第124話 カイルからの依頼
夕暮れ時、橙色の陽が差し込む庭に、一人の男性の足音が近づいてきた。
───カイル・ランゼルフォード。
キールの父にして、ランゼルフォード公爵家の当主である。
庭に集まる子供たちと、それを見守っていた者たちを見渡し、低く、しかし威厳のある声で告げた。
「お前たち、揃っているな。……報酬の件と、もう一つ別件で話がある。応接間まで来てくれ」
「ルーチェちゃん。オルトくんは、私とルークで見ているわ。だから安心して行ってきていいわよ」
エリーゼが優しく言い、ルーチェは少しだけ心配そうに振り返った後、エリーゼとルークに一礼して頷いた。
「ありがとうございます」
ルーチェ、キール、テオの三人はカイルの後を歩き、公爵家の屋敷内を進んでいく。
──やがて通されたのは、ランゼルフォード公爵家の応接間。
高い天井と重厚な木材で組まれた壁面、奥には立派な暖炉が据えられている。
部屋の中央には、赤茶の革張りのソファと艶やかな漆黒のローテーブルが置かれ、淡い香木の香りがほのかに漂っていた。
壁には公爵家の紋章と、幾つかの絵画が並んでいる。いずれも由緒ある家柄を思わせるものばかりだ。
カイルはそのうちの一つのソファに腰を下ろし、手で向かい側を促した。
「まあ、掛けたまえ。話はすぐに終わる」
ルーチェとテオ、キールも静かに腰を下ろした。
応接の場に流れる空気は重すぎず、しかし軽んじてよいものでもない。それは、長年政治と責務の場に立ってきたカイルという男の人間性が作り出すものだった。
ルーチェたちが席に着くと、カイルは革袋を一つ、テーブルの上に置いた。袋の中で金貨が小さく触れ合う音がした。
「……元々は、護衛という名目の、ドレステルの調査依頼だった」
カイルはまっすぐ三人を見つめる。
「だが結果として、お前たちの働きで《奈落の市》の発覚から、その壊滅にまで至った。放置されていた奴隷売買の温床を断ち切り、さらには…《精霊獣》を救うにまで至った。その功績は計り知れん」
そう言ってカイルは袋の口を開け、中から金貨を一枚ずつ丁寧に並べ始めた。
重く、煌めくそれは全部で七枚。
「正直に言えば、公的な報酬としてはこれが限度だ。だが──私個人の感謝も含めた額だと思ってほしい」
キールが金貨を見て、少し眉を上げた。
「これは……多すぎでは?」
「いや、妥当だ。いや、妥当以上だな」
カイルの言葉に、テオが腕を組んで言った。
「こういうのは一人が多く貰うと気まずくなるんだよなぁ。どうする? 俺は正直、ルーチェが一番多く貰うべきだと思ってるけど」
ルーチェは一瞬戸惑った様子を見せた。
「わ、私……。でも、そんな……」
「ルーチェが一番危ない橋を渡ったんだから。文句言う奴なんていないよ」
テオがあっさりと断言する。
「私も同意見です」
キールも静かにうなずいた。
カイルが三人の様子を見て、小さく微笑む。
「ルーチェ、お前には金貨三枚。キールとテオには二枚ずつ。──それでいいか?」
ルーチェは小さくうなずいた後、頭を下げた。
「ありがとうございます……」
金貨を袋に収めながら、ルーチェはどこか少し照れくさそうだった。けれど、その瞳の奥には、確かな決意と成長の兆しが宿っていた。
「あの、カイル様。捕まった奴隷商人たちはどうなるんですか…?」
カイルは真剣な表情で頷いた。
「すでに王都へ移送され、商務庁監査部の方で今も尋問が続いている」
ルーチェたちは、静かに聞いていた。
「奴らの背後には、どうやら大手の商会や一部の貴族が関わっていた可能性がある。現時点でいくつかの名がチラホラと上がってきている」
「裏でそのような繋がりが……」
キールが呟く。
「ああ。だが、まだ確かな証拠は揃っていない。現在はその裏取りを進めているところだ。……捕まえたはいいものの、その根は深い」
「じゃあ、まだ逃げ切ろうとしてる奴もいるってことか」
テオが険しい顔で言う。
「その通りだ。だが、今回の件で我々の目もより厳しくなった。必ず尻尾を掴むつもりだ」
ルーチェは拳をぎゅっと握りしめた。
そんなルーチェを見て、キールが口を開いた。
「ですが、一歩は踏み出せた。ルーチェさんの行動は、確かに、世界の闇を照らす光となりました」
カイルもそれにうなずく。
「お前たちが動いてくれたおかげで、王国の闇を一つ、暴くことができた。本当に感謝している。…心からな」
紅茶を飲み、カップを置いてから、カイルは三人を見た。
「……さて、ここからは別件の話だ。実はな───」
カイルの言葉に続くように、場面は三日前へと遡る。
***
三日前、王都・商人ギルド本部。
書類の山に囲まれた一室で、数人の重鎮たちが顔を揃えていた。
重苦しい沈黙を破ったのは、商人ギルドでも指折りの女商人、マリエル。薬草と宝飾品を主に扱う「星灯市場組合」の若き代表で、今回の《星露の蜜花》の選定者でもある。
そんな彼女の顔には焦りの色が浮かんでいた。
「獣王国へと贈呈する《星露の蜜花》と《金糸の誓衣》の用意は、例年通り済ませましたわ。ですが……問題は輸送です」
深刻な面持ちで、隣の老商人ダートンが唸った。
ダートンは「王都中央卸商会」幹部、公爵とは古くからの知己の友である髭面の堅物男である。
「《蒼海獣》……海蛇竜。奴が現れてからというもの、貨物船が沈められ、航路は封鎖状態。下手に出せば、獣王国への贈呈品もそれを運ぶ人材も、海の藻屑となる」
「しかし、何をどうしようとも、期限内に蜜花と誓衣は獣王国へ“必ず”届けねばなりませんねぇ…」
「東方交易ギルド」会頭のザファルが太鼓腹を揺らしながら言った。彼は砂漠の街ザフラ出身の太っちょ商人。香辛料や絹の独占ルートを持ち、獣王国や白蓮の港町との交易の一切を取り仕切る、文字通りの“大物”である。
──そして、場に沈黙が走る中。
「…だからこそ」
ギルドの隅に座っていたカイルが、重く口を開いた。
「腕の立つ者に頼むしかない」
カイルの視線は、一枚の推薦状に落ちる。そこには──“ルーチェ”の名があった。
***
カイルの説明が終わり───
「──というわけで、今回の依頼は、極秘扱いで任せたい」
カイルの口調は慎重だが、そこには確かな信頼も宿っている。
「内容は二つ。まず、王都から港町べリスタへ《星露の蜜花》と《金糸の誓衣》を護衛し、無事に届けること。そして、その後。港町から獣王国への海路を通り、これらを獣王国の王都へと届けてほしい」
地図を広げながら、カイルは言葉を続ける。
「問題はここだ」
地図上の青い線を指し示す。
「この海域に、《蒼海獣》と呼ばれる大型の海獣が出現している。今のところ定期航路は全滅状態。貴族の使節団も動けず、連絡役も途絶えたままだ」
「危険だということですね」
キールが言い、カイルはうなずく。
「だが、お前たちなら──《蒼海獣》とすら渡り合えるかもしれない」
テオが眉を上げる。
「へぇ? ずいぶんと俺たちを買ってくれてるみたいだけどさ、それってドレステルの件だけじゃないよね。何か決定的な根拠でもあんの?」
「ルーチェ」
カイルの視線がルーチェに移る。
「クリスから聞いた。──“緑癒獣の森”でブラッディホーンベアを倒したそうだな?」
「えっ!?」
「……なにそれ、聞いてないんだけど!!」
慌ててルーチェは手を振る。
「え、えっと…合同討伐隊の前の依頼で…! 村の人に急遽頼まれて、子供を探しに森に入って……で、その時に……」
「精霊と契約し、魔獣を鎮め、仲間を導く。その素質があれば、《蒼海獣》とも──交渉か、戦闘か、あるいはその両方か……、ともかく出来るかもしれないと踏んだのだ」
「それって、私に全部任せるってことじゃ…!?」
ルーチェは頬をひきつらせるが、カイルは穏やかに笑う。
「任せるとは言っていない。だが“託したい”とは思っている」
カイルが巻物を差し出す。
「港町では、カレル侯爵家の三男“ディアス”が合流する。彼は航海と交渉の専門家だ。お前たちの航海に同行し、王国間の取り次ぎを行ってくれるはずだ」
キールは小さく首を傾げた。
「たしか、几帳面で生真面目な方でしたよね。……まあ、問題ないかと」
カイルは三人に向かって最後に言った。
「これは国の威信と信頼に関わる任務だ。道中の危険は覚悟してくれ。それでも──頼んだぞ」
「「はい!」」
ルーチェ、キール、テオ──三人は声を重ねた。




