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絆ノ幻想譚  作者: 花明 メル
第三章 閉ざされた航路の果てへ
130/159

第130話 海の守り神



 明後日の朝に出発──それまでのあいだ、ルーチェたちはベリスタの街を自由に散策してよいこととなった。





***



 

 翌日。

 街の通りは、観光地としても栄えていた頃の名残が残る、美しく白い石造りの建物が並ぶ。だが、現在は交易の停止により、露店の品揃えも乏しい。


「王国の品ばっかだなー。前に見たやつと変わんない…」


 テオが並ぶ品々をちらと見てぼやいた。


 干し肉、保存食、簡易魔道具など、目新しさには乏しい品ばかりが並んでいる。


「他の国の商品があれば買いたかったのに……」


 ルーチェも残念そうに口を尖らせた。


「海路が止まってますからね。致し方ないことです」


 キールが肩を竦めて言った。


 ちらほらと、店主と客の小さな言い合いも耳に入ってくる。


「これ、もうちょっと安くならないのか?」

「すみません、今は輸送費が跳ね上がってて……」


 言い争いとまではいかないが、誰もが不満を抱えながら生活しているのが分かる。


「……ちょっと空気が重いですね」


 ルーチェがそう呟いたところで、キールが言った。


「展望台にでも行きましょうか。気分転換に」





 


 港の一角、高台に設けられた白い展望台に立つと、海風がふわりとローブを揺らした。


「潮風が気持ちいい……」


 ルーチェは目を細めて沖を見つめる。そして、静かに《鑑定》を発動させていた。


(こう見ると、穏やかな海なんだけどなぁ……)


『ここから見える範囲に、これといった異常は見受けられませんね』


 リヒトが冷静に答えた。

 

『おそらく、《鑑定》の有効範囲外に異常が潜んでいるのでしょう』


蒼海獣(そうかいじゅう)さん……どうして船を襲っちゃうんだろう……」


 海鳥が空を旋回し、遠くで白波が弾ける。だが、嵐の気配はどこにもない。


──その時、ルーチェはふと下の浜辺に目を向けた。

 

「ん?」

 

 展望台のすぐ下の砂浜で、数人の男たちが何か作業をしている。服装や道具から察するに、地元の漁師たちのようだ。


 男たちは波打ち際に打ち上げられた木材を運んでいた。よく見ると、それは明らかに“船の残骸”だ。


(もしかして……蒼海獣(そうかいじゅう)さんに襲われた船……?)


「何か、話が聞けるかも!」


 そう言うとルーチェは勢いよく駆け出した。


「ちょ、ルーチェ! 待っ──」


 テオの声が後ろで止まる。だが、彼女はすでに展望台の階段を駆け下り、砂浜へと向かっていた。


「あの、すみません!」


 声をかけた瞬間、砂浜で作業していた一人の漁師風の男が顔を上げた。


「ん? どうした、お嬢ちゃん。ここには面白ぇもんなんてないぞ」


 笑いながらそう言う口調は穏やかだったが、日焼けした肌と荒くれた腕は長年の海仕事を物語っていた。


「この残骸って……蒼海獣(そうかいじゅう)にやられた船、ですか?」


 ルーチェの問いに、男は少しだけ顔を曇らせ、静かに頷いた。


「あぁ、そうさ。ひでぇもんだろ? 原型も残っちゃいねぇ。あの海獣──“蒼海獣(そうかいじゅう)”って奴はな、海蛇竜(シーサーペント)って化け物でよ……水を操るんだ。波を渦巻かせて、船を真っ二つにな……」


「……やっぱり……」


 ルーチェは複雑そうな顔で残骸を見つめていた。


「お嬢ちゃん、他所の街から来たんだろ?」


「はい。王都から来ました」


「……そうかい。悪い時期に来ちまったなぁ。今は船なんて一隻も出ちゃいねぇ。出たら最後、海の藻屑だ」


 男は苦笑いを浮かべ、肩を竦める。


「この残骸って、これからどうするんですか?」


「どうするって……ここまでバラバラだとよ、もう廃棄するしかねぇな。使える部分もないしなぁ……」


「でしたら、手伝います。《召喚(サモン)》───ぷるる!」


 ルーチェが手を掲げると、小さな魔法陣が輝き、そこからゼリーのようなスライムがポヨンと飛び出した。


「廃棄するなら、この子に捕食させちゃっても大丈夫ですか?」


「おおっ……召喚魔法が使えるのか、お嬢ちゃん……!」


 漁師は驚きの声を上げたあと、嬉しそうにうなずいた。


「ああ、こっちとしては助かるぜ。廃棄処理にも金がかかるからなぁ……頼めるなら、ありがてぇ!」


「ぷるる、船の木材は全部食べていいよ。でも金属や魔石、魔道具っぽいのは残しておいてね」


『はーいっ!』


 ぷるるは元気よく跳ね、船の残骸に向かってとことこと進んでいった。瞬く間に体を大きく膨らませ、さらに分裂しながら残骸を次々と吸収していく。


 それを少し離れた展望台から見下ろしていたテオが、ため息混じりにぼやいた。


「あーあ、始めちゃったよ。……まったく、冒険者は慈善事業じゃないんだけどなぁ」


「でも……ルーチェさんらしいけどね」


 キールはくすっと笑いながら、遠くのスライムと少女を眺めた。


 オルトは静かに、その光景を見守っていた。

 

(お姉ちゃんと……ぷるる。すごい……)


 それからわずか十分ほど。瓦礫だらけだった浜辺は、すっかり元の白い砂浜へと戻っていた。


「おおぉ……すげぇ、もう終わっちまったのか……」


 漁師の男は感嘆の声を上げ、深々と頭を下げた。


「本当に助かったぜ。まさかこんな早く片付くとはな……」


「いいんですよ。どうせ明日まで、特にやることもないですから」


 ルーチェは微笑みながら返した。


『ぷるる、お疲れ様。ありがとうね』


『えへへ~! おなかいっぱい!』


 スライムは誇らしげにぷるんと跳ねた。 


 漁師の男はルーチェの方に向き直り、ふっと海のほうへ視線を向けた。


「……年寄り連中の話じゃよ。昔はあの“蒼海獣(そうかいじゅう)”、海の守り神だなんて言われてたもんさ」


「え……、守り神……?」


「そう。漁師や船乗りがな、航海に出る前に“海が荒れぬよう見守ってくれ”って祈ってたって話さ。昔は船を襲うなんて話、ひとっつもなかったのによ……」


 男の声には、どこか寂しげな響きがあった。


「今じゃ見る影もねぇ。あいつが現れるたび、漁は止まり、船は沈み、死んだ奴も少なくねぇ。……神様ってのは、祟れば化け物になるのかねぇ……」


 ルーチェは黙って、その言葉を胸に刻んだ。



  

***


 


「海の守り神…」


 夜、宿屋の窓から海を眺めながら、ルーチェはぽつりと呟いた。


 オルトはすでにベッドの中で眠っている。

 その隣には、ノクスが丸くなって寄り添っていた。


(守り神が…暴れる理由…)


 ふわりと風がルーチェの髪を撫でる。

 窓の下を覗くと、裏庭にキールの姿があった。


(ノクス、少しだけオルトくんのこと見ててくれる?)

 

『ワカッタ、マカセロ』


 ルーチェは迷わず窓枠に立ち、軽やかに跳び降りる。


 それを察したキールは風を操り、ルーチェの体をやわらかく支えながら地面へと降ろした。


 そして、ふわりとルーチェをその腕に抱きとめる。


「───危ないですよ、ルーチェさん」


 注意の声は穏やかで、どこか甘く優しい響きを帯びていた。


「キールさんなら、受け止めてくれる気がして……」


 ルーチェは少し頬を赤らめる。


「そ、それに、ほら! 私はシアとも契約しましたから、風魔法も使えますし…! キールさんが受け止めてくれなくても、危なくないっていうか…!」


 恥ずかしさを隠すように、ルーチェは早口で言い切る。

 

「大丈夫です。どんな時でも、必ず受け止めますよ」


 そう言うキールの瞳が優しくて、ルーチェは思わず目を逸らせなかった。


 庭のベンチにそっと下ろされ、二人は並んで腰を掛けた。

 

「でも、夜更かしは体に毒ですよ」

 

「今日の漁師さんの話、思い出してたら眠れなくて…」


 キールは覗き込むようにルーチェを見つめると、穏やかに微笑んだ。

 

蒼海獣(そうかいじゅう)の話ですね」


「海の守り神が、どうして船を襲うんだろうって…」

 

「確かに疑問ではありますが、分からないことを悩み続けても、疲れるだけです」


 キールはそう言いながら、ルーチェの手をそっと取った。


「───その、ずっと気になっていたことがあるのですが」


 不意の言葉にルーチェは驚いてキールを見上げる。


「……ルーチェさんは、テオのこと……どう思っているのですか?」

 

「テオさんのこと……?」


「……本当は、ずっと聞きたかったんです。セシの花祭りの際、夜のダンス──ルーチェさんはテオと踊っていた。……もし、私がセレナ様と踊っていなければ、あの夜、私と──踊ってくれましたか?」


 キールの視線が真っ直ぐで、ルーチェは一瞬、返す言葉を見失った。

 

(……た、確かに、あの時はキールさんとも踊りたいって思ったけど……)


「その…えっと…」


 言葉を選びながら、ルーチェは少し戸惑って口を開いた。


「私は、あの、キールさんもテオさんも……どっちも同じくらい大切で……」


 その答えに、キールはふっと安堵したように息を吐いた。

 

「すみません。少し意地の悪い質問でしたね」


 そして彼は、そっとルーチェの手を引き、手の甲に静かに唇を落とした。


「……ですが、その言葉が聞けて安心しました」


 やわらかな微笑みと共に、キールは立ち上がる。


「もう遅いですから…そろそろ休みましょう」


 そう言ってルーチェを軽々と抱き上げると、風の力で再び二階の部屋まで送り届けた。


「では、おやすみなさい、ルーチェさん」

 

「……はい。おやすみなさい、キールさん」


 そっと閉じられた窓の向こう、ルーチェは触れた熱を胸の中に残したまま、ベッドへと潜り込んだ。

  


 

***

 

 


 いよいよ、出航の朝───


 波の音とともに、朝日が白い街並みに差し込む。

 港では早朝から、船乗りたちの掛け声と荷の積み込みで慌ただしさが漂っていた。


「───おはよう、皆。準備は整っているか?」


 港の桟橋で待っていたディアスが、無表情のまま告げる。相変わらず堅物然とした態度で、朝の日差しすらはね除けるような雰囲気だ。


「は、はいっ。荷物も全部ここにあります!」


  ルーチェはふわっとリュックを背負い直しながら返事をする。


「どうやら風も穏やかですし、出航には支障はなさそうですね」


 海を見つめるキールの表情はどこか堅い。

 

「でも油断は禁物、ってことでしょ?」


 テオが小声でぼやく。


「……当然だ」


 ディアスはそちらを一瞥して、すぐに視線を前に戻す。


 その横で、オルトがじっと海を見つめていた。


 波は確かに穏やかで、青く澄んでいる。けれど、いつ、

どこから蒼海獣(そうかいじゅう)が現れるかは誰にも分からない───


「船に乗るぞ」


 ディアスの号令と共に、一行はゆっくりと桟橋を渡り始めた。


(───さあ、ヴァレンシュタイン王国を出て、獣王国へ……!)


 ルーチェはそう心の中で呟いた。

 

 

さあ、いよいよ、次回からは船旅が始まります…

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