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絆ノ幻想譚  作者: 花明 メル
第三章 閉ざされた航路の果てへ
134/159

第134話 獣王国の旅へ



 ソランディルの港近く、木造の温かみある小さな食堂。その一角の丸テーブルで、ルーチェたちは昼食をとりながら、今後の予定について話し合っていた。

 

「到着期限まで、あと一週間。最短ルートなら余裕を持ってグラーデンに着けると思います」


 キールが広げた地図の上を指でなぞりながら言う。

 

「万が一、何かあっても……今日中に出発できれば間に合うでしょう」

 

「オルトの家族も探したいけど、まずは届ける任務が先かな……ルーチェ、それでいい?」

 

 テオの言葉に、ルーチェは一瞬だけ迷ったあと、こくんとうなずいた。

 

「はい、分かりました」

 

「……本当は、オルトを先に《ガルヴェ》へ送り届けたいところなんですが、任務優先ですからね」

 

 キールの声は低めに抑えられていたが、静かな店内では聞こうと思えば聞こえる程度の音量だった。

 

「ごめんね、オルト」

 

「ううん……いいよ」

 オルトは物憂げな表情で、そっとスープを口に運んだ。

 

──その会話を、店の奥の席で食事をしていた男が、ぼんやりと聞いていた。


 目深にフードを被ったその男は、スプーンを口に運びながら、ちらりとルーチェたちの方を盗み見た。

 

 そして、何事もなかったかのように、黙って席を立つ。

(珍しい旅人たちだな。……人間族の若い冒険者に、亜人……いや、獣人の子供? これは一儲けできるかもしれないな)


 音もなく扉が閉まり、男の姿は通りへと消えた。


 獣関所に戻ると、ディアスがいた。

 

「お前たち。建物の裏手の搬出用の出入り口に、贈呈品を詰んだ荷馬車が止まっている。私の役目はここまでだ。気をつけていけ」

 

「そっか、ここまでなんですね」

 

 ルーチェは少し残念そうに言った。

 

「海路による交易が再び栄えれば、べリスタの港も賑わいを取り戻すだろう。戻ってきた時に、見て回るといい」

 

「じゃあ今度、ディアスさんのオススメとか教えて欲しいです!」

 

「別に、私に好きなものなどないが、まあ考えておく。……行くといい」


 ディアスは眼鏡をクイっと押し上げると、顔を背けた。

 

「はい、ディアスさん! ありがとうございました!」

 

 ルーチェたちが去っていく。

 ディアスはルーチェたちが去っていった方を一瞥すると、港の船の方へ静かに歩き出した。

 


 

 裏手の搬出用の出入り口に一台の大きな荷馬車が待機していた。頑丈な木製の荷台に、贈呈品を積んだ箱がいくつも固定されている。


 その近くで、一人の男が馬の前に立ち、手際よく轡を調整していた。


 姿は人間に近いが、顎には白く立派なヒゲ、そして頭には小さく後ろに湾曲した角──山羊人族だとすぐに分かった。


 男はこちらに気づくと、ちらりと視線を向け、ぽつりと口を開いた。

 

「……お前さんらが護衛か」

 

「はい。今日からよろしくお願いします」


 キールが応じると、男は手綱を握ったまま口を動かす。

「名はゴートン。御者だ」

 

「私はキール、こちらがテオとルーチェさん。それと……」

 

「……オルト」


 ルーチェに寄り添うように立っていた少年が、小さな声で名乗った。


 ゴートンはその顔をしげしげと見ていたが、やがてフンと鼻を鳴らすようにして視線を外す。

 

「……馴れ合うつもりはねぇ。俺は馬車を動かすだけだ。守るのはお前らの仕事だ、忘れんな」


 それだけ言うと、彼は再び馬の様子に視線を戻した。無愛想だが、どこか仕事に対する責任感のようなものは感じられる。


 まさに、山羊のように無骨で寡黙な御者だった。


「すぐ出発でいいのか?」


 荷馬車の横で手綱を引いたまま、ゴートンが低く尋ねた。

 

「我々は準備できてますので、大丈夫です」


 キールが答えると、ゴートンは軽く顎を引いて、馬の足元に視線を戻す。


 その間に、キールは彼と並んで地図を確認しながら、道中のルートや注意点を打ち合わせていく。


 一方、テオは荷台の紐を引き直し、積み荷や荷物の最終確認をしていた。


 ルーチェは先に馬車の後方に回り、オルトの手を引いて荷台へと誘う。

 

「よいしょ……はい、乗って。大丈夫?」

 

「……ん」


 オルトは小さくうなずいて、よじ登るようにして馬車の中に入った。


 その時だった。

 

「ルーチェくん」

 

 背後から声をかけられ、ルーチェが振り返ると、オリーが手に何かを持って歩いてきていた。

 

「オリーさん、どうされましたか?」

 

「これをこの国の将軍である《六獣将(ろくじゅうしょう)》、もしくは獣王陛下に渡してくれ」


 そう言って手渡されたのは、一冊の小さな封筒──オリーの報告書だった。

 

「今回の蒼海獣(そうかいじゅう)騒動について、俺なりに簡単にまとめてある。念のためってやつだが……いざって時、君たちが口で説明するより、こっちの方が信用されやすいだろうと思ってな」

 

「……ありがとうございます」


 ルーチェは丁寧に頭を下げ、報告書を受け取った。

 オリーは微笑を浮かべた後、オルトの方を見やった。

 

「オルトくん。気をつけてな」

 

「……うん」


 俯きがちに、それでもしっかりとうなずくオルトに、オリーは安心したように目を細めた。



 

 ルーチェ一行は、港町ソランディルを後にした。


 町を出ると、馬車は舗装された土の街道を走り始める。

道の両脇には見たこともない鮮やかな植物や、背の高い木々が立ち並んでいた。生い茂る葉が日差しを遮るように揺れ、辺りには熱帯特有の蒸し暑さと、生命の濃密な気配が漂っている。

 

「来てからずっと思ってたけど、やっぱり王国よりも少し暑いよね」


 そう呟いたテオに、手綱を握るゴートンが応じる。

 

「そりゃあ、お前たちが来たヴァレンシュタイン王国よりずっと南だからな。暑くて当然だ。…だがな、王都の《グラーデン》や火山の街の《ファルガン》の方がよっぽど暑いぞ」


 ぶっきらぼうな声だが、その口調には気遣いが滲んでいた。

 

「これから先は渓谷沿いを通る。山道に上がればいくつか集落もあるが、そこは迂回路だ。時間が惜しいんだろう? 川沿いを真っ直ぐ行く方が早い」

 

「はい、お願いします」

 

 ルーチェがにこやかに応じると、ゴートンは軽く鼻を鳴らして前を向いた。

 

「……ふん」

 

 馬の蹄が土を踏みしめ、馬車は熱帯の緑の中を静かに進んでいく。

 

「ゴートンさん」

 

「なんだ」

 

 ルーチェは馬車の中から普通に問いかけた。

 

「あの……私はテイマーなんですけど、警戒用に魔物を出してもいいですか?」


 ゴートンは少しだけ沈黙したあと、無愛想に答えた。

 

「馬を怖がらせねぇならいい。好きにしな」


 ルーチェは影からノクスを呼び出した。

 

「ノクス、警戒をお願いね」

 

「……ワフ」


 ノクスは、馬やゴートンに配慮したのか、静かに短く吠えた。

 

 やがて、夕日が地平線へと沈みかけた頃、馬車が止まる。

 

「今日はここで野営だ。俺は勝手にするから、そっちも勝手にやってくれ」

 

 ゴートンはそう言い残して馬車を降りた。


 馬車から降りたルーチェたちの前には、川沿いの野営地が広がっていた。

 

 キールが地図を広げ、場所を確認する。

 

「今がこの辺りですね。明日の朝出発すれば、すぐ先に分岐があります。まっすぐ進んで橋を渡れば王都への本ルートですね」

 

「了解、とりあえずテント立てて、夕食の準備しようか」


 テオが言うと、キールもうなずいた。

 

「そうだね」

 

「じゃあ私は、ノクスと一緒に薪を拾ってきましょうか?」


 ルーチェの提案に、テオが少し渋い顔を見せる。

 

「いいけど、毒のある変な草とか魔物には気をつけてよ?」

 

「分かってます。じゃあ行ってきますね」

 

 ルーチェとノクスは林のほうへ歩いていった。

 オルトは心配そうに後を見ていたが───

 

「オルト」


 テオに呼ばれて、そちらへ向かう。

 

「石を積んで、料理用のかまどを作るんだけど、手伝ってくれない?」


 オルトは小さく頷いて、素直に手伝いを始めた。

 

『お嬢様、旅の疲れの方は如何ですか?』


 リヒトが穏やかな声で尋ねる。

 

「大丈夫だよ。さっき馬車で少し休んだから…」

 

『それは何よりでございます』

 

 ルーチェはしゃがみ込み、落ちていた木の枝を拾い上げた。

 

「なるべく乾いた木を選ばないと…」


 そのとき──

 

『───アルジ』


 ノクスが《意思疎通(フレンズチャンネル)》で呼びかけてくる。

 

「どうしたの?」


 振り返ると、ノクスがじっと山の上の方を見ている。

 

『ミラレテイル』

 

「えっ……?」

 

 ルーチェは慌ててその方向を見上げた。けれど───何も見えない。


 《鑑定》のスキルを使って視線の主を探す。しかし、やはり反応はない。範囲外か、あるいはスキルを阻む何かがあるのか───。

 

「……私からは見えないや」

 

『キキカンチ、ハンノウシタ』


 ノクスの《危機感知》が反応したという。

 

「……そっか。分かった。戻ったら、キールさんたちにはそれとなく伝えるね」

 

「……ワフ」


 ノクスは口に枝をくわえたまま、小さく鳴いた。

 ルーチェとノクスは枝を抱えて野営地へ戻った。

 

「……戻りました」

 

「おかえりなさい、ルーチェさん」

 

 キールが微笑みながら枝の束を受け取る。

 だが、ルーチェの表情はどこか硬いままだった。

 

「…どうかしましたか?」


 キールが小声で尋ねる。

 

「あ、いえ…その、何でも…!」

 

 ルーチェは慌てて笑顔を作ったが、その不自然さをキールは見逃さなかった。キールは片手で枝の束を抱えたまま、もう片方の手でそっとルーチェの手を取った。

 

「ルーチェさん?」

 

「……いや、あの……」

 

「では──後で聞かせてくださいね?」

 

 ノクスが「ワフ…」と小さく鳴くと、気を利かせたように馬車の方へ歩いていった。

 

『アルジ、チャントツタエル、ダイジ』


 ノクスが《意思疎通(フレンズチャンネル)》でそう言い残す。

 

(どうにでもなれ……!)


 ルーチェは思わずキールの手をぎゅっと握って引っ張った。


 二人はは至近距離で向かい合う。

 

「ルーチェ、さん?」

 

「あの…キールさん、耳を……」


 ルーチェの言葉にキールは素直に顔を近づけた。ルーチェは小声で囁く。

 

「実はノクスの危機感知スキルに反応があったんです。山の上の方から、誰かに見られていたらしくて…。もしかしたら、今も…」


 その瞬間、キールの表情が引き締まった。彼はルーチェの手をそっと離し、かわりにその背中に腕を回す。

 

「──大丈夫です。ルーチェさんは私が守りますから」

 

「キールさん…!」


 その言葉に、ルーチェの胸が静かに高鳴る。

 

「ゴホン。……船乗ってる時から思ってたけど、やっぱり距離近くなったよね?」

 

 少し離れた場所で、じーっと見ていたテオがわざとらしく咳払いをしてからぽつりと言った。

 

「まあ否定はしないけど……」

 

「てかさ、薪。早く渡してくれない?」

 

「はいはい…」

 

 キールは少しだけ照れたように笑いながら、ルーチェの方を見た。

 

「……私はもう少し、素直に生きると決めたんですよ」

 

 囁くようにそう言って、キールは枝の束をテオの元へ運んでいった。


 テオの作ったスープを啜っていると、リヒトが声をかけてきた。

 

『お嬢様、シア様が外に出たいと仰っております』

 

(ん、分かった)


「───《召喚(サモン)》! シア!」

  

 ルーチェは地面に手をかざし、小さく詠唱する。


 風を纏うように、シアが姿を現した。

 

「クルル……」


 シアは音もなく歩み寄ると、ルーチェの背中にすり寄った。

 

『主様。視線の主を特定───とまではいかないけれど、少し散策してきてもいいかしら?』

 

「いいけど、怪我とか気をつけてね」

 

『あら、誰に言ってるの? 貴女と私が出会ったのは、どこだったかしら?』

 

「あー、うん……確かに。シアにとってはこのあたり、庭みたいなものか。……ともかく気をつけてね」

 

『えぇ、任せてちょうだい』


 そう言って、シアは地を蹴る。風のようにしなやかに、そして闇に溶けるように、山の方へと姿を消した。

 

「シア、どうしたわけ?」


 テオがスープを啜りながらルーチェに尋ねる。

 

「いえ、大したことじゃ。周囲の警戒と探索に向かったようで……」


 ルーチェは表情を崩さず、穏やかに答えた。

 

「ふーん。ルーチェの契約魔物たちは、忠義者ばっかりだねぇ……」


 テオはそう言って、器を手であおぎながら、熱いスープをまた一口啜った。



 

「そういえばさ」


 食器を片付けながら、テオがふと思い出したように言った。

 

「ルーチェは魔物たちと会話できるけどさ、感覚の共有とか、視覚の共有とかってできないの? なんとなくテイマーって聞くと、そういうのができそうなイメージあるんだけど」

 

「いえ、今のところ、そういう能力はないですね…。でも、なんだか面白そうなので、そのうちできないか試してみます」


 ルーチェは笑顔でそう答えた。

 

(───というわけで、リヒト。後で時間ができたら、できるか試してみたいんだけど)

 

『かしこまりました。では、後ほど』


 リヒトの声は、どこか嬉しそうだった。

 

「ところで───」


 食器を運んでいたルーチェに、テオが一歩近づく。

 

「キールと、なんかあったの?」

 

「へっ!?」


 ルーチェはぴたっと動きを止め、目を丸くする。

 

「その顔……なんかされたな?」

 

「い、いやっ、あのっ、別に変なことはされてませんから!」

 

「ふ〜ん? じゃあ、別にラブラブしてるわけじゃないんだ?」

 

「ら、ラブラブ!? してませんってば!」

 

 ルーチェは真っ赤になりながら、ぶんぶんと首を振った。

 

「冗談だってば。ほんっと、ルーチェってばからかい甲斐あるなあ」


 テオは楽しそうに笑った。

 

「テオさん、意地悪です……」

 

「ん、知ってる」


 テオは軽く肩をすくめ、最後の食器を鍋に重ねた。


 

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