……きく」


 オルトは少しだけ迷ったあと、か細く答えた。

 

「そっか。じゃあ、私の膝の上に座ってて。抱きついたままでいいからね」


 ルーチェの膝の上に跨るようにして、オルトは静かに身を委ねた。ルーチェはその小さな体を包むように抱きしめる。

 

「聞きたくなったら聞いて。……聞きたくなくなったら、ギューってして、私の心臓の音を聞いてていいから」


 オルトはコクンとうなずいた。

 

「……キールさん、大丈夫です。お願いします」


 キールは短くうなずき、長老たちへと向き直った。

 

「では、経緯をお話させていただきます」


 一呼吸置き、キールは静かに語り出す。

 

「約一か月前、我々はヴァレンシュタイン王国の貴族、ランゼルフォード公爵家の当主であり、私の父でもあるカイルからの依頼を受け、国境付近の鉱山街・ドレステルへと向かいました」

 

「依頼の内容は控えさせていただきますが……その調査の過程で、廃坑の地下深くにて、違法な奴隷市が開催されている事実が発覚したのです」

 

「……なんと……!」


 長老ザハドが驚きに目を見開く。その目元は、額から垂れる白毛の隙間から鋭く覗いていた。

 

「奴隷市……」


 ダグもまた、小さく呻くように呟いた。

 

「我々は、王国の第一王女エステル様率いる第二騎士団と共に、捕らわれた亜人の子供たちの救出に当たりました。……その中に、オルトもいたのです」


 ダグは拳を膝の上に乗せたまま、震える手をぎゅっと握りしめた。

 

「その後、オルトはルーチェさんによく懐いており……恩人でもある彼女と共にいることを望みました。よって、我々のパーティで保護する形となりました」


 言葉を終えたキールが黙ると、静寂が広間を包んだ。


 やがて──

 

「事情は……よく分かりました」

「……オルトを助けてくださって、本当にありがとうございます」


 長老ザハドが頭を下げ、続いてエリエッタも静かに頭を垂れる。


 だがダグだけはうつむいたまま、拳を握りしめていた。

 

「……じゃあ、今度はこっちが聞く番だよね」


 沈黙を破ったのはテオだった。空気が張り詰める中、あえて軽く切り出すような声で、だが視線は鋭い。

 

「おっさん、ダグ、だったよな?……どうしてオルトが奴隷になったか、その理由は分かってんの?」

 

「テオ……!」


 キールが小さく制止の声を上げた。だが、ダグはそれを遮るように口を開く。

 

「……おおよその見当はついている。海賊に攫われ、その後、奴隷商人に売り飛ばされたのだろう。……どれだけ探しても見つからなかったはずだ……」


 その声は悔しさと無力さを噛み殺したように、かすれていた。


 だがテオは、そこで終わらせなかった。

 

「じゃあさ、オルトは“なんで”攫われたわけ?」


 静かに、だが確かに。テオの問いには、「不幸な事故だった」とは言わせない鋭さがあった。


 ダグはしばらく黙っていた。口を開こうとした唇が、何度か震える。やがて覚悟を決めたように、低く語り出す。

 

「……約九年前。俺と妻のリューネは、まだ幼いオルトを連れて、ソランディル近郊の海水浴場へと遊びに出かけた。……あの日、オルトにとっては初めて見る“海”だったんだ」


 ダグは静かに、過去の記憶をたぐるように語り始めた。

 

「……俺と妻のリューネは、当時三歳だったオルトを連れて、海水浴へ出かけた。ちょうど真夏の暑い日だった。多くの家族連れで浜辺はごった返していてな……」


 そう語る声には、どこか遠くを見つめるような哀しみが滲んでいた。

 

「ちょうど昼過ぎ、リューネが昼食を買いに行き、俺がオルトの相手をしていた。砂浜で貝殻を拾ったり、浅瀬で足を濡らしたりして……ごく普通の、楽しいひと時だったはずなんだ」


 ダグの手が膝の上でぎゅっと握られる。

 

「……ふと目を離した。その一瞬だった。気づいた時には、オルトの姿が見えなくなっていて……いくら探しても、どこにもいなかった」


 ルーチェはオルトの背中を撫でながら、そっと呼吸を合わせていた。

 

「───後から聞いた話だが、あの時、浜辺に見慣れぬ男がいたという証言がいくつか残っていたらしい。黒い帆を張った大きな船が沖に停まっていて、男は“あれを見に行こう”と子どもを誘っていた、と」

 

「黒い帆……?」


 ルーチェが小さく呟くと、テオも真顔で聞いていた。

 

「帆に“裂けた牙と砕けた鎖”の印が描かれていたそうだ。……恐らくは奴隷商の隠しマーク。子どもを誘い出し、気づかれないうちに船へ運び込んでいたんだろう」


 ダグの拳が震えていた。

 

「……俺が、あの時……気を緩めなければ……。たった一瞬、ほんの一瞬だったのに……」


 その言葉の重さに、部屋の空気がひときわ静まり返った。


 オルトはルーチェの胸元で、ただじっとしていた。小さな両手が、ぎゅっと彼女の服を掴んでいる。

 

「あの……お母さんは、リューネさんは……?」


 ルーチェがおずおずと尋ねると、ダグは一瞬目を閉じ、そしてぽつりと答えた。

 

「……オルトがいなくなってから二年後……妻は、体調を崩して……そのまま……」


 言葉が小さく、かすれて消えていく。

 

「……っ、すみません……」


 ルーチェは謝りながら、オルトをそっと抱きしめた。オルトはうつむいたまま、ルーチェの胸に顔を寄せる。

 

「ルーチェさん、と言ったかな……」


 ダグが目を赤くしながらも、優しくルーチェに声をかけ

る。

 

「オルトと共に、今夜は我が家に泊まらないか? ……オルトは君にとても懐いているようだ」


 ルーチェは一度キールとテオに目をやる。二人は小さくうなずいてみせた。

 

「……オルトくん。どうする? 今夜、パパの家に泊まってみる?」


 ルーチェが優しく尋ねると、オルトは少し顔を上げて、そっと目を合わせて言った。

 

「……お姉ちゃんと一緒なら……だいじょうぶ」


 ルーチェは微笑んで、その頭を撫でた。


 すると、長老ザハドが杖を持ち直して、こちらを見据える。

 

「……では、ごゆるりと」 

「キール様とテオ様は客人用の家に案内いたします。本日はゆっくりお休みくださいませ」


 介助役のエリエッタが、丁寧に一礼した。


 

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