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絆ノ幻想譚  作者: 花明 メル
第三章 閉ざされた航路の果てへ
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第132話 リヴァイア



『……その光……それに、どこか懐かしき気配……』


 男のものと思われる声が、どこからともなく響いた。

 ルーチェははっとして、蒼海獣(そうかいじゅう)を見上げる。


 蒼海獣(そうかいじゅう)はぐるりとその長い体をうねらせ、ようやくゆっくりと口を開く。


『……感謝しよう、人間の娘。理性を取り戻せたのは、そなたの光と、精霊の力あってのこと……』


「よかった……本当によかったです……!」


 ルーチェは心から安堵したように微笑んだ。


蒼海獣(そうかいじゅう)様。やはり、理性を失っておられたのですね」


 キールの問いに、蒼海獣は静かにうなずいた。


『如何にも。我が守護するこの海に───黒き瘴気を放つ“異物”が落ちた。深き海底より囁くその闇に、我が心、少しずつ……蝕まれていったのだ……』


「異物……その正体に、何か心当たりは?」


 ディアスが低い声で問う。


『魔を孕んだ宝玉だ。人の手による物のようだった。拒絶し、破壊しようとしたが……あまりに瘴気が強く、長く晒され過ぎた……』


「……あの村にいた連中と、同じ筋の仕業だろうな。魔物を狂わせるために、わざと落としたのだろう」


 レオの言葉に、テオはうんざりしたように肩をすくめた。


「マジでどこまで迷惑な奴らなんだか……」


 レオはルーチェの隣に立ち、静かに口を開いた。


「───《蒼海獣(そうかいじゅう)》よ、久しいな」 

 

 蒼海獣(そうかいじゅう)が、ルーチェとレオに目を向けた。


『ああ、久しいな。……それにしても、人間の娘と“契り”を結ぶとは、どういう風の吹き回しか。貴様は気高く、誇り高い存在。そして、人を好まぬ精霊獣だったと記憶しているが?』


 レオは視線を伏せ、静かに答える。


「あくまで仮初の主だ。しばしの間、協力している。それだけのことだ」


 ルーチェは一歩前に出た。


「そんなことない! あのね……蒼海獣(そうかいじゅう)さん。私、レオと、お友達になったんです!」


 一瞬の沈黙。

 だが───その目がゆるやかに細まり、くぐもった笑い声が漏れる。


『……フッ……ハッハッハ……そうか、“友”か。……まったく……面白い娘だ……』


 レオはフンと鼻を鳴らして顔を背けた。

 

 ゆっくりと顔を近づけてくる蒼海獣(そうかいじゅう)。その目には、好奇の色が浮かんでいた。


『……なるほど。恵みと冥府の気配───ふむ、そなた……緑癒獣(りょくゆじゅう)黒冥獣(こくめいじゅう)にも会ったのだな?』


「はい」


 ルーチェは小さくうなずいた。


『ならば……此度の礼を授けよう。これを持っていけ』


 海を見やると、周囲の海面に渦の柱が生まれる。


 やがて水柱の中心から現れたのは───ピンクと白の混ざった、美しい巻貝だった。


『それを持てば、水中でも幾らか自由に動けるはずだ。人は、我らとは違い、水の中で生きられぬのだろう?』


「えっ……でも、いいんですか?」


 ルーチェが驚いたように尋ねる。


『無論。それとな───』


 蒼海獣(そうかいじゅう)がルーチェにそっと額を近づける。

 ルーチェは思わず両手を伸ばし、その額に触れた。


『───これも、くれてやろう』


 瞬間、穏やかな魔力の波動が、ルーチェの手のひらに伝わってきた。


 その気配を感じ取ったレオが、小さく眉を寄せる。


「主よ……。七の魔獣の加護を、三つも持つ者など、我は初めて見たぞ」


「え、えへへ……」


 ルーチェは照れくさそうに笑った。


『我の加護とその貝を合わせれば、水中でも地上と遜色なく動けるだろう。肌身離さず持っておくといい』


 蒼海獣(そうかいじゅう)はそう言い残し、静かに海へ視線を向けた。


 次の瞬間、海の底から黒ずんだ水が渦を巻きながら湧き上がる。瘴気を帯びたその水流に、ルーチェはとっさに杖を構える。


「《結晶の封印(クリスタルシール)》───!」


 放たれた光が、空中に純白の結晶を創り出す。

 紫がかった黒のオーラが、渦を巻きながらその結晶の中に吸い込まれていく。


 レオと蒼海獣(そうかいじゅう)がその結晶へ魔力を送り込む。炎と水、そして光───三つの力が絡み合い、神聖な渦を成した。


 やがてその結晶は穏やかに輝きを放ち、ルーチェの手のひらへとふわりと降りてきた。


「記録は完了。瘴気の封印を確認。周囲の魔力反応も安定───回収は我々で行う」


 ディアスが魔道具を操作しながら冷静に状況を報告する。


 蒼海獣(そうかいじゅう)は静かに言った。


『人の娘よ───その宝玉は深き封印を施すが良い。再び目覚めれば、我すら正気を保てぬ。』


「はい……必ず、安全な場所へ保管します」


 ルーチェは真剣な面持ちでうなずいた。


『それと……海を渡る者たちに、詫びを。……我が直接謝れば、怯えさせてしまうだろうからな』


「ちゃんと伝えます。みんな、きっと分かってくれると思います」


 蒼海獣(そうかいじゅう)はしばし海を見つめ、そして───静かに空を仰ぐ。


『……どうやら風向きが変わったようだ。我は再び、この海に秩序を取り戻そう。……と、そうだ、一つ、名乗りを忘れていたな』


 彼は再びルーチェに目を向けた。


『───我は“リヴァイア”』


「私はルーチェです、リヴァイアさん!」


 ルーチェはぱっと笑顔を見せ、少し照れながらもしっかりと名を返す。


 リヴァイアの目が細まり、どこか安らいだような気配を帯びた。



───まるで、それは微笑みにも似ていた。



『用は済んだ。さらばだ、ルーチェ。……そして、精霊獣レオよ』


 そう告げると、リヴァイアはゆっくりと海の底へと潜っていった。


 荒れていた波は鎮まり、重く曇っていた空には光が射し始める。


───海は、再びその穏やかさを取り戻していた。

 


 船内の一室にて。

 ディアスが用意したの魔封じの箱に、ルーチェはそっと結晶を入れた。


 そして、蓋を閉じるとカチリと厳重に鍵を掛ける。


「ひとまずの対処は完了だ。これは私が王国へ、責任を持って持ち帰る」


 ディアスはそう言って箱を抱えた。


「お願いします、ディアスさん……」


 ルーチェは力なく壁にもたれかかる。


「大丈夫ですか、ルーチェさん?」


「はい……」


 そう返しつつも、ルーチェは額に手を当てた。


(……いつもなら、こんなに疲れたりしないのに……クラクラする……)

 

魂の休息地(ソウルルーム)》に戻ったレオの声が、心に響く。 


『致し方あるまい。我を顕現させ、共に戦ったのだ。仮とはいえ契約後、初の実戦だったな。体が慣れていないのだろう。ひとまず、休むがいい、主よ』


 ルーチェはふらつきながら、かすかに言った。


「……キールさん……あの……」


 言葉を聞き取ったキールが、すぐにルーチェの体を支え、優しく抱き上げる。


「別室で休んでください。船の護衛は私とテオがやります。部屋へ戻りましょう……」


「そ、そういえば……テオさんは……?」


 ルーチェがまぶたを重たげにしながら尋ねると、ディアスが淡々と口を開く。


「彼ならまだ甲板にいる。話の途中から気分が悪くなったらしく、後ろで吐いていたぞ」


「キールさん……わたしは大丈夫ですから……」


「ダメですよ。ここは、僕に甘えてください」


 キールはそう言ってルーチェの背を軽く叩きながら、歩き出す。ルーチェはその温もりに身を預けると、瞼を閉じた。


 しばらくして、ガチャリと扉が開く。

 顔色の悪いテオがふらふらと入ってきた。


「終わった、キール……?」


「うん。一応ね。ルーチェさん寝かせてくるから、少し外の見張りお願い」


「あいあい……」


「大丈夫? 戻ったら交代するから、それまでちょっとだけ頑張って」


「おー……」


 テオがまた甲板の方へと戻っていく。


 バタン───と扉が閉まったそのあと、部屋には静寂が戻る。


 残されたディアスは無言のまま、封印された箱をじっと見つめていた。



 

 静まり返った船室の中。ルーチェはまどろみの中で目を開け、ベッドから少し身体を起こす。


 椅子に腰掛けていたディアスが、わずかに視線を向けた。


「……起こしたか?」


「いえ……」


 ルーチェはまだ少しぼんやりとした声で言った。

 ディアスは少し間を置いて言う。


「疲労が限界に達していたのだ。眠るのは正しい判断だ」


「……ディアスさんは、疲れてないんですか?」


「私は大丈夫だ。体調管理は常に行っている」


「……やっぱり、そう言うんですね」


 ルーチェはくすっと笑った。


「けど……ディアスさんって、無理しちゃう人なのかなって、ちょっと思ってたんです」


「……そう見えるか?」


「はい。……すごく真面目で、正しくて、ちゃんとしてて。だからこそ、ちょっとだけ心配になります」


 ディアスはその言葉をしばらく受け止めるように、黙っていた。やがて、低い声で言う。


「……無理をして、過ちを犯すことは避けるべきだ。それは、誰にとっても不利益をもたらす」


「……でも」


 ルーチェは、ベッドの上で膝を抱えながら、小さく言った。


「誰かに『大丈夫?』って言われるだけでも、ちょっと、気持ちが軽くなる時ってあるんですよ」


 ディアスは、ふと視線を外す。


「……そういうものか」


「はい。だから、私も言っておきます」


 ルーチェはそっと笑う。


「ディアスさん、無理しないでくださいね。頼りにしてますから」


 ディアスはしばしの沈黙ののち、静かに目を伏せた。


「……その言葉、受け取っておこう。ありがとう、ルーチェ」



 

 しばらくしてから、再びディアスが様子を見に来てくれた。

 

「あれから特に異常や、魔物の襲撃はない。このままなら明日の朝にでも獣王国の港へと着くだろう。もう少し休むといい」


「そういえば、ディアスさんはどうしてここに?」


 ルーチェが首を傾げて尋ねると、ディアスは少し視線を外しながら答えた。


「キールは見張りに立ち、テオは別の部屋で休んでいる。見ている者が必要だろうと考えた結果だ。……女性の寝る部屋に入るのは不躾だったかもしれないが」


「いえ、大丈夫ですよ」


 ルーチェは穏やかに微笑んでそう言い、ベッドサイドの水差しに手を伸ばした。グラスに注がれた水を口に含み、喉を潤す。


「……ありがとうございます。安心できました」


 ディアスは小さくうなずいたが、それ以上は何も言わなかった。それきり部屋には静寂が戻り、夜の波音が微かに窓の外から聞こえてくる。


 ルーチェは毛布をかき寄せながら、小さく息を吐いた。


「もう少しだけ…休みますね……」


「了解した」


 その声に背を預けるようにして、ルーチェは目を閉じる。体に残っていた緊張がほどけ、ゆっくりと意識が眠りへと沈んでいった。


 ディアスは椅子に座ったまま、変わらぬ姿勢で静かに夜を見守っていた。


 


***


 

 

 朝焼けの光が、そっと窓から差し込んでいた。


 柔らかな陽の光がルーチェの頬を撫で、彼女はゆっくりとまぶたを開ける。


 隣には、オルトがすやすやと眠っていた。

 ルーチェは微笑みながら、そっと彼の髪を撫でる。


「……ん……お姉ちゃん……おはよう……」


 目を開けたオルトが、まだ眠たげな声でそう呟く。

 ルーチェは優しく微笑み返した。


「うん。おはよう、オルトくん」


 二人は身支度を整え、船の甲板へと出る。

 潮風が爽やかに吹き抜け、水平線の向こうに、大きな陸地が姿を現していた。


 甲板にはすでにキールとテオが立っていた。


「ルーチェさん、おはようございます」

「よく寝れた?」


「おはようございます、キールさん、テオさん」


 ルーチェがそう返すと、後ろから足音が近づいてくる。

 振り返ると、ディアスが静かに歩いてきていた。


「全員揃っているな。間もなく獣王国だ。降りる準備をしろ」


 ルーチェは前を見る。


 その視線の先には、広がる緑の大地──大きな山々と、港町の輪郭が見えていた。


 風の匂いが変わる。陸地が近づいてくる。


 次の冒険が、始まろうとしていた。

  

 

ダジャレなのか?と聞かれれば


……まあ、はい、そうです(真顔)

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