126話 霧の村
獣王国への贈呈品を載せた馬車は、予定通りの街道をきしませながら進んでいた。
「キールさん、今日はどの辺りまで進む予定なんです?」
ルーチェ、キール、テオの三人は、揺れる馬車に身を寄せ合い、広げた地図をのぞき込んでいた。
「途中で少し休憩を挟むとはいえ、今日のうちにトラジ村の近くまでは辿り着けると思います。村に入るのは明日の昼前頃。そのまま休息を取って、準備が整い次第、港町へ向かう予定ですね」
キールが地図上の地点を指で示しながら説明する。
「ま、予定はあくまで予定だしね。贈呈の期日まではまだ余裕あるんでしょ?」
テオが軽い調子で尋ねると、キールは肩をすくめた。
「うん、そこそこ余裕を持って届けられると思うよ」
「なら、もうちょいのんびり行ってもいいんじゃね?」
「もう、そんなこと言って……。途中でハプニングとかあったらどうするのさ。そのために早めに出発したんだから」
「冗談だって」
二人の掛け合いが続く中、ルーチェはふと地図を見つめたまま小さく息をつく。
(できれば、道中……何事もなく行けるといいなぁ)
『ですね。蒼海獣の件はともかく、道中が平穏であることを祈るばかりです』
リヒトの静かな声が、心の奥にそっと響いた。
***
翌日。
村へ向けて馬車を走らせていると、周囲の空気がふっと冷え、視界が白く曇り始めた。
気づけば辺り一面が、深い霧に包まれていた。
「急に霧が出てきたね……」
テオが怪訝そうに眉をひそめる。
御者の男も、手綱を握りしめながら低く呟いた。
「……可笑しいですね」
「可笑しい、とは?」
キールがすぐに問い返す。
「この街道沿いで霧が出るなんて、まず無いんですよ。本来なら風通しもいい場所でして……」
「つまり、自然発生ではない可能性が高い、と?」
キールの声にわずかな緊張が混じる。
会話を聞きながら、ルーチェはふと腕に走るチクリとした痛みに眉を寄せた。思わず肌を押さえてさする。
「……なんだか、この霧の中に入ってから、肌がチクチクする……ような……」
言葉を続けるルーチェの隣で、オルトの耳がしゅん、と倒れていく。普段なら動きが多い耳が、まるで何かに怯えて縮こまっているように。
霧の深さはさらに増し、馬車の車輪の音だけがやけに耳についた。
『お嬢様。《鑑定》のスキルを使用されることをオススメします。これは──何らかの異常事態である可能性が極めて高いです』
(異常事態……? わかった、なら……)
ルーチェは深く息を吸い、すぐに《鑑定》のスキルを発動させた。
馬車の中、外──順に視線を走らせる。
次の瞬間。
『お嬢様! この霧、内部にいる生命の体力を少しずつ削り取る……極めて悪質な効果を持つ霧です!』
リヒトの切羽詰まった声が、脳内に鋭く響いた。
ルーチェは反射的に棍杖を握りしめ、詠唱を放つ。
「《無垢なる守護》!!」
淡い光が弾け、馬車に乗る全員と、馬車を引く馬たちへと清らかな膜が広がった。
「ルーチェさん、これはどういうことですか?」
キールが驚きに目を見張る。
「この霧……入った人の体力を少しずつ削る、悪い効果があるみたいで……」
ルーチェの説明に、テオが苦い顔で頷いた。
「道理で。《危機感知》がずっとチクチク反応してたわけだ」
キールは神妙な面持ちで景色の見えない前方を見やり、
「このまま警戒しながら村まで進みましょう。村人たちなら、この霧について何か知っているかもしれません」
と言った。
三人は無言で、しかし強くうなずいた。
馬車は白い霧をかき分けながら、ゆっくりと前へ進んでいく──。
濃い霧の中、ぼんやりと村を囲う木柵が浮かび上がる。
ルーチェたちは馬車の中から周囲を伺いながら、自然と息を呑んだ。
「柵ってことは……この先に村の門があるはずです!」
御者の男は手綱を強く握りしめ、前を凝視しながら言った。
その言葉に、馬車の中の空気が一気に引き締まる。
やがて視界の奥に、霧に沈んだ村の門が現れた。馬車は軋む音を立てながら、門のすぐ手前で停止する。
「……やけに静かだね」
テオが目を細め、霧の向こうに視線を走らせる。
「凄く嫌な予感がする……。ルーチェさん。我々で村の中を確認しましょう」
キールの声は落ち着いているが、どこか緊張が滲んでいた。
ルーチェは一瞬考え、うなずくと声を張った。
「ノクス! レオ!」
影が揺らぎ、黒い狼が飛び出す。ノクスは地面に静かに着地し、耳をピンと立てて周囲を警戒した。
「ワフ!」
その横で、空中に光の粒子が集まり、獣の輪郭を象る。
瞬く光の中から、白銀の鬣を揺らす精霊獣──レオが姿を現した。
「ふん、ようやく我の初仕事か。主よ」
レオは鼻を鳴らしながら言う。
「うん。ノクス、私と一緒に村の中に入ってくれる?」
「ワフ!」『アルジ、マカセロ!』
「レオには……馬車を守って欲しい」
「ほう? 仮にも精霊獣である我に馬車の護衛を?」
レオが半眼でルーチェを見る。
「私とキールさんとテオさんで村の中を確認してくるから、その間、馬車の守りが手薄になる。もし霧に紛れて何者かが近づいてきても──精霊獣相手に戦おうとする人は少ないはず。その分、オルトたちの危険が減ると思う」
「…………ふん。まあいい。今は仮とはいえ契約中だ。従ってやる」
レオは鬣を揺らしながら悠々と馬車の前へ歩く。
御者の男を睨みつけ、低く言い放った。
「勘違いするな。我は主の命があるからこそ守るのだ。命が惜しくば、馬車の中で大人しくしていることだな」
「ひっ……! は、はいっ!」
御者の男は慌てて馬車の中へ引っ込み、ぶんぶんと首を縦に振った。
霧が深く沈む中、ルーチェ・キール・テオの三人は、村の闇へ足を踏み入れる準備を整え始めた──。
村の中へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
静寂。
異常なまでの静けさだった。
人の気配が、まるでない。
村人が暮らしていたはずの家々は、玄関の扉がどれも不自然に開け放たれている。テオが一軒の家を覗き込むが、家具は乱れていないのに、人影だけがまるで消えたように存在しなかった。
「これは……」
キールが息を呑む。
「明らかに、なんかトラブルじゃんか……。やだねぇ……」
テオが眉をひそめる。
ルーチェは焦りを押し隠しながら、側のノクスを見た。
「ノクス、生きている人の匂いとか……分からない?」
ノクスは返事の代わりに、スンスンと地面や空気の匂いを嗅ぎまわる。そして、ふっと鼻を伏せ、ルーチェに向かって目を細めた。
『アルジ……コノバショ、シノニオイ、ダラケ』
《意思疎通》で伝わった声は、あまりにも冷酷だった。
(……死の、匂い……)
ルーチェの血の気が引いていく。
その表情を見たテオが、すぐに覗き込んだ。
「ルーチェ、大丈夫?」
「ノ、ノクスが……この辺りは“死の匂い”がすると……」
「死の匂い……ですか」
キールが表情を険しくし、テオがノクスに問いかける。
「ノクス。その匂い、どっちの方角が濃いとか、分かる?」
「ワフ!!」
ノクスは力強く吠え、迷いなく歩き出した。
三人はその後を追っていく。
やがて、視界が開け、村の広場と思われる場所へと出た。
濃い霧の向こう──“誰か” が立っている。
ぼんやりとした影が、こちらに背を向けて佇んでいた。
「……ねぇ、アンタ! 村の人?」
テオが腰の剣に手を添えたまま叫ぶ。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
その声に反応して、影がゆっくりと振り返る。
そこにあったのは──皮膚の一片もない骸骨の顔。
生者のものではない、不気味な空洞の眼窩。
服をまとった骸骨の“死霊”だった。
「ヴァァ……ァァァ……」
「《死霊》!?」
キールが叫ぶ。
「まさか……村人……!?」
テオが震える声で続けた。
霧の中、骸骨はぎしり、と音を立てて一歩踏み出した。
テオの叫び声に釣られたのか──濃霧の奥で、複数の唸り声が一斉に上がった。
ガシャ……ガシャ……。
骸骨たちが霧を割って現れ、ぎしりと体を軋ませながら、こちらへ向かって歩いてくる。
「来るぞ!」
キールは槍を構え、テオは素早く剣を抜いた。
ルーチェも棍杖を握りしめ、姿勢を低くする。
ノクスは一歩前に出て、喉の奥で低く唸った。
(ノクス。影に潜って、先に何かいるか確認してきてくれる?)
『ワカッタ、アルジ』
ノクスの体はすっと影に溶け、霧の向こうへと消えた。
その間にも、アンデッドたちはゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
『お嬢様。アンデッドの弱点は浄化の魔法です。お嬢様なら、周囲を一掃できます』
リヒトの声が脳内に響く。
ルーチェは小さく息を吸い、杖を構えた。
「……《浄化》!!」
杖の先端から白い光が弾け、波紋のように広がっていく。光を浴びた《死霊》たちは、怨念の残滓をこぼすように体を崩し──塵となって消えていった。
「おお、やるじゃん、ルーチェ!」
テオが駆け寄り、ルーチェの頭をひと撫でして笑う。
その時、ノクスが影から飛び出した。
『アルジ、ミツケタ』
息は乱れていないが、声には緊張が滲んでいる。
「ありがとう、ノクス。案内してくれる?」
「ワフ!!」
ノクスは即座に駆け出した。
ルーチェ、キール、テオはその後を追い、霧の中を走り抜けていく──。




