第125話 公爵邸からの出立
少し遅れちまいましたが、投稿しました。
夜。客間の灯りは淡く、静けさに包まれていた。
ルーチェはベッドの上で、転がるぷるるとアミティエの様子を眺めていた。魔物たちは昼の遊び疲れが残っているのか、丸くなってのんびりと体を揺らしている。
同じ部屋に泊まるオルトも、興味深そうにその様子を見ていた。目の奥には、ほんのわずかな安堵の色が宿っている。
「ねぇ、オルトくん」
ルーチェが声をかけると、オルトはピクリと耳を動かし、彼女の方を向いた。
「ちょっと、ここに座ってくれる?」
トントン、とベッドの端を軽く叩く。オルトは少しだけ迷うような間を置いてから、静かにそこへ座った。
ルーチェはオルトの顔を優しく見つめながら、ゆっくり話し始める。
「実はね。キールさんとテオさんと私で、新しい依頼を受けることになったの」
オルトは静かに瞬きをした。黙って耳を傾けている。
「獣王国っていう、オルトくんと同じ獣人さんたちが暮らす国に、こっちの国から“贈り物”を届けるの。お祝いのために、すごく大切な品なんだって」
言葉の合間に、ルーチェはふっと微笑んで、でもほんの少しだけ目を伏せた。
「その贈り物を、私たちが責任を持って運ぶことになったの。馬車に乗ったり、今度は……お船にも乗って、海を越えなきゃいけないんだ」
そして、改めてオルトの目を見る。
「だから、聞かせてほしいの。……オルトくんはどうしたい? 一緒に行く? それとも、ここに残る?」
優しく、けれどまっすぐに。
ルーチェはオルトの頭を撫でながら、選択肢をきちんと伝える。
その瞬間だった。
「……やだ」
かすれた声と同時に、オルトはルーチェの胸に顔をうずめ、ぎゅっと両腕で抱きついてきた。勢いに押され、ルーチェはそのままベッドに倒れ込んだ。
「わっ……!」
「……置いていかないで……」
幼い声が、震えながら心の奥からこぼれ落ちる。
「やだ……また、ひとりになるのは、やだ……」
顔を埋めたまま、オルトはぐりぐりと頭を押しつける。必死に、何かを確かめるように。
ルーチェはそっとその小さな背中を抱きしめた。
「うん……わかったよ。置いていかない。オルトくんも一緒に行こう。……傍にいるからね」
「……うん」
ルーチェの胸の中で、オルトはやっと少しだけ力を抜いた。その姿は、誰よりも小さくて、でも……かけがえのない、大切な“仲間”だった。
ルーチェとオルトは、並んでベッドに入っていた。
部屋の灯りは落とされ、柔らかな月明かりだけがカーテン越しに差し込んでいる。
オルトは先ほどと変わらず、ルーチェの胸に顔をうずめたまま、身体をぴたりと寄せていた。
ルーチェはその小さな背を優しく撫でながら、静かに目を閉じていた。けれど、心はまだ揺れていた。
(……連れて行って、本当に大丈夫かな。無理をさせないって決めたのに、海を渡って、知らない場所へ行って、また……怖い思いをさせるんじゃないかって)
不安の声が、胸の奥に広がる。
そのとき、優しく落ち着いた声が、彼女の意識の中に響いた。
『オルト様は、“お嬢様の傍に居たい”と、心から願っております。お嬢様がその手を離さなければ──きっと、大丈夫でございますよ』
それは、リヒトの声だった。
ルーチェは目を伏せたまま、静かに思考を返す。
(……そう、なのかな)
けれど、返事は出せなかった。
“強くなること”と“守ること”の重さを、少しずつ学んでいるからこそ、軽々しく信じ切ることはできなかった。
──その時だった。
「お姉ちゃ……」
掠れたような小さな声が、胸元から漏れた。
ルーチェは少し驚いて顔を下げると、オルトはもう眠っていた。うっすらと眉を下げたまま、安らかな寝息を立てている。
(……夢の中でも、私のことを呼んでくれるんだ)
ルーチェの心に、じんわりと温かさが広がった。
不安は消えないけれど、それでも。
「おやすみ、オルトくん」
小さく囁くと、ルーチェもゆっくりと目を閉じた。
魔物たちの柔らかな寝息が響く部屋で、ふたりは寄り添うように眠りについた。
次の日。
午後の穏やかな陽の光が差す部屋の中で、ルーチェは手紙を書く準備をしていた。
「出発は明日の朝だから、お手紙書こっか」
机に紙を並べながらルーチェが声をかけると、オルトが首を傾げた。
「お手紙……?」
「うん。ほら、亜人の子供たちに手紙を書くって約束してたの、覚えてる?」
「あ、うん」
オルトは思い出したように目を丸くし、小さくうなずく。
「あの子たち、元気にしてるといいね」
「……うん」
ペンを握ったルーチェは、そっと息を整えて書き始める。
ルーチェが紙に向かいながら言う。
「まずは“元気にしてる?”って書こうか。……それから“怖いことされてない?”とか……」
オルトは眉を寄せながら、ぽつり。
「……“ごはん、ちゃんと食べてる?”」
「うん、いいね。書いておくね」
ルーチェがさらさらとペンを走らせる。
今度はオルトが、紙の端にそっと指を置いて言った。
「……“また、あいにいく”って書きたい」
「もちろん。オルトくんの気持ち、ちゃんと伝えよう」
ルーチェはオルトの言葉を丁寧に文章にし、オルトも拙い字ながら一生懸命書き写した。
二人の字が並んだ手紙を見て、ルーチェは微笑む。
「いい感じに書けたね」
「でも……どうやって届けるの……?」
オルトの問いに、ルーチェも唸りながら頬をかく。
「んー……自分たちで届けるわけにはいかないしなぁ……」
二人そろって同じ角度で首を傾げる。
その瞬間、心の中でリヒトの声が響く。
『お嬢様』
(リヒト、どうしたの?)
『他者を頼るのも一手かと。公爵家や王家の伝手を使えば、確実に届けられるでしょう』
(なるほど……!)
ぱぁっと顔を明るくしたルーチェは、影からノクスを呼び出してオルトを預けると、
「ちょっと行ってくる!」
と勢いよく部屋を飛び出した。
公爵邸の廊下を歩くキールを見つけると、その背中に向かって呼びかける。
「キールさーん!!」
声に気づいたキールが振り返る。
「おや、ルーチェさん。どうされましたか?」
息を切らせて駆け寄ったルーチェに、キールは苦笑しながら姿勢を正す。
「その、えっと、一つお願いがありまして……」
「はい、なんでしょう?」
「実は──」
ルーチェが差し出した手紙を見て、キールは静かに目を細めた。
翌朝。公爵家の敷地に朝靄が立ち込め、ひんやりとした空気が肌を撫でていく。
荷馬車に積まれた木箱や封印された小さな宝箱のようなケース。冒険者ギルドから派遣された補助員たちが、最後の確認をしているのが見えた。
ルーチェは玄関先に立ち、深呼吸をひとつ。
先程まで眠そうだったオルトもすっかり目が覚め、ルーチェの手をぎゅっと握っている。
「……大丈夫?」
「うん……いく」
まだ少し不安そうだが、それでもルーチェの手を離そうとしない。
「おはようございます、ルーチェさん」
「おはよ〜」
キールとテオが姿を現した。キールもテオも旅支度を整えていつでも出発できる様子だ。
「贈呈品のチェックが済んだら我々も乗り込みましょう」
「いよいよ出発だから、忘れ物ないようにね。」
二人の声に、ルーチェは小さくうなずいた。
すると後ろから──
「まぁ、行ってしまうのね」
エリーゼが微笑ましそうに、寂しそうに、歩み寄ってきた。その隣には、まだ寝癖の残ったルークもいる。
「ルーチェちゃん、これ。旅の途中で使ってね」
エリーゼが差し出したのは、小さな可愛らしい巾着袋。
手に取ると、やさしい香りがする。
「香草と、目薬と、お茶の葉。緊張した時に飲むと落ち着くのよ」
「エリーゼ様……ありがとうございます!」
思わずルーチェは深く頭を下げた。
エリーゼは柔らかく笑い、ルーチェの両肩に手を置く。
「気を張りすぎないようにね。あなたは“守りたい子たち”が多いもの。本当に大変だと思うけれど……あなたならきっと大丈夫」
ルーチェは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「オルトくん、また遊びに来てね」
「うん、必ず……来るよ、約束……」
ルークとオルトが握手を交わす。
オルトが控えめに手を振って馬車に乗り込むと、ルークも元気よく手を振る。
「絶対に、また来てね! 絶対だよ!」
オルトは小さく、だがしっかりとうなずいた。
キールが軽く咳払いし、皆をまとめるように声を張る。
「では、行きましょうか。みんな、馬車へ」
キールとテオ、オルトが順に乗り込む。
その馬車の前に、ピーターが現れた。
変わらぬ完璧な身なりで深々と礼をする。
「ルーチェ様、お久しゅうございます」
ルーチェは安堵したように駆け寄る。
「ピーターさん、朝早くにお呼び立てしてごめんなさい……」
「いえ。私はルーチェ様の専属の使用人でございます故、何なりと」
「えっと、これを……ピーターさんに託したくて」
ルーチェは封蝋のついた封筒を差し出す。
「こちらは?」
「ドレステルの街で助けた亜人の子供たちに手紙を送る約束をしたんです。これを……ロンダールのフィッス村という所へ届けていただけませんか?」
「……ロンダールのフィッス村、ですか。畏まりました。この命に変えましても──」
「い、命には変えちゃダメです!!」
ルーチェが慌てて止めると、ピーターは珍しくクスッと小さく微笑んだ。
「冗談でございます。ルーチェ様。この手紙、必ずお届けいたします」
「ありがとうございます、ピーターさん」
ピーターは深く頭を下げた。
「ルーチェ様。どうか道中お気をつけて」
「はい。いってきます」
ルーチェは微笑んでそう告げ、馬車に乗り込んだ。
馬車の後ろから、公爵家の玄関前に立つエリーゼとルークを見る。
「いってきます、エリーゼ様! ルークくん!」
「ええ。──気を付けてね、みんな!」
「気をつけて!」
馬車がゆっくりと動き出す。
公爵家の邸宅が遠ざかっていく。
オルトはルーチェの隣に座り、手をぎゅっと握り締めたままだ。
(大丈夫。私が一緒にいるから)
ルーチェは小さく微笑み返した。
こうして───ルーチェたちは王都を後にし、新たな旅路、獣王国への道を歩み始めた。




