第129話 港町べリスタ
トラジ村での一件以降、大きなトラブルもなく、一行は港町へと続く街道を進んでいた。
馬車の窓から顔を覗かせたオルトが、くんくんと鼻を動かす。
「お姉ちゃん……空気の匂い、変わった……」
その言葉に、ルーチェもそっと息を吸い込む。
風に混じって、仄かに潮の香りが鼻をくすぐった。
「ほんとだ。海の匂いがするね、オルト」 「これが……海の匂い……」
オルトは目を輝かせ、小さくしっぽを揺らした。
期待を抑えきれない様子が、その仕草から伝わってくる。
***
昼下がりの陽光が眩しく降り注ぐ中、ルーチェたちを乗せた馬車は、白い丘を越え、《港町ベリスタ》へと辿り着いた。
「ここが……港町ベリスタ……」
馬車の窓から身を乗り出したルーチェの視界いっぱいに広がったのは、青く輝く屋根が連なる、真っ白な町並みだった。
家々の壁は雲のように白く、道には同じく白いタイルが敷き詰められている。太陽の光を反射してきらめくその景色は、どこか現実離れしていて──海から吹き抜ける風は涼しく、潮と、ほんのりとレモンを思わせる香りを運んできた。
(……まるで、絵本の世界みたい)
夢中になって身を乗り出しすぎたルーチェを見て、隣のテオが呆れたように声をかける。
「はいはい、危ないからねー」
そう言って、ローブの背を軽くつまみ、元の位置へと引き戻した。
ノクスがルーチェの膝の上で小さく鳴き、前足で馬車の床を叩くと、その爪がカチャカチャと音を立てる。
どうやら外の景色が気になって仕方ないらしい。
「ふふっ、ノクスも嬉しそう……」
港の方からは、カモメの鳴き声と、魚を売る威勢の良い声が風に乗って届いてくる。遠くには、いくつもの帆船のマストが整然と並び、海風に揺れていた。
建物のあちこちには花の鉢が吊るされ、通りを行き交う人々は皆、どこか陽気で明るい。港町ならではの活気が、町全体を包み込んでいる。
「とりあえず、カレル侯爵の屋敷に向かいましょう」
キールの冷静な一言に、御者が「はいよ」と応え、鞭を軽く鳴らす。
馬車はゆっくりと、町の中へと進み始めた。
白壁に反射した光が窓から差し込み、馬車内をふんわりと照らす。
「楽しんでる場合じゃないけど……やっぱり、すごく綺麗ですね」
ルーチェの呟きに、テオは肩をすくめて笑った。
「まあ、息抜きも大事だよ。にしても、この景色は一見の価値あり、ってやつだな」
街路の先には、緩やかな坂道が続いている。
その坂の上、町の中でもひときわ立派な建物が、ちらりと姿を覗かせた。
──港町ベリスタを治める、カレル侯爵の屋敷だ。
ルーチェたちは、やがて静かに、その門へと近づいていく───
馬車が緩やかな坂を登りきると、そこには白壁と蒼い屋根を持つ、由緒正しい屋敷が現れた。装飾こそ控えめだが、その佇まいは長き伝統と威光を物語っている。
「──ここがカレル侯爵家か」
キールが馬車の窓から屋敷を見上げながら呟く。
御者が手綱を引き、門前で馬車を止めると、すぐに執事らしき男が現れた。
「遠路よりお越しくださり、感謝申し上げます。皆様をお待ちしておりました」
ルーチェたちが降り立つと、潮風とは異なる花の香りがかすかに漂ってくる。
正門の先には、石畳の道と手入れの行き届いた庭、その奥に凛と佇む屋敷があった。
広間の前には───
「キール殿、以前にお父君との商談の際にお会いしてから、随分と成長されたようですな。そして“ご友人方”、お初にお目にかかる。私はガルヴァン・カレル。侯爵家当主だ」
その声の主は、重厚な衣をまとい背筋を伸ばした高齢の男──ガルヴァン・カレル。
その鋭い眼光と威厳ある佇まいが、ただ者ではないことを示している。
「お久しぶりです、ガルヴァン様」
キールが深く礼をする。
「お初にお目にかかります。今回、獣王国への贈呈品の護衛の任を賜りました、冒険者のルーチェと申します……」
(か、噛まずに言えた…!)
ルーチェはゆっくりと礼をしてみせた。
「そして彼はテオ。こちらはオルトです」
キールが紹介すると、テオとオルトもそれぞれ丁寧に一礼する。
「……うむ」
ガルヴァンは一つうなずくと、それ以上は語らず、重々しく奥へと歩いていった。
代わって口を開いたのは、柔らかな声を持つ青年だった。
「父は少々ぶっきらぼうなもので、失礼をお許しください。私はアレシオ。長男です」
穏やかに微笑みながら、軽く頭を下げた彼は、どこか掴みどころのない印象を与える。
その隣には、屈強な体格の海軍のような軍服を着た男が立っていた。
「次男のロイランだ。話は聞いている。必要な支援があれば言ってくれ」
短く端的な挨拶だが、その瞳には誠実さと責任感が宿っていた。
そのとき──
屋敷の入口の扉が開き、軽やかな足音と共に、最後の一人が姿を現した。
今回の護衛任務に同行する、カレル侯爵家の三男、ディアス・カレルである。
淡い青の襟付きローブに、魔道具の収納ポーチを身につけたその姿は、どこか学者然としていた。
「獣王国へ贈る品、こちらでも確認させてもらった。ディアスだ、よろしく」
その表情は真顔のまま、まるで顔に仮面をつけているかのように変化がない。
ルーチェは一瞬戸惑いながらも、差し出された手を取り、しっかりと握手を交わす。
「よろしくお願いします、ディアスさん」
「私の執務室に来てくれ」
そう言ってディアスは、スタスタと早足で歩き出した。
「ご案内いたします、お客様」
執事が丁寧に頭を下げ、ルーチェたちはその後に続いていった──。
執務室の窓際で立ったまま、ディアスは地図を広げていた。テーブルの上には魔道具がいくつも並べられ、まるで研究室のようだ。
「……現状を報告する」
椅子に座っていたルーチェたちに背を向けたまま、ディアスが言った。その声は無機質で、感情の起伏はほとんど感じられない。
「現在、港湾部から一隻たりとも出航許可は下りていない。海路は事実上、封鎖されている状態だ。理由は明白。外洋に出た船が、すべて《蒼海獣》の襲撃を受けているからだ」
「すべて……」
テオが眉をひそめると、ディアスは小さくうなずいた。
「そうだ。海上での被害報告は計十一件。うち六件は沈没。残り五件は帆と舵を破損し、漂流を経て救助された。
今朝の時点で、生存者の証言により蒼海獣の動向が“海岸から30キロ圏内”にまで迫っていると推測される」
「そんなに近くまで……」
ルーチェが不安そうな声を漏らす。
「加えて、外見上は平穏に見えても、沖合に進むと急激に天候が変化する。魔力濃度・風向・潮流──いずれも通常の気象パターンとは一致しない。これは自然災害ではなく、何らかの“魔的干渉”が加えられていると見て間違いない」
ルーチェは、霧の村で感じた異常な気配を思い出していた。だが──ディアスは止まらない。
「国王陛下からは、獣王国への物資搬送を“予定通り実行せよ”との通達が下っている。だがこのような状況では、通常の航行は自殺行為に等しい」
そう言って、ディアスは机に置かれた魔力測定器を手に取る。魔石が脈動しており、どこか不穏な音を立てていた。
「私が今回同行するのは、この異常現象の“記録”と“調査”のためだ。……誤解のないように言っておくが、君たちと親睦を深める目的ではない。私はあくまで、任務遂行に必要な同行者である」
「……は、はぁ……」
圧の強さにルーチェは返事を曖昧に濁す。
「だが、君たちはすでに“霧の村”の件で、異常事態に対応した実績があると報告されている。故に───最低限の戦力としては信頼に値する。以上だ」
それだけ言うと、ディアスは再び窓際の机に戻り、魔道具を手に黙々と作業を始めた。
明日も投稿予定なんで、良かったら見てね
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